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オレンジ・ビーチ  作者: 恵梨奈孝彦
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市街

街の近くに車を停め、恭輔が水を調達しに行った。

 田中が残っていてくれてよかった。高橋と二人だけで残されるのは耐えられない。この子はどういうわけか、あたしを目の敵にしている。「どういうわけか」もないか。恭輔と昔から親しいあたしが気に入らないのだろう。バカな子! 恭輔はもうあたしの恋人なのに!

 エリカがそんなことを考えていると、田中が言った。

「倉庫でも廃屋でも、民兵たちはあっけなく抵抗を止めました。しかし第二分隊を徹底的に攻撃している。彼らの行動は、ある種の合理性によって貫かれています。彼らを知ることは、この先の我々の行動にとって大変重要です」

 これだけでは何が言いたいのかわからない。言いにくいことなのだろうか。

「まず、倉庫と廃屋では隊員の方がはるかに人数が多かった。抵抗してもどうにもならないと、民兵一人ひとりが判断したのでしょう。なぜそういう判断ができたのか? 各国の軍隊というものはナショナリズムによって連帯しています。国民軍(ピープルズアーミー)と呼ばれているものですね。これは自衛隊も旧日本軍も例外ではないです」

 エリカは口を挟んだ。

「それが戦前多くの人権侵害と、原爆投下と敗戦を産んだわけね」

「その通りです。国家と民族のために自分を犠牲にするという文化の犠牲になったわけです。しかし民兵組織は各部族のリーダーの私兵です。つまり、自分たちが不利なら戦いをやめるという合理性を持っています。さらに、倉庫や民家で自衛隊は武器を使用せず、捕らえた民兵を解放している。この相手なら戦いやすいと考えたのではないでしょうか。むろん彼らが『専守防衛』とか『交戦規定』とかいう概念を理解しているわけではないでしょうが、『こちらから撃たなければ撃ってこない』と学習したのでしょう。文化は違っても同じ人間です。『学習能力』も『合理性』も我々と同じようにあるのは確かです。そして、どんな文化にも欠点もあれば長所もある。たとえば『自分のことは自分でする』という日本の文化は、これ自体はいいことなんでしょうが、これがなければ障害者やお年寄りはもっと気軽に人にものを頼むことができるでしょう」

「じゃあ、あなたはこの国の文化の長所を何だと考えているの?」

「子供が勉強しなくていい」

「あんたねえ! この国の子供たちがどんなに勉強したがっているかわかって言ってるの!」

 高橋が口を挟んだ。

「先生は、日本の子供が先天的に勉強嫌いで、この国の子供は生まれつき勉強好きだとでも思っているのですか? もし日本の子供がこの国に、この国の子供が日本に生まれ変わったら、今とは反対になりますよ」

 そんなことはわかっている。しかし、自分が青春を犠牲にしてでもやり抜いたことを、価値がないかのように言われたくなかっただけだ。

 エリカは高橋を無視して田中に言った。

「だったらこの国の、『前世で罪を犯した者が女に生まれ変わる』っていう教義に、どんな合理性があるの?」

「その宗教を作ったのは男だったんでしょうねえ」

「…なにそれ」

「冗談ですよ。男が作った宗教であれ、女たちもまたそれを信仰し続けているのも事実です。世界の半分は女です。世界の半分が抵抗すればあっという間に消えてしまいそうなのに、世界史の多くの部分で女性差別が行われ、いまだに続いています」

「『女たちは、弱者として扱ってもらった方が楽だと考えている。自分が弱いのは自分のせいじゃなくて、自分が女だからと思えるからだ』とか言ってた男がいたけど、あんたもそう考えてるの!」

 女は楽ではない。むしろ歴史上、つらい役割を背負わされてきた。だけど目立つのは男ばかりだ。

 むろん女が弱者だというのも間違いだ。女の体は子供を産むために男よりも苦しみに耐えられるように作られている。

 だからこそ、世の男どもに、私たちは啓蒙しなくてはならない。

「そういうことではありません。『おまえの父親は差別者だ。祖父も曾祖父も、おまえの先祖はみんな差別者だ』なんてよそ者から聞いたら、男でも女でも不愉快だろうってことです」

「それを率直に受け止めて、ならばせめて次の世代に因習を引き継がせないように努力するべきでしょ!」

「それは理屈です。自分にとって大切な人が傷つけられれば、理屈通りに動くことは難しいでしょう」

「あなたはこの国の文化にひどい偏見を持ってるようね!」

「これは、どんな文化で育っても同じことでしょう。自分(・・)だって(・・・)、(・)大切(・・)な(・)(・・)を(・)失えば(・・・)ヤケ(・・)に(・)なる(・・)かもしれません」

 このスカした男が冷静さを失うとは思えない。お調子者かと思っていたが、とんだ曲者かもしれない。

「結局何が言いたいの?」

 しゃべっているだけで口の中が乾いていく。早く話を終わらせてほしい。

「たとえ女性でも、あなたの味方とは限らないということですよ」

 そんなことは隣に座っている女を見ていればすぐにわかる。それに「味方」なんて、この世に一人いれば十分だ。

「そしてもう一つ、あなたに救われた元患者であってもあなたの味方とは限らない。あなたはこの国を拾わない。いつかは出ていく人です。しかし、彼らはずっと部族の中で生きていかなければならない。あなたに救われたという過去があるからこそ、部族への忠誠を周囲に見せつけ、自分が裏切り者ではないことを証明しなければならない。彼らに部族や国を捨てるカネなどありませんからね…」


 恭輔は徒歩で街に入った。

 ここが一番の大通りのようだ。

 乾燥しているせいだろう。空気がどことなく粉っぽい。

 建物は頑丈そうだ。植民地時代の石造りの建造物が百年近く経っても使われているらしい。さらに安っぽいコンクリートの打ちっ放しの建物も多い。気候が厳しいため丈夫な建物でなければどうにもならないのだろう。

 道の上では露天商が店を並べている。この道は扇形になっていて、進むごとに狭くなっているが、建物に沿ってというわけでもなく雑然と、屋台が置かれている。

 活気があるというより、どうもゴミゴミした印象が否めない。

 乾いた空気の中に、野菜、果物、穀物、食器、衣類、雑貨、家具、それくらいならまだいいが武器屋まである。中年男が客に何かしゃべりなら、カラシニコフを空に向けて撃った。ものすごい音がする。デモンストレーションらしい。

 今にもバラバラになりそうなポンコツ車が、猛スピードで屋台の間を走り抜けていった。砂煙が上がった。若い女が、走り去った車に何か怒鳴っている。食べていたお粥に砂が入ったらしい。この街では男も女もやたら声が大きい。

 ほとんど他人に興味がなさそうな住民たちであるが、陸自の戦闘服を着ている以上長居はできない。こんな大通りにいたくないが、路地裏で水を調達できるとは思えない。

 ミネラルウォーターを売っている露店を見つけた。

 問題は金を持っていないことだ。略奪するか? いや、ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。

 店番に母子らしい二人がついている。子供はまだ小さい。この国では珍しい、あか抜けた黄色いTシャツを着ていた。

 ペットボトルを指さした。子供が手をさし出した。恭輔は顔の前で手を振った。子供も顔の前で手を振った。

 交渉不成立だ。母親に、手を合わせてみた。

 母親は、恭輔の腰を指さした。


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