第3話
ディオスは、言った通り罪人の塔の正面から侵入したようだった。すでに南京錠は外され、鍵は開けられている。
二人はやはり手荷物は軽い方がいいと考え、最低限の荷物を手に持ち、寂れた塔を後にした。
塔の外はすでに日が落ちており、真っ暗だった。
シルフィアは、久しぶりに吸う外の空気に開放感を感じていた。夜空には星が数多く瞬き、月光が二人を照らしている。
ふと、シルフィアは目の前を歩く男を見る。
月下で眺めるディオスは、まさしく死神だった。全身を黒で覆われており、武器こそは所持していないものの纏う空気は異質のもののように感じ取れる。そんな死神を見ても、なぜかシルフィアは恐怖を覚えなかった。それよりもむしろ――。
「綺麗……」
彼女は魅入られた。
死の象徴とも言える男のはずなのに、目が離せない。シルフィアの足は自然に立ち止まっていた。
「……おい、どうした。早く行くぞ」
ディオスはそれに気がついたのか、振り返り、不機嫌な様子で言葉を述べる。
「…………ねえ、ディオス」
悠長にしていていいはずがなにのに、シルフィアは口なせずにはいられなかった。彼女は、闇夜に浮かぶ灰色の双眸に目を向ける。そしてゆっくりと口を開いた。
「死神さんって、なんでこんなに綺麗なの?」
「…………さぁ、知らねえな」
ディオスは真面目に聞く気がないらしい。呆れた様子を見せ適当に答えた後、先へと歩みを進めていった。
シルフィアは気が付かない。
死の象徴である死神に魅入られるということは、ある意味、死自体に魅入られているのと相違ないということに――。
◇
しばらく二人が王城の敷地内から出るため、歩みを進めていると、遠くの方から大勢の声が聞こえてきた。どうやら、憲兵たちがなにやら騒いでいるらしい。多くの松明が遠くでちかちかと輝き、薄暗い光景によく生えている。
そんな光景を傍目で見ながらディオスの後ろ姿を追いかけていると、彼はふと立ち止まった。
「おい、シルフィア」
「……どうしたの?」
シルフィアは声をかけられ、目を瞬く。
ディオスは振り返り、険しい顔を彼女に向ける。そして女の細い腕を掴み、言った。
「兵たちがごちゃごちゃいやがる。こっち来い」
ディオスはシルフィアの腕を掴んだまま、返事を聞く前に走り出した。シルフィアの走るスピードに合わせてくれているのか、早いペースというわけではない。だが、長年塔暮らしだった彼女にとって走るという行為自体が久しぶりだったため、簡単に息は上がってしまう。
「……はぁ……はぁ……」
ディオスはそんなシルフィアに気づくと、大きく溜息をつき、一旦雑木林の陰に隠れることにしたらしい。
木の陰に身を潜ませると、彼女の荒い息はあたりに響き、シルフィアは両手で胸を押さえた。
「お前体力ないな」
「……はぁ……はぁ……ご、ごめん……」
シルフィアは己の体力の無さを少しだけ呪い、思わず謝罪の言葉が口から出た。ディオスはなにも答えず、無言で木の根元に腰かける。
しばらくの間、シルフィアは息を整えるためな深呼吸を繰り返していると、段々と呼吸が整ってきた。
それを見計らってから、ディオスは小声で言葉を紡ぐ。
「……とりあえず、兵がどっか行くまで待たねえとな」
「なんで夜遅いのに、こんなにたくさん兵士さんたちが?死神さんはしってるの?」
「…………ああ」
ディオスは頷く。
それから彼は夜にも関わらず、兵が多い理由を説明した。
今日この日、城下町にて祭りが開催されているらしい。ディオスが罪人の塔へと忍び込むことが出来たのは、城の警備の多くが城下町へと回されているためだそうだ。なんでも最近のデルフィニア王国は治安が乱れており、そんな様子を危惧してか、王は城下への警備を多くの兵に命じたらしい。ディオスが罪人の塔へ侵入できたのも、警備が手薄になっていたせいだということだ。
「あれ……? でも、ディオスは死神さんなんだから人がいてもいなくても関係ないんじゃないの?」
「……………………まあ、な……」
彼は曖昧に言葉を濁すと、立ち上がった。彼の身長はシルフィアよりもかなり高いため、見上げる形となる。
彼の美しい相貌をじっと見つめていると、死神は気まずげに視線を逸らし、髪をくしゃりと搔きあげた。それでもまだ純真な視線を送り続けてくるシルフィアに対し、男はありありと面倒くさいという表情を見せた。だが、その女には全く効果がないようだった。
この罪人姫には婉曲的な言い回しや、察するという行為が壊滅的にダメなのだと、ディオスは悟る。なにか適当に流そうと口を開きかけたその時、シルフィアの方が先に言葉を紡いだ。
「そういえば…………塔に食材運ばれた日は一昨日だった……から、次の食材日まであと五日間ある」
彼女は、言い忘れていたことを思い出したかのように告げた。
「……五日間、か」
意外とタイミングが良いときに女を連れ去ることが出来た。ディオスは一人思った。
デルフィニア内を抜けることは難しいにしても、五日あれば追っ手に追いつかれることは無いだろう。
だがもし仮に、明日、シルフィアが塔にいない事が判明しても、ディオスには逃げきる自信がある。
――何故ならそれは、彼の《生業》にも関係しているのだから。
「ディオス? どうかしたの」
「……いいや、なんでもない」
死神はかぶりを振って答える。
口元は片方の口角が微かに上がり、冷たい笑みが見て取れる。シルフィアは、そんな凍てついた空気を纏う死神をじっと見つめていた。
しばらく時間が経ち、女の視線に気がついたディオスはそのまま常の無表情に戻ってしまったが、それでも女は真っ直ぐな視線を男に向け続ける。彼の心の内を見透かすような澄んだ視線を。
だが、そんな空気を割るように近くの雑木林がガサガサと揺れた。
「…………っ!」
シルフィアはびくりと肩を揺らし、驚いて息を飲む。
そんな彼女の腕をディオスは掴み、引き寄せた。そしてシルフィアを腕の中に閉じ込め、木の陰に隠れる。
緊張感に包まれた場にも関わらず、シルフィアは「死神さんも温かいんだな」と場違いなことを考えていた。ディオスに体をすっぽりと包まれ、布越しではあるがその温もりを感じていると、何故だが心臓がいつもよりも早く脈を打っているように感じる。
どうしてなのだろうかと、シルフィアは呑気なことを考えていた。だが次の瞬間、彼女の心臓は違う意味でドクリと音を立てる。
「……誰かそこにいるのですか?」
「…………あっ」
シルフィアは、思わず小さな囁きのような声を上げていた。それは無意識の反応だった。
――その耳馴染みの良い声が、どうしても聞き覚えのあるものだったから。
「誰だっ!?」
「……くそっ! ちっ、おまえ!!」
雑木林にいる人物は当然のように警戒心わ露わにした声を上げ、ディオスは舌打ちをしたあとギロリとシルフィアを睨む。
だが、シルフィアの心はそれどころではなかった。なにせ雑木林にいる人物は自分のよく知っている人物だと気がついていたのだから。その一声で、相手が誰だか分かってしまうほどの馴染み深い人物。
「クヌード……」
雑木林を抜け、男が二人へと近づく。そして、月下に照らされたその顔が見えた。
黄金色のその髪に、薄氷色の瞳をした男。最後に会ってから数年経ち、何もかもが変わっているのにも関わらず、昔の面影が見て取れる。
鎧を身につけた、いかにも理知的で秀麗な男はシルフィアの顔を見ると呆然としたように声を漏らした。
「…………ひ、めさま?」
その男は、かつてシルフィアのお付きの騎士であり、小さな頃から同じときを過ごしてきた幼馴染、クヌードであった。