プロローグ
王城の敷地の奥にそびえ立つ塔。そこは世俗から隔離された、いわゆる罪人を収監している場所だった。罪人を収監とは言っても、この古めかしい塔には一人の娘のほか誰もいない。そのはずだった。
「お前がシルフィアか」
「…………貴方はだれ?」
女は目の前の男の質問には答えず、逆に質問を返す。ここ数年もの間誰かと話すことなどなかったためか、声が掠れているようだ。だが、それも気にしない様子だった。彼女は突然現れた闖入者を目の前にしても動揺を見せることなく、マイペースに頭を傾げた。
「…………俺が、お前に名前を聞いているのだが? お前はシルフィアか?」
「ええ、私はシルフィア。それで、貴方は一体だれ?」
シルフィアはどうしてもその男が気になるようだった。キラキラと輝くミルクティー色の髪を耳にかけ、眠たげな目を男に寄越す。男は不審げに女を見つめた。今までに担当した人間とは何もかもが違う。育ちも、纏う空気も、考え方も。一瞬戸惑いを覚えたが、こんな仕事をしていればおかしな状況など日常茶飯事だ。
すぐに調子を取り戻し、冷たく暗い声で女に答える。
「俺は死神だ」
「死神?」
男は「ああ」と頷き、シルフィアを一瞥する。そして口元に軽い笑みを浮かべ、彼女を軽蔑した表情で一言。
「お前の命を貰いに来た」
死神はからからと楽しそうに笑った。その笑いは薄ら寒いもので、恐らく楽しさなど微塵も感じていないことが感じられる。どう見ても作られたもので、人が見れば皆気味の悪さに腰を抜かしてしまうことだろう。
――ただ、目の前の女を除いては。
「そう、あなた死神さんなのね」
シルフィアは柔らかな微笑みを浮かべ、死神と名乗る男を見つめた。それはまるで、天使が迎えに来てくれたことを喜ぶような優しげな微笑みだった。無邪気で、そして無垢で、その場の状況とは全くそぐわない。
「ねぇ、死神さん」
楽しそうな声色で女は言う。
死神は無表情でシルフィアを見下ろした。やはり表情からは、その内心を読み取ることは不可能に近い。
「迎えに来てくれて、ありがとう」
彼女は心底喜んでいるように、礼の言葉を述べたのだ。そこで初めて、死神の表情は崩れた。呆れの混じった迷惑顔で眉をひそめる。
「なんでお礼を言う」
ぶっきらぼうな口調で尋ねた。その声色の中には興味の色が入り混じり、シルフィアに関心を抱いたことを感じさせられる。女はゆっくりと口を開いた。
「私は罪人だから」
シルフィアは苦しそうな声で呟く。それは女が初めて見せた、負の感情が滲み出た一言であった。
そんな彼女に向け、死神は再度からからと笑う。
――それは二人が出会った日、雲ひとつない満月の晩の出来事だった。