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【第89話】隔てる距離

 その日、レグノスの街は、朝から慌ただしい喧騒に包まれていた。


 いつもは和やかな雰囲気の広場に、決して相容れない急ごしらえの絞首台が設置され、おどろおどろしい妖気を漂わせている。


 警備の兵士や見物に集まってきた人々が、多少なりとも興奮しているのは、吊るされるのがあのランドルフとその一味だからだろう。


 人が吊るされるのを見物するなんて……。シリューは絞首台に群がる人々を眺め眉をひそめたが、それだけ野盗達に悩まされてきたという事だろう。元の世界でも19世紀までは、普通に見られた光景で、一部の国では公開処刑が今でも行われている。シリューはふと、昔みた古い西部劇のワンシーンを思い出した。


 シリューがこの広場にやって来たのは、勿論見物の為ではない。


 ギルドから依頼を受けた訳ではないし、根拠があった訳でもない。心の隅で、ごく小さな警鐘が鳴っている気がして、どうしても放っておけず個人的に警戒に当たるつもりだった。


 しかし、これだけの衆人環視の下で何らかの行動を起こすなど、ほとんど狂気の沙汰としか思えない。


「ただの思い違い、かな……?」


 刑の執行責任者が絞首台に上がると、それまでの喧騒が嘘のように、広場は静寂に包まれる。刑の執行が宣言されたのに続き、神官が死にゆく者への祈りを捧げた後、最初に吊るされる3人が、後ろ手に縛られたまま台上に連行されてきた。


 最後の言葉を聞くでもなく、ただの作業のように目隠しをされ、吊り下げられたロープを首に掛けられ、そして、突き落とされてゆく。


 見るつもりは無くても、何故か目が離せなくなる。


 吊るされた者たちは、暫くの間もがいていたが、やがて糞尿を垂れ流し、そして動かなくなる。気分のいいものではない。シリューは胃のむかつきを覚えて、口をおさえごくりと唾を呑み込んだ。


 最初の3人が全く動かなくなったのを確認すると、吊るしたロープが切断され、死体はまるでゴミくずのように、絞首台の下に停めてある荷馬車に落とされる。


 湧き上がる歓声。


 淀みなく新しいロープが用意され、次の犠牲者が死への階段を昇り並べられる。


 無駄な抵抗を試みる者もいたが、僅かにその瞬間が延ばされるだけで、結局彼らの運命を変える程のものでは無かった。


 中には、泣き喚き命乞いをする者もいたが、シリューは同情する気にはなれなかった。


「殺される覚悟も無いのに、人を殺してたのか?」


 シリューの脳裏に、ある私立探偵の決め台詞が浮かぶ。


「俺は死にたくない、死ぬ覚悟も無い……だからお前達を殺さなかったんだよ」


 それは、偽らざるシリューの心の声だった。


 どくん、と心臓が撥ね、シリューは胸に手を添えて絞首台に目を向ける。吊るされ、惨めに糞尿を垂れ流し、人生を終えた者たち。


 死に方としては、最悪の部類に入るだろう。


「死……か……」


 連中の人生になど興味は無いし、知りたいとも思わない。だが、中には魔物の襲撃で孤児となり、生きる為に犯罪に手を染めた者も、少なからずいると聞いた。だからと言って、同情するつもりも無い。だが……。


 親から捨てられ、世界から拒否され、一度は死んだ自分と彼らとの立つ場所の違い。それは広場の正反対に位置する、絞首台と自分とを隔てる距離ほど遠いのだろうか。シリューはふと、そんな事を考えてしまった。


「そんなわけ……無い……」


 自分が何者なのか、何者になるのか。


 今は分からない。生きる目的も無い。


 死にたくないから生きる。


 傷つきたくないから、傷つけたくないから……。


「……逃げるしか、ないよ……」 


 それは何に向かって、誰に向けて言ったのか、シリューにも分からなかった。


 だがいつか、何処かに、自分を必要としてくれる場所が、人が、見つかるかもしれない。


 それまでは……。


「俺は……生きる」


 青空に浮かぶ白い雲を見上げ、シリューは誰にも聞こえない声で呟いた。


 その声を塗りつぶすように、一際大きな歓声が広場に集う人々からあがった。


 いよいよ最後の1人、野盗団の頭であるランドルフが、絞首台に揚げられたのだ。


 口汚く罵る声と、飛び交う怒号の中にあっても、ランドルフは余裕の笑みを絶やさなかった。その余裕とも思える態度が、人々の怒りを更に煽る。


「くっくっく……今のうちに精々楽しむんだな……」


 ランドルフは目隠しを断り、ゆっくりと広場を見渡す。まるで観衆の中の何処かにいるであろう、誰かを探すように。


「さあて、そろそろだぜ」


 首にロープが掛けられるのを見計らって、ランドルフが呟く。


 だが、何も起こらない。


 “ その時が来れば、ソレはあなたに強大な力を授けてくれるでしょう ”


 金の仮面の男は、確かにそう言った。


「おい、どうなってるっ。今がその時だろ!?」


 ランドルフは自分の胸を見下ろすが、特に何の変化も感じられない。


 ここに至って、ランドルフの顔から、余裕の表情が消える。そしてようやく気付く。


「ま、まさかっ。騙しやがったのか!」


 自分が死ぬとは、露ほども考えていなかったランドルフは戦慄した。だがそれはすぐに激しい怒りに変わる。


 こうなれば自分一人の力で、この場を切り抜けなけらばならない。


「ま、待てっ……!! 知ってる事を話っ……」


 ランドルフは振り返って叫んだ。後ろ手に縛られ、魔力も体力も封じられたランドルフに出来るのは、精々その程度の事だった。


 しかし、背後に立った死刑執行人は眉一つ動かさず、ランドルフが最後まで言い終わる前にその背中を突き飛ばした。


「あがっ……が……く、そ……よくも……ぐぼっ、殺して……や、る……どいつも、こ、い、つ……も…………」


 虚空を見つめ、恨みがましく見開かれた目には、持主であるランドルフが息絶えた後も、ぎらぎらとした怒りの炎が燻り続けているようだった。


「……だから言っただろ、お前はもう終わりだって……」


 完全に動かなくなったランドルフに冷めた視線を流し、シリューは絞首台に背を向ける。


 結局は杞憂に終わった。


 そう思って歩き出した丁度その時、背にした観衆から悲鳴交じりの叫び声が響き、シリューは何事かと振り返った。


「何だっ、あれ!?」


 絞首台に目を向けると、ぶら下がったランドルフの死体に向け、どす黒い靄のような物が集まってゆくのが見えた。




【死体に瘴気が吸収されています】




「瘴気だって?」


 この世界の生物すべてが活動の為にマナを消費し、消費されたマナが魔素として排出される。それが瘴気だ。更に人々の恐怖や怒り、憎しみの感情がより多くの瘴気を生む。


 そういう意味でここは、瘴気を生むにはうってつけの場所だった。


 瘴気を取り込み、ランドルフの死体は黒く変色するだけでなく、徐々に膨れ上がり異形の姿へと変化してゆく。


 頭からは髪の毛が抜け落ち、代わりに歪に折れ曲がった何本もの角が生える。


 首のロープと共に千切れ飛んだ服の下から現れたのは、真っ黒い鱗に覆われた蜥蜴のような身体。宙に浮かぶ背中には幾つもの節で繋がった8本の棘が、まるで羽のように左右に広がる。


「あーあ、残念だね……他に選択肢はあった筈なのに……」


 異様な光景を前にパニックを起こし、我先に逃げ惑う人々の阿鼻叫喚の中で、シリューは場違いに穏やかなその声を聞いた。


 振り向いたシリューの目に映ったのは、きらきらと輝く白いフードを被った人物。


「白いフード……」


 シリューは一瞬ランドルフに、いや、ランドルフであった異形の者に目をやる。


 “ 白いフードの男に貰った ”


 あの洞窟で、ランドルフは確かにそう言った。


 シリューはすぐに視線を戻すが、そこにいた筈の白いフードの男は、一瞬のうちに10m以上先に移動していた。


「くっ、待てっ!」


 逃げ惑う人々を掻き分け、シリューは男の背中を追う。


 ランドルフの事も気にはなったが、此処には多くの兵士がいる。この場は一先ず彼らに任せればいいだろう。


 不思議な事に、シリューが人を掻き分け、躱しながら追いかけるのに対して、先を行く男は、ゆったりと真っすぐに進んでいるように見え、なかなか追い付く事が出来ない。


 やがて男は角を曲がり、人気のない路地へ入って行く。


「止まれ!!」


 シリューの声に気付いた男が足を止める。


「やっと追い付いた……あんたに聞きたい事がある」


 白いフードの男が、ゆっくりと振り返る。


「おや? 君には僕が見えるのかい(・・・・・・・・)?」


 男が意味深に囁く。


「は?」


 一体何の事を言っているのか、シリューには意味が分からなかった。


「ああ、そうか。君は……」


 その後に続く男の言葉に、シリューは驚愕し息をのむ。


「明日見僚……いや、いまはシリュー・アスカ、だったね」

 

 


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