【第78話】令嬢は企む
もう既に日が昇り、街も活動を始める時間だというのに、その一室のカーテンは開けられる事なく、隙間からさす僅かな陽光だけが一筋の線を描いていた。
「エラールの森の野盗団が捕らえられたそうですね……」
執務机の大きな椅子にゆったりと座った人物が、確認をするように切り出した。
「はい、全員生きて捕縛されました。使役していた魔物も殲滅されたようです」
机の向いに立ったもう1人の人物が、補足して答える。
「例の男ですか……」
「……はい。発表はされておりませんが、背格好、実力からみてまず間違いないかと」
椅子に座った人物の目が鋭く光り、僅かに感情のこもった声でその名を口にした。
「……シリュー・アスカ……」
「巷では『深藍の執行者』、とも呼ばれているようです」
向かいの人物がゆっくりと頷く。
「いい気なものですね? 我々の存在さえ忘れてしまうとは……」
「……お言葉ですが……」
「いいえ、もはやあの男を野放しには出来ません。目にものを見せてくれましょう」
椅子の人物が大きく口元を歪めて笑った。
「……ところで……」
向かいに立った人物が続ける。
「いつまでこんな小芝居に付き合えばいいんですか、ナディア様。とにかくカーテンは開けますよ」
「ああっ、待ちなさいクリスっ。これから盛り上がるところでしょうっ」
クリスティーナはナディアの言葉を無視して、勢いよくカーテンを開けた。
「ああもう、ノリが悪いですよクリス。せっかく陰謀を巡らす悪徳令嬢と卑劣な騎士、という設定だったのに」
ナディアが口を尖らせ、さも残念そうに抗議した。
「そもそも、そんな設定いりますか?」
「面白いでしょう? その方が」
クリスティーナは頭を抱える。
「その発想……よく分かりません……」
「貴方は堅すぎるのです、クリス」
「いえ、ナディア様が柔らかすぎると思います」
暫く黙ったまま見つめ合う2人。
先に口を開いたのはナディアだった。
「それはいいとして……あんまりだとは思いませんか? あれからもう2週間ですよ? 貴方だって会いたいでしょう?」
「……あの、それはっ、その……」
クリスは口元に手を添え、顔を真っ赤にして俯く。
「あ、いい事を考えました。ふふっ……シリュー殿の驚く顔が……浮かびます」
机に頬杖をつき、ナディアは目を細めて笑った。
「ナディア様……、笑顔が悪いです」
「おお、君が噂の『深藍の執行者』か……」
宿での騒動から一夜明けた次の日、朝から急な呼び出しを受け、冒険者ギルドの支部長室にやって来たシリューを待っていたのは、ワイアットと、金糸の縫い込まれた白いテールコート姿の壮年の男が1人。その気品に満ちた立ち振る舞いから、貴族である事は容易に想像出来た。
「えっと……」
そうです、とも、違います、とも言えず、シリューは返す言葉に詰まった。そもそも何故『深藍の執行者』が、当然のように二つ名になっているのか。
「ああ、これは失礼した。私はエイブラム・オスニエル・カルヴァート。一応この地方の領主で伯爵を授かっている」
「シリュー・アスカです」
差し出された手をとり、握手をする。
「急に呼び立ててすまなかった、どうしても直接礼を言いたくてな」
「礼……ですか?」
シリューは首を傾げた。この人物と面識は無い筈だ。
「エラールの森の野盗団の件だよ、よく全員を捕らえてくれた。これで法の下に奴等を裁く事が出来る、犠牲になった者たちも浮かばれるだろう。本当にありがとう」
エイブラムはシリューの手をがっしりと握りしめ、深々と頭を下げた。
「いえ、あの、頭を上げて下さいっ。誘拐された子供を探していて、たまたまヤツらと出くわしただけですからっ」
エイブラムは頭を上げて興味深そうな笑みを浮かべた。
「面白い、20人からの野盗団をたまたま壊滅させたと? しかも200以上の魔物を苦も無く殲滅したそうじゃないか」
「ええ、まあ、成り行き上……」
エイブラムは声高に笑った。
「はっはっは、こんな年端も行かない少年に、まるで物のついでのように潰されるとは、いやはや野盗どもめ、どれだけ苦々しい思いをした事か。考えただけで笑いが止まらんよ」
ひとしきり笑った後、エイブラムは襟を正し、直立の姿勢をとった。
「シリュー・アスカ殿。此度の件、心より感謝いたす。後日、お礼の品を届けさせる故、是非とも受け取って欲しい。私はこれから王都へ出向かねばならず、直接手渡す事が出来ぬ無礼を許してくれ」
「あ、いえ、お気になさらずに」
「ありがとう、では、私はこれで失礼する」
最後に一礼して、エイブラムは支部長室を出て行った。
「急に呼び出してすまなかったな、カルヴァート卿がどうしても直接礼を言いたいっておっしゃってな」
ヒュミドールから葉巻を取り出しながら、ワイアットはすまなそうに頭を掻いた。
「いえ、それは別に……ちょっと緊張しましたけど」
「あれでか? まったく落着き払ってたように見えたがなあ」
ワイアットは、吸い口をシガーカッターでフラットカットした葉巻に、魔法ではなくマッチを使って火をつける。
「……それにしても……」
火の着いた葉巻を銜えて二度吹かしした後、ワイアットは声を出さず意味ありげに笑った。
「深藍の執行者、か……。なかなかいい名を付けて貰ったじゃないか」
にやにやと笑っているが、それが本気なのか、それともからかっているのか、その表情から推し量ることは出来なかった。いやむしろ、本気で言われているのなら、相当に痛い。
「……ってか、執行者はまだ分かるとして、しんらんって何ですか?」
「ん? ああ、お前さんのそのコート、黒っぽい青だろ」
シリューは頭を抱えた。確かに、ベアトリスから受け取った時、なんとなく中二っぽいとは思った。だが、この世界ではごく一般的なデザインだと思っていたのだ。
「……ベアトリスさん……」
考えてみれば、独自にビキニアーマーを作ってしまうような人だ、どちらかと言えば、現代人の感覚に近いのかもしれない。もちろん特殊な部類ではあるが……。
シリューは街中では絶対に着用しない、と心に決めた。
「そうだ、買い取りの手続きが終わってるから、下の倉庫に行こうか」
「あ、はい」
シリューは、ワイアットの後に続き1階の倉庫へと向かった。
「あ、シリューさん。お待ちしてました」
倉庫でシリュー達を出迎えたのは、頭頂部の髪の間からイヌ科の耳を覗かせた、受付嬢のレノだった。
「あのっ、シリューさん……昨日は本当にご迷惑をお掛けしましたっ……私がついつい喋ってしまったばっかりにっ」
レノはイヌ耳をぺたんっと伏せて何度も頭を下げ、昨日の宿での騒ぎを謝罪した。
「いえ、そんなに謝ってもらわなくても大丈夫ですよ。気にしてませんから」
実際、疲れはしたが悪い気分ではなかった。いや、むしろあの状況を楽しんでいたと言っていいだろう。
生まれてすぐに捨てられ、両親からでさえ必要とされなかったという自覚のあるシリューは、人一倍、強い承認欲求を持っていた。
あれほど多くの人に感謝され、羨望の眼差しを向けられ、自分にも生きる価値があるのだと認識できたような気がしたのだ。
「じゃあ、謝罪も済んだところで、ほら、これが今回の明細だ。レノ、説明を頼む」
シリューはワイアットの差し出した明細書を受けとる。
「はい。ではまずグロムレパードですが、8頭分で6万4千ディール。それからハンタースパイダーが同じく8頭分で6万8千ディールになります」
ここまでは前回と同じ金額のため、特に驚きはしなかった。
「フォレストウルフは魔石が200、他120、これが7頭で2千240ディール。ブルートベアは魔石240、肉他が260で13頭でしたので6千500ディールですね」
これは、高いのか安いのか、よく分からなかった。
「そして、モノケロースですが……。魔石が7千500、角が4千700、その他骨や肉、内臓等合わせて5千200、合計1万7千400ディールです」
「え?」
シリューは耳を疑った。魔石だけでグロムレパードとほぼ同等。日本円に換算すると約5百万……。合計で15万8千140ディール、更に今回は野盗団に掛けられた5万ディールの懸賞金も受け取っている。全ての合計額は日本円で6千2百万を超える。前回と合わせると既に1億以上……。
「何か……気が遠くなりそう……」
放心状態のシリューの呟きは、ワイアットたちには聞こえなかった。




