【第70話】落ち着け!
「シ、シリューさん……あの……」
ミリアムは自分のパンツを握りしめ、生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えた。
当然後悔もある。何故すぐにポケットにしまわなかったのか、と。さりげなく渡してくれたのは、お互いが恥ずかしい思いをしないようにとの、シリューの気遣いだったのだ。なのに……。
「シリューさんっ、こっち」
ミリアムはシリューの腕をぎゅっと抱きしめ、子供たちに声が聞こえない距離へと引っ張っていく。
「あ、あの、ミリアム……それは……」
こうなったら本当の事を話そう、そう思い口を開いたシリューに対し、ミリアムは小刻みに首を振りそれを制した。
真っ赤な顔で、瞳を潤ませ、ミリアムが上目遣いにシリューを見つめる。
「だ、大丈夫、です。わ、私、ちゃんと……分かってますからっ」
実際のところ、あの時ミリアムは追ってきてくれるであろうシリューの為に、ひいては捕まった子供たちを助ける為、とにかく痕跡を残す事だけを最優先させた。
勿論、シリューの能力を理解したうえでの行動だったが、必死だったせいで、その事について深く考えていなかったのだ。
今になってよくよく考えてみれば、恥ずかしいどころの騒ぎではない。自分からどうぞ、と差し出したようなものだ。是非是非……と。
〝ふぇぇぇ、へんたいだぁ、恋人でもない男の子にっ……いや恋人でもどうかと思うけどっ〟
「あの、ミリアム……匂いはほら、ハリエットさんにタオルを借りて、それで設定したから、ソレは……」
「は、はいっ分かってますっ。シリューさんはっ、私が恥ずかしい思いをしないように、気を使ってくれてるんですよねっ。分かってます、シリューさんホントは優しいからっ、だからっ……」
盛大な勘違いだった。最早ミリアムの中では、100%匂いを嗅いだ事になっているようだ。
「いや、お前、なんか誤解して、ふがっ」
ミリアムは咄嗟にシリューの口を押えた。
「……落ち着いてシリューさん……シリューさんは必要だったんです、子供たちを助ける為に……」
ミリアムはシリューの口を押えたまま、俯いて目を閉じる。
「ふ、ふが、ふがっ」
〝お前が落ち着け! そして、そして手を放せ!!〟
がっしりと肩を掴まれているせいで、シリューはミリアムの手から逃れる事が出来ない。もの凄い力だった。
「私も、必死だったんです……シリューさんに、気付いてもらう為に……だから、そのっ、私も、シリューさんもっ、決して変態とかじゃ……」
ミリアムはそっと目を開け、顔を上げる。
そして再び硬直する。
「ひ……」
シリューの口を押えていたその手に、しっかりとつかんだままのソレが……。
「みゃあぁぁぁぁぁぁ!! へんたいっっっ!!!」
洞窟中にミリアムの叫び声と、ぱちん、と頬を叩く音が響いた。
真っ赤な顔で身を翻し、洞窟の入り口へと駆けてゆくミリアムを、シリューは無言のまま見送った。ここは追い掛けてはいけないシーンだという事は、シリュにも理解できた。
「……結局、こうなるのか……」
パンツを押し付けた方と、押し付けられた方と、どちらが変態になるのだろう。
「不可抗力だと思います、ミリアムさん……」
しかし、甘んじて受け入れるしかない気がした。肩を掴まれていたとはいえ、本気になれば振りほどけた。それに不可抗力だとしても、少し、ほんの少し、その……あの……。
一方入り口に向かい、誰もいない事を確認したミリアムは、手に持った紫のパンツに目をやり逡巡した後、意を決してそれを身につけた。もちろん生活魔法、【洗浄】を掛けて。
マジックボックスにしまってあるのは、昨日1日使った物でそちらを身につける気にはなれなかった。
「た、叩いちゃった……シリューさんのせいじゃないのにっ」
状況としては、全面的にミリアムのとった行動のせいだ。
「へんたいって……それ、もう私の事ですぅ……」
気が付いたら自分のパンツをシリューの顔に、正確には鼻と口を塞ぐように押し付けていた。
完全に痴女だ。
ミリアムは顔から火が出る程の恥ずかしさに、思わずシリューの頬を平手打ちしてしまった。
「シリューさん、怒ってるかなあ……怒ってるよね、せっかく助けに来てくれたのに……お礼も言ってないし……私、最低……」
後で、気持ちが落ち着いたら、ちゃんと謝ろう。そして、ちゃんとお礼を言おう。ミリアムはぎゅっと目を閉じて掌を胸に押し当てると、決心したように大きく頷きシリューのもとへ駆け戻る。
洞窟の3分の1を埋め尽くす程に散乱した、魔物の死体をかたずけるシリューの背中に近づき、ミリアムはそっと手を伸ばした。
「シリューさん、あの、さっきは……」
謝ろうとして掛けた言葉がとぎれ、はっと息が止まる。
3分の1?
「……まってまって……さっきまでは3分の2以上……」
僅かな時間に半分の死体が消えている。いや、今も信じられないペースでそれは続いている。
3分の1が更にその半分へ、みるみるうちにまたその半分へ。そして血の跡だけを残し、すべての死体がきれいに消えた。
「ま、こんなもんか……」
「なにこれ……おかしいです……」
ミリアムはあまりに理不尽な光景に、謝る事もお礼を言う事も忘れ呆然と立ち尽くす。
「これって……マジックボックス、ですよね……」
「似てるけど、マジックボックスじゃない。ガイアストレージって言うんだ」
シリューは素直に本当の事を話した。今まで、誰に対しても誤魔化してきたが、ミリアムなら別にいいか、と思ってしまったのだ。
「は、初めて聞きました……一体どれだけ収納出来るんですか?……」
「どうかな、俺にも分からないよ」
実際二百体以上の魔物の死体を入れても、空き容量に変化があったようには見えない。まさか無限という訳ではないだろうが、確かめる方法も無ない。
ミリアムは口元に手を添え、大きな目を更に大きく見開いている。
そこには、驚きとは別の、不安や怯え、そして自信の無さが滲んでいるように見えた。以前、防具屋『赤い河』を二人で訪れた時と同じように。
〝意外と……傷つきやすいんだ……いや、俺が、傷つけたのか……〟
「秘密だぞ、誰にも言うなよ?」
こくこくと小刻みに頷き、なぜか嬉しそうに微笑むミリアム。
「秘密……二人だけの、秘密、ですね。はい、私絶対に喋りま……」
「もし誰かに喋ったら、お前がずっとノーパンでいた事、町中に言いふらすからな」
「シリューさん……ゲスいですよ……」
ジトっとした半開きの目でシリューを睨んだミリアムだったが、すぐにその言葉がいつものシリューらしくない事に気付いた。
「あ……シリューさん、もしかして……」
「もしかしなくても、俺はエロくてゲスいんだよ」
ぷいっ、とシリューは背を向けたが、ミリアムはもう責めなかった。何となくシリューの意図が分かったのだ。
「私も……私もエロくてゲスいですから、おあいこ、ですね……」
シリューは訝し気な表情で首と手を振る。
「え? いや……俺、お前ほどじゃないから」
「なっ、なんですかそれっ! そこは『そうだな』って笑うところですよね!! ほ、ほんっとっいじわるですっっ」
少し潤んだ瞳で口を尖らせ、ミリアムは顔を背けた。
「でもご主人様は、ミリちゃんの腫れた顔を見て、それはそれは恐ろしいくらいに怒ったの」
ヒスイがミリアムの顔の前でにっこり笑った。
「え……そ、そうなんですか?……」
伏し目がちにそっとシリューを見上げて、ミリアムが尋ねる。
「ヒスイっ、余計な事言わないっ……って、え?」
シリューは目を見開いてヒスイを見つめた。
「え? あれ? 今、ミリ……ちゃん?」
ミリアムも首を傾げてヒスイを見る。
「はい、なの。ミリちゃん」
「「えええええっっっ」」
洞窟の中に、シリューとミリアム、二人の声が重なった。




