【第61話】焦り
「くそっ、もう一度っ、もう一度だ!」
アクティブモードに切り替え、360度くまなく探した。
だが何度やっても結果は変わらなかった。
つまり、ミリアムは既にこの街から連れ去られた後だという事だ。
「いや……何かの用事で街から出たのかも……」
縋る思いで、シリューは孤児院へ向かった。
いつもは開いている孤児院の門が、今日は内から閂が掛けられ、施錠されていた。
「こんにちは! ハリエットさん! オスヴィンさん! シリューですっ。ここを開けて!!」
声を聞きつけたハリエットが、建物の中から出てきた。
「こんにちは、シリューさん。どうしたんですか? そんなに慌てて」
ハリエットは門のカギを開けながら、特に普段と変わることのない調子で尋ねる。
「ミリアムはっ、ミリアムはどこに行ったか分かりますか!」
「ミリアムなら、今神殿にいる筈ですよ?」
ハリエットのこたえは、シリューの僅かな希望を打ち砕くものだった。
シリューは拳を握り、顔を歪めて俯く。
「くそっ……もう少し早く気付いてれば……」
「シリューさん……ミリアムが、どうかしたんですか?」
尋常ではないシリューの様子に、ハリエットも眉根を寄せる。
「誘拐、されました……奴らの狙いは……ミリアムだったんです」
ハリエットは目を見開き、両手を口に当てて大きく息を呑んだ。
「……そ、そんな……」
「そうだ、ミリアムの持ち物っ……置いてないですかっ? 何でも、いいんですっ、使った物とか……服、とか」
勢いで口にしてしまったが、服は余計だったかもしれない。
だが、ハリエットの反応は悪いものではなかった。
「そうか、匂いで追い掛けるんですね。……ああ、でも、昨夜は交代でソファーで仮眠をとったから、枕もシーツも使ってないし……。下着の替えは自分で持ってるだろうし……」
シリューの能力を、ミリアムと一緒に見た事のあるハリエットは、ごく自然にあれこれと指を折りながら挙げてゆく。
「あっ、そう言えばっ」
何やら閃いたように顔を上げたハリエットは、そのまま建物の中に駆け込んでいった。
何でもいい、とは言ったものの、さすがに下着は勘弁してほしい。と、シリューは思った。
さすがにそれはもう、完璧に……。
「シリューさんっ、これっ」
幸いにして、ハリエットが手にしていたのは、遠目からでもわかる普通のタオルだった。
「……ミリアムが、今朝使ったものです。まだ洗濯前だから……これで、いいですか?」
シリューは、少し濡れた白いタオルを受け取った。
「はい、大丈夫です。これなら……」
だが、手に持ったタオルを鼻先に近づけようとして、一瞬シリューの手が止まる。
猫や子供の物は平気だったのに、ミリアムの顔がちらちらと浮かんでしまったのだ。
「ダイジョウブ……コレハタダノ、タオル……」
照れている場合ではない。
【匂いと魔力を検知しました。登録済のミリアムのデータと統合します。チェイサーモードの対象に設定しました。】
【チェイサーモード起動します。設定された対象の臭気、魔力痕を視覚化します】
紫のラインが表示される。
「むら……何で……いや、そんな場合じゃないっ」
そう、つっこんでいる場合でもない。
「シリューさん?」
ハリエットが訝し気にシリューの顔を覗き込む。
「あ、いえ、何でもありませんっ。じゃあ俺はミリアムを追い掛けます」
タオルを渡し、走り去ろうとするシリューにハリエットが声をかける。
「子供たちを、ミリアムをお願いしますっ。シリューさん!」
「はいっ。絶対みんな連れて戻ります!!」
シリューは紫のラインを追って街を駆ける。
ラインが辿っているのは神殿への道。ミリアムには珍しく、迷わずにまっすぐ進んでいる。
幾つか角を曲がったその先で、ラインは日の当たらない路地の奥に続いていた。
迷ったにしても、明らかに不自然だ。
【設定された魔力痕に乱れがあります】
「乱れ?」
セクレタリー・インターフェイスの指摘通り、その路地の先から、ラインは薄くなったり濃くなったりを繰り返していた。
「魔力が乱れるって、どういう事だ?」
嫌な考えが頭を過る。
【魔力及び体力を封じるアイテムの使用を確認しました】
「魔力と体力を封じる……」
シリューはほっと胸を撫でおろす。とりあえず、命に係わるような暴力を受けたりしたわけではなさそうだ。
更に、視界の隅に赤い矢印が点滅表示される。
【対象の所持品を発見しました】
微かに残る馬車らしき二本の車輪の跡。その丁度内側に小さく畳んだハンカチが落ちていた。
おそらく犯人から死角になり、見落としたのだろう。
ここでミリアムが襲われたのはほぼ間違いない。
「ご主人さま? 変な波動を感じるの……」
ポケットから飛び出したヒスイが、首を傾げながら指さす。
【ハンタースパイダーの毒を含む薬品を検知しました】
「そうか……」
ミリアムの魔力と体力それにあの足技。並みの冒険者では、数人がかりでも取り押さえるのは難しい筈だ。
だが、ハンタースパイダーの毒の効果は、即効性の麻痺。シリューも一度経験があり、その効果は身をもって知っている。
人のいいミリアムの事だ。騙されてここに誘い込まれ、不意に毒をかけられ動けなくなったところで、魔力と体力封じのアイテムを使われた。そして、そのまま馬車で運ばれたのだろう。
「……あいつ、動けなくなる前に、最後の力を振り絞って……これを」
シリューは花の刺繍の入ったハンカチをぐっと握りしめた。
性格は残念だとしても、ミリアムは相当な美少女なうえあの胸とスタイルだ。
命を奪われる事はないだろうが、彼女の……。
「待ってろ……絶対助けてやるから……」
今度は絶対後手に回る訳にはいかない。
幸い紫のラインは、乱れてはいるもののしっかりと続いている。
行先はおそらく……。
シリューは、ハンカチを握る拳でこつんっと額を叩いた。
「ヒスイ……行くよ」
「はい、です」
ヒスイがしっかりとポケットに収まったのを確認し、シリューはラインの続く街の外へと抜けていった。
ガタゴトと荒れた道を進む幌馬車。
両手を縛られ、ロープで繋がれたミリアムは、その荷台に無造作に転がされていた。
二重床の下に押し込められていた時より幾らかはましだが、馬車が揺れる度に床に叩きつけられ、身体中が痛い。
まだ毒が抜けきっていないのだろう、身体を起こす事が出来ない。
ミリアムは朦朧とする意識の中で、目の前に座るよく見知った女をねめつける。
「……クロエさ、んッ……あなた、が……」
舌が痺れていて、上手く言葉が出ない。
「今頃気付いた? ホントに間抜けね」
クロエは蔑むようにケラケラと笑った。
「生命、の輝き……よ、我が傷を、癒した……まえ……ヒールっ」
魔力が抜けてゆく感覚はあるが、魔法が発動しない事にミリアムは驚愕の表情を浮かべる。
「残念、魔法は使えないわよ? それに、自慢の体力もついでに封じてるから、今のあんたは単なる普通の小娘ね」
クロエは自分の首元を指でつつく。
縛られた手で、ミリアムは首にはめられた首輪を触った。
「ああ、無理に外そうとすれば、魔力が暴走して爆発するから気を付けた方がいいわ」
そう言ってクロエは、ミリアムを荷台に残し御者台へ移動する。
「そうそう、垂らすのは涎だけにしてね? 下は、掃除が面倒だから」
たっぷりと嫌味をこめた捨て台詞で、御者台と荷台を仕切るカーテンを閉めた。
ミリアムは、幌の隙間から外を窺う。
鬱蒼と生い茂る木々。どうやらエラールの森を進んでいるようだ。
どのくらい気を失っていたのだろう……。
森をどのくらい進んだのだろう。
「……ハンカチ、気付いてくれたかな……」
また迷惑をかけてしまった。
「シリューさん、怒ってるかな……それとも……心配してくれてるかなぁ」
徐々に意識がすっきりしてゆく。身体も少しは動かせそうだ。
「ハンカチに残った匂いだけで……こんな所まで辿れるのかな……」
何か痕跡を残さないと。ミリアムは半身を起こし考えを巡らせる。
靴は……ダメだ。いざという時、素足では走る事もままならない。
ストッキングは……。恐らくクロエには気付かれてしまうだろう。
あとは……。
ミリアムはそっと御者台の様子を窺う。
薄いカーテンの向こう、クロエももう1人の男もこちらを見てはいない。
両手を硬く縛られたうえロープで繋がれ、魔力も体力も封じられているのだ。逃げだせるわけがないと思っているのだろう。
だが、今ここで逃げだせなくても構わない。
ミリアムは幌の隙間から、小さく丸めたそれを、素早く投げだした。




