【第56話】追跡開始!
その場の勢いで、威勢よく啖呵を切ったのはいいが、特に考えがあったわけではない。
「臭いで追跡……出来ますか?」
ミリアムが遠慮がちに尋ねる。
「……人間相手に使った事ないけど……まあ、いけると思う。ダメなら他を考えるから、心配するな」
「はいっ」
ついさっきまで泣いていたとは思えない程の、安心しきった笑顔でミリアムは頷いた。
「なあ……」
「……はい?」
ミリアムは真っすぐ、曇りのない瞳で見つめ返してくる。
何故そんなに信用出来るのか、とシリューは思ったが、それ以上口には出さなかった。
信用してくれるのなら、それに100%で応えてやればいい。
「とにかく、孤児院に行ってみよう。暗くなる前に、ある程度は痕跡を掴んでおきたい」
「はい、お願いします」
シリューはミリアムと2人、急いで孤児院に向かった。
こういう事件の場合、事実の解明と犯行の立証のため、迅速な初動捜査が重要になってくる。
勿論、TVや小説からの受け売りで、全くの素人であるシリューに、どれほど的確な捜査活動が出来るかは分からない。
ただ、追跡モードの決め手となる臭気や魔力痕は、時間が経つにつれ弱く薄くなってしまう。
「はあっ、はぁ……」
孤児院までの道のりを休まずに駆け抜けた2人だったが、ミリアムは門に辿り着いた途端壁に手をつき、大きく荒く息を切らした。
「ごめんな……さいっ。はあっ……あっ……少し、待って……はぁっ」
息も絶え絶えなミリアムに対して、シリューは汗一つかいていない。
「大丈夫か?」
覇力による身体強化は、瞬発力や力自体を底上げするがスタミナを向上させる効果は無い。
ギルドからここまで、100mを10秒切るペースで、1分と少し走って来たのだ。
常人なら到底ついて来られるものではない。
「お前……ホントに凄いな……」
それはシリューの、偽らざる心からの言葉だった。
「……シリューさ……んっ、こそっ……す、すごいっ……はぁ、私、もうっ……あっ」
「いや、お前それ、言い方おかしいから」
ヒスイ2号か、と思いつつ、シリューは今にも倒れ込みそうなミリアムを支え、背中をそっとさすった。
それほど親しい間柄でもない女の子相手にどうかとも思ったが、背中を優しくさするという行為はタッチングと呼ばれ、それにより脳の神経伝達物質『オキシトニン』が分泌される。
オキシトニンには、不安やストレスを緩和し、痛みを和らげ、脈拍や血圧を安定させる作用がある。と、看護師になった孤児院の先輩から聞いた事があった。
「ちょっとごめんな……」
「は、いっ……だい、じょうぶ、で、すっ……はぁはぁ、あっ、んっ……キモチ、い……い……」
「うん。頼むから誤解受ける言い方やめて」
そして何故かシリューの真似をして、ミリアムの背中を両手でさするヒスイ。
暫くそうやっているうちに、ミリアムの息も落ち着いてきた。
「ごめんなさい、もう、大丈夫です」
ヒスイがミリアムの目の前に飛び、ちょこんと首を傾げて微笑む。
「あ、ヒスイちゃんもありがとう」
言葉は通じていない筈だが、ヒスイはちょんちょん、とミリアムの頭を撫で、肩にとまり姿を消した。
「シリューさん、めっちゃ足速いんですねぇ。私、ついてくのがやっとでした。心臓飛び出すかと思いました」
何か色々と爆弾発言、飛び出してたけどな、とはシリューは言わなかった。
「いや、あのペースについてこれるだけ、大したもんだよ。悪かったな、なんかちょっと焦ってて……」
ミリアムはにっこり笑って首を振った。
それはシリューが、子供たちのために本気になってくれているという事だ。
「じゃあ、中を調べてみようか」
「はい、案内しますね」
2人は門をくぐり、建物の中へ入っていった。
用意してもらったのは、2人の着ていた肌着や、使っていた枕やシーツ。
ただ、肌着は洗濯された後だった為、役に立ったのは枕とシーツの方だった。
【臭いと魔力を検知しました。人間と特定します。年齢を4~7歳、性別を男、魔力35~42と推定します。この人間をダドリーと設定しますか? YES/NO】
【臭いと魔力を検知しました。人間と特定します。年齢を4~7歳、性別を女、魔力40~48と推定します。この人間をハンナと設定しますか? YES/NO】
「どちらもYESだ」
シリューは2人が揃って、推定魔力40を超えているのに気付きミリアムに尋ねる。
「なあ、2人ともかなり魔力が高いみたいだけど……」
この世界の人間の平均的な魔力はおよそ6~8。15以上あれば生活魔法が使え、30を超えると魔法使いとして成り立つ事が出来る。
「はい。もう少ししたら魔力を扱う訓練を始める予定でした……って、シリューさんっ、そんな事まで分かるんですか?」
ミリアムは驚いたように目を丸くする。
「凄いです……他人の魔力を認知出来る人はごく稀なんです。身体に触れずに、しかも衣類だけでそれが出来るなんて……初めて見ました」
「え? そんなに少ないのか?」
シリューは今まで、こ世界の人間は皆魔力を感じる事が出来ると思っていたが、どうやらそうではないらしい。
勿論、数値として魔力を認識出来るのは、シリューたち異世界からの召喚者や、賢者の石板を使った場合だけだが。
「はい。私が知ってる限り、ぼんやりと感じる人は何人かいますけど、はっきり認識できるのは、この街の神殿では3人の神官長様と副神官長様1人、後は……」
ミリアムは何故か下を向き、もじもじと膝をすり合わせる。
「……わ、私……ですぅ」
「へぇ、そうなのか? お前、ホントに凄いんだっ……ごめん、ちょっとびっくりした」
天才、と孤児院の院長オスヴィンが言ったのは、嘘ではなかったらしい。
「あ、ありがとうございますっ」
ミリアムは、素直にシリューから褒められたせいで、顔を真っ赤にして胸を押さえる。
シリューは照れるミリアムを見て、不覚にもかわいい、と思ってしまった。
いや、普通に黙っていれば、かなりの美少女なのは分かっていたが……。
そんな考えを振り払うかのように、シリューは首を振った。
「じゃ、始めるか」
【チェイサーモード起動します。設定された対象の臭気、魔力痕を視覚化します】
ダドリーのものは青、ハンナのものは赤のラインで表示される。
ごちゃついて重なり合うラインの中から、最も濃いものを選び追跡を開始する。
ダドリーのベッドから延びた青いラインが部屋を抜けて、ハンナの部屋のドアの前で一旦止まっている。
そこから、赤いラインと重なるように、裏口のある廊下へと続く。
つまり、ダドリーが先に起きて、ハンナを迎えに来たという事だ。
2人とも4人部屋で寝ていたわけだから、行動を起こしたのは、他の子たちが寝静まった深夜だろう。
しかも、辿っている高さから、2人は自分の足で歩いている。
誰かが侵入して連れ去った訳ではなさそうだ。
「ん?」
裏口のドアへと続く廊下の途中、丁度宿直室の手前で、青と赤のラインがそれぞれ水色とピンクに変わっていた。
【設定された魔力痕が消失しました】
「魔力が消えた? どういう事だ?」
【魔力検知を妨害する魔法、もしくは認識阻害の魔法具が使用された可能性があります】
「なあミリアム。認識を阻害する魔法かアイテムってあるのか?」
シリューは立ち止まってミリアムに尋ねた。
「え? はい、確か闇系の魔法にあったと思います。……アイテムは道具屋さんで売ってるかと。でも闇系を使える人は少ないですし、アイテムはそんなに流通してない筈です。あっても高くて普通の人には買えないです」
「……そうか……」
可能性からいけば、アイテムだろう。
魔法なら、ベッドから起きてすぐ掛けただろうし、そうなると誰かが侵入した事になる。
「なにか、あるんですか?」
「ああ、認識阻害のアイテムが使われてるらしい」
シリューの答えにミリアムはびくっと肩を震わせる。
「な、なんでそんな事が……いえ、ごめんなさい、黙ってますね……」
ミリアムの常識では考えられない事だった。
だが、シリューを信じると誓ったのだ。
ここは、疑ったり、驚いたりしない。なるべく。
ミリアムは疑問の言葉をぐっと飲み込んだ。
「ああ、悪いけど、そうしてくれると助かる」
2本のラインはそのままドアまで続き、そこから外へ。
ドアノブが水色に染まっている事から、やはりダドリー自身がドアを開けたようだ。
シリューはそっとドアを開き、裏庭を眺めた。
裏門まで、真っすぐに水色とピンクのラインが伸びている。
「さあ、追い掛けるぞ」
そう言ってシリューは裏庭に踏み出す。
「はいっ」
西日に長く伸びるシリューの影を追い、ミリアムが後に続いた。




