【第45話】ぴ、ピクシーっ?
名前のやり取りの後。
気を取り直し顔を上げたミリアムは、シリューの肩に視線を移し息を飲む。
「ぴっ、ぴくっ、ぴくぴくっ、ピクっ」
防具屋『赤い河』で、ベアトリスと話し込んだ後、ヒスイは姿消しを使わずそのまま店から出てしまった。シリューも何気なく、後を追ってきたヒスイを肩に乗せたのだが、考えてみればミリアムがいたのだ。
ミリアムは、肩を竦め左手を口元に添え、震える右手でその小さな美女を指差し、ぷるぷるとぅ震えている。
驚かれるだろうとは思ったが、想像の上を行くおかしな反応に、シリューは思わず噴き出してしまった。
いずれにしても、いつまでも隠しておけるものでもないし、隠し通す必要性があるとも思っていない。勿論、大騒ぎになるような事態は避けたいが、知り合いに知られるくらいは逆に面倒がなくていいだろう。
要は、どうやって説明するか、なのだが。
ヒスイを見てから、ミリアムはずっと、ぴくぴくぴくぴく、壊れた人形のように繰り返している。
「お前……変な薬でも飲んだのか……」
「の、飲んでませんっ。てか、その子っ……ぴ、ピクシーですよねっ?」
ミリアムは生まれて初めて目にするピクシーに、興奮を抑えきれないようで、声が上ずってしまっている。
「ご主人様、このヒト、なんか変なの、です」
ヒスイが、シリューの肩の上で囁く。
「うん、そうだね。変態だからしょうがないよ」
「……残念な、ヒトなの、です」
話をしている二人を見て、ミリアムが更に驚く。
「ピクシーとお話し出来るんですかっっ???」
二人の会話は、鈴の音のようにしか聞こえていなかったので、ミリアムは、自分が堂々と悪口を言われているなど、思いもしなかった。
「まあ、普通に会話できる」
「す、すごいですっ、シリューさんって、もしかしてエルフですかっ?」
この世界では、ピクシーと話せるイコール、エルフという認識のようだ。
そう言えば防具屋の主人、エルフのベアトリスも普通にヒスイと会話していた。
「さあな。もしかすると先祖の一人にエルフがいるのかも……」
面倒なので、適当に誤魔化す。
「……いいなぁ、私もピクシーちゃんとお話ししてみたいです……」
ミリアムは柔らかな笑顔を向けるが、ヒスイはあからさまに警戒し、シリューの髪に隠れようとした。
「そ、そんなに警戒しなくても……。私いじわるなんかしませんよ、ピクシーちゃん……」
ヒスイは恐る恐る顔を出し、ちょこん、と首を傾げシリューを見上げる。
「大丈夫だよ、変態だけど意地悪じゃないから」
興味はあったのだろう。その言葉を待っていたかのように、シリューの肩から飛び立ち、ヒスイはミリアムの周りをくるくる回った。
「あの、ピクシーちゃん?」
「ヒスイだよ」
棘のない穏やかな声に、ミリアムが少し驚いた顔でシリューを見つめた。
「ちょっと臆病だけど、好奇心旺盛なんだ。お前に興味があるらしい」
「は、はいっ……」
シリューにそう言われて、嬉しそうにヒスイを目で追うミリアム。
やがて何を思ったのか、ヒスイはミリアムの頬をつん、とつつく。
「……えっと……何でしょう?」
ミリアムが目を丸くして尋ねるが、シリューに分かるはずもなくただ首を捻る。
そうしているうちに、ミリアムの顔の前から離れたヒスイは、すうっ、と弧を描いて飛び、今度は胸の前で止まった。
つんつん。
そして何故か頬に続き、ヒスイはたわわなミリアムの胸をつついた。
「あの、ヒスイちゃん?」
「すごいの、アリエル様と変わらないくらい、立派なの、です」
ヒスイはシリューを振り返って、宣言した。
〝そうか、メロンなのかアリエル様。誰だか知らないけど〟
巨乳メロンのハイエルフ王女。
ちょっと会ってみたい、と思うのは、男として素直な反応だろう。
「シリューさん……あの、ヒスイちゃんはなんて……?」
「ああ、なんか知り合いに良く似てるエルフがいるらしい」
メロンな胸が、とは言わなかった。
それから暫く、ミリアムの周りを飛び回ったヒスイは、納得したのか満足気にシリューの肩に戻る。
「さ、帰るか。東区まで行けば、あとは分かるんだろ?」
「は、はい……多分……」
ミリアムは余り自信がなさそうだ。
「お前、もしかしてちょくちょく迷子になってるのか?」
横に並んで歩くミリアムに、シリューは眉をひそめて尋ねた。
「……ちょくちょくでは……ないです」
だが、迷子にはなっているらしい。
「三回に一回ぐらいです……」
「多いわっっ」
それはもう頻繁にというレベルだ。
「行った事がある所へ、行く時ですけど……」
「そっちかっ! 初めての場所かと思ったわっっ」
訂正、絶望的だ。
「でもたまぁに、一発で行ける事もありますっ」
「いや、それ普通だから、自慢にならないから」
「でも、神掛かってますもんっ」
「掛かってないわ!!」
勘違いだ。
「この道初めて通ります……」
「いや、さっき来る時通ったから!」
壊滅的だ。
方向感覚と体内コンパスに加え、空間認識能力が完全に死に絶えている。
「……お前、ほんと今までよく無事に生きてこられたな……なんか同情する……」
シリューは肩を落とし、しみじみと呟くように言った。
「……しみじみと言わないで下さいぃ……」
「……そういえば……。お前道歩く時、何を見てる?」
ミリアムは顎に人差し指を添え、答えを探すように目線を空に向ける。
「そうですねぇ、屋根の上の小鳥とか、空の雲とかぁ。あと、猫ちゃんとかっ」
自信満々に指を突きつける。
「……だろうと思った」
アホの子だ。
「え? ダメ……ですか」
「……ちゃんと、道とか建物とか、周りの景色を俯瞰して見るんだよ……少しは、まともになる筈だ……」
「は、はい……あの……」
キュウゥゥゥ。
絶妙なタイミングで、雰囲気をぶち壊すお腹の鳴る音が響いた。
発信源はもちろんミリアムだ。
色々と残念だが、とことん残念だった。
「あ、あのっ、これはっ、いえ、じゃなくてっ、え、なんでっ?」
必死に誤魔化そうとするが、しどろもどろになって収拾がつかない。
それなのに、シリューは全く関心を示さず、ミリアムを置いてさっさと歩いて行く。
「あん、待ってくださぁいっ」
追いついたミリアムはお腹を押さえて、シリューの顔をちらちらと覗き見る。
「ああ~いい加減腹へったな。丁度昼時だし、その辺の屋台でなんか食べようか」
「え?」
ミリアムはそんなシリューの対応に、少し驚いて目を見開く。
わざとらしい。
わざとらしいが、嫌ではない。
今はその気遣いに乗る事にした。
「あ、でも私……あの、ダイエット中で……」
もちろん嘘だ。落とさなければならない程の脂肪はついていない。
本当のところ、壊した設備等の修理代を給料から差し引かれ、かなりギリギリの生活になっていた為、昼は抜くことにしていたのだ。
「だから、あの、シリューさん。気にせず食べてください」
そう言って、ミリアムは通りの所々に置かれている、石造りのベンチの一つに腰掛けた。
シリューが屋台に向かったあと、ミリアムはぼんやりと空を眺める。
近くの屋台で肉を焼く匂いや、焼き菓子の甘い香りが漂い、鼻腔をくすぐる。
昼時ということもあって、それぞれの屋台に行列ができている。
食べながら足早に歩き去って行く人。立ったまま談笑し、頬張る人。
なかには、ベンチに腰を下ろし、小さな子供に少しずつ千切って分け与えている、母親の姿もあった。
ミリアムは何となく、その母子の姿を眺めていた。
自分では気づいていなかったが、自然と微笑んでいたらしい。
「何、にやけてるんだ?」
いつの間にか買い物から戻ってきたシリューが、ベンチの横に立って笑っていた。
「ほら」
シリューは植物の葉に包まれた、串焼き肉の一本を取だし、ミリアムの目の前に差し出した。
「ふぇ?」
「美味そうだったんでちょっと買い過ぎたんだ。食べろよ」
「でも私……」
「ダイエットでも、昼を抜くのは良くないんだよ。余計太るぞ」
実際、ダイエットの必要があるとは思えなかったが、それはあくまで男から見た基準で、女の子の基準はシリューには永遠の謎だ。
「あ、じゃあお金を……」
ミリアムはスカートのポケットから、小さな財布を取り出す。
「いいよ、このくらい」
「え、でも。私、シリューさんに奢ってもらう理由がありません」
律儀なのか、真面目なのか、それとも身持ちが固いのか。
おそらくその全部だろう。
その拒絶、とまではいかない態度には、逆に好感が持てて、シリューは何故か少し安心した。
「こんな物で釣ろうなんて思ってないよ、理由がいるならそうだな……さっき子供をあやしてた……そんだけだ」
ひょい、と目の前に掲げられた串焼き肉を、ミリアムは受け取った。
「……ありがとうございます。……シリューさんって、意外と子供好きなんですね」
シリューはミリアムの隣に、少し間を開けて座った。
「さあ……どうかな……」
「ぴっ、ぴくっ、ぴくぴくっ、ピクっ」
ミリアムを神殿まで送り届け、宿に帰ってきたシリューを迎えたカノンが、ヒスイを目にして発した、最初の言葉だった……。
「うん、まあそうなるか……」




