【第341話】開始
長く静かな夜が明け、東の地平線から朝日が差し込み始める。
さらさらと草を揺らす風の音に代わり、野営の片付けと朝の準備に取り掛かる人々の喧噪が響く。
イロウシュットが消えて四日目。
早ければ今日、遅くとも明日、明後日中には再び出現するだろう。
だが、事を長引かせるつもりはない。
「みてろよ、無理矢理にでも引きずり出して、今日中にケリをつけてやる」
そのための罠は完璧に仕掛けられ、戦いの準備も万全に整っている。
後はもう一つ、必要に応じて仕上げをするだけだ。
「おはようございますシリューさん。見張り、お疲れです」
「おはよ」
少し掠れた声にシリューが振り向くと、湯気の立つマグカップを手にしたミリアムは、朝日に負けないくらい爽やかな笑みを浮かべた。
「もうすぐ朝食ですけど、その前に紅茶でもと思って」
両手で差し出すマグカップからは、淹れたての紅茶の香りが漂う。
「ありがとう」
受け取ったカップを口元に運ぶ。
まだ寒くなる季節ではないとはいえ、一晩中夜風に晒されたため意外に冷えていたようで、喉を通る紅茶が心地よく身体を温めてくれる。
そしていつもながら、ミリアムの淹れる紅茶は美味しい。
そのお陰か珈琲派のシリューも、最近では朝の紅茶も悪くないな、と思うようになってきた。
「昨夜は、ちゃんと話せましたか?」
一口飲み下すタイミングで、隣に並んだミリアムが尋ねる。
「ん、まあ、それなりに」
十分ではなかったかもしれないが、わだかまりを解く事ぐらいはできたはず。
少なくともシリューはそう確信していた。
ただ、曖昧な答えになってしまったのは、パティーユの心情にまでは思い至らなかったからだ。
「それなり、ですか?」
ミリアムは戸惑いを見せるシリューに、問いただすような眼差しを向けた。
「うん、そう……」
改めて聞かれると、本当にあれで良かったのかと疑念が湧いてくる。
他に、もっと良い方法があったのではないだろうか。
そんな思いがシリューの胸の中を渦巻く。
「ねえ、シリューさん」
シリューに向けていた視線を逸らして、ミリアムは朝日の昇り切った地平線を見つめた。
「ん?」
そして、少しだけ間を置き言葉を紡ぐ。
「……心の中にある負い目って、簡単には消えたりしないと思います」
まるで自分に言い聞かせるように。
遠くを見つめるミリアムの瞳には、何が映っているのだろうか。
「もしかして、お前も……」
ふとそう考えて、シリューは尋ねる。
「さあ、どうでしょう?」
ミリアムは真っすぐに前を向いたまま、否定も肯定もせずに微笑んだ。
「でもね、シリューさん。きっといつか、心から笑い合えますよ」
それはミリアムだけでなく、シリューを取り巻く皆の望み。
「ミリアム……お前は、心から笑えてるか?」
ミリアムは少しの間考えるように俯いたかと思うと、振り向きざま腕を腰に回し、上目遣いに見つめちょこんと頭を傾け、
「シリューさんって、優しいです」
菜の花のような笑顔でそう答え、軽い足取りで駆け去って行った。
「今の会話の……どこにそんな要素あったんだよ……」
小さくなるミリアムの背中を見つめ、シリューはふっと笑って呟いた。
◇◇◇◇◇
「協力者全員の退去が終わったようです」
守備隊員から報告を受けたシリューが、直人たちにそう告げた。
「そっか……。けど、良かったのか? 初めの作戦と違うけど」
直人が疑問を口にする。
元々の作戦ではイロウシュットが現れるまで、彼らにも囮役を務めてもらう予定だったのだ。
その判断を下したのは直人であり、シリューもそれを一度は支持した。
「すみません。勝手な事をして……」
「いいさ。お前の事だし、何か考えがあるんだろ?」
完全にシリューの独断であったものの直人は嫌な顔一つせず、それどころか何かを確信したように口角を上げる。
「そうですね、ちょっと試したい事があって……もしそれが駄目なら、改めて協力してもらいます」
上手く行かなかったとしても全く損害はないし、可能性は五分五分だろう。
「試したい事? それって、囮の代わりって事か?」
「はい」
シリューが頷くのを見て、ミリアムは何かを思い出したように目を見開き、「あっ」と声を漏らした。
「なに?」
シリューが尋ねると、ミリアムはぴんっと指を立て、
「封印してたあの技、遂に使っちゃうんですよね。どぞ、遠慮なくやっちゃってくださいっ」
そう言って、何故かもう片方の手でスカートの前を押さえる。
「え、まさか、そうなの?」
ハーティアはごく自然に、重ねた両手の平を降ろす。
「ああなるほど……効果は以前より上がっているよね」
納得の表情で、クリスも二人に倣う。
「ねえシリューさん。皆さんにも、お知らせした方が良くないですか?」
シリューの傍に寄ったミリアムが、誰にも聞かれないように耳打ちをする。
「や、ちょっと待て」
そこでようやく、シリューはミリアムたちが何を考えているのかを悟った。
「ねえねえ、技って何の事?」
「秘密にするような、何か凄い技?」
有希とほのかが、興味深そうに尋ねてくる。
しっかりと会話を聞かれてしまったようだ。
「はいっ。今からシリューさんが、盛大にスカートめ、むぐっ」
「やめろ」
言い切る前に、シリューはミリアムの口を手で塞いだ。
「ふぁっへ、はいひふぁほほ……」
「黙れ。俺が説明するから、お前は何も言わなくていい。いいか?」
口を押えられたまま、ミリアムはこくこくと頷く。
「ええと……」
シリューはミリアムを開放して、有希たちを振り返った。
「効果があるかどうか、保証はできないんですけど、以前災厄級のブラエタリベルトゥルバーと遭遇した時……」
ブラエタリベルトゥルバーが、異質で強大なエネルギーに引き寄せられる性質を持つ事。
それは、同じく災厄級であるイロウシュットにも当てはまるかもしれない事。
そしてその異質で強大なエネルギーを、シリューは覇力の集中により爆発的に拡散できる事。
その際、草木を煽る程度の風が発生する事も、付け加えて説明した。
「へぇ、覇力にそんな使い方があったのか」
「色々考えてんだね。ホント、流石だよ」
熱心に説明を聞いていた直人と有希が、感嘆の声をあげる。
覇力の扱いに長けた二人にとって、シリューの話しは興味深いものだったようだ。
ただし、それは所謂怪我の功名というだけの話しであって、災厄級を引き寄せる効果を狙っていたわけではない。
「いや、偶々って言うか、人がやらない失敗をしたせいって言うか……」
結果はどうあれ、過程に自慢できるようなものは一切ないのが本当のところだ。
「偉大な発明も、思わぬ失敗から生まれるものですよ?」
「そうそ。成功に繋がる失敗ができるって、やっぱり才能だと思う」
恵梨香とほのかも、やたらと持ち上げるような事を言うのだが、真剣に褒められるとどうにも面映ゆい。
「大絶賛ですね、ブローアップスカート」
ミリアムが他の誰にも聞こえない声で呟く。
「変な技名付けんな。てか技じゃ無ぇし」
「「ぷふっ」」
シリューの傍でやり取りを聞いていたハーティアとクリスは、我慢できず同時に吹き出す。
「え? なに?」
幸いほのかたちには聞こえていなかったらしく、彼女らはキョトンと首を傾げただけだった。
「もういいか?」
「はい。大丈夫です、ごめんなさい」
確かめるような眼差しを向けたシリューに、ミリアムは力強く頷いて見せる。
「それで、どうやるんだ?」
「離れてた方がいい?」
直人と有希が尋ねた。
「いえ……」
特に危険なわけではないが、成功した場合はすぐにイロウシュットとの戦闘になるだろう。
「……そうですね、散開して、戦闘に備えてください」
それまでの緩んだ空気が、シリューの言葉によって一気に張り詰める。
「了解」
直人の声が響き、全員が配置につく。
「さあ、招集の時間だ」
シリューは空を見上げて、大きく深呼吸をした。




