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【第328話】共にあれ

「メビウスの環……誰?」


 一瞬だったが、有希の目ははっきりと捉えた。


 イロウシュットの放った光球が直人を捉える直前、突然そこに現れた眩い白銀の環が、光球を斬り裂いて大爆発を起こす光景を。


 そして、全てを覆った爆炎が風に流され晴れ渡った時。


 今度はその場の全員が、息を呑む奇跡を目にする。


 傷付いた直人と、直人を庇うように立つもう一人の影。


「深藍の執行者……シリュー・アスカか……」


 直人の問いには答えず、男は僅かにそしてゆっくりと振り向く。


「ここは俺が。日向さんは、傷の手当てを」


 それは、随分と懐かしい、忘れようのない声。


「お、お前……まさかっ、明日見、明日見なのかっ!?」


 逆光の口元が、少し照れたように笑った。


「話しは後です。急いで!」


「あ、ああ。わかった、ありがとう!!」


 背中の傷は激しく痛み、体力も魔力も尽き果てて身体は満身創痍の状態だったが、直人の心は澄やかに晴れ渡っていた。


「明日見……お前……」


 直人は続く言葉を噛みしめ、地上に降りて有希たちの元に戻る。


「直人!」


「直人くん! 良かったっ」


「日向さんっ」


「日向様、よくぞご無事で!」


 皆がその顔に笑みを浮かべ、直人を迎え入れる。


 そして、全員が同じ疑問の答えを求めた。


「直人っ、ねえ、あれは……」


 そして、思いもよらぬ答えに驚愕する。


「明日見だよ! あいつっ、生きてたんだ!! 明日見が、帰ってきたんだ!!!」


 直人は背後を見上げ、力強く指さした。


 直人がふらつきながらも仲間たちと合流したのを見届けたシリューは、迫りくる二体のイロウシュットに向き直る。


「何で、二体……」


 どういう理屈かはわからないが、災厄級が二体に増えたのは相当に厄介な話しだ。


 直人を襲ったあの光球も、咄嗟に展開した理力(ユニヴェール)の盾(リフレクション)だけでなく、シリューの最大火力であるメビウス・ディストラクションで何とか迎撃に成功した。


 おそらく単体の戦闘能力は、ブラエタリベルトゥルバーを上回るだろう。


 それに、空を埋め尽くすほどの赤黒い翼竜の群れ。


 先ずは、この群れをせん滅する。



【ストライク・アイ起動】



 視界に映る多数の翼竜に赤いマーカーが重なり、視界に入らないものにはPPIスコープ上でマーキングされた。



【ターゲット・ロックオン、全ての魔法が発動可】



「喰らえ! マルチブローホーミング! ガトリング! アイスランサー!」


 魔法の鏃が躱そうとする敵を追尾し、7.62mmの弾丸と氷の槍が雨のように降り注ぐ。


刃の気流(ストリームラーミナ)! 爆轟(デトネーション)! サンダーヴォルト! レイ!!」


 警戒し距離を取り始めた翼竜の群れを、疾風の刃が斬り裂き、炎と雷が爆散させ、幾筋もの光線が貫いてゆく。


 空を黒く染めた翼竜の群れは、急激な速さで光と爆炎によって塗り替えられ、瞬く間にその数を削られる。


「え、何あれ……めっちゃ凄いんだけど……」


「魔法の、同時発動……しかも、7系統……?」


 有希とパティーユは、目の前で繰り広げられる光景に固唾を飲む。


 たった一人が行使できる火力ではない。


「魔法単体の威力が……あんなに高いなんて……」


「魔力量……どうなってるの……」


 恵梨香もほのかも、その威力と無尽蔵と思える魔力量に、息を吸い込む事さえ忘れていた。


「あいつ……マジか……」


 直人はパティーユに治癒魔法を受けながら、以前マナッサで共闘した時の事を思い返していた。


 あの時も多彩な魔法を使い驚異的な身体能力を発揮していたが、今はそれ以上、いや、もはや勇者である自分を遥かに凌駕しているかもしれない。


「どんな経験を積めば、あんなに……」


 直人は純粋な敬畏の念を持って、その背中を見つめた。


 あらゆる方向で巻き起こる爆発と閃光は、既に殆どの翼竜を空から排除し終えていた。


「墜ちろ!」


 PPIスコープに映った最後の個体に、シリューはホーミングアローを撃ち込む。


 これでイロウシュット本体に集中できる。


 そう思った矢先。


「何!?」


 爆炎が収まり視界の開けた先に、今まで存在していたはずのイロウシュットが、二体共忽然と姿を消していた。


「いつの間に!?」


 翼竜に気を取られていたとはいえ、目を離したのはごく僅かな時間でしかない。


 報告書の内容は把握しているつもりだったが、これほどまでに何の予兆もなく消え去るとは。


「もしかして……セクレタリー・インターフェイス、ヤツのいた空間を解析しろ」



【解析を実行します】



【解析完了。対照の空間にザリスキ位相、変数リーマン面、次元ベクトルの変異はありません】



「つまり?」



【現空間と亜空間とを繋げる如何なる指数も存在しません】



「要するに、亜空間に消えたわけじゃないって事か……」



【正解です】



 念のため周囲に探査を掛けてみても、イロウシュットの姿を捉える事はできなかった。


 ただ見えなくなって移動したわけでもなさそうだ。


「とりあえず、退散させたって事で良しとするか」


 シリューはベナルートの町を見渡す。


 かなりの被害が出ているとはいえ、復興は十分に可能な状況だ。


 おそらく、イロウシェットが次に現れるのは四、五日後。


 その間にじっくりと調べる時間はある。


 敵の正体さえ掴めれば、必ず倒す事はできる。


 そう考えて、シリューは緊張を解き地上に降りた。


 いや、逆に緊張感が増したと言えるだろう。


 これから迎えなければならない試練に比べれば、災厄級の魔物と対峙する事の方が単純で気楽だと思えたのだ。


 シリューはゆっくりと深呼吸を繰り返す。


 それから覚悟を決めて振り返ると、直人たちの元へ歩き始めた。一歩一歩、踏みしめるように。


 シリューの着地した位置から直人たちの待つ場所まで、距離にして100m程はあっただろうか。


 徐々に近づいてくる影を、有希たちは逆光の元でもはっきりと認識できるようにと目を擦る。


「ホント……」


 有希の言葉は続かない。


「うそ、みたい……」


 ゆっくりと縮まる距離が、間違いのない現実であると確信して、ほのかは思わず呟く。


「ああ……」


 恵梨香はただ静かに微笑んで見つめる。


「僚くんっ!」


 感極まって駆け出したほのかに、皆が続いた。


「僚くんっ……本物だよ、ね……」


 今にも泣きだしそうなほのかに、シリューは黙って頷く。


「僚君っ、生きてたんなら、もっと早く、教えてくれれば良かったのにっ」


 抱きついてしまいそうになるのを、ギリギリで踏み止まった有希の瞳からは大粒の涙が零れる。


「そうだよっ、僚くんが()()()()()()()なったって聞いて……みんな、悲しかったんだからっ」


「え?」


 少し気になる言葉ではあったものの、涙目の二人に詰め寄られて、シリューはその勢いに逆らえず後退りした。


「すみません、葉月さん、高科さん……色々あって……」


「ん? なんて?」


「あれ? そうだっけ?」


 ほのかと有希は、答えを間違えた子供をやさしく窘めるように、ぴんっと指を立てた。


 要するに、何かをもう一度言い直せ、と言う事らしい。


「えっと……」


 そういえば、ずっと前にもこんな場面があった。


「……そうですね、すみませんでした。ほのか、有希」


「うん! いいよっ」


「そそ、戻ってきてくれたんだから!」


 名前を呼ばれた二人は、涙を流しながらも満面の笑みを浮かべた。


「お帰りなさい、明日見さん」


 泣いたり笑ったりと慌ただしい二人の横で、恵梨香は嫋やかに目を細める。


「はい。穂積さん」


 女子三人が話し終えるのを待って、直人はすっと前へ出た。


「明日見……」


「日向さん……」


「なあ明日見……前にマナッサで会った時、何で顔を隠してたのかとか、何で逃げたのかとか、言いたい事は色々あるけど……」


 直人は、シリューの顔の前に拳を突き出す。


「ありがとう、な」


「はい。俺の方こそ」


 その拳に、シリューが自分の拳をこつんと合わせる。


 それで十分だった。


「後は……」


 拳を降ろした直人は少しだけ振り返り、ゆっくりと道を開ける。


 有希とほのかと恵梨香も、直人に倣い左右に分かれた。


 シリューは彼らの間を通り抜け、立ち尽くす最後の一人の前で立ち止まる。


 何を話すべきか、今の二人にはその答えが見つけられない。


 張り詰めた重く乾いた空気が見えない壁となり、シリューとパティーユの間を隔てる。


 音の消えた景色の中で、二人の鼓動だけが響く。


 望む事さえできなかった現が、今目の前にある。


「僚……」


 パティーユは思いの丈を精一杯の言葉に乗せた。


「……本当に、貴方なのですね……僚」


 シリューは静かに頷く。


「久しぶり……パティ」


 凍りついた永遠の時間を、柔らかな風がふわりと解かしてゆく。


 パティーユは身じろぎもできずに、ただシリューの顔を見つめる。


「私の事を……まだ……その名で、呼んでくれるのですね……」


 あの頃と変わらない、涼し気な笑顔。


 包み込むように穏やかで優しい声。


 パティーユの瞳から零れ落ちる大粒の涙が、晴天の雨のように輝きながら地面を濡らす。


「私は……私は……っ」


 あの時と同じ、涙でぐしゃぐしゃになった顔を覆う事もせず、パティーユは声をあげて泣き崩れた。



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