【第321話】管理者の深謀
翌日。
遠征の準備を整えたシリューたちは、街がまだ動き始める前にクランハウスを出て冒険者ギルドへ向かった。
少し早い時間だったが、移動手段は昨日のうちに手配されているはず。
ガイナンとの国境まで馬車で四日、そこからベナルートの町までは更に二日と、どんなに急いでも六日はかかる。
ただこれは、四頭曳きの馬車を使い各宿場町で馬を取り換えた場合だから、実際にはもう二日ほど余裕をみる必要があるだろう。
いつ災害級が現れるかわからない状況で、随分のんびりとした行程になるのは否めないが、それはあくまでも車社会に生きてきたシリューの感覚だ。
「強行軍になりそうですよね。乗り心地の良い馬車だといいなぁ……」
ミリアムは期待をこめた瞳をシリューに向ける。
「ほら、レグノスからマナッサに行った時みたいな、ね」
「そうだな……」
一応頷いてはみたものの、シリューには乗り心地の良い馬車など記憶にない。
乗り心地の悪い馬車か、非常に悪い馬車かの二種類だけ。
「精々、荷馬車よりはマシという程度ではないかしら」
シリューの考えを代弁するかのように、ミリアムの期待をあっさりとハーティアが挫く。
「少なくとも、幌はついているんじゃないかな」
馬での旅が常だったクリスにとっては、雨露を凌げるだけでも十分なのだろう。
「うう、でもでも、シリューさんって子爵様で、国の英雄『龍牙戦将』ですよねっ。それなら、結構優遇してくれるかも、ですよっ」
ミリアムはまだ、ほんの少しの可能性を諦めきれずにいるようだ。
「ま、藁は敷き詰めてあるかもな」
「ちょ、それって、座席も無いってコトじゃないですかぁ」
そんなとりとめのない話しで盛り上がりながら、通りの角を曲がった時。
シリューは、自分に向けられる異質な視線と圧倒的な存在を感じた。
この感覚には覚えがある。
「どうしたんですか? シ……」
言葉の途中でミリアムの動きが止まった。
ミリアムだけではない、ハーティアもクリスも、今まで吹いていたそよ風さえぴたりと止まっている。
白昼夢でないなら、こんな芸当ができるのはただ一人しかいない。
「随分久しぶりだな、メビウス」
その言葉を待っていたかのように、白いフードの少年が姿を現す。
「おや、そうだったかな? うん、そうかもしれないね」
フードの陰から僅かに覘く口元が、微かながら笑ったように見えた。
「今日はいつも以上に手の込んだ登場じゃないか……」
「君と話がしたくてね、時間を止めさせてもらったよ」
いとも簡単に、とんでもない事を口にするメビウス。
だがシリューはもう、驚きもしなかった。
「それはどうもありがとう。時間を無駄にしなくて済むよ」
「やあ、君から感謝されたのは初めてだね」
皮肉のつもりの言葉も、メビウスには通じなかったようだ。
「で、話しって?」
どうせまたふざけた言葉遊びのように、意味のわからないものだろうと思いつつシリューは尋ねた。
「はじめに誤解を解いておきたいんだけどね、僕はふざけてるわけでも遊んでるわけでもないよ?」
正直、そんな事はどうでもいい。問題は、メビウスが何のために行動しているのか、その目的がわからない事だ。
「雑談しに来たんじゃないだろ? 俺の気が変わらないうちに、さっさと話せば?」
「そうだね、じゃあ単刀直入にいこうか。君は君を殺した王女に会う事を決めたようだけど、僕にはそれが気になってね。相変わらず、彼女に関わる君の心は読めない。複雑に入り交じって分散した色が、それぞれの答えを示しているけど、どれが本当なのかわからない」
「あのさ、折角答えてやろうって気になってるんだから、応えやすい質問にしてくれない?」
いつものように捉えどころのないメビウスの言葉に、シリューは辟易として肩を竦めた。
「言い直すよ。彼女に会うのは、君にとってかなり大きなリスクを伴うものになる。君はそれがわかっていて、それでも決断したのはどうしてなのかな?」
心を読めるはずのメビウスがその答えを得ていないという事は、シリューは自分自身が思っているほど、心に決着をつけられていないのかもしれない。
「もう……逃げたくない。それだけだ」
シリューは深い溜息を零す。
「君は君、彼は彼。という事かい?」
「どういう、意味だ」
彼、とは、過去の明日見僚の事だろうが、何故ここでそれを持ち出すのか。
「彼女を助けた時点で、君へのリスクは限りなくゼロに近づいていた。でも君は一度、過去の君と対峙し退けた。相手を上回る力によってね。果たしてそれは、正しい選択だったのかな?」
「間違いだった……そう言いたいのか。けど、あの時はそうするしかなかった」
仲間を守るため、そして自分が自分であるために。
「確かに、君は勝って生き残り過去の君の呪縛を解いた。しかしそれは、新たな呪縛の始まりかもしれない。そうは思わないかい?」
「あいつは、滅びてない……と?」
若しくは、シリュー自身が……。
「それは君自身が確かめるべきだ、と言いたいところだけどね。これはサービスだ。危機は未だ去ってはいない、君はそれに備えるべきだと思うよ」
メビウスの言葉にほんの一瞬、感情のようなものが見えた気がした。
「今日はやけに親切なんだな。規約違反じゃなかったっけ?」
「まあ、規約なんてものは、状況によりけりさ。僕は結構、頭の柔らかい質なんだ」
フードの下で、メビウスがはっきりと口元を緩める。
「少し長くなったね。僕はこれで失礼するよ」
そう言って、メビウスの存在はゆっくりと希薄になってゆく。
「待てっ。あんたは一体何者なんだっ。何が目的だ!?」
「僕は世界の管理者。この星では『エターナエル』とも呼ばれているね。僕の目的はそう、この……いや、止めておこう、今はまだその時じゃない」
「エターナエル? エターナエル神教の、神?」
シリューの言葉が届く事はなく、メビウスの存在は完全に消えた。
「……リューさん?」
同時に、止まっていた時間が動きだす。
「あ、いや、何でもない。ちょっと考え事を……そうだミリアム、エターナエル神教の神様って、どんな姿をしてるんだ?」
「え?」
唐突な質問に、ミリアムは少し驚いて目を丸くする。
「えっと……神様のお姿を模したり描いたりしたものは、あまり無いんですけど、神聖書の中では、白い少年の姿で書かれていますね……でもどうしたんですか? いきなり、神様のお姿なんて」
「ああうん……俺の国でさ、「苦しい時の神頼み」って言葉が有って……ここなら、どんな神様をイメージすればいいかなって」
「そんなに、苦しいんですか……シリューさん、やっぱり……」
「ああ、違う違うっ。そうじゃなくて、例えば苦しくなった時って事だよっ。や、ごめん、余計な心配かけたな」
苦し紛れの言い訳は、ミリアムには逆効果だったようだ。
シリューは、心配そうに見つめるミリアムから逃げるように、ギルドへの道を急いだ。
「あいつが、神だって?」
その呟きは誰にも聞こえなかった。
「おおシリュー。早かったの」
ギルド本部の受付フロアに入ると朝の挨拶もそこそこに、いつからそこで待っていたのか、エリアスがにこにこと笑いながら子供のように駆け寄ってきた。「できるだけ早目に出発したかったんで」
「うむ、そう言うと思うてな。昨夜からここで待っておったのじゃ」
もちろん冗談なのだろうが、屈託のない笑顔で見上げられるとあながちそうではないようにも思えてくる。
「ありがとうございます。次は日付が変わる前に来ますよ」
どちらにしても、早朝であるにもかかわらず待ってくれていたのは事実だ。
「ははは。まあ、冗談はこのくらいにして、こちらへ来てくれシリュー」
エリアスに案内され、シリューたちは幾つかある倉庫の一つへ向かった。
当然、馬車を用意してくれたものと思っていたいシリューは、そこに鎮座する乗り物を見て驚愕する。
「これは……」
屋根付きで長方形の車室部分から鼻の突き出た形状の車体。
ほぼ四隅に配置された車輪は、馬車のそれより小径で周囲に黒い物質が巻かれている。
「自動車……?」
その姿は、内燃機関が普及し始めた頃の自動車にそっくりだった。




