【第319話】パティーユの覚悟
シリューが冒険者ギルド本部でエリアスに捕まった同じ日、ベナルートではエルレイン王国初の女性筆頭魔導士であるエマーシュが、数日遅れでパティーユたちに合流していた。
「ご苦労様ですエマーシュ。早速で悪いのですが、何かわかった事はありますか?」
指揮所の脇に張られた天幕の中、戦場には似つかわしくない煌びやかな椅子に腰かけ、パティーユはテーブルの向かいに立つエマーシュに、期待を込めた表情で尋ねる。
「申し訳ありません、詳しい事は何も……過去の文献の中で存在が確認されている災厄級の中にも、該当する事例は見受けられませんでした」
そもそも、極めて数が少なく出現周期が百数十年単位におよぶ災厄級以上の魔物については、ほとんど研究が進んでいないうえ同一種と思われる例は稀で、現在までにはっきり同種と解っているのはブラエタリベルトゥルバーのみである。
「そうですか……」
その事を十分理解しているであろうパティーユは、特に落胆した様子も見せず続けた。
「やはり、もっと情報が必要ですね。ごめんなさいエマーシュ。実はアルフォロメイの魔調研と冒険者ギルド本部に応援を要請しました。貴方のプライドを傷つけてしまいそうで、心苦しいのですが……」
エマーシュ自身、アルフォロメイ王立魔導学院の出身者で極めて優秀な魔導士だが、魔物の行動学は専門外であるため、今回のような未確認の魔物を探索する任務に向いているとは言い難い。
「殿下、私にそのようなお気遣いは無用ですよ。状況を考慮しれば、極めて合理的なご判断だったと思います。ですが……」
エマーシュはそこで言い淀み、明らかな戸惑いの表情を浮かべる。
「何か、気になる事でも?」
パティーユに尋ねられてもしばらくは考え込むエマーシュだったが、やがて意を決したように重い口を開く。
「魔調研に在籍し、探索や捜査の能力に優れ、しかも、災厄級にさえ対応でき得る人物……アルフォロメイから派遣されるのは……」
「ええ。おそらく『深藍の執行者』、『断罪の白き翼』と呼ばれる、シリュー・アスカ殿でしょう」
不安げなエマーシュをよそに、パティーユに動揺する様子はない。
シリュー・アスカが派遣されてくる事は、はじめから織り込み済みなのだろう。
ただ、だからといって、エマーシュの不安が消えるわけではない。
「殿下……その、よろしいのですか。殿下のお考えでは、彼は……」
「ええ、僚だと思います」
もちろん、確証があってのことではない。
はじめは、そう思い込もうとしていただけだった。
まるで救いを求めるかのように。
いつからだろうか、僚の存在を感じるようになったのは。
すべては妄想が生んだ感情なのかもしれない。
だが心の中に、自分ではないもう一人の自分の声が響くのだ、『僚は生きている』と。
馬鹿げている、とも思う。
それでも、今のパティーユにそれを否定する事はできなくなっていた。
「殿下、以前私に仰った言葉を、覚えておいでですか……」
「もちろん、覚えていますよ。あの時から、私の心は少しも変ってはいません。ですから、今後の事をお願いしたくて、貴方を呼んだのです」
パティーユはしっかりとエマーシュを見据えた。
その言葉が意味するもの。
迷いのない真っすぐな瞳が、選ぼうとしているもの。
その瞳の中に、パティーユ自身の未来は映っていない。
「もし彼が、シリュー・アスカが僚であるのなら、私は彼の望むすべてを受け入れます」
それは即ち、命も含めてという意味だ。
「おそれながら殿下、今はまだその時ではないかと……ここを離れ、エルレインへお帰りいただくことはできませんか?」
大災厄も終わってはいず、直人たちを無事に帰すという使命も果たされてはいない。
パティーユは静かに首を振る。
「私は……逃げたくありません。無責任なことはわかっていますが、日向様方には貴方がついてあげてください。そして、私にどんな事があっても、日向様方と僚が争うことがないよう、十分な配慮をお願いします」
「パティーユ様……」
「我儘を、聞いてもらえますか? エマーシュ」
華奢でか弱く見えるパティーユだが、意志は強く頑なな一面もある。
もう前々から決断していたのだろう。こうなっては、彼女の心を変えることは難しい。
それに、シリュー・アスカはマナッサの町で一度、パティーユの命を救っている。その彼が、今さらパティーユの命を狙うとは思えなかった。
「承知いたしました。ですがそれは、シリュー・アスカ殿が明日見様であった場合に加え、彼が殿下のお命を欲した場合に限ります」
「ええ。ありがとう、エマーシュ」
パティーユは朝日に飲み込まれてゆく星のように、儚く笑った。
◇◇◇◇◇
「あの、エリアスさん。そろそろ手を放してくれます?」
エリアスにがっちりと手を握られ、引きずられるように廊下を進んでいたシリューは、溜息をついてやや強引に立ち止まった。
「心配しなくても、ちゃんと話しは聴きますよ。依頼を受けるかどうかは、別ですけどね」
エリアスは振り返ってシリューの顔を見上げる。
「あ、ああ、そうじゃな。今回はちと頼み辛くての、ついつい……」
「頼み辛い……?」
珍しいこともあるものだ。
エリアスがこれまで、こちらの事情を考慮してくれた事があっただろうか。
思い当たるものはなかったが、それはお互い様。
シリューにしても、エリアスや冒険者ギルドの事情など気にした事はないのだから。
「とりあえず、そこの会議室で話そう」
小会議室に入ったシリューは、エリアスに促されテーブルの一番奥席に座り、隣にミリアム、ハーティア、クリスの順で席に着く。
「災厄級の情報、でしたよね?」
テーブルの向かいに座ったエリアスに、皆を代表してシリューが尋ねた。
「うむ。災厄級とはいっても、体長が20m以上という事以外、ほとんど何もわかっておらんのが現状じゃ」
「20m、ですか!?」
「サウラープロクスや、オルデラオクトナリアの比ではないわ……」
「ブラエタリベルトゥルバーも大きかったけど、倍くらいはありそうだね……」
ミリアムもハーティアもクリスも、その想像し難い大きさに顔色を失っている。
「それ、ほとんど怪獣だろ……」
人間が対応できるサイズではない。
シリューは、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いく。
「その災厄級『イロウシュット』が最初に現れたのは、ガイナン王国のザグナという町だったのじゃが……」
エリアスは、ガイナンからもたらされた情報をシリューたちに伝えた。
ザグナの町の被害状況。
ベナルートの町に再び出現したのはその六日後。
予兆もなく突然現れ、突然消えた事。
現在はベナルートに防衛線が敷かれているという。
ガイナンからの要請は二つ。魔調研に『イロウシュット』の探索と出現条件の解明。冒険者ギルドには、災厄級に対応できる冒険者の派遣。
「タンストールと話したのじゃが、魔調研が人材と機材の選出をする間、先ずは先遣隊を送るのが良いじゃろう、という事になっての」
「ああ、それで……」
初期捜査や探索が得意で、災厄級とも戦った経験のあるシリューに白羽の矢が立ったわけだ。
ただ、その理由は十分納得できるのだが、今の説明の何処にエリアスの言う「頼み辛い」部分があったのか。
「当然、まだ何かあるんですよね?」
「うむ、まあ、そうなのじゃが……」
どうにもエリアスは歯切れが悪い。
シリューはあえて答えを急がず、エリアスの言葉を待った。
「今回の依頼、適任者はそなたしかおらんのじゃ……それはわかってくれるか?」
「まあ、でしょうね」
「それで……断られると、非常に、その……困る」
「はあ」
それならば、非常招集扱いにでもすればいいものを、それをしないのはエリアスの配慮だろうか。
「そうじゃ!」
何か思いついたらしく、エリアスはいきなり椅子の上に立つと、テーブルに両手をついて、引き寄せられるように身を乗り出す。
「この一件が終わったら、妹に合わせる段取りをつけよう!」
それは、シリューにとっては拒絶できない、エリアスの持つ切り札のようなものだ。
「驚いた……今そのカードを切るんですか。まあいいや、まわりくどい事は止めましょう。いったい、何があるんです?」
「……勇者じゃ」
「え?」
「ガイナンのベナルートでは、既に勇者が対処に当っておる。応援要請は、同行のパティーユ姫からなのじゃ」
一瞬、シリューにはエリアスの言葉の意味が理解できなかった。




