【第318話】兆し
ワイバーンの討伐を終えたシリューたちは、シャカール盆地から山岳地帯へ戻り、帰路途中の街道沿いで野営する事となった。
本当はもう少し進みたいところだが、急激に魔力や覇力を消費した反動によって著しく疲労しているミリアムたちに、これ以上の負担を掛けるわけにはいかない。
幸い、水も食料もシリューのガイアストレージにたっぷり保管してあるので、わざわざ水場を探す必要がないのはミリアムたちにとってもありがたかった。
テントは一つ、一人ずつ交代で見張りに出て三人が休む。と、そこまではブラエタリベルトゥルバー探索任務の時と同じなのだが、大きく違う事が一つ。
「や、ちょ、ちょっと。二人とも、何してんの!?」
「何って、寝る準備だけれど」
「そ、そうだよシリューくん。見れば、わかるよね」
ハーティアとクリスの二人とも、上着はともかくシャツのボタンにまで手を掛けたのだ。
立膝をつきシリューに正面を向けハーティアは冷静に、クリスは少し頬を染めながら、シャツの袖から腕を抜く。
「え!? ちょっと、待って」
それから、躊躇いもせずホックを外し、はらりとスカートを膝に落とす。
お気に入りなのだろうか、ハーティアは前に見たオレンジ、そして初めて目にずるクリスは、大人びた鮮烈の赤いレース。
「あ、あの、魔物が出るかもしれないしっ、そんな恰好で寝るのは、ちょっとマズいんじゃ……」
不味いのは魔物なのか、シリューの精神なのか。
「服を着たままだと、寝苦しいでしょう?」
「わ、私もっ。締め付けられるのは、きついかなって」
「いや、だって、前は……」
シリューの言葉など耳にもかけず、二人はあろうことかブラまで外した。
露わになった瑞々しい四つの果実に、シリューの目が奪われる。
ミリアムほどではないものの、クリスは大きめの林檎。
ハーティアは着やせするタイプらしく、二人よりも控えめとはいえ、小ぶりな甘夏蜜柑ほどはあるだろうか。
「疲労感が強くて、少し寛いで眠りたいの。迷惑かしら?」
迷惑なんてとんでもない。
「ごめんね、今夜だけ我慢して。我慢しなくても、いいけど」
いや、何を我慢して、何を我慢しなくていいのか。
「あ、ああやっぱり今夜は俺一人で見張りを……」
立ち上がろうとするシリューの腕を、ハーティアとクリスに両脇から抱きしめられ、三人は崩れるように寝転がる。
「余計なコトは考えないで。私たち、それ以上は求めないから」
「ただ、感じてほしい。私たちの、存在を」
「え……」
それからしばらくのうちに、ぴったりと躰を寄せた二人は小さな寝息をたてはじめた。
とても眠れた状況ではないが、落ち着かないわけでもない。
二人の温もりと柔らかさを感じながら、シリューは安らいだ気持ちで考えていた。
「俺は……ずっと逃げてるんだよな……」
自覚はある。
今までずっと、自分から人と触れ合うのを極力避けてきた。
魔神の事を知ってからは尚更。
ミリアムもハーティアもクリスも、自分を想ってくれているのはわかっている。
それでも、あと一歩が踏み出せない。
そのうち愛想をつかされてしまうのではないかと不安もある。
このままでいいとは思わない。
美亜への想いには整理をつけたつもりだ。
今を、未来を、この世界で生きてゆくと誓った以上、問題を先延ばしにはできない。
そろそろ決着をつけるべきだろう。
「クリスティーナさん。交代ですよ、いいですか?」
見張りに立っていたミリアムが、そっとテントに入ってきてクリスに声を掛ける。
〝もうそんな時間か″
「じゃあ、ゆっくり休んで。お疲れ様」
服を着こんだクリスが、見張りのために出てゆく間、シリューは寝たふりを続けた。
当然、ミリアムも二人に倣って寝るのかと思ったのだが、そうではなかった。
「?」
薄目を開けて確かめようとしたら、こちらを向いたミリアムと目が合った。
「あ、やっぱり起きてました?」
「え、ああ……」
「ふふっ。私も脱ぐと思ってたんでしょう」
完全に見透かされていた。
「見たいですか?」
「え!?」
見たいかと言われれば、断然見たい。
だが、これ以上の刺激は勘弁してほしいところだ。
「残念でした、今日はお預けです。これで我慢してくださいね」
そう言うと、ミリアムはシリューの右腕に抱きついて目を閉じる。
ハーティアやクリスとの間で、何か取り決めでもしていたのだろうか。
そもそも今夜の行動は何処かおかしい。
考えるきっかけにはなったが。
もちろん、目の保養にも。
そう思いながらいつの間にか眠ってしまったシリューは、クリスとハーティアが交代した事に気付かなかった。
◇◇◇◇◇
翌日。
少し馬の脚を速めたシリューたちは夕刻前には王都に戻り、報告のため冒険者ギルドへと赴いた。
「こんにちは、シリューさ、いえっ、アスカ卿っ」
「あの、今までの呼び方でいいですよ」
慌てて言い直した受付嬢に、「しっくりこないから」とシリューは笑った。
「そ、そうですか、では……あの、シリューさん? まさかとは思いますが……」
「はい。ワイバーン一体の討伐依頼、完了しました」
「えええええ!!」
受付嬢の声がフロア中に響き渡り、そこに居た者たち全員の視線が集まる。
「いえ、シリューさんの実力はわかっていましたけどっ。まだたったの三日ですよ!? 移動を考えれば、一日も掛かっていませんよね!!」
「まあ、そうですね。あ、でも今回、俺は囮になっただけで、ほとんど手を出してません。討伐したのは、こっちの三人です」
シリューは一歩横にずれ、ミリアムたちに手を向けた。
「そ、そうなんですか!? いえ、さすがはAランクの『銀の羽』ですね!」
受付嬢は屈託のない笑顔で、ちらりとフロアの隅に目をやった。
その視線の先にある丸テーブルに居たのは、以前ミリアムたちに絡んできた自称若手のホープたち。
クラン名は何といったか、シリューは覚えていない。
「まだ王都にいたんですねぇ、厚かましさだけはAランクです」
「まあ、まだ生きているのだから、そこそこの実力はあるのでしょう。この先はどうかわからないけれど」
声が聞こえたわけではないだろうが、ミリアムとハーティアが鋭い視線を向けると、『炎戦の刃』の男たちは目を逸らし、すごすごとフロアから出て行った。
「二人とも、何かあったの?」
ハーティアはともかく、ミリアムの態度もなかなかに辛辣だ。
「帰ってから、話しますね」
「聞いたらきっと、彼らをぶっ飛ばしたくなるから、覚悟して」
この時は笑っていたクリスが、事の経緯を聞いた途端「ヤツらを斬捨てる!」と憤慨したのはあとの話し。
「ワイバーンは勿論ギルドで買い取らせていただきますが、先に手続きを行いますか?」
「そうですね、お願いします」
「では、こちらへどうぞ」
受付嬢に案内され、シリューたちは倉庫へと向かう。
「ほおぉ、綺麗に首を斬り落としたうえに、傷らしい傷もない……以前持ち込んだオルデラオクトナリアといいこのワイバーンといい、いや、見事なモンだ。これはかなりの値がつくぞ、オークションが楽しみだ」
ワイバーンの亡骸を見た鑑定士は、歓喜の表情でそう言った。
「では、オークションの手続きをしておきますね」
受付フロアに戻り、残りの依頼完了手続きを全て終わらせたシリューたちが、挨拶をしてフロアから出ようとしたところで、丁度出先から帰ってきたエリアスと鉢合わせた。
「おおシリュー、戻っておったのか」
「ええ、ついさっきですけどね」
返事を聞くないなや、エリアスは何故かシリューの手をがっしりと掴む。
「ちょっと、何です?」
これはおそらく、いや100%面倒事に違いない。
そうやって警戒するシリューを、エリアスが真剣な眼差しで見つめる。
「災厄級の情報じゃ。是非そなたに聞いてほしい」
逃れられない運命の歯車が、静かな音を立てて回り始めた。




