【第315話】避けられない事実
「何だ!?」
「え!?」
直人と有希は、目の前で起こった事が信じられず、たった今まで魔物がいた空間を呆然と見つめた。
「消えた!? くそ、どこだ!」
辺りを見渡しても姿はなく、気配さえ感じない。
「倒した……わけじゃない、よね?」
「多分な。全然手ごたえがなかった……ヤツが消えたのは、俺たちの攻撃が当たる直前だと思う……」
「どっかに転移したってコト?」
答える代わりに、直人は首を振って有希の言葉を否定する。
あれだけの巨体を転移するなら、相当な魔力の発動が起こるはずだが、そんな予兆はまったく感じられなかった。
「考えてみれば……ヤツは何処から現れたんだ?」
町の周囲は見渡す限りの平原で、多少の起伏はあるものの、巨体を隠せるような森や林は存在しない。
「ザグナの周りも、こんなカンジだったよね……」
消えた時と同じように、突然そこに現れたというのだろうか。
そうだとすれば、出現を予測するのはかなり難しい。
「思ってたより、厄介だな」
暫くはそのまま空中で様子を窺ってみたが、魔物が再び襲ってくる気配はなかった。
「日向様! 高科様!」
警戒を解いて地上に降りた二人の下に、パティーユたち三人が駆け寄ってくる。
「魔物が突然消えたように見えたのですが、いったい……」
近距離で直接対峙した直人と有希だけではなく、戦況の全体を見渡せる距離にいたパティーユたちも、全く同じ印象を持ったのだろう。
それは、彼女たちが一様に浮かべている、困惑の表情からも明らかだった。
「方法はわからないけど……消えたのは確かです」
方法だけでなく、消えた理由もわからない。
「不利だとみて、逃げたのでしょうか……」
口元に手を添えて考え込むパティーユも、自分の言葉に自信を持てていないようだ。
「……何か、そんなカンジでもなかったと思います」
ある程度攻撃が通った後ならばそれも考えられるのだが、魔物が消えたのは直人たちが攻撃を加える前。
仮に、あの時二人の攻撃が当たっていたとしても、その一撃で致命傷を負わせる事はできなかっただろう。
直人も有希もそう考えていた。
どちらが有利でどちらが不利か、あの時点では直人たちにも判断できてはいなかったのだ。
魔物に何らかの意図があったのは間違いないだろうが、その答えを導き出すためにはまだ情報が足りない。
「とりあえず、ここの指揮官の方と合流しましょう」
ほどなくして、指揮官である騎士団長と騎士二名は、直人たちが会いに行くまでもなく、彼らの方からやって来て恭しく敬礼した。
「ご助力感謝いたします! 指揮を任されております、第三騎士団長ダイン・ガルフォードです」
「ナオト・ヒュウガだ。改めて、よろしく」
直人に続き、有希、恵梨香、ほのかが名乗り、最後にパティーユが前にでる。
「パティーユ・ユルミアンヌ・エルレインです」
「パティーユ殿下!?」
ダインと二人の部下は驚愕の表情を浮かべ、改めて正式な儀礼に則った対応を取ろうとするが、パティーユはそれを断り、皆と同じように扱うようにと微笑んだ。
「ここは戦場で、私も戦う者の一人ですから。特別な配慮は必要ありません」
それでも一国の王女と勇者を、屋外の質素な天幕などに宿営させるわけにはいかないと言われ、用意された宿を使う事だけは承諾した。
もちろん、パティーユがそれを受け入れたのは、有希たち女性陣を考慮しての事であるのは言うまでもない。
「俺は別に、天幕でも良かったんだけどなぁ」
「女子には色々あるんだよ、直人くん」
察しろ、とばかりにほのかが指差す。
「ああ……トイレとか?」
無遠慮に尋ねた直人を、有希がジトっとした目で睨む。
「ってかあんたさぁ、モテるのは認めるけど……そのデリカシーの無さってどうなん?」
「いや、お前たちに気を遣う必要なくね?」
「ああ、ね」
有希は納得した顔で頷く。
考えてみれば、有希も直人たちに対して気兼ねした覚えなどないのだ。
「話が脇道に逸れてますよ」
窘めるような恵梨香の一言で、直人たちは我に返る。
「ダインさんの話を聞きましょう。ね?」
恵梨香は口元にこそ笑みを浮かべているが、目は笑っていない。
「そうだな」
「うんうん」
「あは、ごめんねぇ」
暴走しがちな仲間たちにブレーキを掛けるのは、常日頃から冷静な恵梨香の役目だった。
ダインは彼らの振舞いに困惑しながらも、魔物が現れ戦闘に至った経緯を細かく説明した。
「あの魔物は、何の前触れもなく、防衛ラインから100m程の場所に突然現れました」
一部始終を目撃した者の証言によると、まるで転移してきたかのようだったと。
非常にゆっくりとした速度で進撃してくる魔物に応戦するものの、魔法弩弓も大した効果はなく、簡単に防衛ラインを突破されたという。
消える直前、魔物の体がブレたように見えたのは、どうやら直人と有希だけだったらしい。
「これから魔導士たちに、魔物が現れた地点を調査させます。長旅でお疲れでしょうから、今日はもう休んでください。今後の対応については明日、協議いたしましょう」
ダインがそう告げて、短い会合は終わりとなった。
「俺はちょっと、町の様子を見てまわるから、皆は先に行ってくれ」
宿に向かう道すがら、直人はふと立ち止まりそう言った。
「大丈夫?」
有希は何故か、心配そうに直人の顔を覗き込む。
「何が?」
「あ、うん、何でもない。あんまり遅くならないようにね」
首を傾げる直人に手を振って、有希たちは宿へと向かった。
「ご一緒します」
一人で行くつもりだったが断る理由もないので、パティーユと二人、有希たちとは別の方向へと歩く。
魔物の侵入した町の南側では、多くの建物が破壊され未だに炎を上げていた。
消火や救助に当たる人々の喧噪が、あちらこちらから響き耳に飛び込んでくる。
「あ。勇者様……」
「本当だ、勇者様」
「ありがとうございます」
直人の存在に気付いた幾人かが深々と頭を下げるのにも、もう随分慣れてきた。
ある者は感謝の目で、ある者は羨望の目で。また、ある者は縋るような目で。
そんな中、ある光景が目に入り直人は足を止めた。
「うわあんっ、お母さんっ、お母さん!」
首を垂れた数人の男たちが囲む亡骸に、縋りついて泣き叫ぶ子供が一人。まだ十歳にはなっていないだろう。
「くっ……」
同じような光景はもう何度も見てきたが、けっして慣れる事はなく直人の心を抉る。
子供の父親で夫らしき男が、担架に乗せられた遺体の髪を一束切り取り、大事そうに布に包む。
包みを懐に入れた男が頷くと、他の男たちがゆっくりと担架を持ち上げた。
「待ってよ! お母さんをどこに連れてくんだよ!」
遺体の腕にしがみつき、立ち上がった子供が喚く。
おそらく、遺体はこれから埋葬のため運ばれるのだろう。
目を離せずにいた直人と、不意に顔を上げた子供の目が合った。
「……ゆうしゃ……」
子供は、そう呟くと表情を一変させる。
それから、子供らしからぬ憎しみのこもった目で直人を睨みつけて立ち上がり、大声でわめきながら直人の前に走ってきた。
「なんでっ……なんでもっと早く来てくれなかったんだよ! あんた勇者だろ! なんで、お母さんを助けてくれなかったんだよ! あんたがっ、もっと早く来てれば……お母さんは、死なずにすんだのに! なんで……なんで……うわああああん!!」
泣きじゃくる子供に、直人は何も言えなかった。
「よさないかトルテ! 申し訳ありません、勇者様。この子は、母親を亡くして、混乱していまして……ほら、いくぞ」
もとより、直人に子供やその親を責める気はない。
子供の言う通り、自分がもっと早くここに来ていれば、或いはこの子の母親は死なすに済んだのかもしれなかった。
〝俺が……あの時、まっすぐこの町に向かっていれば……″
子供の手を引いて遠ざかって行く父親の背中が、担架を持つ男たちの横顔が。
皆、お前のせいだと言っているような気がして、直人は親子から目を背ける。
「貴方のせいではありません、日向様」
パティーユは毅然とした目で直人を見つめた。
「けど、俺はっ……俺が……」
「全ての命を救う事はできません、勇者は神ではないのですから。御覧ください、この町はまだ此処に有ります。大勢の人々が生きています。貴方は、最善を尽くしました」
それは紛れもない事実で、その事実こそが全てだ。
直人が目を向けると、パティーユは穏やかに決意をこめた表情で頷いた。




