【第309話】平穏の行方
「ではラジェットさん、我々はこれで」
「ああ、また。薬草の増量の件、よろしく頼んだよ、ダッカーさん」
年かさのいった商店主に軽く会釈をしたダッカーは、空荷になった馬車に乗り込もうとしたところで、「そういえば」と、もう一度商店主に話を振られ振り返った。
「お隣さん(アルフォロメイ)の話しは聞いたかね?」
「アルフォロメイ? ああ、王都の近くに災厄級の魔物が出たって話しですね」
商店主のラジェットが、期待のこもった表情で頷く。
「そうそうそれだよ。噂では、勇者でもない冒険者が、たった一人でその災厄級を倒したって言うじゃないか。あれは本当の話しなのかねぇ?」
シリューが災厄級と戦ってまだ一週間と経っていないものの、噂は既に隣国にまで届いていたようだ。
アルフォロメイ王国の東に位置し、エルレイン王国とも国境を接するガイナン王国。
連合に加盟するガイナン王国は、肥沃で広大な穀倉地帯が国全土に広がり、商業と農業の発展により三大王家に匹敵する豊かさを誇っていた。
また、他国に比べ魔物の出現が少ない事もあり、アルフォロメイ王国との国境にほど近いこのザグナの町も、冒険者稼業が干上がるくらいに平和なところだった。
つまり、老店主のラジェットは、噂話に飢えていたのだ。
「私も初めに聞いた時は耳を疑いましたよ。余りにも荒唐無稽ですからね。でもどうやら本当の事のようです。『深藍の執行者』もしくは『断罪の白き翼』と呼ばれる、若い冒険者で、『龍牙戦将』にも任命されたとか……」
「お前さんが聞いたのなら、本当の話しなんだろうねぇ……ああ、すまんすまん、また引き留めてしまったな。いや、年寄りの話しに付き合ってくれてありがとう。道中、気をつけてな」
「いえいえ、ありがとうございます」
ダッカーは「また二週間後に」と手を挙げて、御者席の隣に座る若い男に声を掛け馬車を出発させた。
「ラジェットさんの長話も、相変わらずですね」
町を出てしばらく進むと、ダッカーの隣で手綱を握る男がうんざりした表情を浮かべて、溜息交じりに零した。
「まあまあ。年配の方の話に付き合うのも商売のコツだよ。現に、次の注文も取れただろう?」
「はあ、まあそうなんですけど……」
そう答えつつも、年若の男は納得していないようだ。
ダッカーはその様子を見てくすりと笑った。
緩やかな丘を馬車は進む。
澄み切った空に、日はまだ真上に届いていない。この分なら、夜までには次の町へ着けるだろう。
ダッカーが空を見上げそんな事を考えていた時。
まるで落雷のような音が、背後から聞こえた。
「何だ!?」
ダッカーが振り返ると、遠く離れたザグナの町に大きな爆炎が上がっている。
「ダッカーさん、あれ!」
男が指差す。
遠すぎて形ははっきりしないが、明らかに建物の三倍はあろうかと思われる影が、ゆっくりと町に近づきつつあった。
「あれはっ、魔物!?」
あれほど巨大な魔物など見た事も聞いたこともない。
馬車を止めた二人が驚愕の目で見ている間に、町からは次々と炎が吹き上がる。
「ダッカーさんっ、どうします!」
「我々が戻っても何の助けにもならない! 一番近いベナルートに行って、騎士団にこのことを伝えるんだ!」
「はい!」
ダッカーたちは馬車の向きを変え、ベナルートの町へと急いだ。
ザグナの町が未確認の魔物に襲われたという知らせは、二日後にはエルレインの勇者の元に伝えられた。
◇◇◇◇◇
ブラエタリベルトゥルバーとの戦いから数日が過ぎたその日、シリューたちはエリアスの呼び出しに応じてギルド本部にある応接室に通されていた。
広々とした応接室の中ほどに丸テーブルが置かれ、そのテーブルを囲むように五つのソファーが配置されている。
エリアスの席を基準に見て、時計回りにシリュー、クリス、ミリアム、そしてエリアスの左手にハーティアが座った。因みにヒスイはいつものようにシリューの肩の上だ。
「もう少し早く話したいところだったんじゃが、色々と慌ただしくてな。改めて、今回はご苦労じゃった、シリュー」
床に足の届いていないエリアスは、ソファーから身を乗り出しぺこりと頭を下げた。
「今回は?」
シリューは怪訝そうな眼差しを、右隣りのエリアスに向ける。
「ああ、いや……今回も、じゃったな。ははは……」
エリアスはすまなそうに自嘲の笑みを浮かべたが、それで納得ができるはずもない。
簡単な説明だけで勝手に遊撃隊とされた上に、妙な話の流れでケーニッヒとの手合わせまでさせられたのだ。
ブラエタリベルトゥルバーは何とか倒せたとはいえ、クリスが居てくれなかったらどうなっていたかわからない。
「まあ、最終的に受けると判断したのは俺ですけどね……」
ここでようやく、シリューは硬い表情をくずし苦笑いを浮かべる。
少し反発してみたかっただけで、これ以上は大人げない。
「いや本当にありがとう。そなたには感謝しておる」
エリアスは姿勢を正し、もう一度深々と頭を下げるのだった。
「それで今日は、どういったご用件なのでしょう?」
ハーティアが尋ねる。
「そうじゃな、では本題にはいろうかの。先ずは今回の件を幹部会で慎重に精査した結果、そなたらの昇格が決まった。シリューはAランク、ハーティアはB、ミリアムとクリスティーナがC、ヒスイはDじゃ」
それに伴いクラン『銀の羽』もAランクに昇格する。
「ちょ、ちょっと待って。Aランクですか!? いきなり?」
真っ先に声を上げたのはシリューだった。
「凄いじゃないですかシリューさんっ」
「そうだよシリューくんっ。その若さでAランクなんて!」
「貴方の実績ならそれも当然だと思うわ、シリュー」
「素晴らしいのです! ご主人様!」
「いや、勝手に盛り上がんないでくれる?」
皆が歓喜の表情で湛える中、一人シリューだけがどんよりと曇った表情を浮かべた。
「なんじゃ、不服かの?」
「いえ、まあ……不服というか何というか……」
Aランクとなれば、国境を無審査で越えられるという特典が与えられるのだが、有事の際の非常招集に応じる義務が発生し拒否はできなくなる。
「非常招集が義務とか、面倒くさいなぁって……」
できるなら今のまま、気楽に依頼を選べる立場でいたい。
「今までと、そんなに変わらないじゃないですか」
ミリアムが、屈託のない笑顔で言い切った。
「え?」
「義務か本人の意志かが違うだけで、結果は同じね」
「え、えっと?」
「結局、本気で頼られたら断れないんだから。うん、同じだね」
ハーティアは腕を組んで頷き、クリスはぴんっと指を立てて笑っている。
「ご主人様は、困っている人をけっして見捨てないのです!」
ヒスイがシリューの肩の上で胸を張る。
「え……ええと、その……」
否定できなかった。
「うむ。納得のいったところで、次の話しじゃ」
エリアスはにこやかに話しを続ける。
「シリュー、そなたには子爵の爵位が授けられる」
「はあ?」
今度こそシリューはあからさまに眉をひそめ、全力で嫌そうな表情を浮かべた。
「いやいや、想像通りの反応じゃな」
エリアスがころころと子供のように笑う。
予想が当たってご満悦のようだ。
「子爵様……ですか」
「しかも、現役中に……」
Aランクの冒険者には、その功績によって爵位が授けられるのだが通常それは引退後であり、爵位は当然のことながら一代限りの男爵である。
今回シリューの件は特例中の特例といえよう。
ただ、シリューはこの国に留まる気も忠誠を誓う気もない。
「何か……断れないんですかね」
「国としては、そなたをどうしても囲い込んでおきたいのじゃろう。まあ、諦めるのじゃな」
エリアスのいうことは道理にかなっている。
シリューの力は勇者と同等、一軍に匹敵すると目されているのだ。
たった一人で国さえも滅ぼし兼ねない人物を、野放しにはできないというのが王国の本音だろう。
「領地は無いとしても、貴族としての特権は与えられるのだから、悪い話ではないわ」
「ロード・アスカ……また一つ呼称が増えるわけだね、シリューくん」
ハーティアもクリスもあまり驚いた様子を見せず、納得のいった表情で腕を組みうんうんと頷く。
「子爵様、子爵……子爵夫、はわわっ……」
ミリアムは何か突拍子もない想像をしたようで、いきなり顔を両手で覆い下を向いた。
「はあ……ま、仕方ないか……断ったら、何か揉めそうだし」
この国やこの世界の法の範囲で行動に制限がされないのなら、メリットを生かす方法も少なくはないだろう。
「これも、納得してくれたようじゃな?」
シリューは軽く頷いた。
後日、叙爵式なるものも行われるらしい。
「それともう一つ。そなたが救出した者たちじゃが、順調に回復しておるそうじゃ」
救出できたのは偶々で運が良かったとしかいえないが、それでも自我を失っていた人たちに、シリューは躊躇なく向精神効果のある光魔法、セイクリッド・ベンゾジアーセを使った。
そのお陰で、生き残った人たちの全員が自我を取り戻し、元の生活に戻れる見込みが生まれたのだ。
「しかし、そなたが光魔法をあれだけ大勢の前で使うとは思わなんだ。正体を隠したいのではなかったかの?」
エリアスは少し意外そうに尋ねる。
「時と場合によります。命があると言っても、あの状態じゃ生きてるとは言えませんから」
何を優先するのか。
確固たる決意がシリューの言葉に現れていた。
「あのままだと、家族も辛いですよね」
ミリアムの言葉にシリューが頷く。
エリアスは涼し気に微笑むシリューをしっと見つめた。
「何です?」
「うむ……どうやらそなたは、過去のそなたとは根本が違うようじゃな。そう、まさに……いや、よそう」
〝まさに勇者″
そう言いかけて、エリアスはその言葉をそっと胸にしまった。




