【第307話】明日
腰まであったストレートの銀髪に緩いウェーブがかかり、背中ほどの長さに変わる。
髪色も銀一色から、毛先に向かって赤いグラデーションへと変化。
白の装備には赤のラインが加わり、紫に変化した時と同じように金糸部分も派手になる。
同時に魔法も消失した。
「シリュー、くん?」
ほんの一瞬気を取られたクリスに、致命的な隙が生まれる。
「しまっ……」
目の前に迫る十数本の棘。
間に合わない。
クリスには咄嗟に顔を背け、目を閉じることしかできなかった。
〝こんな所で……シリューくんを守ると、あの声に約束したのに!″
刹那。
ガキィィィン!
棘と金属のぶつかり合う音。
「諦めるな!」
目を開けると、数メートルは離れていたはずのシリューがそこに立ち、なおも襲い来る棘を流麗な剣捌きで弾いてゆく。
「あの距離を、どうやって!?」
「そんなことはいい。まだ攻撃は続く、油断するなっ、クリス殿」
「え? は、はいっ」
話し方も、呼び方も変わっていることにクリスは少し戸惑いをみせるが、すぐさま気を取り直して剣を振るう。
ブラエタリベルトゥルバーの口が開いていく。
棘と同時に光線を発射するつもりだろう。
しかもその口は、一発目よりも三倍近くまで大きく開かれている。
「飛ぶぞ! つかまれ!!」
光線が発射された瞬間、シリューはクリスを抱き超高速で空へ飛んだ。
「ん、くぅっ」
あまりの速度に耐えきれず、クリスは苦悶の声を漏らす。
直後、近範囲に照射された光線が、草木の無い大地を文字通り灼熱の地獄に変える。
だが、今の光線で魔力が尽きたのだろう、一切の攻撃が止まった。
「今だ! 次の攻撃がくる前に、ヤツを倒す!!」
「でも……どうやって……」
クリスは戸惑うように尋ねた。
魔法も剣技も、こちらからの攻撃は一切通らない。
まるで蜃気楼を相手にしているかのように、すり抜けてゆくだけ。
過去の勇者は、いったいどうやってブラエタリベルトゥルバーを倒したのか、クリスには見当もつかなかった。
「方法はある、絶対に」
着地したシリューは、クリスを降ろすと確信を持ったようにそう答えた。
「目の前に見えているブラエタリベルトゥルバーは幻体、本体は別位相の空間に潜んでいる」
「ええと、別位相……?」
シリューが「そうだ」と頷いたものの、クリスはその意味が解らずに「ごめん」と首を傾げる。
「つまり、そうだな……今見えている空間を表とするなら、ヤツがいるのは裏の空間、ということだ」
「表と、裏……」
クリスは理解はできていないようだが、それ以上問いはしなかった。
「表と裏、同時に斬る!」
【探査アクティブモードが時空モードに変化します。時空探査開始……探査完了。0.5パースの空間にブラエタリベルトゥルバーを確認。PPIスコープをモニターに変換、画像を表示します】
シリューの視界右下のPPIスコープが四角いモニターに変わり、ブラエタリベルトゥルバー本体を映し出す。
「セクレタリー・インターフェイス、モニターを拡大して、映像を幻体に重ねろ!」
シリューの視界に映るブラエタリベルトゥルバーとモニターの画像が重なり、切れかけの蛍光灯のように明滅を始める。
「空間、表、裏……」
〝覇力は意志の力を具現化する″
クリスの言葉を思い浮かべ、シリューは目を閉じて意識を集中させる。
下腹部のセイラクルに灯した光を、徐々に大きく強く眩く。
シリューの覇力の高まりを危険と察したのか、ブラエタリベルトゥルバーは一本の突起を伸ばし、無防備な状態のシリューへ棘を飛ばした。
「させるか!」
クリスがシリューの前に出てそれを防ぐ。
「シリューくん! 援護は任せろ!!」
魔力の回復が追い付かないのだろう、ブラエタリベルトゥルバーの攻撃は突起一本だけに限られ、棘の本数も多くはない。
防御をクリスに任せ、シリューはブラエタリベルトゥルバーを斬ることだけに意志を注ぐ。
〝斬る! 絶対に斬る!″
その意志は双剣に宿り、眩い黄金の輝きを発現する。
シリューの目が開く。
「悪夢に墜ちろ、ブラエタリベルトゥルバー!」
シリューは地を蹴り宙へ舞った。
「はあああああ!!」
クロスに構えた双剣を、左右同時に振るう。
「メビウス・ディストラクション!!!」
双剣によって生み出された黄金のメビウスリングが二つの時空を繋ぎ、ブラエタリベルトゥルバーの幻体と別位相に潜む本体を空間もろとも斬り裂く。
フォォォォォォォン!
断末魔の叫びをあげ現空間に姿を現したブラエタリベルトゥルバーの、上下二つに裂かれた体が地響きと共に崩れ落ちる。
「夢を見る暇も無かったか?」
ブラエタリベルトゥルバーの亡骸にそう手向けた瞬間、シリューを支えていた翔駆の足場が消えた。
「うっ」
それでも何とか無事に着地したシリューだったが、激しい眩暈に襲われ立っている事も叶わず両膝をつく。
「シリューくん!」
そのまま倒れ込みそうになったところを、クリスが寄り添うように抱き支えた。
「大丈夫かい?」
「ああ、大丈夫……」
そう答えてはみたものの、酷い倦怠感に身体を動かす気力さえ湧いてこない。
魔神との戦闘後と似たようなもので、覇力に全振りした影響だろう。
「ありがとうクリス殿……悪いが少し離れてくれないか」
クリスは少し戸惑いながらも、言われた通りシリューから離れた。
「……還元」
シリューの身体が光り、一瞬で『白の装備』が『藍の装備』へと変わる。
髪の色と長さも、すっかり元通りだ。
「ミリアム殿に聞いていたが……本当に便利な機能だね。それに……」
クリスはちょっとの間シリューを見つめ、くすりっと笑った。
「あの、何ですか?」
当然、シリューの話し方も元に戻っている。
「ホントに、性格と話し方まで変わるんだなって」
「装備の影響なんです……あの、偉そうなコト言ってすみません……」
「ああ、気にしないでっ。そういう意味じゃなくてっ、何というか、そのっ……」
何だろう。
クリスは空いた左手を胸にあてる。
とにかく嬉しい。
今ここで、シリューの傍らに立てている事が。
「ねえシリューくん……私、少しは役に立てたかな?」
クリスは恐る恐る尋ねた。
「少し、じゃないですよ? クリスさんが一緒じゃなかったら、俺一人だったら、あの夢からも目覚めてなかった。クリスさんの援護があったから、俺一人じゃ、きっと勝てなかった。ありがとう、クリスさん」
「あ、う、うんっ。あのっ、嘘でも……嬉しい……」
おそらくシリューは、嘘でも、気を遣っているわけでもなく、本気でそう言ってくれている。
それを証明するように、
「嘘でも大袈裟でもないです」
真っすぐにクリスを見つめて力強く答えた後、シリューは目を細め涼し気に微笑んだ。
その笑顔があまりにも眩く感じて、クリスは引き寄せられるようにシリューに身を寄せる。
そして。
お互いの唇がふわりと触れた。
少し驚きはしたものの、シリューも拒みはしない。
「クリス……さん……」
「ん……」
一度離れた唇を、もう一度重ねる。
甘美な時間を二人分け合うように。
未来を確かめ合うように。
荒涼とした赤い世界の中で、二人の心に優しい風が吹き抜けてゆく。
過去の夢を連れて。
それから、名残を惜しむようにゆっくりとクリスは離れ立ち上がる。
「シリューくん、もう立てる?」
「はい」
差し出された手を取り、シリューは立ち上がった。
「ほら、見て」
見上げた赤い天頂が徐々に溶けてゆき、青い空が顔をのぞかせる。
「ブラエタリベルトゥルバーを倒したから、亜空間が消えて元の世界に戻るんだ……」
と、その時。
〝僚ちゃん、ありがとう″
広がってゆく青空の彼方に、美亜の声が聞こえた。
それはシリューの心の中だけに響く声。
〝私、もう行くね″
その声には、寂しさも哀しさも感じられない。
「ああ、俺も行くよ」
シリューは美亜の想いにしっかりと応える。
〝じゃあ、明日″
「うん、明日」
青い空に浮かんだ美亜の幻が、嬉しそうに微笑んだ気がした。
「ありがとう、美亜」
赤い世界を塗りつぶし広がってゆくその青空を、シリューはいつまでも見つめていた。




