【第298話】そこにある危機
見張りを一人で引き受ける、というシリューの提案は皆に反対され、最終的に全員交代で行う事になった。
「あの、ミリアム? なんでそっち?」
クリスが見張りに立つ間、テントの隅に幕側を向いて寝転がったシリューを、わざわざ押しのけるようにミリアムが割り込んだ。
しかも、シリューと向かい合い、じっと見つめて返事もしない。
仰向けになり、少し間を開けるために動こうとしたところ、今度は反対側のハーティアにぶつかって止められた。
「えと、ハーティア? 広さは十分なんだから、少し離れたら?」
こちらはすぐに、返事が返ってくる。
「テントの収納が悪かったのかしら、少し湿気ている気がするわ」
ガイアストレージに入れていたのだから、そんな事なないはずだが。
「山の夜は気温がぐっと下がりますから。躰を冷やさないようにしないと」
ミリアムが、シリューの右腕を取り、ぎゅっと抱きしめた。
「そうね、寝ている間に、余計な体力を使ってしまうわ」
同じように、ハーティアもシリューの左腕を抱きしめる。
「ちょっと、二人とも……」
「お休みなさい」
「お休み」
二人はシリューの話しを聞こうともせずに、わざとらしい寝息を立て始めた。
「や、あの……」
これは、非常に嬉しくて、非常に不味い。
二人の息が首筋を撫でる。
しっかりと抱かれた腕に、柔らかな感触。
しかも、手の甲は二人の下腹部に触れている。
確かに、これだけくっついていれば、躰を冷やす事はないだろう。
ただし、二人は良くとも、別の意味でシリューの精神力を削ってゆく。
腕に当たる感触から意識を遠ざけるため、目を閉じて、来るべき災厄級との戦いをシミュレートしようと試みるものの、今そこにある現実と、布を通り越した妄想が頭に浮かぶだけで、まったくの逆効果となってしまった。
結局、交代でクリスが戻ってくるまで、悶々とした気持ちを抑えて寝たふりを続ける。
「ハーティア殿、時間だよ」
物音を立てないよう、静かに入ってきたクリスが、囁く声でハーティアを起こす。
「あ、はい……」
もぞもぞと起き上がるハーティアを薄目で見て、これで解放されると思ったシリューだったが、クリスの言葉が聞こえて心臓が跳ねる。
「あの、ハーティア殿……これは、私にも権利があると、受け止めて良いのだろうか?」
ハーティアが何と返事したのかは聞こえなかった。
それでも、ハーティアが出て行った後、ブレストプレートを外す音が聞こえた事で、大方の予想はできる。
クリスは、シリューの隣にぴったりとくっつき、迷う事なくその腕を抱きしめた。
夜風に晒されていたせいで、クリスの躰は少しひんやりとしているとはいえ、二の腕に当たる膨らみは、ミリアムには敵わないまでも、ハーティア以上の威力を備えている。
試練に耐え抜いたシリューが、ようやく落ち着きを取り戻し眠りについたのは、自分の番の見張りを終えて、ミリアムと交代した後だった。
どれくらい眠っていただろうか。
何ともいえない違和感を覚え、ふと目を覚ましたシリューがテントを出ると、空は既に明るくなり始め、辺りには薄く霧が立ち込めていた。
「あ、おはようございます、シリューさん。もうちょっとしたら、皆を起こそうと思ってたんですけど、目が覚めちゃったんですね」
シリューに気付いたミリアムが、清々しい表情で挨拶をする。
「うん、おはよ。見張り、お疲れ」
「はい。今日もいいお天気ですね」
ミリアムは両手を広げ、空を仰いで大きく深呼吸した。
「え……」
ミリアムの言葉とは裏腹に、霧で空は霞んでいて、視界もそれほど良くはない。
「まあ、この霧が晴れればね」
「え? 霧? シリューさん、何言ってるんですか、霧なんて出てないですよ?」
「いや、でも……え、俺の目が、おかしいのかな」
ミリアムが嘘を言っているようには見えないし、嘘をつく理由もない。
シリューは何度か目をこすってみたり、瞬きを繰り返してみるものの、辺りは白く煙ったままだ。
「シリューさん、ちょっと屈んで。目を見せてください」
言われるがままに身を屈めると、ミリアムはシリューの頬にそっと片手を添え、片方の指で瞼を開いた。
「……特に、異常は見当たりませんね……私の顔、はっきり見えますか? かすんだりしてませんか? 光が眩しすぎるって感じはないですか?」
「ああ……それは大丈夫」
ミリアムは少し離れると、自分の胸の前で手を組み、困ったように眉根を寄せる。
「ごめんなさい、はっきりとは言えないんですけど、問題は目ではないのかも……」
それでも念のためにと、治癒魔法を掛けてくれたのだが、改善される事はなく、セクレタリー・インターフェイスに自分を解析させてみても、やはり異常なしという結果だった。
「どうします、探索を中止して、山を下りますか? 私はその方が……」
「いや、身体には異常ないんだ。このまま探索を続ける。でも、もしもの時は、手を貸して」
「はいっ、それは、もちろんです!」
この事は、他の二人にも伝えると言って、ミリアムはテントへ走って行った。
起きてきたハーティアとクリスも、心配そうにシリューを見つめはしたが、ミリアムと同じく、霧は見えていないようだ。
シリューは、自分一人にしか見えていない霧について、走査と探査を掛けてみる。
【走査、探査共に、霧状の水蒸気、ガス、及び密集する魔素を感知できません】
PPIスコープにも、何も映っていない。
「霧でもガスでも、魔素でもないとすると、いったい何が見えてるんだ?」
【データが不足しています。回答不能です】
「つまり、見えてるけど、実際には存在しないって事か?」
それなら、PPIスコープやメニューの画面も、同じと言えなくもないし、セクレタリー・インターフェイスの不調が原因とも考えられる。
ただ、その場合は、元に戻す方法があるのかどうかが不明だが。
「とりあえず、朝食を準備しますから、食べてからにしませんか」
「ああ、うん。手伝うよ」
朝食と片付けを済ませ、日の光が差す頃になっても、霧が晴れる事はなかった。
「シリューくん、君だけ歩くのはナシ。ほら、後ろに乗って」
今日も徒歩のつもりで歩き出した、シリューの腕を掴んで引き寄せたクリスが、馬の背をちょんちょんと指差す。
「あの、それも交代制ですか?」
クリスは答えず、にっこりと微笑んでいるが、ミリアムとハーティアの顔をみれば、答えは一目瞭然だ。
「わかりました、お願いします」
これも、三人で話し合った結果なのだろう。
シリューは先に騎乗したクリスの手を取り、彼女の後ろに跨った。
「前にも、こんな事があったね」
クリスは、少し懐かしむような表情を浮かべて微笑んだ。
「エラールの森かぁ……小規模な魔物の群れを、二人で調べに行った時以来ですね」
何だかちょっと、揶揄われたりもしたあの時の情景が、ふと記憶に蘇ってくる。
「ちょっと、懐かしいですね」
「うんっ」
クリスも同じように思っていたのだろう、声を弾ませて嬉しそうに頷くいた。
「シリューくん、少しでもおかしいと思ったら、遠慮せずに言ってくれ。ミリアム殿もハーティア殿も、もちろん私も、全力でサポートするから」
「はい、その時はお願いします」
河原を後にしたシリューたちは、街道を王都へ戻る方角へと進む。
何か策があったわけではなく、ただの勘だ。
途中、街道の奥へと進む『金燐の風』とすれ違い、お互いに昨日得た情報を交わしたところ、シリューを含めて、誰もめぼしい情報は掴めていないとの事だった。
「あれ……?」
金燐の風と別れてすぐ、シリューは霧が変化しているのに気付いた。
「クリスさん、止まって」
変化、というよりも、少しずつ動いているという方が正しい。
霧の一部が濃くなり、緩やかに渦を巻いている。
そして、その渦の中心にいるのは、
「俺……か?」
次の瞬間、シリューの背筋に、凍るような感覚が走った。




