【第290話】ちょっと閃いた?
これは、なかなか、いやかなり難しい。
クリスの放る藁束を斬りつけながら、シリューは自分の認識の甘さを改めて思い知らされていた。
藁束の回転を見極めようとすると、どうしても手先だけで剣を振ってしまい、剣を振る事に集中すると、飛んでくる藁束にタイミングが合わせられない。
それからもクリスは根気よく付き合ってくれたのだが、結局一度もまともに斬ることはできなかった。
「あまり根を詰め過ぎても良くない、今日はここまでにしよう」
そろそろ日も傾き掛けた頃、クリスは手持ちの藁束を全部投げ終えたのを見計らってそう告げる。
「片付けるのを、手伝ってもらえるかな?」
クリスに言われて庭に目を向けると、斬り損ねた藁束がそこら中に散らばっていた。
「あ、はい。すいません、こんな時間まで付き合ってもらって」
「ははは、気にしないでくれ。私にはこんな事ぐらいしか、できないからね」
二人は手分けして、藁束を拾い集める。
数えたわけではないものの、百個以上はあるだろう。
拾った藁束を、シリューはとりあえずガイアストレージに、クリスは自分のマジックボックスへ収納してゆく。
藁束を拾い集めながら、シリューはなぜ斬れなかったのかをずっと考えていた。
はじめは簡単そうに見えたし、実際にクリスは簡単に斬ってみせた。
自分とクリスとの違い。
そのことを考えながら、地面だけに目を向けていたせいか、やがてクリスの存在に気を留めなくなっていた。
拾うことに専念していたクリスも、シリューの動きに注意していなかった。
それはよくある事で、どちらが悪いわけでもない。
最後の一つに、二人が同時に手を伸ばした結果。
ごつんっ。
お互いの頭がぶつかってしまった。
「きゃっ」
超強化された肉体を持つシリューには大したことはなくとも、身体強化をしていないクリスにはかなりの衝撃だった。
よろけたクリスを庇おうとシリューは反射的に手を伸ばすが、倒れこむクリスを無理やり引っ張ったせいで、何がどうなったのか分からないうちに、二人はもつれるように重なり転んでいた。
気を失いかけて覆い被さるように倒れたクリスを、シリューは仰向けのまま手を突き出してして支える。
「うっ……」
「すいません、クリスさんっ、大丈夫ですか!?」
ぐったりとしたクリスの髪が、シリューの頬をくすぐる。
顔が近い。
「クリスさんっ」
考え事に集中していたせいで、周りが見えていなかった。
クリスがすぐ傍にいることに、まったく気付かなかった。
「まてよ、集中……見えて、ない……」
一瞬、シリューの脳裏に何かが閃いたものの、それはクリスの呻く声に消える。
「あ、んっ……!」
目を開けたクリスは、改めて今の状況に気付き顔を真っ赤に染めた。
「クリスさんっ、顔が赤いけど、大丈夫ですか!?」
シリューは思わず、手に力を籠める。
ぶつけどころが悪かったせいかもしれない。
「ひゃ、し、シリューく、んっ……手……」
「手? え?」
そこでシリューはようやく気付く。
クリスを支えようと咄嗟に出した手が、あろうことか、彼女の双丘をしっかりと掴んでいることに。
「や、あ、あのっ。違うんですっ、これは、そのっっ」
シリューは慌てて、手を放した。
が、それが良くなかった。いや、ある意味良かったのだろうか。
まだ少し朦朧としているクリスは、地面に手をついたものの、自分の体重を支えきるほど回復していなかった。
加えて、脇を抱えようとしたシリューの両腕は、クリスを捉え損ねてすり抜け、支えるどころか抱きしめて引き寄せる形になった。
様々な要因が重なり、二人の唇が重なる。
ムードも何もない、そう、それは単なる事故。
突然の出来事に、シリューもクリスも目を見開いたまま、躰を動かすことができない。
唇だけでなく、ぴったりと密着したお互いの躰から薄い衣服を通して、柔らかさと硬さと心地よい温かさが交わる。
実際には僅かな時間が、二人には止まっているかのように長く思えた。
やがて完全に意識の回復したクリスの方から、ゆっくりと、そしてまるで名残を惜しむかのように唇を離す。
「ごめんね、シリューくん……わ、わたし……」
「いえ、俺の方こそ、その……色々と、すみません……」
ぶつかったのはお互いの不注意としても、こんな状況になってしまったのは明らかに自分のせいだと、シリューははっきりと自覚していた。
クリスの胸を触った(正確には鷲掴みにしていた)のは、無意識とはいえ不可抗力だと言い逃れできる事だろうか。
そのうえ、キスまでしてしまった。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ、うん、私は大丈夫。君は?」
「はい、俺も……」
大丈夫と答えようとしたシリューは、その一瞬、背中を走った悪寒に言葉を詰まらせる。
「へぇ~。じゃあ何で、いつまでもそうやって、くっついてるんですかぁ?」
凍りつくような声の主は、黒いオーラをその背に纏い、光の消えた瞳を薄め、蠱惑的な微笑を浮かべて、幽鬼のように立つミリアムだった。
「み、ミリアム!?」
よりによって、一番見られてはならない人物に見られてしまったようだ。
「随分楽しそう。こんな明るいうちから、いったい何の訓練ですかぁ?」
「あ、あの、ミリアム殿っ。違う、違うんだ」
尋常でないミリアムの様子に、クリスは転がるようにシリューから離れ、ぺたんと座り込む。
「か、勘違いするなミリアムっ。これは、そう、事故なんだっ」
必死の言い訳が事実であったにせよ、今のミリアムに通用するものではない。
「ふぅん、事故ぉ? 事故ですかぁ。そうやって、事故を装って、女の子の唇を奪うんですねぇ、シリューさん」
ミリアムの追及は止まない。
「もはや常套手段、といったところかしら」
ややこしい事に、ここでハーティアまでが参戦した。
「ご主人様、大胆なの、です」
ヒスイが混乱に輪をかける。
「そんなに事故を起こす唇なら、いっその事切り取っちゃった方がいいですねぇ。それとも、ハンタースパイダーの糸で、縫い留めちゃいましょうかぁ」
冷たい目で、ミリアムは恐ろしい事を呟く。
「いや、ホントに……勘弁してください……」
思い当たる事が、はっきりと複数回あるシリューに、反論の余地は残されていない。
ただひたすら謝るシリューが、先ほどの閃きを思い出すのは、ミリアムの追及から解放された後だった。
◇◇◇◇◇
「これ以上は無駄だな。グレタ、合流地点の河原に戻って、野営の準備をしよう。出発は明日、夜が明けてからだ」
夕暮れ前まで、『疾風の烈剣』メンバー全員で捜索に当たったものの、結局は一人の生存者も遺留品も見つける事はできなかった。
「消えた仲間たちは……死んだんだろうか……」
一人無事だった商人の男が、誰に尋ねるでもなく、虚ろな顔で呟いた。
「俺たちには何とも言えない。なにせ、こんな事は初めてだしな。とりあえず、あんたは俺たちが王都まで送る。俺も一応は報告するけど、あんたはあんたで、ギルドなり官憲なりに相談した方がいい。悪いが、後は俺たちの仕事じゃないんでね」
護衛任務を最も得意とするエクストルたち『疾風の烈剣』だが、こんな謎めいた事件の調査や捜索は不得手だった。
ギルドに依頼が出されるとして、エクストルに受けるつもりはないし、このクエストを完遂できる冒険者は限られてくるだろう。
だがそれも、エクストルたちには関係のないことだ。
「なあ、今回の報酬、どうなると思う?」
ドレイクが小声でエクストルに尋ねる。
クランのメンバーとしては、当然の疑問だ。
「正式に引き継ぐ前に、依頼主自体が消えちまったんだからな、クエストの失敗にはカウントされないだろうけど……ま、全額、ってわけには、いかないだろうな」
全額どころか、半額さえ怪しい。
「生き残った一人を、連れて行ったとしてもか……」
引き継いだ時点で既に、護衛の対象は一人だったと言えなくもない。
ただしそれは、少々都合の良すぎる解釈だろう。
「ああ、残念ながら馬車も荷物も、守るべき物が何一つ残ってないんだ。せいぜい解約金と、後は捜索代の日当が幾らか、って程度じゃないか」
エクストルは、うんざりした表情を浮かべて肩を竦めた。
「割りに合わない仕事になったな。今度の報酬で、戦斧を買い替えようかと思ってたんだが……まあ、こんな事もあるさ」
ドレイクは背中に担いだ戦斧をこんこん、っと拳で叩く。
それほど、落胆の様子は見られない。
「なあドレイク。もし俺たちが、もっと早く着いていたら。合流地点よりも先まで迎えに行っていたら……今回の事件は防げたと思うか?」
「どうかな。防げたかもしれんし、商隊と一緒に消える冒険者が、入れ替わっただけかもしれん」
結局、起こった事は変えようがないし、タラレバを考えたところで意味はない。
ドレイクの答えには、そのだけが語られている。
「そうだな……」
明日、王都に戻ったら、何処かで一杯やってゆっくり休んで、それから、稼ぎのために次のクエストを受けよう。
エクストルにとっても『疾風の烈剣』全員にとっても、大事なのはその事実だけだった。




