【第289話】消失
「少し早かったかな」
薄曇りの空から僅かに覘く日の光を見上げて、馬の脚を止めたエクストルは、並走していたグレタに声を掛けた。
「そうね、でも、むこうを待たせるよりはいいんじゃないかしら」
エクストルたち『疾風の烈剣』は、アストワール地方からやって来る商隊を迎えるため、山岳地帯の谷間に伸びる街道を進み、中継地点となるこの河原へと来ていた。
ここでアストワール側の護衛と入れ代わり、依頼主である商隊を無事王都まで送り届けるのが今回、彼らの受けた依頼だ。
「今回は、どんだけ待つと思う?」
弓使いのビリーが馬の首を撫でながら、すぐそばで馬を降りた魔法使いのジーンに尋ねる。
同じような依頼は何度も経験しているが、その都度相手の到着時間がずれ、一日以上待たされることも珍しくはない。
「あたしはあんまり長居はしたくないなぁ。妙な事件も起こってるしさあ」
「Dランクの二組が消えたってやつか。確かに、気になるよな」
王都からここまで一日半。
5回ほど魔物に出くわしたものの、いずれもハンタースパイダーやグロムレパードといったE級がほとんどで、一度だけD級のモノケロースが出現したくらいだ。
もちろん、彼ら『疾風の烈剣』にとっては、さほど脅威となるものではなく、山の様子もいつもと何ら変わらなかった。
「後は待つしかないしな。周りの安全を確認したら、昼飯に……」
そう言いかけて、エクストルは不意に口をつぐみ、街道の先に目を向ける。
「聞こえたか? グレタ」
同じ方向を見つめたグレタが頷く。
「ええ。微かだけど、人の叫び声だったわ……」
「商隊に何かあったのかもしれない、行ってみよう」
言うが早いか、エクストルは素早く馬に飛び乗った。
「ゴドウィン、ドレイク、ヘザー、イーノックっ。それにララ。一緒に来てくれ! 後の者はここで待機だ!」
「わかった!!」
エクストルは五人を引き連れて、叫び声の聞こえた方へ馬を走らせる。
治癒術士のララを連れて行くのは、商隊にけが人が出ている場合を考えての事だ。
あちら側の護衛にも、もちろん治癒術士はいるかもしれないが、余計なお世話にはならないだろう。
2、3分ほど走ったところで、こちらに向かって走って来る男を見つけた。
「た、助けてくれ! 仲間がっ、仲間がっ!!」
死に物狂いで走ってきたにもかかわらず、男は真っ青な顔をしている。
「落ち着けっ。もう大丈夫だ。一体何があった?」
たった一人、怪我もなく馬にも乗らず逃げてくるとは、魔物に襲われたにしては、随分と奇妙な状況だ。
男は冒険者には見えないし、仲間、と口にしているところから、商隊の一員なのだろう。
商隊にはそれなりの護衛が付いていたはずだし、後を追ってくるような魔物の姿も見えない。
何かおかしい。
エクストルがそう思ったとき、男は意外なことを口にした。
「仲間が……目の前で、き、消えた……」
消えた、という表現は尋常ではない。
これが何かの罠でないなら、二組のクランが消えた事に関連している可能性は高い。
「とにかく、案内してくれ。皆、警戒を怠るな」
怯えている男を、エクストルとゴドウィンの馬の間に歩かせて、一行は不意の襲撃に備えながら、ゆっくりと街道を進む。
「この先、あ、あの辺りだ……」
5分ほど歩くと、男は立ち止まって前方を指さした。
道の両脇は木々に囲まれているものの、見通しは悪くない。
「血の匂いもしないし、魔物の気配もないな……」
ゴドウィンが鋭い視線で周りを見渡す。
「ここからは馬を置いて行こう。俺はドレイクと二人で先行する。ヘザー、弓を構えておけ。イーノックは、いつでも魔法を撃てるように。ララはゴドウィンから離れるな。ゴドウィン、俺たちに何かあったら、三人を連れて他の仲間と合流しろ」
エクストルの指示に、全員が無言で頷く。
「さ、行こうか」
「ああ」
エクストルもドレイクも、それぞれ剣と槍を構えたまま、男が指さした場所を目指す。
「さあて、いったい何が飛び出してくるかな?」
槍を手にした大男のドレイクは、どこか楽し気に、余裕の笑みを浮かべている。
「美女だったら、大歓迎だけどな」
一歩ずつ慎重に歩を進めながらも、エクストルは軽口を忘れない。
「……何も、ないな……」
「ああ……」
エクストルは周囲の安全を確認すると、腕を大きく回し、待機している五人を呼んだ。
「ここで間違いないか?」
「ああ、ここだっ、ここで消えたんだっ」
「あんたは何で無事だったんだ?」
エクストルの問いに、商人の男は少し取り乱したように答える。
「お、俺はっ、その、ちょっと用を足してたんだ。それで、戻ろうとしたら、仲間がっ、目の前で、み、みんなっ……」
「消えたってのかい? 確かに、ナンにもないけどね」
ヘザーは、少し呆れた様子で肩を竦めた。
周りの草木には、倒されたり折れたりした様子は見られず、何も無かったかのように穏やかな景色が広がっている。
「エクストル、これを見てくれ」
膝をついたゴドウィンが、地面を指さしエクストルを呼んだ。
「蹄の跡……と、車輪の跡か……ん?」
ゴドウィンの指し示す地面を見つめたエクストルは、そこにある異常な光景に目を見張った。
「気付いたか?」
「ああ」
当然続いているはずの蹄と車輪の跡が、そこから先でぷっつりと消えている。
「どうやら、消えたってのは、本当のようだな」
引き返したような形跡も見受けられない。
もし、魔物や野盗に襲われたのなら、少なくとも血の痕や争った形跡は残るだろう。
本当にここで、商隊は消えてしまったようだ。
「鈴の音……」
商人の男が思い出したように呟いた。
「何だって?」
「鈴の音……、仲間が消える直前、鈴の音が聞こえるって話してたんだ。俺が悪戯で鳴らしてるんだろうって……でも、俺は鈴なんか鳴らしてないし、俺は鈴の音も聞いてない……」
用を足しに行って、一行から離れたその男には聞こえなかったのだろ。
「鈴の音、か……」
ただし、それが何かの手掛かりになるかどうか、エクストルに判断はつかない。
「ゴドウィン、他の皆を呼んで、この辺りを捜索してくれ。他に誰か生き残っていないかどうかな」
エクストルの指示に頷き、ゴドウィンは待機させている仲間たちの元へ馬を走らせた。
◇◇◇◇◇
「たった三日で、随分上達したね」
庭で剣の素振りをしていたシリューに、クリスは背後から声を掛けた。
今日は余計な見学者、ミリアムとハーティアは、それぞれ神殿と学院に呼ばれて、ここにはいない。
もちろんミリアムには、道案内のためにヒスイがついて行った。
「ちょっと、コツが掴めてきました」
シリューが答えると、クリスは嬉しそうに頷く。
「次は、これを斬る訓練しよう」
そう言ってクリスが取り出したのは、水を含ませた藁の束だった。
藁といっても、シリューの知る元の世界のイネ科の植物と違い、繊維が非常に多く弾力性もある。
蓮根ぐらいの太さに束ねてあり、長さは20cm程度と設置して斬るには少々短い。
「これ、クリスさんが作ってた……」
「そう、たくさんあるから、どんどん斬っていこう」
そう言って、クリスは藁束を幾つか脇に抱え、シリューから5mほどの所に立つ。
シリューの剣は昨日、訓練と実戦を兼ねて、クリスに選んでもらって買ったロングソード。
「えっと、つまり……」
「そう。こういう事」
藁束の一つを掴み、シリューに向けて放った。
要するに、飛んでくる藁束を斬れ、という事だ。
緩く回転する藁束を狙って、剣を振り上げる。
だが、ざくっと刃が入る感覚はあったものの、藁束はくるくると回転を増して、あらぬ方向へ飛んでいった。
「ほら、また腕だけで振ってる。それでは斬れないよ」
藁束を目で追う事に集中しすぎて、剣の振りがおろそかになったようだ。
「次、いくよ」
クリスは、さっきよりも回転をかけて少し上方に投げる。
飛んでくる速度は、一度目よりもいくらか遅い。
シリューはじっくり狙って剣を振る。
「あっ」
今度は空振り。
剣の切っ先は、藁束を掠めもしなかった。
「剣の間合いを、把握できていない。次っ」
もう一度、同じような軌跡で藁束が飛んでくる。
さっきよりも、ワンテンポ遅らせて、
「今だっ」
右から左へ薙ぐ。
チッ、と音がして数本の藁が飛び散っただけで、今度も斬れなかった。
藁が軽くて弾力があり、しかも回転しているため、芯を捉える事ができていないのだろう。
「回転をよく見極めて、中心を狙うんだ。ほら、一つ投げてみて、遠慮しなくていいから」
クリスから渡された藁束の一つを掴み、シリューは勢いよく回転を付け一直線に投げた。
少し意地悪だったかもしれないと思ったが、クリスは抜き放った剣で、事も無げに斬ってみせた。
「ほらね、簡単だろう?」
クリスは子供に言い聞かせるように、穏やかな笑みを浮かべた。




