【第156話】並び立つ両雄
「失礼。緊急時という事で、少しの間我慢して」
断罪の白き翼は、パティーユを横抱きに抱いたまま、階段を降りるようにゆっくりと地上へ向かう。
「は、はい」
素顔さえ見せない人物だったが、不快感を感じさせないどころか、何故かふんわりと心地良く包まれる感覚に、パティーユはドギマギとして思わず頬を染める。
その間にも、シリューは止むことのない攻撃を理力の盾で防ぎ、ストライク・アイとマルチブローホーミングによって、敵に目を向ける事もなく迎撃を行う。
やがて着地したシリューは、パティーユをそっと優しく地面に降ろす。
「立てるかな?」
「は、はいっ、大丈夫ですっ」
パティーユは、初めて会った人物に抱き上げられた事に対して、嫌悪するどころか、ほっとするような安心感を抱いてしまった自分の心に、抑えきれないほど動揺してしまう。
それは、仮面に素顔を隠したシリューも同じだった。
久しぶりに見るパティーユの顔は、少しだけ痩せたようにも見えるが、紅潮したその表情は以前と少しも変わりがなく、シリューの鼓動を跳ねさせる。
心臓に呼び覚まされる痛みも、白の装備と仮面の効果なのか、今はちくりと刺す程度にしか感じない。
「パ……、ティ……」
「……え……?」
思わず名前を口にしてしまった。
パティーユは目を見開いて見つめている。
“ なんとか誤魔化さないと! ”
そう思ったシリューの口をついて出たのは……。
「ああそうパンティーが見えるかもしれないから、スカートでの空中散歩はどうかと思うよ、王女様?」
「ええ!? きゃっ」
パティーは顔を真っ赤にして、今更ながら大慌てでスカートの前を押さえた。
「相変わらず、サイテーなぶち壊しですねシ……アリゾナさん」
ミリアムが、パティーユの後で黒いオーラを放ちながら、ジトっとした視線をシリューに投げる。
「ひ、久しぶりだねお嬢さん。ここは任せたよ」
シリューは身を翻し、逃げるようにその場を離れドラウグルワイバーンへと向かった。
「……逃げましたね……」
飛び去るシリューの背中に向かって、ミリアムは複雑な表情を浮かべ呟いた。
「あの……お知り合い、ですか?」
パティーユが何処か遠慮がちに尋ねる。
「あ、えっと……知り合い、というか……私も何度か助けられた事があって、あのっ……」
シリューが彼等から逃げているという事を思い出し、ミリアムはうっかり口を滑らさないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「どのような方、なのでしょうか……?」
パティーユはミリアムの顔をまっすぐに見つめた。
「……アリゾナ・コルトさん……本人はそう名乗ってますけど、レグノスではみんな『断罪の白き翼』って呼んでます。」
「断罪の白き翼……」
パティーユは口元に指を当てて、小さく呟く。初めて耳にする名で、報告書にも記述されていなかった筈だ。
「エッチでヘタレのくせにたらしのお調子者、何かとっても胡散臭いですけど……」
顔をしかめるパティーユに向かって、ミリアムはにっこりと笑った。
「彼が来たんです、きっともう大丈夫ですよ」
ごく自然に発せられたミリアムの言葉には疑念も誇張もなく、ただ信頼と確信だけがそこに存在している事に、パティーユはふと、以前森の中で魔物の群れに襲われた時の記憶を思い出す。
“ きっともう大丈夫です ”
あの時、パティーユは駆けつけてくれた僚にそう言った。今のミリアムと、まったく同じ言葉を。
「信じていらっしゃるのですね……」
「どうかなぁ……あ、でもでも、絶対に期待を裏切らない人ですよ!」
ミリアムは満開の菜の花を思わせる笑顔を浮かべた。
シリューは双剣を逆手に構え、ドラウグルワイバーンへと飛翔する。
「ガトリング! アンチマテリエルキャノン! おまけだ、アブソリュート・ゼロ!!」
毎分6000発の弾丸が棘を砕き、30㎜の高硬度弾が3つの頭全てを撃ち抜く。更に、その傷跡を絶対零度の凍気で凍らせる。
光魔法のセイクリッド・リュミエールを使わないのは、手の内を隠す為ではなく、正体を隠す為だ。
「勇者くん! 今のうちにあのお嬢さんを!」
直斗の隣に降り立ったシリューは、いまだに崩れた建物の中に蹲る有希を指さし叫んだ。
「あ、ああっ、すまない!!」
直斗は思い出したように頷き、素早く有希に駆け寄って抱きかかえる。
「ご、ごめん直斗……あたし、また……ごほっ」
「気にするな、一旦下がるぞ」
直斗は有希を連れ、パティーユたちのもとまで後退した。
シリューの見たところ、有希には息もあるし、手足のどこも失ってはいない。骨折や内臓の損傷はあるだろうが、それならミリアムとパティーユの治癒魔法で治せるはずだ。
「それにしても……」
再生のスピードが、ランドルフの人造魔人と比べてもかなり早い。
【走査モード】
シリューの視界に表示された緑の光るラインが、ドラウグルワイバーンの身体を走査する。
首の付け根の下方、動いていない心臓の更に下の部分に矢印が点滅し、更にその区画が拡大表示される。
【解析を実行します。ワイバーン本来の魔核(魔石)に、人造魔石の融合を確認。先に収集した人造魔石と100%一致します】
「やっぱり同じ物か……いったいどういうつもりだ……?」
レグノスでは、強化したワイバーンを陽動に使って奪い返し、更に昨日、オルデラオクトナリア2体と殺し屋を差し向け、小さな欠片まで回収しようとした金の仮面の男。
「何故こんな街を襲う為にわざわざ……」
大層な手間を掛けて取り戻した人造魔石を、たかだか人口300人程度の街に投入する理由が見えない。
「それだけの価値があるのか、この街に……?」
シリューの脳裏に、エラールの森で男が言い放った言葉が浮かぶ。
“ 彼女には私の偉大な研究の実験台となってもらおうと思ってね。非常に高い魔力に身体能力……なかなか弄りがいがありそうで、楽しみだよ ”
ランドルフを人造魔人に変えたのも、おそらくは実験のため。
あの男は、魔族としての作戦の成否より、自分の研究を優先しているように思える。
「実験……」
今この街で最も価値のある存在。
そして、何らかの方法により、その情報を掴んでいたとしたら……。
「待てよ、まさか狙いは……勇者?」
考えに気を取られていたシリューの視界の端に、音速を超えた三本の刺が映る。
「しまっ……」
躱せない、そう思った瞬間。
「旋風斬!!」
直斗が放った、風を纏う斬撃が刺を斬り破りシリューの危機を救う。
「やあ、ありがとう勇者くん。おかげで助かったよ」
「ま、お互い様さ。こっちも助けられたしな」
隣に並んだ直斗が、左手でサムズアップをする。
「あのお嬢さんは?」
「暫くは動けないだろうけど、有希なら大丈夫だ。ありがとう」
シリューは軽く頷いた。
「ところで勇者くん、あの化け物なんだけどっ」
ドラウグルワイバーンの3つの口から同時に撃ち出された爆光球を、シリューは白熱化したフレアバレットで迎え撃つ。
「何か知ってるのかっ!?」
直斗は聖剣の斬撃で、刺の攻撃の全てを防ぐ。
「まあ、知り合いってほどでもないけどね。アレとはちょっと因縁があるんだ」
レグノスでの事件。
人造魔石と、それを埋め込まれた人造魔人。
欠片を取り込み魔獣となった猫の死体。
シリューは簡潔に、そして細心の注意を払い要点だけを直斗に説明した。
「報告で聞いたなそれ、たしかシリューって冒険者が倒したって……」
「誤解があるね、実際に倒したのは彼じゃなくて僕だよ。まあ、彼とは協力してあの事件にあたっていたんだけどね」
直斗の言葉は予想外だったが、シリューは内心の動揺を表に出す事はなかった。勿論、仮面の効果もあるのだろう。
“ 報告って、ワイアットっ! あのおっさん! ”
あの時、ワイアットまで助けた事に、若干の後悔を感じるシリューだった。
「暗き夜を照らす清浄なる月代よ、その白銀の輝きを以て邪なる闇を打ち払え、セイクリッド・リュミエール!」
直斗の発動した銀の光がドラウグルワイバーンを包み、その動きを鈍らせる。
「ヤツの倒し方は分かった! 一旦皆のところに下がろう!」
直斗が叫び、シリューが頷く。
二人は、タイミングを合わせてパティーユたちのもとへ飛び退る。
「なあ、俺にちょっと考えがある」
「奇遇だね、僕もいい方法を思いついた」
お互いまっすぐにドラウグルワイバーンを見据えたまま、直斗とシリューは言葉を交わす。
「恵梨香! 皆を連れてもっと離れてくれ! あとは俺たちがやる!!」
「ミリアムっ、そういう事だから、逸れた爆光球だけ注意してて!!」
二人の出した指示に、全員が驚いたような顔を向ける。
「俺は、日向直斗。あんたは?」
「コルト……アリゾナ・コルト」
二人の目は、逸らされる事なく前を見つめている。
「あの、日向さんたちは……どうするんですか?」
恵梨香が眉根を寄せて、不安げな声で尋ねた。
「そうだな……」
「そうだね……」
直斗とシリューが、ドラウグルワイバーンを包む光を背景に、はじめて振り返る。
「力でゴリ押す!!」
並び立つ、二人の英雄の声が重なった。




