【第139話】災害級襲来
「ま、魔物だあっ」
「きゃあああ」
乾いた平原に、悲鳴と怒涛が響き渡る。
「シリューさんっ」
ミリアムが、外の状況を把握しようと、座席から腰を浮かし左右の窓に素早く目をやる。
キャラバンを取り囲む魔物は三十近い。が、焦っているのは最前列の2人の乗客ぐらいで、シリューもハーティアも全く動じた様子は無かった。
「心配ないわ、この程度なら烈剣の敵じゃないから」
無表情にちらりと振り向き、ハーティアはすぐに窓の外へと向き直る。ただ言葉ほど余裕があるわけではなく、見えない何かを警戒するように鋭い視線を巡らせている。
「あの娘の言う通り、今のところ心配ないよ。でも、警戒はしといたほうがいい。それに、いつでも動けるように、な」
シリューは、シートに立てかけてあるミリアムの戦鎚を指さすと、窓から見える地面に意識を集中させた。
「あ、はい……」
戦鎚を手に取り、ミリアムは右側のシートに座って窓の外に目を向ける。
シリューやハーティアの言う通り、疾風の烈剣のメンバーたちは、その完成された指揮系統と機動力で、魔物の群れを圧倒していた。
剣で、魔法で、弓で、次々と地から湧く魔物の群れを屠ってゆく。
「随分と見縊られたもんだなっ」
エクストルは縦横無尽に飛んでくる極細の鋼糸を、身を躱し剣で弾きながら叫んだ。
数が多いとはいえ、魔物は前足が異常に太く頑丈に発達した虫型のグレイオルパーと、体長2mほどの巨大なミミズ型のカブラタワームの2種で、どちらもF級である。
エクストルとドレイクが、『闇切りのノワール』に足止めされている状況であっても、疾風の烈剣が苦戦するような相手ではない。
「おや、気を悪くしたかい? それはすまなかったねぇ。でも、本命はこれからだよ」
女が口元に指を添えて首を僅かに傾ける。
「本命?」
人を食ったような女の態度に、エクストルは眉をひそめる。
女は最初に魔法を使っただけで、その後はただ立っているだけだ。つまりエクストルもドレイクも、ノワール1人に翻弄され、倒す事はおろか振り切って仲間の元へ駆けつける事もできずにいるのだ。確かに今のところ仲間たちは魔物の群れを一方的に屠ってはいるが、もしも相手にまだ手札があるのならば、これはあまり良い状況とはいえない。
「じゃあ、ここは頼んだよノワール」
「任せろ」
ノワールが静かに答えると、女は一瞥してくるりと背を向け、キャラバンの方向へと歩き始める。
「待てっ、何をするつもりだ!」
エクストルは嫌な予感に駆られ、女を追いかけようとするが、ノワールの鋼糸がそれを阻む。
「貴様たちの相手は俺だ」
「くっ」
先ほどまで1本だった鋼糸を左右の手に2本ずつに増やし、合計4本をまるで意志をもつかのように巧みに操り、ノワールは表情も変えずエクストルとドレイクの前に立ち塞がる。
「さあて、見せてあげようか……」
女が立ち止まって振り向き蠱惑的な笑みを浮かべる。それからさっきと同じように、そして今度は少し長めにリズムを刻み地面を蹴る。
「出ておいで! 獲物が待ってるよ!!」
次の瞬間。
地面が大きく爆ぜ、体長5mを超す環形動物に似た大型の魔物が、土煙を吹き上げ姿を現した。
「あれはっ、オルデラオクトナリア!?」
「なんでこんな所に! もっと南の湿地帯に出るんじゃないのか!?」
エクストルとドレイクの表情がこわばる。
オルデラオクトナリアはC級に分類される蛭に似た大型の魔物で、ドレイクの言う通りアルフォロメイよりも南の、雨の多い湿原地帯や森に現れる事が多い。
艶のないくすんだ黄色の体は扁平で口前葉はほとんど見当たらず、前後端の腹面に吸盤を持ち、前方の吸盤に無数の顎歯のならんだ環状の口が開き、獲物を捕らえその体液を吸うとともに、攻撃の手段として毒性のある酸を吐く。
また動きも早く、5倍以上にも伸びる体を鞭のように振るい、400Kgを超すグロムレパードでさえ数十メートルも吹き飛ばす。
「まずいぞ、エクストル!」
たとえC級でも、疾風の烈剣全員でかかれば倒せない相手ではないだろう。だが、エクストルとドレイクを欠いた状況では、ハーティアが戦列に加わったとしても厳しいと言わざるを得ない。
「ああ、まさかここで災害級とはな」
エクストルは鋼糸の間合いから距離をとり、ノワールを睨みつける。
仲間と合流するには、目の前の糸使いを倒す必要がある。だが、それも簡単にはいかないようだ。二人がかりであるにも関わらず、徐々に押され始めている。加えてノワールにはまだまだ余裕があり、底を見せてはいない。噂によると、この暗殺ギルドきっての殺し屋は、最多で片手に5本、計10本の鋼糸を使うはずだった。
「闇切りのノワールに災害級か……手札を揃えてきやがったな」
エクストルは大きく息を吸い込み、ノワールへ向け突進した。
「これは……少しまずいかしら……」
馬車の窓から見える光景に、ハーティアはシートから立ち上がりドアのノブに手を掛ける。
「あれ、たぶんオルデラオクトナリアです、災害級のっ」
シリューさんっ、と声をかけ、ミリアムもハーティアに続こうと、慌てた様子で戦鎚を手にとる。
「待って、貴方たちには頼みたい事があるわ」
ドアを開いたハーティアが、振り向いてシリューを見つめた。
「キャラバンを安全な所まで誘導して、そうねなるべく岩山がいいわ。オルデラオクトナリアはC級よ、申し訳ないけど貴方たちでは荷が勝ちすぎるわ。それに誰かを守るゆとりもない……」
「つまり、足手纏いって事だね」
そう尋ねたシリューの言葉には、特に憤慨した様子はなく、ミリアムはただ目を大きく見開いてシリューの顔を見た。
「し、シリューさん……? 何を……」
ミリアムからすれば、B級のワイバーンや人造魔人を1人で倒したシリューが、いまさらC級程度に手こずるとは思えなかった。
だがEクラスの冒険者といえば、フォレストウルフやブルートベアを単独で倒せるかどうかのレベルで、災害級の前では一般人とさほど変わらないというのが世間一般の認識である。
ようするに、足手纏い、なのだ。
「ここは、疾風の烈剣と彼女に任せよう」
シリューは、他に聞こえないくらいの声でミリアムに言った。
「大丈夫、烈剣はC級のサウラープロクス? を倒した事もあるってワイアットさんも言ってた」
勿論それだけではなく、このキャラバンの護衛を受けているのが、疾風の烈剣であるという事が主な理由だった。
他のクランや冒険者のクエストに手を出す事は、基本的に禁止されているため、他者が介入できるのは当人たちの要請があるか、明らかに全滅の危険がある場合に限られる。
「は、はい。シリューさんがそう言うなら……」
疑問に思いながらも、ミリアムは小さな声でこくんと頷く。
「馬鹿にしている訳ではないの、でも事実よ」
「ああ、わかってる。俺たちはキャラバンの誘導に専念するよ、任せてくれ」
ハーティアは無言で頷きステップを降りる。
「じゃあ気を付けて、命を大事にね」
何気なくかけたシリューの言葉に、ハーティアは一瞬驚いたように固まる。
「……そうね、そうするわ。ありがとう」
そして、初めてくすりと笑った。
「俺たちも行くぞ、ミリアム」
藍のコートを羽織ったシリューは、振り向かずミリアムに声をかけて馬車を降りた。
そう、振り向かなかったため、シリューは幸いにも気付かなかった。
シリューの背後で、ミリアムが首を傾けて目を細め、黒いオーラを立ち昇らせながら薄く冷たい笑みを浮かべた事に。
「はぁい……」
ミリアムはゆっくりとステップを降りた。




