【第138話】黒の暗殺者
「ずいぶん殺風景になったなぁ」
シリューは馬車の窓から見える、代わり映えのしない荒涼とした景色に溜息を零した。
前日の丘陵地帯から一転、地平まで続く乾いた平野と、あちらこちらに散らばる低い岩山。丈の高いイネ科に似た植物が群生し、低木による疎林も目に付く。
サバナ気候によく似ているが、ところどころに小さな泉が湧き出している事から、見た目ほど乾燥しているわけではなさそうだ。
「見通しもいいし、岩山も集団が隠れられるほど大きくないし、ここなら襲われる心配はなさそうですねぇ」
土煙を上げながら進んで行く馬車と馬たちを眺め、ミリアムが安心したように目を細める。
「この辺りは、固い表土の下に湿った柔らかい地層が広がっているの。魔物がいるのは、その柔らかい地層の中よ」
前席の猫耳少女が、振り返り抑揚のない声でミリアムに忠告した。
「つまり、襲ってくるなら地面の下、見えない所からってわけか……」
シリューは少女の言葉の意味に眉をひそめる。
「そう、気をつけなさい」
「ああ、ありがとう、助かるよ」
何も知らないシリューにとって、情報は少しでもありがたい。前もって知っていれば、対処の方法も準備できる。
シリューは涼しげな笑みで、頭を下げた。
「……どう、いたしまして」
猫耳少女は一瞬戸惑ったような表情を見せ、少し慌てた様子で前に向き直り、それ以降はもう話しかけてくる事もなかった。
シリューは再び窓の外に目をやり、緑の葉をつけた低木を観察し始める。ほんの退屈しのぎだが、もしかするとコーヒーノキを見つけられるかもしれない。そう思うと少しわくわくした気分になって、望遠モードまで使ってしまったが、先の尖った艶のある楕円形の葉も、五つ六つの花弁を持つ白い花も、赤か紫の小さな実も見つける事はできなかった。
「ま、そう簡単にはいかないよな……」
「シリューさん?」
声に出すつもりはなかったのだが、つい漏れてしまったようだ。ミリアムが少しだけ眉根を寄せて、シリューの顔を覗きこむ。
「ああ、いや、何でもない」
「そう、ですか……?」
どこか不安げな瞳で見つめるミリアムは、おそらくシリューが何か異常を見つけたと勘違いしたのだろう。シリューは自分の言葉が足りていなかった事に気付き、慌てて本当のところを打ち明ける。
「木だよ、俺の知ってる木がないかと思ったんだけど、やっぱり無いみたいだな」
シリューは首を振って肩を竦めてみせた。
「そうですかぁ、あ、でもでも、似たような木はあるかもですよ」
ミリアムは、シリューが郷愁を感じていると思ったのか、その言葉には気遣うような柔らかさがあった。
「そうだな、気長に探すよ」
キャラバンの先頭を進んでいたエクストルは、街道の先で立ち往生する1台の馬車を見つけた。商人のものらしいその荷馬車は、車軸が折れたのか片側の前輪が外れて傾き、遠目で顔までは分からないが、2人の人物が馬車の脇に腰を下ろしている。
護衛を連れていないようだが、この街道は平原と丘陵地帯を通る比較的安全なルートのため、多少腕に覚えのある者ならわざわざ冒険者を雇う事も少ない。特に、店を持たない旅の行商人にはその傾向が強く、彼らはおしなべて低ランク冒険者程度の実力を持っているが、それはつまり無駄な出費を抑えるための手段でもあった。
「ドレイク、確認してくれ」
エクストルが馬車を指差し、隣の金髪を短く刈り上げた大柄な男に指示を出す。
酷使された荷馬車が壊れる事など珍しくもないが、警戒するに越したことはない。
ドレイクと呼ばれた槍使いの男は、無言で頷き馬の速度を上げ、キャラバンに先行するかたちで荷馬車に向かった。
単騎駆けで近づいてくるドレイクに気付いた2人のうちの1人が、立ち上がって大きく手を振る。
「2人とも、けがは無いか?」
荷馬車の前で馬をとめたドレイクが声をかける。
「ええ、あたしはね。ただこの人がちょっと……」
薄茶の髪を後ろで束ねた女が、顔を伏せたまま蹲る男を指さす。若い夫婦のようだ。
「それに、馬車がこれじゃあ……全然人も通らないし、どうしようかと思ってたところだったのよ」
「見たところ車軸に異常はなさそうだ……これなら手持ちの道具で何とかなるだろう。治癒術士もいるから、少し待っててくれ」
ドレイクは踵を返し、報告のためエクストルのもとへ馬を走らせる。
「どんな様子だ?」
馬を並べたドレイクに、エクストルが尋ねた。
「若い夫婦だ、男は怪我をしているらしい。馬車のほうは、この人数なら簡単に修理できそうだが……どうする?」
放っておくのか、手助けするのか、エクストルの判断に任せる、とドレイクは続けた。
「そうだな、先を急ぎはするが、こんな所に放っておくわけにもいかないだろう。ま、幾らか金はもらうけどな」
エクストルは同意を求めるように、笑って肩を竦めた。
壊れた荷馬車の手前でキャラバンを止め、エクストルとドレイクは馬を降りて夫婦に歩み寄る。
「やあ、災難だったな」
「ええ、でも助かったわ」
「今うちの治癒術士を呼ぶ、旦那さんの具合はどうだい?」
「……そうね……」
エクストルの言葉に、女は口ごもり顔を伏せる。
「どうした? そんなに悪いのか」
「……いいえ、待ちくたびれただけよ……」
「え?」
女は顔をあげ、にやりと笑った。
「快速の矢、瞬け! マジックアロー!」
至近距離から女が発動した魔法の鏃が、エクストルをめがけて迫る。
僅か一瞬の間だが、エクストルは条件反射の如く剣を抜き放ち、2つの鏃を事もなく一閃する。
「何の真似だ!」
後ろに飛び退った女に向かってエクストルが叫ぶ。ドレイクもエクストルから距離をとり、大きな穂先の付いた槍を構える。
「ははは、よく防いだねぇ、ならこれはどうだい?」
エクストルの視界の端で、何かが日の光を反射しきらりと光った。
「糸使いか!? ドレイク!!」
2人を同時に襲う覇力を帯びた極細の鋼糸を、エクストルは素早く剣を切り返し、ドレイクは高速で回転させた槍で、甲高い金属音を響かせ弾く。
「ほう、俺の糸を見切るか……さすがは烈剣だな」
先ほどまで蹲っていた男が、羽織っていたマントを捨て去り立ち上がる。
黒髪に黒のコート。冷たく光る闇夜を映したような漆黒の瞳。
「お前、『闇切のノワール』か」
八双に剣を構え、エクストルが男を睨みつける。だが男は答えず、無言のまま僅かに目を細めただけだった。
「暗殺ギルドの有名人にこんな所で会えるとはな」
『闇切りのノワール』。裏の社会で暗躍する正体不明の暗殺ギルドにおいて、その存在が噂されている超一流の殺し屋。彼の鋼糸は、闇に紛れてこそその本領を発揮する。いくらAクラス冒険者に匹敵する腕を持つとはいえ、こんな日の高い昼間では、1つのクランを相手取る闘いに向いているとは思えない。
「まさか、2人だけってわけじゃあないんだろう?」
エクストルはさっと視線を巡らせ、ドレイクに目配せをする。
目に映る範囲に敵の気配は無い、弓や魔法使いが隠れ潜むような遮蔽物も無い。
「って事は……」
エクストルとドレイクはお互いの距離を保ち、円を描くようにゆっくりと摺り足で動く。エクストルは剣を脇構えに、ドレイクは槍の穂先を地面すれすれに下す。
「へぇ、さすが烈剣のエクストル。察しがいいねぇ」
女が片足でリズムを刻むように、とんとんっと地面を蹴った。
その直後。
硬い地面を割り、数十匹の虫型の魔物がキャラバンを取り囲むように飛び出す。
「なるほど、そういう事か」
エクストルはしかし、焦りも見せず余裕の笑みを浮かべた。




