【第130話】思惑
エルレイン王国、アルフォロメイ王国、そしてビクトリアス皇国のそれぞれの王城には、長距離転移を可能とする魔法陣が置かれている。三大王家を結ぶこの転移ネットワークは世界で唯一のもので、その運用は厳しく制限・管理されていた。
転移魔法陣を使用する場合、先ず転移元の王家から転移先の王家へ、事前の連絡と承認が必要となるのだが、その連絡には転移魔法陣の技術を応用した、中距離転送装置が用いられる。
この中距離転送装置は、一定の距離毎に中継所を設けることで、転送の限界距離を考慮することなく、書簡や書籍・冊子等をその日のうちに相手国へ送り届ける。
「アルフォロメイから、転移魔法陣使用の承認が下りました」
迎賓館のサロンでパティーユは、丸テーブルを囲う直斗たちを前に、今朝早くにアルフォロメイから転送されて来た書簡を広げた。
「アルフォロメイ側は明日の朝7:00より、魔法陣への魔力供給を始めるそうです。こちらはすでに魔力の充填を終えていますので、明日の9:00には転移できます」
アルフォロメイからの報告を受け、恵梨香の意見も考慮した結果、全員一致でレグノスへ向かう事に決まった。ただ今回は調査のみという事と、行き先が三大王国という事で、アルフォロメイ国王との謁見も兼ねて転移魔法陣を利用する運びとなった。
「……転移……ですか……」
恵梨香は心なしか陰りのある表情で、呻くように呟いた。
「レグノスに行くのはいいけど、国王との謁見っていうのは面倒だな……」
直斗が腕組みをしつつ眉根を寄せる。
「謁見と言っても、そう畏まったものではありません。今と同じように、迎賓館のサロンで丸テーブルを囲む形で行われます」
通常、王との謁見は玉座の間において執り行われるが、その際、王は少し高い位置の玉座に座り、拝謁者は低い位置で膝をつき首を垂れる。
ただし、これは勇者には適用されず、来賓として国王と同等の待遇を約束されている。
「つまり、三大王国及び同盟国において、直斗様方はたとえ国王に対しても、跪き頭を下げる必要はないのです。エルレイン王国でもそうでしょう?」
パティーユはにっこりとほほ笑んで、確認するように頷く。
「いわれてみれば……そうですね」
この世界に召喚されて一か月ほど過ぎた頃、試練の迷宮を攻略しそれぞれの装備を手に入れた後に、エルレイン国王ならびに2人の王子たちとの謁見が行われた。
彼らは、自らこの迎賓館を訪れ今と同じように丸テーブルを囲み、落ち着いた雰囲気の中、ごく普通に挨拶と会話をしていった。
お陰で多少緊張はしたものの、直斗たちもそれほど固くならずに済んだ。
「アルフォロメイ王国は……明日見さんの件を知っているんですか?」
恵梨香が少し遠慮がちに尋ねた。
世界を守るために召喚された勇者の1人が、本格的な戦いの前に命を落としたとなれば、人々の間に動揺と不安が溢れ、結果的にそれが大災厄の発生を早め、その規模を増大させる事になりかねない。
不本意であっても、今は情報を伏せておくのが賢明だと判断され、一連の事件は僚の召喚も含めて、大災厄を乗り切るまで非公開とされた。
「……いいえ……」
パティーユは目を閉じ俯くように首を振った。
その男がエルレイン王都に移り住んで、かれこれ30年になる。
庭師として生計を立てる男は、その真面目で繊細な仕事ぶりを買われ、今では王城へも出入りする業者の、親方を任される立場にあった。
度々独立の話もあったが、男はそれを頑なに断り続け、裕福とはいかないまでも生活に困窮する事もなく、ごく普通に結婚し一人娘を嫁にやり、慎ましやかな暮らしを男なりに楽しんでもいた。
「ほう、こりゃあ……」
男は、行商人の出店に並べられた、掌ほどの玩具を手に取り呟いた。
「そいつは今、ビクトリアスで人気でね。ほら、後ろの糸を引くとこうやって動くんだよ」
人の好さそうな行商人がそう言って糸を引くと、猫を模った玩具の足が動きちょこちょこと歩きだす。
「今度生まれるお孫さんに、どうだい?」
男と行商人は付き合いも長く、お互いの素性もよく知っていた。
「そうだな、一つその白いやつを貰おうか」
「毎度」
行商人が愛嬌のある笑顔で玩具を紙に包むのを眺めながら、男が小さな声で囁く。
「……俺の立場じゃあ詳しい事までは掴めない、だが箝口令が敷かれているのは確かだ」
「ほう……」
笑顔の行商人は表情を変えず先を促す。
「俺も一二度見かけただけだが、勇者と同じ年頃の少年がいた筈だ。だが、お披露目があったのは、知っての通り勇者一人と従士の少女3人だけだ……」
「その、もう一人の少年はどうなったんだね?」
「分からん、俺は仕事で暫く王都を離れていた。戻ったときにもういなかったんだ」
行商人が玩具を渡し、男が金を支払う。それは傍からも、只の商人と客のやり取りにしか見えなかった。
「どうする? そのあたり、もっと詳しく調べてみるか?」
男の問いに、暫く考えた後で行商人が首を振る。
「いや、止めておいた方がいい。これ以上の危険を冒して、せっかくの資産であるあんたを失うのは避けたい。なに、この話だけでも十分な価値がある。あんたは今まで通り、目立たないように行動してくれ」
「ああ、今まで30年そうしてきたんだ、これからも上手くやるさ」
男が、袋に包まれた玩具をかざしてにやりと笑う。
「報酬はいつもの通りに。じゃあまた……我らが魔神の為に」
「ああ、我らが魔神の為に……」
男は店を後にして、振り返ることなく家路に戻る。
男はこの街に配置された、魔族の間者であった。
「シリューさん、お待たせしましたぁ」
いつのもように、神殿の中庭のベンチに座って待つシリューの元へ、こちらもいつもの通り手を振り、弾けるようにメロンを揺らしてミリアムが駆けてくる。
「ああ……」
シリューは立ち上がり振り向く。ヒスイがシリューのポケットから飛び出し、ミリアムの肩へとまる。
「ミリちゃん、こんにちは、なの」
「はい、こんにちはヒスイちゃんっ」
朝の礼拝を終えたばかりのミリアムは当然ながら黒の法衣姿、新調した例の防具は身に着けていない。
「あ、あれは……2人だけの、時に……」
「いや、言い方おかしいからっ、2人の時じゃなくて戦闘の時っ」
頬を染め、もじもじと身をよじるミリアムの姿に、『赤い河』での出来事が重なり、シリューは思わず顔を背ける。確かに、ミリアムの言う通り、ある意味2人だけの時の方がいいかもしれない。あの薄いスカートは、ちょっと動いただけで中身が丸見えになってしまう。それを、他人の、しかも自分以外の男には見せたくない。
「まあ、その……2人だけの、戦闘の時な……」
「……はい……」
あくまでも魔物や魔族との戦闘で、お互いに他意はなかった。
「それで、教会の許可は貰えたのか?」
何となく気まずい雰囲気を正すように、シリューは話題を変えた。
「はいっ、大丈夫です♪ もともと私は本部付けで、行方不明者の調査の為に派遣されていたんです。それに、ちょっと特殊な立場で……えっと……」
口ごもるミリアムに、何かを察したシリューがすっと指を立てる。
「ま、言えない事もあるだろ? なら今は言わなくていい」
お互い様だから、とは言わなかった。シリューにしても、話せない事はいろいろとある。
「はい、ありがとうございます……でも、いつかきっとお話ししますね」
「ああ、必要になったら、な」
誰にでも、どんなに親しくても秘密にしておきたい事はある。シリューにとって、ミリアムがどんな重大な秘密を持っていたとしても、それは些細な事でしかないと思えた。
大事なのは、目の前のこの少女を信じる事だ。
「今日は何処へ行くんですか?」
ミリアムがちょこんっ、と首を傾げて尋ねる。
「ああ、冒険者ギルドだよ。一緒に行くんだ、とりあえず正式にパーティーの届出をしとこうと思ってさ。本当ならクランの登録をしたいとこなんだけど……」
シリューはミリアムを見つめ、肩を竦める。
「……2人だからなぁ」
クランの結成には最低3名の冒険者が必要になる。勿論勇神官も冒険者と同様、人数に含まれる。
「パーティー……クラン……」
「ミリアム、勝手に決めたみたいで悪いんだけど、かまわないかな?」
当然、ミリアムに異議があるはずもない。
「はいっ、えへへ、えへへへへ……」
「お、おまっ」
ミリアムはシリューの右腕をとり、胸を押し付けるように抱きしめた。




