【第126話】面影
「お前さぁ……」
「はい」
「もうちょっと離れて歩けよ……」
「ん、却下ですっ」
その日の午後、城での作業を終えたシリューは、神殿の中庭でミリアムと待ち合わせ、2人並んでベアトリスの店へと向かっていた。
最近何となく積極的なミリアムは、遠慮して腕こそ組まないが、肩が触れるくらいにぴったりと寄り添って歩いている。これで黒の法衣だと目立ってしまうところだが、今日のミリアムは白のブラウスにブラウンのミニプリーツスカートと、青いジャケットという姿だった。
「……でも、シリューさん、嫌ですか?」
シリューの左側で、ミリアムは上目遣いに尋ねる。
「べ、別に嫌って訳じゃない、けど……じゃあせめて右側に来てくれよ……」
こだわりがあるという訳ではないが、女の子に左側へ立たれるとどうもしっくりこなかった。
「右側ならぁ、手、繋いでもいいですか?」
「……好きにしろよ……」
シリューは目を合わさずぶっきらぼうな態度をとったが、けっして嫌がっている訳ではないとミリアムにも分かった。
「はいっ、やったぁ♪」
いそいそと位置を変えて、ミリアムはシリューの右腕を抱える。
「お、おまっ……」
手を繋いでもいいか、たしかにミリアムはそう言ったはずだ。そしてシリューは好きにしろ、と答えた。
だがこれは手を繋ぐ、という状態ではないのはあきらかだった。
ミリアムはなぜかがっしりとシリューの右腕を抱きしめ、知ってか知らずかふわふわのメロンを押し付けている。
「お前っ、ちょっと、あたっ、て……」
離せ……と口にしかけたシリューだったが、嬉しそうに微笑むミリアムの横顔に、言葉は霧のように消えていってしまった。
「まあ、いいか」
シリューはミリアムに聞こえないよう、小さな溜息混じりに呟く。
何がそんなに嬉しいのかシリューには理解できないが、無理やり腕を振り払ってまで、今のその笑顔を曇らせたいとは思わなかった。それに、シリューの目から見てもミリアムは相当な美少女だし、そんな娘に笑顔で寄り添われて嬉しくないはずもない。それに加えて健全な青少年としては、腕に伝わる柔らかなメロンの感覚も当然……。
「それにしても……」
シリューはふと、出会ったばかりの頃の事を思い出す。
「なんであんなに嫌ってたのかな……?」
出合の印象が悪かったのは確かだが、自分でもおかしくなるくらい避けていたように思う。
それが僅か二ヶ月ちょっと前の話しだ。
“ たくさん恩を受けた ”。倒壊する城から脱出したあと、ミリアムはそう言った。
たしかに何度か彼女の危機を救ったかもしれない、だが救われたのはおそらく自分の方だと、シリューには思えた。
ミリアムの言葉に、涙に、そして笑顔に。シリューは自分が必要とされている事を、強く強く実感する事ができた。
だからあの時、泣き濡れるミリアムにキスした。そうする事が自然だと感じたし、なによりそうしたかった。
シリューは空いた左手を、そっと自分の胸に添える。
僅かに胸を締め付ける痛み。いや痛みと表現していいのかも分からない。それは、美亜に対する後ろめたさが、以前ほど無くなってしまった事への寂寥感なのだろうか。
「シリューさん? もしかして、また胸が痛いんですか?」
いつの間にか眉をひそめ俯いていたシリューを、ミリアムは心配そうに見上げた。
「いや、そうじゃないよ……ちょっと、いや、大丈夫、ありがとう」
ミリアムは今もこうして本気で心配してくれる。
僅かの間に変化を遂げたお互いの心。
「そうですか、良かった。いろいろ忙しかったでしょうけど、あんまり無理しちゃダメですよ?」
そう言って見つめてくるミリアムの笑顔が不意に、元気だった頃の美亜の面影と重なった。
“ あんまり無理しちゃダメだよ ”
がむしゃらに練習を重ねて脚を痛めた時、美亜がかけてくれた言葉、そしてその時の笑顔に。
重なった。
「み、あ……」
シリューは息を詰まらせ、呻くように声を漏らす。
「ん?」
ミリアムには、シリューが何と言ったのかよく聞き取れず、ちょこんっと首を傾げて見つめ直した。
「あ、いやっごめん、何でもないんだ」
その笑顔に重なる美亜の面影は、そっとミリアムから離れ、高く高く昇ってゆく。
そして、まるで風のようにきらきらと微笑み、何処までも広がる空へ溶けていった。
シリューはそっと視線を落とす。そこには、碧い空をそのままに輝くミリアムの瞳。そして、その澄みきった瞳に映るシリュー自身の姿。
「シリューさん?」
「ミㇼ、アㇺ……お前……」
「ひゃんっ」
心に湧き上がる衝動に押され、シリューはミリアムを抱きしめた。
「し、シリューさんっっ、ど、どうしたんですか!?」
シリューがこんな街中で、いきなりこんな大胆なまねをしたことに、ミリアムは驚きはしたが拒否することはなかった。
「シリューさん、あのっ、みんな見てますよ」
「かまわない……」
ミリアムは、一層その腕に力を込めたシリューの躰が、僅かに震えているのを感じた。
「え、っと、シリューさん? いいんです、いいんですよ、ちょっと恥ずかしいけど……気のすむまで、そうしてください……」
ミリアムはとまどいながらも、ただ目を閉じ力を抜いて身を任せ、そっとシリューの背中に腕をまわした。
長い長い時間に思えたが実際は数十秒だろう、シリューはふっと力を緩めミリアムを開放する。
「……落ち着きましたか?」
多くは問わず、ミリアムは一言だけそう言った。
「……ごめん……」
シリューは顔を背け、すまなそうに呟く。
「いいんですよ、謝らなくても」
「うん、ありがとう……じゃあ、行こうか」
踵を返して歩き出そうとしたシリューはそこで立ち止まり、ミリアムに右手をのばした。
「ほら」
「はいっ♪」
ミリアムはシリューの腕をとり、にこやかに抱きしめた。
何事もなかったようにその場を立ち去った2人だったが、『深藍の執行者』の物語に新たな伝説が加えられた事を知るのは、もう少し先の話である。
「2人とも、らぶらぶなの、です」
いつも間にかミリアムの肩に舞い降りたヒスイが、生暖かい笑みを浮かべた。
「いらっしゃい、そろそろ来る頃だと思ってたわ」
防具屋『赤い河』の入り口をくぐったとき、珍しくベアトリスは奥の工房から出てきた。
「あれ? 今日はビキニアーマーじゃないんですね」
無造作に髪を後ろで纏めたベアトリスは、袖を捲った紺のワークシャツと同じ色のカーゴパンツといういで立ちだった。
「作業するときはこれよ?」
「何か、ちゃんとした職人さんに見えますよ。良かった、ただの変態じゃなかったんですね」
「うん、シリュー君、いつもながらいい毒の吐きっぷり。嫌いじゃないけど」
もはやお約束のご挨拶だが、2人のやり取りを聞いているミリアムにとっては冷や冷やものである。
「それに、もうこの街で宣伝する必要もないし、ね」
ベアトリスはちょこんと首を傾げウィンクする。
「随分片付きましたね……」
商品がすべて無くなり、広々とした店内を見渡してシリューが呟いた。
「人を雇って片づけてもらったのよ、こっちに集中するためにね」
ベアトリスが親指で工房を指さす。
「忙しい時に無理言ってすみません、それで、出来てますか?」
「もちろんよ。じゃあ、さっそく試着と調整をしましょうか」
ベアトリスはミリアムの手を取り、カウンターの奥へと向かう。
「ヒスイも一緒に行くの」
ヒスイを肩にのせたミリアムがドアの前で立ち止まり、蠱惑的な笑みでシリューを振り向いた。
「シリューさんも、来・ま・す?」
「ばっ、な、なに言ってるんだこのっ、さっさと行けよっっ」
この反応を見越しての、ミリアムのちょっとしたいたずらだが、シリューは予想以上に真っ赤な顔でわたわたしている。
「……シリューさん……かわいい♪」
「うるさい!」
これって、逆にセクハラじゃないだろうか……シリューは心の中で呟いた。
「じゃあシリュー君、着用した姿、お・た・の・し・み・に」
3人が消えていったドアを見つめて、シリューは一抹の不安を覚えた。
不安? それとも期待?
「大丈夫でしょうねベアトリスさん……」




