【第116話】ミリアムの受難part3
上を向いたせいでミリアムの肩から、せっかく掛けたマントがはらりと落ちる。
「み、ミリアムっ」
気付いているはずのミリアムは、それでもマントを掛け直そうともせず、ただじっと顔を伏せるだけだった。
「ミリアム?」
何かおかしい。ミリアムはさっきから腕を後ろにまわしたまま、動こうとしない。まるで、下着姿を見られたとしても、見られたくないものがそこにあるように。
「……ミリアム、腕、どうした?」
ミリアムはぴくんっと、肩を震わせる。
「な、なんでもありません。シリューさんには関係ありません」
シリューはつかつかとミリアムに歩み寄った。
「関係なくない、ほらっ見せろ」
「やっ」
シリューは、半ば強引にミリアムの腕を掴み引き寄せる。
「なっ……」
そこに、本来ある筈のもの。白くて、細くて、長い指。そしてふっくらとした手の平。
あの時、病室のベッドでシリューの両手が包んだ、ミリアムの温かい手。
今その手は、手首の先から消えていた。
「み、見ないで、見ないで、ください……」
顔を背けたミリアムの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れる。
さあっと血の気が引くのを感じて、シリューは言葉を失う。と、同時に、この不条理に対する怒りが沸々と湧き上がる。
「くっそおおお! ヒール!」
なくなった手が再生するイメージで、治癒魔法を発動する。
が、眩い光を発するだけで、何も起こらない。
「もう一回、ヒールっっ!! ヒール!!!」
シリューは何度も何度も、まるで取り付かれたように同じことを繰り返す。
「シリューさんっ、無駄です、欠損部位の再生は、出来ないんですっ」
狂気を孕んだシリューの行動に、ミリアムは首を振り叫んだ。
「無駄じゃない! 無駄じゃないっ! きっと、きっと……だって、これじゃあんまり……」
シリューは涙を滲ませ、まるで駄々っ子のように身を捩った。
初めて目にするシリューの狼狽した姿に、ミリアムは胸の奥が疼くのを感じた。
「シリューさん、落ち着いて下さい。私は大丈夫です」
ミリアムは真っすぐにシリューを見つめ、そして微笑んだ。
「私だって勇神官です、覚悟は出来てます……聞いてシリューさん。聖騎士や同じ勇神官のなかには、魔物との戦闘で手や足を失った人が少なからずいます。でも、神教団は、ちゃんと面倒をみてくれます、何も……不自由はないんですよ?」
「ミリアム……」
「だから……私は、大丈夫、です……シリューさんに、これ以上迷惑は掛けませんから……」
優しく、何処までも優しく、ミリアムはそう言った。
だが、震える肩が、震える唇が、何より涙の溢れるその哀し気な瞳が、シリューに心配を掛けないための強がりだと語っていた。
「……もう……サンドイッチ、作ってあげられなくなっちゃった……こんなんじゃ、誰も、貰って……くれないだろうな……」
ミリアムの口から、ぽつりと本音が漏れる。そして……。
「うっ、うああぁ、あああああぁ」
張りつめていた糸が切れたかのように、ミリアムは声をあげて泣いた。
“ このままでいいはずがない。このままでいいはずがない! 絶対に、このままでは終わらせない!! ”
シリューは心に湧き上がる思いの強さに駆られ、空を仰ぎ立ち上がった。
「考えろ!!」
人間に再生能力は無い。それは人が負傷した場合、マクロファージが即座に傷跡を作り、組織の再生が行われないからだ。だが、ある動物の躰では、マクロファージが死んだ細胞を取り込み、更に幼胚の細胞集団『芽体』が、切断された腕や脚の再生を助ける。
「そうか、だから……イメージは……」
単に元通りになる、では不足という事だ。もっと具体的に、例えば植物の種が芽吹くように、茎が伸び葉を付け、花が萌えるように。
受精卵が母親の胎内で細胞分裂を繰り返し、人の姿をかたちどり、赤ん坊の小さな手が成長し、やがて大人の手になるように。
シリューは強く強く思い描いた。そして願った、強く、強く。
【治癒魔法ヒールが、再生魔法リジェネレーションに変化しました】
「よっしゃああああ!!!」
シリューは両手の拳を握りしめ、思わず大声で叫んだ。魔法の変化をこれほど喜んだ事は無かった。戦うためではなく、誰かの、ほかならぬミリアムを救うための力。
それは確かに、偶然に与えられた力を、自分の力だと認識した瞬間でもあった。
元の世界で、ひたすら走り込みこの手に掴んだ頂上への切符。その時以上の喜びがシリューの心に湧き上がる。
だが、その喜びに水を差す警告が表示される。
【リジェネレーションの発動には、生命に関わる極めて重大な危険が伴います】
「危険なのはわかってるさ、リスクを冒さなきゃ、リターンも無いだろ? 問題は、ミリアムの手の再生が成功する確率だ」
【リジェネレーションを発動した場合、被施術者の欠損部位が再生される確率は100%です】
「なんだ、それなら問題ないじゃないか」
「シリュー……っ、さん?」
ミリアムは、いきなり叫び声をあげたシリューに驚き、涙の溢れる瞳を大きく見開いた。
シリューは何も説明せずに、しゃがんでミリアムの両手を掴む。
「あ、っあのっ……」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたミリアムは、何か言おうとするが、頻繁にしゃくり上げ、言葉にならない。
シリューはそんなミリアムを優しく見つめ、涼しげに微笑む。
「心配いらない、今元通りにしてやるから……」
「えっ?」
ミリアムの腕を掴んだ自分の手の甲に、シリューはこつんっと額をあてる。
と、同時に、シリューの躰全体から柔らかな虹色の光が溢れだす。
その光はやがて、揺らめきながら強い色彩を放ち始める。
「まっ、まってシリューさんっ、まってっ」
初めて見る光。だがミリアムは、それが何を意味するのか即座に理解した。
「だめっ、だめですっ。それは使ってはいけない魔法ですっっ」
リジェネレーション。
シリューは何らかの方法でそれを習得し、発動させようとしているのだ。
「やめてっ、やめてっっ! シリューさんが死んじゃう!! お願いやめてぇぇぇぇ!!!」
ミリアムは何度も首を振って懇願した。シリューに命の危険を冒してほしくない。他人の手と自分の命を天秤に掛けてほしくない。コインの表裏に、命を賭けてほしくない。
「ばぁか、死ぬわけないだろ、このポンコツ神官」
言葉とは裏腹に、シリューの笑顔はどこまでも優しく輝いていた。
「いくぞっ!! リジェネレーション!!!」
虹色の光がミリアムを包み、圧力を持つかのように大きく弾けた。
「あ……」
そして光が消えた時、ミリアムが掲げた両手は、完全に元の姿を取り戻していた。




