【第112話】陽動
「ま、また、あなたですか……」
感謝の言葉よりも先に、ミリアムは怪訝な表情で助けてくれた銀の仮面をねめつける。
「あれ? 何故そんなに睨まれるんだろう?」
「あ、あわわわ、ち、違いますっ。ごめんなさいっ、ありがとうございます! 助かりました!」
ミリアムははっとなり、慌てて取り繕うように頭を下げる。本音がダダ洩れで、表情に出ていたようだ。
助けてもらった事に感謝はしている、それは本当の事なのに、微妙に納得できない部分もある。今度会ったら、絶対ひとこと言ってやろうと思っていた。なのに、また危ないところを助けてもらったのだ。
「……しかた、ないですぅ……」
シリュー〈今は白き翼の姿だが〉は、下腹部を押さえもじもじと身を捩るミリアムの姿を目にして、前回の事を謝ろうと喉まで出かかった言葉を、危ういところで呑み込んだ。
不可抗力とはいえ、見たものは見た。ミリアムといえどもうら若き乙女だ、あからさまに謝られても、余計に恥ずかしいだけだろうと思ったのだ。
シリューも少しは大人になった。
「それで、お嬢さん。大至急神殿長さんと話がしたいんだけど……」
「ジャンパオロ様に?」
ミリアムは訝しげにシリューを見た。悪人では無いだろうが、何処か胡散臭い。だいたい言動が軽すぎるし、パンツ見られた。
「色々と言いたい事はあるんだろうけど、本当に大事なことなんだよ」
何か言いたげなミリアムの態度を無視して、シリューは矢継ぎ早に説明した。
「これは陽動だ、本当の狙いは預けてある人造魔石。皆をワイバーンに引きつけておいて、警備の手薄になったところへ襲撃をかけ魔石を奪う。急がないと手遅れになるよ」
「そ、それだけの為に……こんな……?」
目を見開いて僅かに震えるミリアムに、シリューは大きく頷いてみせた。
「わ、わかりました、でもっ、今から神殿長に話をする時間はありません。だからっ、魔石は私に任せてください。アリゾナさんはワイバーンを!」
ミリアムは、街の上空に飛び去るワイバーンを指差す。
「ん? 誰さん?」
シリューは一瞬、誰の事を言っているのか分からず、ミリアムの顔を二度見した。
「いや、おかしいですよその反応。自分で名乗ったじゃないですか、アリゾナ・コルトって……もしかして……覚えて、ないんですか?」
ミリアムは、半開きのじとっとした目をシリューに向ける。
あからさまに胡散臭い。推理等の苦手なミリアムにも100%偽名だと分かった。
「あ、ああ、そうそう、君には名乗ったんだったね」
白々しい言訳だが、ミリアムももうツッコまなかった。
シリューは一度咳払いをして、背筋を正す。
「じゃあ、魔石をよろしく。でも、いいかい、くれぐれも無理しないように。すぐに片づけてそちらに向かうから、いいね?」
ミリアムはこくんっと頷き、神殿へと駆け出す。
「魔石は西棟2階の一番奥の部屋です! なるべく急いで下さいね!!」
それを見届けたシリューは、空を仰ぎ地を蹴った。
神殿の礼拝堂を抜け、ミリアムは魔石を保管してある西棟の2階へ駆けあがった。
「ミリアム? どうした」
階段の踊り場で勇神官のデリルが、慌てた様子のミリアムにすれ違いざま声を掛けた。
「例の魔石を狙ってる者がいます! 急がないと!」
ミリアムは立ち止まらずに振り返って叫んだ。
「なっ、分かった、私も行こう!」
警備と応援を呼ぼうか、とも思ったデリルだが、あいにく今は殆ど全員がワイバーンの対処にあたっている。
「ワイバーンは陽動という事か!?」
背後から響くデリルの声に、ミリアムは顔だけを向けて頷く。
2階廊下の一番奥の扉、そこが研究室の入り口だったが、警備にあたっていた2名の神官は、既に血を流し倒れていた。
「待てミリアム!」
「はああああ!!」
その異常な状況に、デリルが注意を促すが、ミリアムは少しも躊躇せずドアを蹴り破った。
「待ちなさい!!」
蝶番から外れ吹き飛んだドアの向こうの窓際で、黒い外套の男がまったく慌てる様子もなく、ゆっくりと振り返った。
「おやおや、随分と元気なお嬢さんだ。因みに、鍵は掛けていなかったんだがね……」
金のマスクを付けたその男は、楽しげな声音で吹き飛び壊れたドアを指差した。反対の手には、白い布に包まれた魔石が握られている。
「その魔石を放しなさい……」
ミリアムは、壊したドアの修理代が気になったが、そんな事は噯にも出さず金の仮面の男を睨みつけ戦鎚を構える。後に続くデリルがそれに習い、棍の先端を男に向ける。
「困りましたねぇ、元々これは私の物ですよ?」
「今は違います!」
臆面もなく、ミリアムは言い放った。
「盗賊のランドルフから奪ったんですから、それは白銀さんの物ですよ黒金さん」
「え? ミリアム、何の話しだ?」
デリルは意味が分からず首を傾げる。
「なるほど、『断罪の白き翼』ですか……、あまりゆっくりとはしていられませんね」
男は窓の外、ワイバーンの傍へ飛ぶ、白い影を目で追った。
それから、外套のポケットから取り出した小さな宝石を、ぴんっと指で弾きミリアム達の前に落とす。
「それでは、私はこれで」
その瞬間、床に転がった宝石が弾け、目を刺すような激しい光を発した。
「うっ」
デリルが目を押さえて蹲る。光をもろに見てしまったのだ。
その点、ミリアムは幸運だった。構えた戦鎚の作り出した影が、たまたま彼女の目を光から守る形になった。
「デリルさんっ、ごめんなさい、追います!!」
「わかった、頼む!」
ミリアムは身体強化し、2階の窓から男を追って飛び降りた。
男も身体強化を使えるのだろう、既に50mほど先を街の東に向かって走っている。
ミリアムは全速で後を追う。
街のあちらこちらが破壊され、上空ではワイバーンと白き翼が対峙している。
ワイバーンは彼がなんとかしてくれるだろう。ミリアムは何故かそう確信していた。その信頼にも似た感覚は……。
「あれ……?」
同じような魔法を使い、同じように空を駆ける。同じように期待通りに現れて、同じように危機を救ってくれる。
そして、優しく抱き上げてくれたあの温もり。
「え? って、あれ? もしかして……」
ミリアムはぷるぷると首を振った。とりあえず今はそんな事を考えている場合ではない。
前を行く金の仮面の男は、破壊された城壁の一部を飛び越え街の外へ出た。
「逃がしません!!」
ミリアムは男の後に続き、転がった瓦礫を避け、すっかり低くなった城壁を飛び越えた。
「森に向かってるの?」
男が向かう先はエラールの森。
これも何かの作戦だろうか、とミリアムは首を捻るがよく分からない。とにかく追いかけるしかない。
「シリューさんなら……」
胸に湧き上がるそんな思いを、ミリアムは無理やりに振り払った。
街の上空を縦横に飛びながら、ワイバーンが顎を開き、地上に向け爆光球を放つ。
逃げ惑う人々は、死をもたらす無慈悲な攻撃に、ただ蹲り、家族と抱き合い、そして叫んだ。
だが、死の光が彼らに届く寸前、地上付近から凄まじい速度で発射された白熱の火球がそれを迎撃し、空中で爆発した。
「え? 助かったの?」
「見ろ!!」
誰かが叫び、ワイバーンに向かって飛ぶ白い影を指差す。
「断罪の白き翼だ!!」
人々の中から、割れるような歓声が上がる。
「いや、うん、ま、いいんだけど」
その声は、シリューの耳にもしっかりと届いていた。あまり嬉しくはないが、もうすっかり定着してしまったようだ。
「じゃ、トカゲ退治といきますか」
シリューはワイバーンを追い、一気に加速した。




