【第1話】振り向けば異世界?
「どうしたの? 僚ちゃん。さっきから何かソワソワしてるけど?」
前日まで降り続いていた雨があがり、梅雨時期には珍しく雲一つ無い紺碧の空が広がる、穏やかな日の公園。
大きな池の外周を囲むカラー舗装の遊歩道を隣に並んで歩く森崎美亜は、先ほどから落ち着かなげに視線を移す明日見僚の顔を覗き込み、ちょこんと首を傾ける。
「いや、別に、そんな事、ないけど」
さっと顔を背ける僚の態度は、明らかに何かを隠しているのがみえみえだった。
「ん?」
少し前かがみに手を後ろで組み、大きなアーモンドの瞳で僚を上目遣いに見つめる美亜の、長いストレートの髪が一筋肩から流れて落ちる。
「ねえ僚ちゃん、ちょっと座ろ?」
美亜は僚の右腕をとり、木陰のベンチに腰を下ろした。
その隣、少し間を空けて僚が座る。
「あ……ま、いっか」
聞こえないくらいの声で、美亜が呟いた。どうせぴったりくっついて座ったとしても、僚は必ず間を空けて座りなおすだろう。
「僚ちゃん、お腹空かない?」
「うん、そうだなぁ。どっか食べに行く?」
「それもいいけどぉ……」
美亜はバッグの中から、ランチクロスで包んだ弁当箱を取り出した。
「じゃーん。実は、作ってきちゃいましたぁ!」
クロスの中身は折り畳みのサンドイッチケースで、蓋を開けると色味も綺麗なサンドイッチが並べられていた。
「卵に、ハムレタスに、ツナ。それから……ホイップフルーツっ。僚ちゃん、好きでしょ」
美亜はべつの少し小さめなケースを開け、中のサンドイッチを一つ摘まんで取り出す。
「あ、おお……いただきます」
僚は、目の前に差し出された、ホイップクリームとバナナのサンドイッチを嬉しそうに頬張る。
意外に甘党な僚の横顔を眺めて、美亜はたおやかに目を細めた。
「あ、そうだ美亜っ」
「え、あ、なにっ?」
唐突に名前を呼ばれ、美亜は少し上ずった声をあげた。
ホイップサンドを一つ食べ終えた僚は、美亜の用意した紙おしぼりで綺麗に手を拭い、左側に置いたショルダーバッグのファスナーを開く。
それから、少しだけ迷ったあと、ゆっくりと確認するようにバッグの中身を手に取り、
「美亜、誕生日おめでとう」
思いっ切り感情を込めた声で、ピンクのリボンの掛かった包を美亜の目の前に掲げた。
「……え? うそ、ホントに? あ、ありがとう」
涙が滲みそうになるのを、美亜は必死に堪える。
「開けてみてもいい?」
涼し気な笑みを浮かべて、僚は無言で頷く。
リボンをほどき、綺麗に包装された紙を破らないよう丁寧にはがして、美亜は白く細長い箱を開けた。
「わあぁ」
ローズクォーツとピンクゴールドのネックレスに、同じデザインのストラップ。
「美亜に似合うかなと思って」
「僚ちゃん……」
美亜は右手で髪をかきあげ、そのまま耳を覆うように手を止める。
思いがけず嬉しい事があった時の、美亜のかわいい癖だ。
「ありがとう、ありがと、僚ちゃん」
「うん。美亜が喜んでくれたのなら、俺も嬉しいよ」
その一言が心から嬉しくて、美亜は木陰から揺れる木漏れ日のような笑みを浮かべる。
「この時間が、ずっと続けばいいのにねぇ」
ただ何気なく零れた言葉だったが、それは美亜自身も意識していない、心の奥から湧き上がる本当の願いだったのかもしれない。
「ホントに、な……」
それは、ある夏間近な、よく晴れた日曜日。
二人がまだ、未来を信じていた頃の、淡い思い出。
◇◇◇◇◇
ある秋の日。
僚は、もう半年も通っていなかった交差点へ足を向けていた。
いつもの交差点。
いつものように待っていてくれた、幼馴染の少女。
6歳の時に両親を亡くし、養護施設にやって来た美亜。
産まれてすぐに捨てられ、養護施設で家族を知らずに育った僚にとって、彼女は世界で最も大切な存在だった。
17歳で一つ年上だった美亜は今年の春、18歳の誕生日を迎える事なく、たった一人で逝ってしまった。
それから半年以上が過ぎた今でも僚は現実を受け入れる事が出来ず、だから意識してこの道を通らなかった。
交差点には信号待ちの学生たちがいて、楽しそうにお喋りをしている。
「美亜と同じ制服か…」
その四人のグループは、この近くにある県内でも有名な進学校の生徒らしかった。
背の高い男子一人にあとは女子が三人。
「去年の今頃は、美亜もこんな風に友だちと笑ってたんだよな……」
僚は、胸のポケットからローズクォーツのネックレスを取り出し、じっと見つめた。
何かある度に繰り返し思い出すあの日の出来事は、いつまでも色褪せる事なく僚の心に刻まれている。
もう二度と取り戻す事のできない、永久に失われてしまった二人の時間。
僚は、目を閉じてぎこちない笑みを浮かべ、ネックレスをポケットに戻した。
そして、何気なく交差点の先に目をやった時。
僚は信じがたい光景に息を飲む。
横断歩道の向こう側に、もうこの世にいないはずの美亜が一人で佇み、小さく手を振って笑っていたのだ。
「うそ、だろ……」
あり得ない事だと分かっている、半年前に亡くなった美亜がここにいるはずがない。見えるはずがない。
だが、たとえ幻でも話がしたい、声が聴きたい。
そう強く願ったとき、美亜の口元が僅かに動いた。
〝僚ちゃん。私を、探して〟
はっきりと、だが耳ではなく頭の中に直接響いた懐かしい声。
「探す……? 美亜、どういう意味だ……」
美亜はきらきらと笑うだけで、何も答えてはくれない。
僚が目を擦って見直した時、おぼろげなその姿はもう何処にもなかった。
「美亜……」
美亜の消えた横断歩道の先を見つめ、僚は思わずその名前を声に出してしまう。
「ん?」
一番後ろの女子生徒が、その声に気付いて振り返った。
「……いま……?」
「あっ、いや、ごめんっ」
別に逃げる必要も無かったのだが、気不味さに耐えきれず僚は今来た道を駆け出す。
そして、丁度五歩目を踏み出した時。
「うわっ」
周りの一切の音が消え、身体が宙に浮かんだまま固定された様に動かなくなる。
全ての時が止まり、自分の思考だけが進む世界。
「なんだ、これ……」
その直後、目を開けて居られない程の光が身体を包む。
いや、包まれるというより投げ出されるといった感覚に近い。
「うっ」
熱くも冷たくも無い。が、目を閉じていても身体全体でかんじる、息が詰まる程の光の圧力。
堕ちているのか昇っているのかさえ分からない浮遊感。
「くっそ、どうなってるんだ」
僚は、唸る様に声をあげる。
そして、身体に感じていた圧力が唐突に消える。それと同時に浮遊感も無くなり、身体を支えきれずに冷たい床に尻餅をついた。
「冷たい? ……」
今は10月、夕方とはいえアスファルトは日中の日の光で温められ、かなりの温度になっているはずだ。
僚はゆっくりと目を開き床を見下ろす。
「大理石?」
いつか行った美術館のものに似た、白く艶のある床材。
周りに目をやると、そこはかなりの広さがあるホールのような造りで、壁も床も同じ石材が使われているようだった。
少し薄暗いのは、目が慣れていないせいでもあるだろう。
「ようこそおいで下さいました」
透き通る様な女性の声が、広いホールに響いた。




