祖父が死んだ日
母方の祖父が死んだ。
愛知県安城市でのこと。
母方の祖父である「安城じいちゃん」は数年前から肺を患っていた。タバコが好きだったから原因はそれだ。一度危険な状態から退院した後は、酸素ボンベを転がしながら生活しており、一緒に生活していた家族は大変だっただろうと思う。介護に当たった祖母「安城ばあちゃん」はふくよかだった体がすっかり小さくなっていた。
私自身は通夜、葬儀に参加したことはそれほど多くないが、参列してくれた人は多かったと思う。席はすべて埋まり、立ったまま参列する方も多かった。祖父の人柄が忍のばれる。
坊さんは
「大変な時代を生き抜いてくれました。ただ”お疲れ様でした”と言いたい」
と、言った。参列者はみんな頷いて聞いていた。
通夜が終わり、精進落とし
祖父の孫に当たる男は私の兄真也、真也の1歳年下で従兄弟の亮介、私真彦の三人である。
寝ずの番を誰がやるかを話し合っていた。
やんわりと亮介に役目を譲る。
亮介は久しぶりにあった私とサシで飲みたかったらしいが、亮介の姉、私の従兄弟の寛子に
「真彦は朝早くから埼玉出てきたで、無理言っちゃあかんよ」
の一言で渋々受け入れたのだった。翌朝、私の叔父(亮介の父)は、空っぽの大瓶に囲まれて高いびきの亮介を見ることになる。
会場の安城から父方祖母、豊田の家に戻る道すがら、
「じいちゃん戦後シベリアで捕虜だったんだろ?」
と兄の真也に話しかけた。
「詳しいことは知らん。母さんに聞いてみろ」
「じいちゃん死んで母さんもいそがしいだろ」
何気なくした会話のつもりだったが兄は母にきいてみたらしい。
出棺。
身長180cmの真也と亮介二人で充分なほど、祖父の体は小さかった。
焼き場が終わると、更に小さな骨壷に収まるのが、無性に切なかった。
自宅埼玉に戻った数日後、母が一冊の本のを持ってきた。
「安城じいちゃんのこと知りたいんでしょ?これ読んだら?じいちゃん自費出版でシベリアのこと出しとったから」
題名は『私の捕虜日記』
私は手に取り、ゆっくりページをめくった。