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Cold Hearted  作者: 花井有人
6/7

Affection

 七月二十八日、夕闇の時刻。

 俺は車を走らせていた。この辺りは閑静な住宅地で日が沈み始めると街頭も少ないため、非常に暗い。それでいて入り組んだ路面は住宅地の迷路のようになっているのだ。

「ち、ちくしょう。なんなんだよ! クソがァ!」

 当たりは虫の鳴き声がジージーとうるさいが、追ってくるような人の気配はない。

 この暗闇ならうまくまけただろうか?


 周囲を見回しても何もいない。近くにガランとした駐車場を見つけた。

 俺はひとまず、車を入れ呼吸を整えた。

 なぜこんなことになったのだ。

 俺はただ、飼い主とネコを再会させたいだけなのに。



 数時間前。


 俺はいかにして、消えた黒猫を見つけようか悩んでいた。

 頼りになるかと考えていたペット探偵はまるで役に立ちそうになかった。

 それどころか、彼らはペットを探すことよりも、ペット殺しの犯人を捜しているようだった。


 夕食代わりのおにぎりをパクついてから、車に乗り込んだ。

 最近買ったばかりのレクサスだ。

 車を発進させて、黒猫の死体があったところまで向かう。


 その途中、電話に着信があった。

 見知らぬ番号だと思ったが、気が付いた。昨日のペット探偵の電話番号だ。

 車を走らせながら、駐車できるところを探す。


 路肩にちょっとした空間があった。そこに車を入れ、エンジンを切ってから電話に出た。


「もしもし。山田です」

「すみません、お忙しい時間に。今お時間大丈夫ですか?」

 電話の向こうの女性、確か島村美音とか言ったか。こちらがなかなか電話にでないので、間が悪かったと思ったのだろう。

「いえ、大丈夫です。どうされましたか?」

「実は、ネコが見つかったんです。それでお知らせしようと思いました」

 なんだって?! 思わずシートから腰が浮いた。

「どこですか? すぐ向かいます」

「街外れに廃工場があるのは知っていますか? そこでお会いしましょう」

 妙なところで待ち合わせるなと考えたが、もしかしたら、その廃工場でネコが見つかったのかもしれない。

 廃工場はバイパス線を折れて上った坂の上にある。

 バイパス線まで車を走らせ、近場に本屋を見つけたので駐車場に車を入れてから、徒歩で工場まで向かうことにした。

 廃工場の周囲は鉄板が張り巡らされ、侵入を拒んでいた。正面の入り口ゲートは鉄板でふさがっておらず、背の高いフェンスにカギをかけている様子だった。

 フェンスから工場内が伺える。

 まず手前には立て看板が置いてあり、『売り地』と大きく書いたあったが、その文字の上から黒のスプレー缶で『天地魔卍参上』と書きなぐれていた。

 書いた人間はかなりアホなのだろうと率直に感じた。


 正面は駐車場が広がっていて、工場が動いていた時期はここに従業員が駐車していたのだろう。

 今は何も停まっていないし、目に付くのは茂った雑草と、ビニール袋や空のペットボトル、空き缶などのゴミだった。

 奥は工場の建物があり、これまた激しくスプレー缶によって汚されていた。なぞの記号やら文字やらが見える。

 壁面には生い茂った蔦上の植物が絡まっていて、まるで古代文明の遺産のように彩っている。


 ここからは入れない。どうやって中に入るのだろう。様子を伺う限り、どうもバカ共が度々入り込んでいる場所のようだが。


 入り口で様子を伺っていると、昨日の探偵助手が工場の左手沿いの道路から顔を出してきた。

「呼び出してしまってすみません。昨日、かなり急を要していらっしゃったので、こちらも早く知らせなくてはと思って」

 島村はそう切り出してから、「こちらです」と、工場の左手側へ案内した。

 左手側の工場はガードレールに面していて、そこは鉄板で塞がれておらず、ガードレールを乗り越えるだけで中に入ることができた。

 もっとも、ガードレールから工場までは生い茂った雑草によって阻まれていて、常識のある人間なら、立ち入ろうとは思わないだろう。

「この中ですか?」

 俺は島村にガードレールを乗り越えて行くのか? と少し眉を寄せて質問した。

 できれば、こんなところには足を踏み入れたくないものだが、島村は頷いた。

「昨日、あれから情報を集め回りました。これは、企業秘密なんですが、情報を提供してくれた方がいまして。それでこの場所だと分かったんです」

 情報提供者が、ここにネコの死体があると言ったのか。

 こんなところに立ち入る情報提供者というのは、どういう人物だろう。やはり、不良とよばれる部類の人間か。

「では、行きましょう」

 島村は当然のようにガードレールを跨いで、茂みの中を進み始めた。

 少し気後れしたが、女性がこうもズカズカと中へ踏み込んでいくのに、男の俺がしり込みするのもどうかと考え、ガードレールを乗り越えた。

 雑草のジャングルには、虫が潜むようで不快であった。下り坂になっていて、足を取られるように下っていく。


 やがて靴が硬いものを踏み、アスファルトで整地された駐車場に辿り着いた。

 島村は駐車場をそのまま歩いていき、建物の方へ進んでいく。

 こちらも、建物の入り口まで、島村の後姿を眺めながら付いて行く流れになった。

「この中の三階です。ついてきてください」

 島村はすっかり荒れた工場の入り口のドアを開き入っていく。ドアを見ると、カギが壊されていた。これも不良がやったのだろうか。

 建物の中は電気などは勿論ついていないが、窓があるために、日差しが差し込み、明るく感じた。しかし、もうすぐ日も落ちそうだ。すぐにこの建物は闇に飲まれそうだなと想像した。

 外側には螺旋階段があり、一階から三階までそれで移動できるようだが、螺旋階段へのドアは開かないらしい。

 建物内の階段を普通に上っていく。

 一階につき、部屋は四つあるようで、それぞれがかつてなんらかの作業で使われていたのだろう。

 今となっては何があったのか分からない。ただの空虚で汚れた部屋だった。


 階段を上っていく途中に島村が話しかけてきた。

「今日も暑いですね」

「そうですね、夏真っ盛りですね。参ります」

「私、夏って少しニガテで。ほら、見てください。汗がこんなに」

 島村は自分の前髪を持ち上げて、俺に額を見せ付けてきた。

 小さな額に、じっとりと汗がにじんでいて、前髪が少し張り付いていた。

「ああ、僕も暑いのはニガテです。秋が待ち遠しいですね」

「そうでしたか、山田さんは暑いのは平気なのかと思っていました」

「そんなことはないですよ。私もほら、汗だくです」

 俺は右手に浮かぶ汗を見せ付けるように腕を折り曲げた。

「本当ですね」

 島村はこちらの腕を眺めてから、ひとつ間を置き、

「まずこれを見てもらいたいのですが」と、ポケットからスマホを取り出し、こちらに突きつけてきた。

「ご覧ください。このネコで間違いありませんか」

 画面には、黒猫が血みどろで横たわっている写真が映しだされていた。

 雷鳴に撃たれた様にビクンと一度跳ねた心臓は、ドクドクという音が外に漏れそうなほどだった。

 間違いない、このネコは消えた黒猫だ。

「そうです、間違いない。このネコです! これはどこで?」

「写真の場所はこの廃工場だと言う事が分かりました」

「誰が、この写真を?」

「それは申し上げることが出来ません」

 この写真を撮った人物こそ、この黒猫を持ち去った人物ではないか。なんて酷い事をする奴だと歯噛みした。

 申し上げることが出来ないと言うことは、この島村は写真の主を知っているのだろう。どうにか聞き出せないものだろうか。

「この写真の現場まで案内しますから、このまま付いて来てください」

 そして、島村は階段を上り始める。

 俺は逸る気持ちを抑え、島村に続く。早く駆け上れと急かしたかった。

「ところで、山田さん。どうして、このネコで間違いないと思ったんですか」

 突拍子もない質問に、俺は「は?」とマヌケな声を出した。

「このネコってどのネコなんでしょう」

 ……何を言っているんだ、コイツは。


「だから、私が土曜の夜に見かけたネコです。探して欲しいとお願いしたネコです」

「では、その土曜の夜に見かけたネコは、このネコで間違いありませんか」

 またスマホを突き出してきた。そこに写っていたのは、迷いネコのポスターだった。

「そうです、昨日もそうお話しましたよね」

 島村は頷いて、足を止めた。いつの間にか、三階まで上ってきていた。

「部屋はこちらです」と通路を進みだす。

 二つ部屋を過ぎた手前の通路で島村は停止した。

 そして、こちらに向き直り、真っ直ぐに眼差しをぶつけてきた。



「おかしいなと気付いたんです」

 島村はゆっくりと切り出した。

「あなたが事務所を訪れた時、コンビニのバイトが済んで急いで駆けつけてきた様子でした。息を切らせて、ぜえぜえと肩で呼吸していましたね」

 島村は確かめるような眼を送ってきたが、こっちは何も返さなかった。

「しかし、この暑い中、全力で駆けつけてきたのなら、汗を掻いていないとおかしいんです。しかし、あの時あなたはぜえぜえと息継ぐ割には、汗を掻いていませんでした」

 彼女は少し間を置いた。こちらの反応を待ったのかもしれない。俺はそこも無言で対応した。

「そこで考えたのは、あなたは走って駆けつけたのではなく、車で駆けつけたのではないか、と」

 彼女の頬に夕焼けが当たる。陰影が表情を隠す。彼女から見た俺はどんな表情なのだろう。

「では、なぜ、走ってやってきたように演出したんでしょうか」

 夕闇が迫る。日は紅く染まり、周囲はどこか不思議な空間と重なり合っているような不安定さを醸し出し始めた。

 タソガレ、とはよく言ったものだ。

「あの時、私と先生はとある推理を事務所で行っていました。犯人は、車を持っているのではないか、という推理です」

 島村の眼光が煌めいたように見えた。それは沈む夕日が見せた演出だったのだろう。俺はそんな彼女の顔をじっくりと眺めていた。彼女は、その眼に強い意志を滲ませ、回答しろと訴えている様子だった。

「あなたは、その会話を聞いていたのではありませんか? そして、走ってきたように演技をしてみせた。自分は車を持っていないのだという刷り込みを行おうとしたんです」

「だからなんだって言うんですか。私がペット殺しの犯人だとでも? 汗を掻いてなかったから? 車を持っている事をごまかしたから?」

 俺はバカバカしいと噴笑し、愚かな戯言だと嘲った。

「もちろん、それだけで疑うわけではありません。しかし、私達に変だと思わせたのはそれがきっかけだったんです」

 もはや夕日は彼女の顔を照らしてはいなかった。闇の時刻がやってきた。二人の影が闇に雑じっていく。

「だから、聞いたんです。どうして、間違いないと思ったんですか」

「何を言ってるんだ」

「あなたは昨日、事務所でこう言いました『今日このポスターを見て、あの時の死んでたネコだって思い出した』と」

「何もおかしい事はないだろう」

「いえ……おかしいんです」

 ポスターの画像を見せながら、彼女は静かに言う。

「土曜日に、あなたがネコの死体を見つけたとき、死体を良く見たんですか?」

 何かを確かめるように、彼女は質問してきた。俺は意図を読めずに、悩みながらも返答した。

「な、なにを? ネコの死体なんて気持ち悪いから、そんなにしっかりとは見てないさ」

「そうですか。ではその土曜日のネコ、首輪は着けていましたか?」

 !?…………。くびわ……? 首輪、だと?

「首輪は……つけていなかった」

「ええ、首輪は土曜日よりも前に、ある人物によって回収されています」

「……!」

 こいつは、すでに手札が揃っているのだ。その手札で俺と勝負し、勝てると思っている。その上で追い込もうとしているのだ。生意気にも、女が俺を。

「あなたは、ポスターを見て、あの時の死んだネコだと、どうやって判別したんですか? ネコの特徴は、青い首輪でした。あなたの見たネコは首輪を着けていなかった。どこで判断したんですか。あの時のネコだと」

「そ、それは写真の特徴と、死体のネコが一致して」

「あなたは、ネコを気持ち悪いという理由できちんと観察していないはずです」

 ピシャリと言いのけた。

「あなたは、知っていたんです。土曜日のネコの死体が青い首輪を着けていたことを」

「そ、それは、黒猫なんてどれも同じに見えたんだ。だから、ポスターを見て、あの時のネコかもしれないと連想しただけさ」

 なんなんだこの女は、勝手なリクツばかりをこね回し、動揺を誘っているつもりなのか。段々と腹が立ってきた。

「連想しただけで、わざわざ探偵事務所のドアを叩くほどの行動力は、かなり特殊だと思いますが」

「それは罪悪感のためで」

「話を少し変えましょう。今回のペット殺しの犯人は、どうして飼い主の家の傍に遺棄しているのでしょうか。どうせならば、遠くの山奥だとか、人目につかない場所に捨てれば、事件の発覚が防げて犯行は行いやすい」

 島村はこちらを見下している。物分りの悪い生徒に教える教師のように、お前が下なのだと優位に立って調子に乗っているのだ。

「犯人の心境など分からないな、俺は犯人じゃない」

「犯人は、事件の発覚が目的だったんですよ」

 島村は簡明に述べた。


「はぁ? なんだそれは」

 突然の飛躍した結論にまともに話を聞いてやっていた俺は相手をするだけ無駄ではないかと思い始めてきた。

「犯人の目的は、()()()()()()()()()()()()()()です」

「……ッ!」

 血が凍る感覚だった。冷たいものが全身を走り回るような。血管の中を異物が流れるような。不快感だった。

「あなたは、こうも言いました。『めぐり合わせてやりたいだけ』だと。それが真意であり、目的だったんです。ペット殺しの目的はペットを殺すことじゃない。死んだペットと飼い主の涙の再会が、目的だったんです」

 島村の言葉はずしりとした質量を感じさせる力を持っていた。俺は身体を押しつぶされたように錯覚し、一歩足を引いた。

「あなたが、ペット殺しですね。山田博さん」

 闇の中の島村の瞳がなぜか、くっきりと浮かんで見えたようだった。

「……ハハハ。名誉毀損で訴えられたいのかな」

「この推理が外れているなら受けましょう。しかし、警察が調査すれば、あなたの周囲の物から証拠は見つかるはずです」

 一切退かない。踏み込み、距離を詰め、攻撃射程内へ追い詰めるような島村のプレッシャーは、昨日見たただの探偵助手の女ではなかった。

「例えば、あなたの車から、動物の毛が見つかるかもしれないし、あなたの自宅で動物の血の痕跡が見つかるかもしれません」

 観念するよりない、ここがチェックメイトのようだった。

「…………まいったね。じゃあ、ここに呼び出すのはその話を聞かせるためかな」

「それもありますが、ネコの死体がここにあったのは本当です。さっきの写真は本物ですから」

「だったら! 早く飼い主にその死体を届けてやってよ! 俺に見せてくれ! 涙の感動の再会を!」

 もはや、気取ることを忘れた俺は感情が噴出してきた。俺の目的をめちゃくちゃにした全てをぐちゃぐちゃにしてやりたかった。

「それはできません。ネコの死体はもう、焼却されています」

「なんだとお!? 勝手なことを誰がしたッ!?」

 獣のように島村に掴みかかる。島村の胸元を押さえつけ、首を腕で圧迫する。

「勝手なこと……? あなたが言えた事ですか!」

 島村はかすれる声で生意気に抗議する。

「お前の顔を見たとき、同類だと思ったんだがな。お前も、ペットとの死別を経験しているだろう」

「……!」

 とたんに、島村の表情が崩れた。弱い女の顔だ。瞳に滲んだその色は俺の大好物の死別の悲しみの色だ。

 島村の表情に俺はゾクゾクとし、思わず涙が零れてしまった。感涙したのだ。可哀相に、可哀相に……!

「図星って顔したな。俺もそうだ。産まれた時からずっと一緒だった犬が俺が中学の時、死んだんだ。その時の胸を締め付けられる思いは忘れられない」

 俺は泣きながら島村をギリギリと絞める。

「その気持ちがあってなんで、こんなことを……ッ」

 島村はその俺の涙をどう感じたのかしらないが、目じりに涙を浮かべて、苦しみながらもやはり生意気に抗議してくる。

「その気持ちがあったからだ。もう一度、あの感動を味わいたいのさ! 俺が唯一涙を流せる最高のストレス発散なのさ」

「私はッ……あなたと、同じじゃない……! 確かに、私がこの仕事に興味を持ったきっかけは、ペットと飼い主の再会だった。それは同じかもしれない。でも、私は飼い主とペットの喜ぶ姿がみたいからですっ!」

「はは、まぁいいさ。そこまで言うなら、俺も刑罰を受けてもいい。まぁどうせ、大した罪には問われない。精々数年大人しくしておけばまた出てこられる。ペットってのは、モノだからな」



 モノ。そう愛玩動物は人間のための玩具だ。

「あなたには、愛情がないんですか……」

「あるさ! 俺は俺の快楽に従順に愛情を注いでいるよッ」

「ないね」

 突然、通路奥の部屋から声が響いた。女の声に聞こえたが、抑揚を感じないどこか気持ちの悪い声だった。

 それには島村も驚いたらしい。思わず、部屋のほうへ視線を送った。

 そこには、白いパーカーの少女がたたずんでいた。その少女を見て、ハッとした。フードをかぶったその顔は知った顔だったからだ。そう、あのポスターを貼らせて欲しいと店に来た女子高生だった。

「お、おまえ……、ネコの……、ネコとは……どうなって?」

「ネコは私が処分した」

「な、なに……。なんでそんなに、超然としているんだ……ッ?」

「私は<フレーメン>。<コルドハーテッド>、お前の抹消が目的だ」

 言うと、信じられない動きで、急接近してきた少女は俺の横腹に鋭い蹴りを突き刺した。

 島村は俺の拘束から離れ、その場でへたり込んで咳き込む。

「グッ!? な、なんだ? ペットを殺された復讐のつもりか!」

 胃を揺さぶられたせいなのか、俺は吐き気と横腹の痛みに、もだえていた。

「私には、復讐の動機はない。お前が世界にとって、無用の長物であるがゆえ、除去するためにやってきた」

「せ、世界に不要だ? 偉そうにガキがくっちゃべってんじゃあないぜ」

「世界とは自分に見える全てを指す。世界にとってそもそも人間は不要であるが、絶滅させるには忍びないので生存の条件を与えた。それが社会の能力だ。条件は単純だ。愛情を持っていること」

 白パーカーは直立不動で、苦しむ俺を見下ろす。お前は世の中に必要なし、とその辺りに転がる空き瓶に向けるような眼を俺に投げていた。

「極悪人でも、自分の子供には優しい親でいるように、愛情は犯行とは関係しない」

 淡々した口調で白パーカーの語りは続く。相手は女子高生だ、そして丸腰。さらには、棒立ちのような状態であるにも拘わらずスキを感じさせなかった。

「社会にはその愛情を持たない人間が生まれ始めた。それを我らは<コルドハーテッド>と呼んでいる」



 俺ははぁーはぁーと、痛みを体から吐き出そうと荒い息を継ぎながら、敵を凝視する。嫌な汗が止まらない。

「この街にいる<コルドハーテッド>の駆除のため、数ヶ月前から<フレーメン>は活動した。お前は一度検査対象に加わったが、お前がペットの再会に涙を流しているのを見て、我らはその判断にノイズを走らせてしまった。しかし、お前の涙と飼い主の涙を比べて、やはり理解した。お前の涙は、ただのストレス発散でしかなかったのだ。人間のメカニズムに振り回されたが、『ペトロニウス』『ニイヤマ』『夏目』により、データ検証も済んだ。お前が<コルドハーテッド>だ」

 理解の範疇を超えている。

 しかし、何かやばいという、生命の危機を感じ取った。相手は丸腰の少女だというのに、近づかれたら殺されるという本能的な危機感にカチカチと奥歯が鳴った。

 少女がまた詰め寄ってきた。しかし俺はそこを狙っていた。いつもペット殺しの時に使っていたナイフを懐から抜き、突こうとした。

 その刹那、まるでネコのようにしなやかに身体をひねり、その回転を利用し、踵を俺の横ひざにぶつけてきた。回し蹴りの形になったが、蹴られた俺からすると、何をされたのか一瞬分からなかった。

「ぐうッ」

 脚に激痛が走るが、そこで崩れては動けなくなると悟った俺は、倒れこむように少女の脇をすり抜け、目標を捕らえた。

 そいつは、さっきから呆気に取られていた島村だった。

 島村を羽交い絞めにしながら、首元へナイフを押し付ける。


「良く分からないが、大人しくしてもらおうか……ッ。お前が動けばコイツのノドに穴が開くぞ……!」

 島村が息を呑むのを感じた。しかし、白パーカーの少女の方は表情を変えなかった。ただ、動きは止まった。無言だ。


「フッ。ようし、そこで大人しくしろ。俺はもう警察へ出頭する。それで事件はおしまいだ。いいな、おじょうちゃん」

「逃がしはしない」

 白パーカーが動こうとした瞬間、島村がこちらを睨みつけて言ってきた。

「待ちなさい。山田博さん、あなたは私を殺すつもりなんですか?」

 島村が気丈に振舞う。

「お前はバカか? 大人しくしてれば殺さないさ」

「そうです、あなたは私を殺さない。人殺しは大きな罪になるからです」

「何ィ?」

 島村はその睨みつけてきた眼を揺るがすことなく、どこかこちらを哀れむように続ける。

「私、最初はあなたに自首を勧めるつもりでここに呼び出しました。更正してほしいと思ったからです。私に何かあれば、すぐに彩城先生が警察に連絡するようになっています。今も、すぐ傍で様子を伺っていますから」

「そんなことだろうと思ったよ」

「最初は先生があなたに自首を勧める役をすると言いましたが、無理を言って私がこちらの役目に就かせてもらいました」

 どうせならば、さっさと警察が来てくれた方がこちらとしては助かる。あの探偵のおっさんはまだ通報していないのか?

「ペトロニウスを殺した……ピートを殺したあなたと直接、話したかった。……ねえ、あなたはネコを殺すときに何にも思わなかったんですか? 命を奪う事に何も感じないんですか?ほんとうに、愛情がないんですか?」

 ネコを殺す事にどれほどの意味があるんだ。俺はネコを殺したいわけじゃない。ただ、感動のお別れを愉しみたかっただけだ。

「ネコを殺すときは別に何も考えてなかった。コンビニでレジ打ちしてる気分だった。三百十八円になりまーすって気分だったよ」

 その言葉で島村はこちらに向けた瞳をそらし、うつむきながら声を落とした。

「……刑罰を受けることすら……気にしていないんですか」

「そりゃあ、三、四年年間はつまんない生活をすることになると思うと、嫌な気分だけど、それはもうしょうがない。バレちゃったんだからさ。悪い子には罰を与えないとね」

 俺だっていつかはバレるだろうなあと考えていたのだ、それが思った以上にバレなかったんで、得した気分だった。

「それにどうせ、つまんない社会だ。刑務所で過ごす五年も、シャバで暮らす五年も対して変わらない」

 島村はさめざめと泣いた。

 少女のほうは動かない。


「さて、俺はこのまま一度逃げさせてもらうが、邪魔はしないでくれよ」

 少女へ威嚇するように、ナイフを見せ付けてやる。

 その時、押さえ込んでいた島村が、すうっと息を吸い込んだように感じた。実際は何かをボソリと呟いたのだ。

「あ?」

「社会がつまらないんじゃない。あなたがつまらないんです」

 俺はナイフをもう一度首筋へ突きつけ、荒々しく髪を掴み、喉をナイフへ押し付けさせた。

「挑発のつもりだろうが、安いボキャブラリーだな。どこのドラマの台詞だ」

「ペット殺しの罪で軽いのなら、人殺しとして罪を償いなさい」

 一瞬のことだった。その島村の眼は凄みがあった。命を懸けた、懸命に生きる動物の目をしていた。俺が殺したペットらの最期の目だ。

 島村は自分からナイフへ首を向け、突き刺そうと動いたのだ。

「ばかやろうッ!」

 俺はナイフを引っ込めようとした瞬間に、少女が動いた。

「ッ」

 壁を跳ね、予測不可能な軌道で裏に回りこまれ、腕に蹴りを入れてきた。ナイフを持つ手がしびれ、取り落とす。

「あぅぐッ」

 島村は、その場に前のめりに倒れこむが、転がってきたナイフをすぐに拾い上げた。

 ちくしょう、俺はどうにか、警察に逃げ込む必要がある。

 この少女からは、明確な殺気を感じる。是が非でも俺を殺すという意思と行動力を感じる。俺は法の下で、刑罰を受けるのだ。殺されてたまるか。それもこんなイカれた小娘に!


 俺は奥の非常トビラに目をつけた。あの先は螺旋階段があるはずだ。

 入り口の鍵を見た所、かなり古い鍵だし老朽も激しそうだ。もしかしたら、あそこから逃げ出せるかもしれない。


 問題は、そのトビラに通じる通路に、今その少女がたたずんでいる事だ。

 ほぼ、ノーモーションから動き、その異常な瞬発力。

 どうやってあれを突破すればいいのか。


「橘田さん!!」

 突如響いた声に、周囲の注目は、島村が倒れている階段付近にそそがれた。

 声の主は少年だった。随分と幼く見える。中学生に上がりたてくらいだろうか。

 その時、チャンスが訪れた。

 その少年の声を聞いた白パーカーの少女が完全に動きを止めていたのだ。それどころか、先ほどまで感じていた殺意が消えうせ、呆然と立ち尽くし、ずいぶんと驚愕しているようだった。

 これまで一切表情を変えなかった少女が見せたスキは俺が逃げるに十分すぎた。


 そのまま俺は痛む膝に鞭打ち、全力で非常口へ走った。勢いのままにドアを押し開くと、鈍い衝撃とともに、扉は開き熱帯夜の不快な空気が肌に感じだれた。

 島村は慌てた様子だったが、白パーカーの少女はまるで状況が分からないといった様子で挙動不審に陥っていた。


 俺はそのまま螺旋階段を駆け下り、途中からは一気に飛び降りた。雑草のジャングルを駆け上がり、ガードレールをくぐりぬける。


 逃走はうまく行ったのだ。

 ひとまず車まで走り、汗だくの額をぬぐう余裕もなく、車のエンジンをかけたのだった。



 しばらく、車を走らせた。どこに向かうというわけでもない。

 ともかく、今は人目のつかないところへ逃げ込みたかった。独りになり、集中したかったのだ。

 それほど、いま起こった事件は俺の精神をめちゃくちゃに乱した。とてつもなく腹を立て、イライラとしていた。


 空いた駐車場を見つけたので車を停車させ、一息つく。

 時計を見ると、日付が変わる少し前だった。

 どうも、ここは病院の第三駐車場らしい。病院からは少々距離があり、あまり人が利用しないのだろう。ガランとした駐車場の周囲は貯水池があり、反対側はこれまた閑静な住宅地となっていた。

 駐車場隅に自動販売機が設置されていたので、飲み物を買おうとサイフを掴んで車から出た。

 自動販売機でウーロン茶を買い、その場でキャップを開けようとした時に、男から声をかけられた。


「こんばんは」

 俺はすぐに身構えた。

 男は二十台ほどで整った顔立ちをしていた。服装はずいぶんラフでこの辺りに住んでいる住人のように見えた。

 こちらが様子を伺っていると、「すまないけど、私も飲み物を買いたいんだけど」と自販機を指差す。

 チッ、なんだよ脅かすなクソったれ。

 俺はその場から立ち退こうと動いた。男は自販機に向かいながら、腰の鞄からサイフを取り出していた。

 俺はさっさと車に向かおうとしていたが、「オヤ? コレ、あなたのですか?」と言う言葉に振り向く。


 男がそう言って俺に見せびらかしたのは青い首輪だった。

「そ、それはッ!」

「ああ、やっぱり。あなたがペット殺し?」

 こいつも、俺を知っているのか!?

「な、なんだお前は!?」

「タレコミ屋です」

「た、タレコミ?」

 聴きなれない言葉に思わず聞き返してしまった。

「あの黒猫の死体の写真を探偵に提供した者だと言えばお分かりかな?」

 タレコミ野郎は、ニヤニヤと笑う。こいつが、再会を壊したのだ。

 こいつが。こいつが! こいつがッ! こいつがァ~~~!!

「てめえが余計なマネをしやがったから、再会のシーンが台無しになったんだぞ、貴様ァァァァァ!!」

「フン、予想通りの人間像だな。典型的なサイコパスだ」

「返せ、ネコを返せ!」

 一秒でも早く、飼い主の下へペットを返すべきだ。俺は当たり前の事をしているだけだ。

「残念ながら、ネコの死体はもう影も形も残ってない」

「貴様がやったんだろうがあああ!」

「いやいや、俺じゃあない。『ペトロニウス』がやったんだ」

 ペトロニウス……。そういえばさっきも名前が出てきた気がする。だがもう俺はそんな些細な事はどうでもよくなっていた。

「俺が持っているのはこの首輪だけ」

 タレコミ野郎が、人差し指でくるくると青い首輪を回転させる。

「それをよこせ! それだけでも、飼い主に届けてやる! 首輪だけのペットの帰還というのも、悪くない」

「ほら、どうぞ」

 タレコミ野郎がこっちへ投げてよこす。俺はそれに飛びつく。やっと手に入れたのだ。飼い主とペットをつなぐもの! これがあれば、飼い主は涙を流してくれる。

「くそう、待ってろよ。俺が必ず再会させてやるからなァ」

「警察に出頭はしないのか」

「それは、この首輪を届けてからだ!」

「だったらお前はやはり、ここで死ぬ」

 男は言い放った。

 後ろに気配を感じた。女だった。さきほどの少女でもない。

 まったく知らない女だ。だが、感じた殺気はさきほどの白パーカーと同じだと思った。

「お、お前も<フレーメン>とか言うやつらの仲間か!?」

「そうだ。私は『ニイヤマ』だ」

「ヒッ」

 持っていたペットボトルを投げつける。あっさりとかわされた。

「なんなんだ、お前はァ!?」

「我らは社会。<パブリック>のスイーパー。名前は<フレーメン>」

「パブリック……? スイーパー?」

「名前をつけるのは、愛情表現だそうだ」

 男が言う。

「くそ、黙れよキチガイどもが!」

 女はゆっくりと近づいてくる。

 動けない。恐怖とプレッシャーだ。蛇に睨まれた蛙という言葉を実感した。

「や、やめろ、何をするんだ。よせ。おい、やめさせろ!!」

 タレコミ屋とかいう男に叫ぶ。

「俺としては『夏目』にやって欲しかったんだが、『ニイヤマ』でもいいか。白いネコでも、黒いネコでも、鼠を獲るネコがいいネコだ」

「何を言っているんだァーッ!! やめさせろと言っているんだぞッ!」

「一応、言わせて貰うがね。俺も夏目にはそれなりに愛着があったんだ。お前にはそのくらいの苦しみは味わって欲しいと願っている」

「ちきしょうがぁ~~~~!」

 すぐ傍に女の影を感じた。

 女は眼と鼻の先にいた。それは例えや表現ではなく、そのままの意味で。

 女は俺に唇を重ねた。

 唾液を流し込まれたような感じを受け、俺の意識はそこで終わった。

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