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Cold Hearted  作者: 花井有人
3/7

彩城ペット探偵事務所

 七月二十七日、水曜日。


 二件目の御宅を訪問し終えた時に、スマホに着信があった。

 画面には、彩城先生と表示されていた。通話をタップしてから、路肩に停めていた愛車のアルトへ歩き出す。


「やぁ、島村さん。そっちはどうかな」

 ぼんやりとした口調がスマホから聞こえてきた。

「今、二件目のお話を聞いたところです、これから三件目に向かいます」

「そうかそうか、順調かなぁ?」

 車のロックを解除して乗り込み、シートに腰かけた。むわっとした車の中から熱気を追い出すために冷房を最強にする。

「そうですね、やはり他人事ではないこともあって、思ったよりも協力してくれてます」

「そうか、良かったよ。僕が行くとなかなかうまく行かなくてねえ。やっぱりこういうのは女性のほうが向いているからねえ」

 私はそこでため息を吐き出した。

「……先生。一応、所長なんですから、しっかりしてください」

「痛いところ突くねー。わはは」

 私は頼りない上司のマイペースっぷりにこめかみを押さえ込んだ。

「先生のほうはどうなんですか? 情報屋に会うとか言ってたけど、そういうのって信用できるんですか?」

「信用できなきゃ不可能な商売だよ。いま、アポを取ったところだから、こっちも進展があり次第一報するよ」

「はい。とりあえず、十七時には一度事務所に戻ります」

「じゃあ、帰りにからあげ弁当を買ってきてくれない?」

「もう! ……分かりました。じゃ。切りますよ」

「はいはい~」

 私はスマホの通話を切り、カーホルダーにセットした。


 ボイス操作モードにして、スマホのナビアプリを立ち上げる。三件目の住所を述べ上げると、機械音声と共にナビが開始される。便利になったものだ。この機能のおかげで車に付いていたカーナビはもう使わなくなった。


 あまりに暑かったので顔をエアコンに近づけるとショートボブの髪が風でサラサラと心地よく揺れる。

「ふうっ……。よし、行きますか」

 車のエンジンを始動させ、私はアルトを走らせた。


 今、私こと島村美音は『ペット探偵』という仕事をしている。とは言っても探偵助手という役職になるが。


 私が所属する彩城ペット探偵事務所は私と先生の二人きりの小さな事務所だ。経営もギリギリの中、うまくやりくりをして依頼をこなしている。


 彩城先生は探偵というには、正直どこか抜けたところがあって、不安要素が大きい。

 しかし、その分仕事ぶりは丁寧であり、お客さんからの声に悪いものはない。

 もともと、仕事量が多い職場ではないのだが、最近は依頼が増えてきていた。


 それは最近多発している『ペット殺し』のせいだろう。

 ペットが居なくなった時に、殺されたのではと心配する飼い主が増えているようだった。

 そうは言っても、そもそも『ペット探偵』という職業があること自体、あまり認識がされていないうえ、調査料金と契約日数の話になると、そんなに高いのかと身を引かれることもある。



 数日前にも高校生の女の子が料金相談の電話をしてきたが、さすがに払える値段ではないと諦めてしまった。


 助けてやりたい気持ちはあれど、世知辛いかなこちらも商売なのだ。

 明日の食事も切り詰めて生活をしている身では、これ以上は安く出来ないというところまで提示するのが精一杯だった。

 ご両親にも相談してみてはと持ちかけてみたが、その後の連絡がないことから、両親の同意は得られなかったのかもしれない。


 そんな貧乏事務所に数日前に依頼主が現れた。

 木村慶子と名乗ったその婦人は、先月飼っていたペットを殺されたという。依頼内容はペット殺しの犯人を見つけて欲しい、というものだった。


 流石にその時、先生は「その依頼は受けることが出来ない」と断った。


 ペット探偵は、あくまで迷子のペットを探すのが仕事で、ペット殺しの犯人を捜すことは出来かねると説明をした。


 私も警察を頼ったほうが良いと木村婦人に説明をしたが、木村婦人はすでに警察には散々お願いをしていると涙ながらに訴えてきた。

 しかし、警察の対応はお世辞にも捜査を頑張っているというものではなく、それどころか、かなり投げやりな対応をされたそうだ。

 極め付けが「たとえ捕まえたところで、大した罪には問われないぞ」と言われたらしい。器物破損に愛護法が適応されても、四、五年もすれば出てこれると言われたそうだ。


 たしかにペットは人間ではない。適応される法律も軽い罪状になってしまうのはしかたないことだ。

 だけど、その時の木村婦人の涙と、

「あの子は確かに、ネコだけど、私の家族なの。娘だったのよ」という訴えに、私は胸が熱くなった。

 先生も、困った様子でどう応対するべきか悩んでいるようだった。

 木村婦人は、「お金なら払います」と良い、一日あたり十万円を提示してきた。

 経営難のこちらとしては、飛びつきたくなる料金だった。

 木村婦人の本気さが嫌でも伝わってきたし、私も先生も内心は協力してやりたいという気持ちだった。


 そこで先生は「料金は通常料金でかまわないので、こちらでできる範囲で、分かったデータを提供する」という提案をすることになった。

 木村婦人は、「かまいません。もし、何か協力できることや、費用なら上乗せはできるので、詳細なデータを集めて欲しい」ということで合意となった。


 そこで、私と先生は、まず事件の内容をきっちりと調べることから始めた。

 被害はどこであったのか、死体の発見場所、犯行時刻、ペットの種類などだ。

 先生は知り合いの探偵に情報を仕入れに行くと言い、事務所を離れ、私は被害者のお宅を回り、情報を集める。という捜査を開始した。


 事務所が空になるが、アポなしでウチの戸をたたく客はいないし、大体依頼があるときは、メールや電話で見積もり相談を行ってからになる。

 事務所は空になっていても問題ないのだ。事務所への電話は私の携帯電話に飛んでくる設定になっているし、自由に動き回れるのだった。


 現状は二件の被害者宅を訪問し、こちらの事情を告げると、思った以上に協力的になってくれた。みんな、気持ちは同じなのだろう。犯人が許せないのだ。


 信号が赤になったので、横断歩道前で停車した。

 ふと電柱にビニールにつつまれ貼ってあるポスターを発見した。黄色や赤、緑をふんだんに使っているせいで目に付いた。


 どうも、迷いネコのポスターのようだ。

 気になった私は、ハザードをつけてから、サイドブレーキを上げスマホを手に取り、車を降りた。そのままポスターへ駆け寄り、パシャリと写真を撮り、車に戻った。


 信号は青になり、車をしばらく走らせ、見つけたコンビニの駐車場に車を入れる。そこで、先ほど取った写真を開き、ポスターの内容を確認した。


 オスの黒猫、名前はニイヤマ。愛称はにゃーま。一週間前から行方不明……。連絡先は『橘田』と書いてある。


「……あれ、このネコ……」

 私はポスターの黒猫の写真をじっと見つめ、ポスターの特徴を読みながら記憶を探っていった。

「あ、たぶん間違いない……ピートだ」

 その黒猫は、自分のアパートの駐車場でたまに見かける黒猫だった。

 私はその黒猫に『ペトロニウス』と名前をつけていた。愛称は『ピート』だ。好きな小説にでてくるネコの名前から取った。


 駐車場で昼寝をしている黒猫に触りたくて、一度ちくわをエサにして釣ろうとした事がある。結果としては、ちくわを与えずとも自然に撫でさせてくれた。首輪もしているし、人間に慣れているのだろう。

 抱き上げて首輪をじっくり見てみたが、名前は書いてなかった。


 それから、休日にはちょくちょく駐車場を覗いてピートを撫でたりしていた。

 そのピートが……いや、にゃーまが行方不明になっているかもしれない。


 どうしても連想するのは、ペット殺しの被害にあっていないか、だ。

 スマホの画面に映るポスターの状態から、まだ貼られたばかりだろうと推測する。


 個人的にはこのポスターの製作者『橘田』さんに連絡を入れたいところだが、今は仕事中でもある。

 とりあえず、予定通りに被害者宅を回った後でも連絡を入れるのは遅くないだろうと考えた。



 それから全四件の被害者宅訪問を終えた。十六時になろうかという時刻だった。そろそろ事務所に帰って先生と情報の交換をしなくてはならない。


 話を伺った四件目の御宅はつい最近事件に遭ったばかりの前川さんだった。たしか数日前にTVのニュースで報道されていた。

 私は名刺を取り出し、ペット殺しの事を調べていると話すと、嫌な顔もせずに居間に上げてくれた。

 殺されたのはネコだった。やはり、部屋ネコではなく昼間などは外に放していたらしい。写真を見せてもらうと可愛らしいトラ猫だった。

 ネコが居なくなったのは七月七日。木曜日の七夕らしい。その後の七月十日の日曜日。家の近所で死体が発見された。発見したのは朝散歩をしていた近所の老人で付き合いもあったので、すぐうちのネコだと分かったと言う。

 ちなみに、一件目から四件目の家、それから木村婦人の家はそれぞれがかなり離れている。しかし、この街の中であることには代わりがないが。

 ネコの殺害方法はナイフのような刃物で刺し殺されていたそうだ。凶器自体は見つかっていない。

 犯人の心当たりはないか尋ねたが、まったくないと言う回答だった。

 大体、どこの御宅も似た状況だった。話して思い知ったが、ペットを殺された被害者の悲しみと怒りはかなりのものだった。

 そんなことは分かっているつもりだった。木村婦人から話を聞いた時だって、その想いは良く分かったつもりでいたし、私自身も同じ気持ちだと考えていた。

 しかし、この前川さんはまだネコが殺されて数週間と言う状況のためか、そのやるせなさを色濃く感じさせた。


 前川さんからは、必ず何か手がかりを見つけて欲しいと強く言われ、私もまた改めて気を入れなおすことになった。


 アルトに乗り込んで、そのまましばらく、考えた。

 私がこの仕事をしている意味を、だ。

 私はかつて、イヌを飼っていた。雑種の可愛らしい白いイヌだった。小学生の頃、一人っ子の私に寂しくないようにと両親が知人から貰ってきた子だった。

 そのまま、私と一緒に育っていったが私が十七歳のある日、病気で死なせてしまったのだ。寿命からくるものもあったらしいが、その時の私はもっと自分がしっかりしていれば、病気なんかにさせなかったのにと何度も悔やんだ。

 それから、ペットの事、動物の事をよく勉強するようになった。

 獣医やトリマーを目差そうかと考えていたある日、ペット探偵の仕事を知った。

 少し調べてみると、随分厳しい業界らしかった。しかし、迷子のペットを探し、無事に飼い主の手に届けられた時の飼い主とペットの喜びようは、私の中の何かをくすぐったのだ。

 私は、最初アルバイトとしてこの彩城ペット探偵事務所に雇ってもらったが、すぐに助手として勤める事になった。

 彩城先生が「ネコの手も借りたいくらいだったから、ネコを飼おうと考えていた」と言っていて私はなんとも、呆れるしかなかった。


 そういえばその先生から、からあげ弁当を買って来いと言われていたので、コンビニに寄る事にした。

 駅の傍のコンビニに入り、弁当のコーナーで物色開始。からあげ弁当を手に取り、自分の分を選ぶ。

 最近はまっているのはホイコーロー丼だ。量があまり多くなく適量で、値段も安い。そして、美味いのだ。

 飲み物は事務所に麦茶があるので必要ないだろう。しかし、今夜もコンビニ弁当かと少し気落ちした。私はこれでも趣味は料理で、そこそこ腕は立つのだが、近頃は仕事に追われているせいで事務所で弁当を食べる事が多い。


 レジに持って行くと、「暖めますか」と問われた。今暖めても、食べるのは十八時くらいになるので、そこは断った。

「あ。領収書ください。名前は彩城ペット探偵事務所で」

 レジの男性は少し驚いた様子で「あ、はい」と返事をした。

 おそらく「ペット探偵事務所」という部分で驚いたのだろう。ペット探偵なんて中々聞かないだろうし。

 会計を済ませ品物を受け取る時に、レジの店員がおずおずと声をかけてきた。

「あの、すみません。ちょっとよろしいですか」

「えっ? はい?」

 もう立ち去るつもりだった私は意表をつかれて、素っ頓狂な声で返事した。

「ペットの探偵さんなんですか?」

 店員は伺うように尋ねてきた。

「ええ、まぁ?」

 真意が見えないので曖昧な回答になってしまった。

 レジの男性は「ちょっと、見てもらいたいものがありまして」と言い、少々お待ちいただけますかと断ってきた。

 別に時間に余裕はあるので構わないが要領を得ず、「はあ?」と、またも曖昧な返事をしてしまう。


 レジの店員は素早くスタッフルームのほうへ引っ込んで行ったかと思ったら、ものの一分くらいで戻ってきた。手にはちらしのようなものを持っていた。

「すみません、お待たせしてしまって」

「いえ……」

「ぶしつけで申し訳ないんですが、このポスターのネコの事をご存知ないですか?」

 手に持っていたちらしはポスターだった。そしてそれは、あの電柱の迷いネコのポスターだったのだ。

 私はどういうことか図りかねた。

 もしかして、このレジの男性が『橘田』なのだろうかと、胸のネームプレートを見ると、名前には『山田』と書いていた。思わずまじまじと顔を観察してしまう。

 年の頃は二十四、五歳ほどだろうか。この状況でこんな行動を取る辺り、行き当たりばったりと言うか、猪突猛進な性格をしているのではなかろうか。


「そのネコのポスターが、電柱に貼ってあるのは知ってますが、そのネコ自体は……」

 知らない、と答えそうになって、知らないこともないなと思いなおした。にゃーまは、ピートなのだから。

「少しなら知ってますが……」とこれも曖昧な回答だ。

「本当ですか! すみません。よろしければ、事務所の連絡先を教えていただけませんか」

「え? 依頼のお話ですか?」

 私は正直当惑した。

 まさか買い物にきたコンビニで依頼の話になるとは考えもしなかったからだ。

「そう、なるかもしれません」

 と山田さんは濁った返事をした。

「僕、もうすぐバイトが終わるんです。五時で終わるんで、そのあと事務所に伺ってもいいですか?」

「ええと事務所は十八時で閉めてしまうんですが……」

「飛ばしていきます」

 山田さんは、喰い気味に返してきた。今のは暗にお断りですのつもりだったんだが、通用しなかったようだ。

 しかし、こんな状況で話を持ちかけてくるあたり、何か切羽詰っているのかもしれない。

 とりあえず、名刺だけ手渡して、事務所の住所を知らせてあげた。

「ありがとうございます。引き止めてしまってすみません」

「いえ……、それでは」

 私は今度こそ、逃げるようにレジから離れた。

 店内から逃げ出そうとドアのほうへ向かう瞬間、女性の短い悲鳴が聞こえた。その後、何かが落ちる音。

 私は思わず振り返った。どうも店内の奥、ドリンクコーナーあたりに悲鳴の正体はいるらしい。

 なんだろうと気にはなったが、これ以上ここにいると、また何か持ちかけられるかもと、そのままドアを開け、駐車場へ向かった。



 十七時には事務所に到着していた。もう夕方だというのに、蝉はうるさく鳴いている。

 駐車場には先生のプリウスが停まっていた。すでに戻っているらしい。

 一報すると言ったくせに――。私はやれやれと心の中でつぶやく。


 事務所の窓は開いており、外からでもTVの音が聞こえてきた。事務所に入ると先生がTVを見ていた。この時間はニュースが始まるので、大体TVをつけている。傍らでは扇風機が懸命に首を振っていた。

「ただいま戻りました。はい、弁当です」

「おかえり。ほら、例の事件の話やってるよ」

 TVはペット殺しのニュースだった。

「これだけニュースで取り上げられてるのに、警察ってまともに捜査してないんですね」

 木村さんの話を受けての憤りが口から出てきた。

「警察だって、仕事をしていないわけではないよ。捜査は進んでいると思うけれどねえ」

 ニュースでは犯人像を語っているようだ。過去の動物殺傷事件の統計から、犯人は男性の可能性が高いのでは、という見解を示している。

「どう思います? 先生も男性が犯人と思いますか?」

 先生はTVを消し、「どうかなあ」と腕を組んだ。

「性別については分からないけども、こちらで入手した情報から、犯人像をプロファイリングしてみようと思ってる」

「情報屋で仕入れた話ですか?」

 先生は頷き、「それから島村さんの集めた情報もあわせてみよう」と情報交換を促してきた。


 先生は心理学を専攻していたらしく色々資格も持っている。簡単なメンタルケアやプロファイリングならできるとのことだったが、ペット探偵ではその能力を活かす機会はなかった。

 正直、どのくらい当たるものなのか個人的には図りかねるが、以前先生に行ってもらったメンタルケアの効果でストレスを解消できた実績は身をもって体験している。


「じゃあ……まず、私のほうから。まず、地図に被害者のお宅、ペットの死体が見つかった場所、発見された時刻を書き込んで行きますね」

 地図のコピーを取り出し、マーキングをしていく。木村さんの家を含む全五件の被害者宅に規則性はなく、所在地も点在していた。

 そして、死体が見つかった場所は各宅の近場で見つかっている。

 殺害方法は、ナイフでの刺殺のようだ。

 誘拐されたと思しき時刻はそれぞれバラバラだが、行方不明になって約一週間以内には死体として見つかっている。またこの街以外では犯行は行われていない。

 死体が見つかっているのは明け方が多い様子だ。それから、曜日はすべて日曜日だった。


「あまり長距離で犯行が行われていないことから、犯人は車を持っていないのではないかと推理してます。それから、日曜に死体が見つかることから犯行は土曜日に行われているのでは、とも」

 私は、自分の集めた情報から推理をしてみた。

 先生はその推理を聞いて、うんうんと頷いてから、地図から顔を上げた。

「少し、考えてみて欲しいんだけどね。キミが犯人だとして、どうやって犯行を行うかな?」

 私が犯人だとしたら……、どう動くか?

「ええと、まずは獲物を選定しますよね。誘拐しやすいペットとか。攫い易いのは、放し飼いの動物でしょうか」

「うんうん、それで?」

「……それから、まずは捕まえて誰も居ないところへ持ち帰るのでは……」

 そこで気が付いた。動物をもって移動することがどれほど大変かを。

 曲がりなりにも自分たちはペット探偵で、捕獲したペットをこの事務所まで連れ帰る経験がある。そのためには、捕獲器はもちろんだが、どうしても必要なものがある。

 それは車だ。ペットの誘拐には、車は必須だと考え直した。

「犯人は、車を持っている?」

 答えあわせをするように、先生に問う。

「僕は、犯人は車を所持していると考えているよ」

「じゃあ、なんでこの街近辺だけでしか犯行を行ってないんでしょうか」

 車があるなら、遠くに死体を捨てるとかすれば、事件の発覚は防ぎやすいはずだ。

「……憶測ならいくらでも出来るんだけど、正解かどうかはわからんねえ」

「例えば何かありますか?」

 気になって先生に尋ねた。

「例えば、この街のペットだから、というのが動機かもしれない」

 そんな大雑把な理由があるだろうか。いや、ないとは言えないが。

「島村さん。犯行の動機というのは、実はまったくトンデモないものの可能性もあるんだよ。ただ、島村さんも言ったように、まず、攫って人気のないところで殺害を行うはずだ」

「人気のないところ……」

 思い巡らせる。

「最も人が来ないところと言ってもいいかもねえ」

「……もしかして、自宅、ですか?」

「ふふ、そう考えるか。君は一人暮らしだからな」

 あ、そうか家族が居れば自宅は寧ろ人目につくか。

「しかし、その可能性は高いと思うんだよ。つまり、犯人は車を持った一人暮らしで、仕事にも就いているのではないかと思う」

「どうして仕事についていると?」

「車を維持するだけでも、結構な出費だしね。犯行が週末に集中しているのも平日は仕事をしているからではないかと思ってね」

 私はその推理には素直には頷けなかった。

「うーん、そんな人沢山居ますよ。ていうか、それだと私も容疑者ですし」

「いやいや、キミはほら、土日なんて関係ないじゃないか」

「……不定休ですからね」

 苦笑いを返す。

「そこで、僕が入手した情報をあわせるとだね……」

と、その時インターフォンがなった。

「おや? お客さんかな」

 ……おそらく先ほどのコンビニのバイトが来たのだろう。

「出てきます」

 私は事務所のドアを開けた。

 そこにはやはり、あのバイトの山田さんがぜえぜえと息を切らせて立っていた。


「すみません、遅くなりました、ちょっと迷って」

 ぜえぜえと息継ぎしながら頭を下げてくる。センター分けのサラリとした髪が舞った。ワックスなどで固めておらず自然なままの柔らかそうな髪をしているようだ。

 コンビニで見たときはなんだかとんでもない人だなと感じたが、こうして普段着の彼を見ると随分と好青年といった印象を受けた。


 一方、私はどうしたものかと思ってたじろいだ。

 普通ならもう閉めるので後日とお断りをする場面なのだが、彼がここに来たのは半分は私のせいでもある。

「ええと、山田さんでよろしかったでしょうか」

「あ、ハイ。僕名乗りましたっけ? 山田博と言います」

「あの、申し上げにくいんですが、今日はもう……」

「すみません。そこをなんとか! 今日中に!!」

 まるで土下座でもしそうな勢いで山田さんは頭を下げた。

 コンビニで会った時も、積極的な人だなと思ったが、今頭を下げた彼の剣幕はあの時以上に鬼気迫るものがあった。

「か、顔を上げてください」

 私が困り果てていると、奥から先生が顔を出してきた。

「何かお困りですか。ともかく、中に入ってお茶でもどうです」

 先生は柔和な笑顔で山田さんを迎えた。


 応接間として使っているブースに麦茶を運ぶと、山田さんはガブ飲みしてから改めて自己紹介を始めた。


「僕は山田博です。フリーターしてます」

「私は所長の彩城です。今日はなんの御用ですか」

「あ、その島村さんにはお話したんですが、このネコの事を調べてまして」

 山田さんは鞄から畳んだポスターを取り出し、広げた。

「島村さん、知り合いなの?」

 先生は、きょとんとした表情で振り向いた。

「いえ、そういうわけでは……」

 私は簡単にコンビニでの事を説明した。


「……迷子のネコ捜しですか。依頼としてならお受けできますが、今は立て込んでおりまして。調査をするとなると、最低三日は待っていただきたいのですが」

「三日じゃダメです! すぐ情報が欲しいんです」

 山田さんは我を通して譲らない様子だ。

「いや、そうは言われてもねえ」

「あの、山田さん? そのポスターのネコとどういう関係なんですか?」

 山田さんは、少し考えた様子で「ネコの事は知らない」と返事をした。

 私は首をかしげた。

「では、なぜその迷いネコを探しているんですか?」

「……それを言う必要はないです」

 意外な返事だった。今までこんな依頼主は居なかったので、こちらとしては閉口してしまった。

「今分かっている事だけでいいんです、このネコをどこかで見かけたとか、情報はありませんか?」

 どうも、この山田博という人物がつかめない。私は眉を寄せるしかなかった。

「悪いけど、このネコのことは知りませんよ」

 先生が強めの口調で言い聞かせる。

 流石の先生もこの人物は、まともな依頼者ではないなと感じたらしい。

「でも、島村さんは知っていると……」

 そう言って、私のほうへ視線を飛ばしてきた。

 それは先生も同じで、意外だという表情で私を見つめていた。

「ほんとうかい、島村さん」

 私はどう答えたものか、悩むことになった。知っているといっても、自宅の傍にたまに来る程度しか知らない。また、その事実をこの山田という人物に教えてもいいのかと逡巡した。


 私が回答を渋っていると、山田さんは硬い表情で搾り出すように告げる。

「お願いです。……例え死んでいても、死体だけでも飼い主に届けてやりたいんです」

「え……、どういうことだい?」

 先生が山田さんの言葉に引っかかった。

「死んでいても……というのは?」

 山田さんは少し口ごもった。言うべきかどうかを考えているようだった。


「その……、そのポスターのネコは殺されたんです」

 私は、思考が追いつかなかった。

 殺された……この黒猫が? この黒猫は……『ピート』は……殺されたのか? なんで? この人はなんでそれを知ってる?


 喉がカラカラになっていた。


「ちょっと詳しく話しをしてくれないかな。山田博くん」

 先生は改めて山田さんに向き直ったのだった。



「僕は土曜日の夜、帰宅する途中に、ネコの死体を見つけたんです」

 山田さんは確かめるようにゆっくりと語り始めた。

「その時、どうしたんだい?」

 先生も相手のペースに合わせて話を進めていく。

「その時は、うわーネコが死んでる、気持ち悪いなくらいにしか思わなかったんです。車に轢かれて死んだのかなとか考えて、触りたくもないからそのままほっといたんです」

 うん……。まぁ普通はそうだろうな……。

「じゃあ、殺されたと言ったが、それはどうしてだい」

「ほら、最近ペット殺しが多発しているんでしょ、それを知って、あれは殺されたんじゃと思っただけです」

「ふむ。それから?」

「それで、次の日ネコの死体があったところを見たら、死体はもうなかったんです」

 ……死体がなくなってた……か。

「最初はもう誰かが、回収とかしたのかなって思ったんですが、今日このポスターを見て、あの時の死んでたネコだって思い出して」

「なるほど」

 そうか、ポスターでまだ飼い主が探していることを知って、ということだったのか。

「飼い主の所には死体が届けられていないということですよね。それはあまりにもかわいそうです。もう死んでいるにしても、飼い主のもとへ遺体を届けてやりたいじゃないですか」

 山田さんは涙ながらに訴える。本気の涙だった。

 少々前のめりな性格をしているけれど、この人は本当に悲しんでいるのだろう。

 木村婦人の時も思ったが、やはりペットだから動物だからと軽んじている人はいないのだ。

 そう信じたいと改めて思った。

「役場などが回収しているかも、確認してみよう」

「電話で聞いてみます」

 私は手元のスマホを操作して、役場へ電話を掛けてみたが、電話受付からはすでに受付時間が終わっているので、明日改めてくれと言う対応だった。

 公務員が全部そうだとは言わないが、警察の事もあってお役所仕事に若干フラストレーションが溜まってしまった。

「んもう! 融通が利かないんだからなあ!」

 不満を吐き出し、私は麦茶を一杯あおった。


「ところで山田さん、どうして他人のネコにそこまで?」

 さっき、山田さんが答えを渋った質問だ。先生が改めて聞いた。

「……それは、最初に目撃をした責任というか、罪悪感というか。最初に見つけたときにほったらかしにしなければ、こんな事にならなかったのにと……すいません。虫のいい話だと思われたくなくて」

 なるほど、動物の死骸をほったらかしにした罪悪感で回答を渋ったのか……。

 私たちがペット探偵だから、そういうことに関して手厳しく批判するとでも考えたのかもしれない。

 山田さんはそこで「でも」と断って、

「ペットとの最後の別れも出来ないのは悲しすぎるじゃないですか。探偵さんたちは迷子ペットを探して、飼い主に届けてあげたりしているんでしょう? その時、思いませんか。ああ、再び会えてよかったって。僕は、めぐり合わせてやりたいだけなんです」

 私は彼に強く共感した。その言葉に、まったく淀みなく彼の言うことは真理だと思った。

「私、手伝います」

「うん、今回の依頼にも関係ありそうだし、頼むよ、島村君」

 そうは言っても、結局のところ自分が知っているのは、自宅の駐車場にこの黒猫がやってきたくらいだと説明するしかなかった。

 山田さんも私の話で何か手がかりがつかめないかと、期待していた様子だったが、結果としては何も分からず仕舞いだった。


「もう時間も遅い、とりあえず今日はお引き取りください」

 結局、現状ではその消えた黒猫の所在を掴む材料はないということになり、先生は山田さんを帰らせた。


 時刻も十八時を回っていて私達もお腹が減っていた。

 買って来た弁当をレンジに放り込み、先生はまたTVをつけた。

 TVは、若者の間で流行っている違法ドラッグのニュースだった。

 そのニュースを見て、先生は何かうなり始めた。ぶつぶつと独り言をつぶやいている。


「なんですか、先生。そのニュースのことなんか知ってるんですか?」

「いや、私は良く知らないんだけどね。知り合いの探偵がね……」

「ああ、お昼にアポを取るとか言ってた情報屋を紹介してもらったっていう?」

 ピロピロピーという何か良く分からないメロディーが流れた。電子レンジの暖め完了を知らせる電子音だ。

「できたできたー。先生、からあげ弁当」

 私が先生のところへ暖めた弁当を持って行くと、先生は虚空を見つめ固まっている様子だった。

「先生、どうしたんですか?」

 私は自分のホイコーロー丼の蓋を開けながら尋ねた。

 うーん、この香り、食欲を掻き立てる~!

「情報屋がね、もうすでに六件目の犯行は行われていると情報をくれたんだよ。なぜ分かるんだと聞いたんだが、企業秘密と言っていた」

「その情報……今の山田さんの話と合致するじゃないですか」

「うん。それでね、島村君に訊ねたいんだが、島村君のアパートの傍に来ていたネコはこのポスターのネコで間違いないね?」

「は、はい。間違いないです」

「実はね、情報屋が言うには、六件目の犠牲者は黒猫で、『ニイヤマ』という名前だと教えてくれた。詳細を知りたいなら、駅の掲示板をみればいいとね」

「このポスターのことですね!?」

 やはり、『ピート』は殺されているんだな……。とたんにホイコーロー弁当が食べられなくなった。

「そうだと思う。でね、情報屋が言うんだよ……、特徴はポスターで確認できるだろうが、青い首輪はつけてないぞってさ」

「えっ? なんでですかね?」

「首輪は今、情報屋が持ってるらしいんだ」

「えっ? なんでですかね?」

 思わず、同じ言葉が口から出た。

 情報屋は黒猫が死んでいることを知っていて、その黒猫の首輪を持ってる……?

「首輪を拾ったそうだ。地図で説明するとここの公園に落ちていたということだ」

 先生は地図をトントンと指差す。そこは住宅区内の小さな公園だ。

 公園内に小さな区民会館がある。

「その情報は当てになります?」

 その情報屋の話を鵜呑みにして考えていいのか、個人的には分からないところだ。

「なる、と信じたい。情報屋の彼はかなりプライドが高い様子だった。自分の仕事ぶりに自信があるという感じだったよ。情報が気に入らないならクーリングオフをしても構わないとさえ言ってのけたしねぇ。証拠も揃っているそうだ」

 先生も、そこは半信半疑ながら、情報屋の仕事ぶり自体は評価しているらしい。

 情報を疑って推理するよりも、情報から推理していくほうが建設的だ。

 ひとまず、その情報が正しいとして考えてみよう。

「なんで首輪が外れてたんだろう」

 まず気になるのは、この首輪の件だ。なぜ、首輪を情報屋が持っているのか?

「うん、そこで島村君に聞きたい。そのネコの首輪に何か特徴はなかったかな?」

「うーん、首輪は普通にレザーの首輪で名前も書いてなかったんですよね。ただ、首輪の内側に小さいロケーターが付いてたんですけど」

「えっ、ロケーターがついてたの?」

 先生は鳩が豆鉄砲食らったような顔になった。

「ええ、飼い主がつけたんじゃないですか? 外ネコだったらつけてる人もいますし」

 随分小さなロケーターで、首輪の裏に隠すように付けられていたのを覚えている。

「じゃあポスターで迷いネコ探しをしなくてもロケーターを使えば、居場所が分かるじゃないか」

「あ、それもそうか。じゃあ、なんでロケーターを利用しなかったんでしょうね、この橘田さん」

 情報屋が首輪を回収したからだろうか? それによって居場所が分からなくなった。

 それはありえる。そう考えると、その情報屋こそがペット殺しではないかとも考えられる。

「ロケーターがついていたことを、飼い主が知らなかったのかもしれない」

「え、そんなことあります?」

「ああ、自分の家のものだからこそ、じっくりみない、灯台下暗しだよ」

 ……そう言われてみれば、部屋にずっと設置したままのコンポ、全然使ってないから中に入ったままのCDが何だったか忘れてしまった。存外、家にあるものに何か小さな変化があっても気が付かないのかもしれない。盗聴器を仕掛けられてもすぐに気が付かないように。


「じゃあ、一体誰が……あっ!?」

「「情報屋だ!」」

 先生と同時に閃いた。そうか、首輪が回収されたこと、ネコが標的になっていることを知っていること。

 情報屋が首輪にロケーターを仕掛けたのなら、知っていてもおかしくない。そうなると、ひとつ推理ができる。


「あっ、私ちょっと分かったかも。その首輪を捨てたのは、ペット殺しかもしれません」

「どうしてだい?」

「首輪をしている動物がいれば、そこに飼い主の住所なんか書いてますから、必ず調べますよね?」

「そうだね、特に僕らのような仕事をしていれば必ず外で見かけた動物の首輪は確認するね」

「それってペット殺しもやってたんじゃないですか?」

 先生は頷き、仮説を飲み込んでいく。

「それは、ありえるね」

「この黒猫もそうだったんですよ。首輪を調べた。そしたら、名前や住所はないけれど、ロケーターがついていることに気が付いたんだ」

 私は自分の推理を話しながら、自身の頭でまた情報を整理をしていく。

「それで誘拐した場所や連れ去った先がバレてしまったらマズいと考えた犯人は……」

「首輪を捨てた!」

 つじつまは合う。これは情報屋ともう少し、情報を煮詰めていく必要もあるかもしれない。

「そうか、それのあと居場所がばれないようにして、犯行を行ったと考えるのが妥当だね」

「ですね。……そうなると……、……あれ?」

 ――そうか。そう考えてみれば、()()()()()()()

「どうしたね、島村君」

「……先生……その情報屋ともう一度コンタクトを取れませんか? 確かめたい事があります」

「確かめる……? ううむ、コンタクトを取る事自体は可能だと思うが……一体何を確かめたいんだね?」

 先生はいぶかしみながら、私を覗き込む。


 ――今まで感じていた違和感。それは、ある疑惑に変わった。そして、犯人の行動。犯行の真意を推理した私は推理の回路がパチリと繋がったと感じた。

 私は確信を持って発言した。


「私、犯人が分かりました」


 いつの間にか蝉の鳴き声は聞こえなくなっていた。

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