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Cold Hearted  作者: 花井有人
2/7

何もせずに後悔したくない

「いってきまーす」

「あれ、さゆこ。もう出るの?」

 お母さんがキッチンから玄関までわざわざ顔を出してきた。

「うん、帰りもちょっと遅くなるから。夕ご飯は食べるけど」

「はいはい。いってらっしゃい」


 私はいつもよりも一時間早く家を出た。

 まだ早朝の七時だというのに、暑い。家を出るのと同時に汗が噴き出してきた。肩まで伸びた髪が少し鬱陶しく感じた。


 制服の下のタンクトップも脱いでしまいたいが、そうすると、汗でブラウスが肌に張り付いて気持ち悪いし、下着が透けてしまう。


 ため息をひとつ吐き出してから、気持ちを切り替える。わざわざ早く家を出たのだ。モタモタしている場合ではない。


 鞄の中身を一度確認して、通学路を歩いていく。鞄の中には昨日作った、プリントが三十枚入っている。別に宿題とかではない。


 『迷いネコの貼り紙』だ。


 貼り紙の内容はこうだ。


「いなくなったうちのネコを探しています。

 名前はニイヤマといいます。呼ぶときは『にゃーま』と呼んでいます。

 黒猫でオスの四歳です。青い首輪を着けています。好物はチキンです。

 七月二十日からいなくなりました。

 それらしいネコを見かけた、保護しているという方は下記の連絡先におしらせください。

                                      橘田」


 そして電話番号とメールアドレスにQRコード、あとはネコの写真を載せている。


 正直、効果があるとは期待していない。しかし、何も行動しないことが怖かった。何か少しでも出来ることをやっておきたかったのだ。


 だから、もちろん警察にも届けを出した。その時の警察の回答は「遺失物扱いになる」ということだった。それらしいネコがいれば知らせるとは言ってくれたが、「動物、ペットは物扱い」と言われ、逆に不安になった。

 その後は、保健所も訊ねて見たが、それらしいネコはいなかった。


 そうなると、まだ迷子のままか、誰かに保護されているか、もしくは……事故に遭ってしまったか……。それとも……。


 悪い予感を振り払うために、私は鞄に詰め込んだプリントとテープ、そしてビニール袋を取り出した。

 そして、一つ目の電柱についた。雨に濡れてもいいようにビニール袋にポスターを入れてから貼り付ける。


「よし。こんなかんじかな」

 一枚目を貼り付けてから、また歩き出す。

 どこでもいいから貼り付けるというより、横断歩道の傍の電柱を狙った。足を止めるタイミングがあれば、ポスターも見てもらいやすいと思ったからだ。


 そんな具合で汗をかきながらも十枚は貼り付けていった。


 それから駅の掲示板に貼ってもいいか駅員にも交渉し、貼らせて貰う。意外にあっさりと貼ることを許してもらえてほっとした。


 そこで一つ思いついたことがある。コンビニとかもお願いしたら貼ってもらえるかもしれない。


 どうせ、だめもとなんだ。言うだけならタダだし、いくぞ。


 駅の傍のコンビニに入った。ドアを押すと店内の涼しいクーラーに迎えられ、心身の疲労が汗ともに吹き飛んでいった。

 とりあえず喉も渇いたし、お茶でも買ってついでに交渉しよう。

 アニメのキャラのストラップがオマケに付いているお茶を手に取った。別にそのアニメが好きだったわけではないが、オマケ付きならこっちのほうがオトクかなと選んだ。


 たしか、アイドルを目指す女の子のアニメだったと思うけど、この手に取ったオマケのキャラの名前は知らない。全十種類と書いてるワリにこのキャラばかり目立つから、人気がないのが余っているんだろうか。髪の色が白で国籍不明。眼は釣り目だった。所謂『ツンデレ』キャラなのかと想像した。私の乏しい知識はつり眼イコールツンデレだと云う浅い認識しかできなかった。

 可愛そうに。『ツンデレ』はもう不人気なのか。せめて私が買ってやるからな。


 レジはそこそこ客が並んでいた。考えてみれば朝の出勤時間だ。駅近くのコンビニは込み合う時間だった。

 こんな忙しい時間に交渉するのはちょっとイヤがられるだろうか。そうは言っても、学校が終わる頃にはまた込み合う時間だし、できるだけ早くこのポスターを貼って、多くの人に見てほしい。


 メンドウな客と思われるかもしれないけど、やはり交渉することにしよう。


 そこで、せめて他の客が並んでいないタイミングを計ってからレジに向かった。

 店員は二十台半ばくらいの男性だった。アルバイトだろうか。まずはお茶を会計してもらう。

「すみません、ちょっとお願いがあるんですが」

「はい? なんでしょうか」

 ちょっと驚いた様子で返事してきた店員さん。胸のネームプレートには『山田』とあった。鞄からポスターを取り出して、見せる。


「ネコが迷子になって探してるんです。それで、良かったらお店にこのポスターを貼らせてもらえないかと……」

「えっ。あー。ちょっと聞いてきますね」

 山田さんはそう言ってから奥へ引っ込んでいった。たぶん、店長あたりに確認に行ったんだろう。

 しばらくすると、店長らしき男性と一緒に山田さんが帰って来た。

「ネコの貼り紙したいんですって?」

「はい、すみの方でかまわないので、お願いします」

「申し訳ないんですが、店内や店の窓とかには貼り付けられないんですよ」

 店長さんは、小さくあごを引いて申し訳なさそうな表情を作る。

「あ……そうですか、失礼しました……」

 まぁ、だめもとだったし、仕方ない。大人しく引き下がり、ポスターを引っ込めようとすると、店長さんが引きとめた。

「ああ、でもね……その……。店の事務室とか休憩室になら貼っても良いんで、アルバイトとかには見てもらえるんだけども、どうでしょうか」

 アルバイトって何人くらいなんだろう。いや、この際人数とか気にしてても仕方ない。見てくれる人が一人でも増えるなら、お願いしたいところだし。


「本当ですか。有り難うございます! では、二枚お渡ししますので、宜しく御願いします」

 私はお辞儀を一つ、プリントを二枚店長さんに手渡した。店長さんは、ニコニコと笑ってくれ受け取ってくれた。


 店が込み合ってきたので、挨拶もそこそこに私は店から出ることにした。

 店を出る時に、山田さんと一瞬目が合った。私はそこで一礼して、コンビニを後にした。

 再度、日差しは私の肌を攻撃してくるのだった。



 ――学校。

「おはよー、こさゆ。早いじゃん」

 1-1の教室で友達の田嶋まなみが挨拶してきた。

 こさゆというのはあだ名だが、名前のさゆこをちょっと入れ替えただけのものだ。小学校時代からのあだ名で愛着はある。

「おはよ、ちょっとやることあったからさ」

「もしかして、あの貼り紙?」

「えっ、分かった?」

 まなみは私の机に腰掛けて、まぁねという表情だ。首元まである天然パーマのウェーブが揺れていた。

「……ネコのことは前から聞いてたし、あんだけ目立つ貼り紙してれば目に付くよ」


 そうだ、ポスターはなるべく人の注目を浴びるように、原色をふんだんに使ったカラフルな色彩にしている。おかげで効果があることが証明されたわけだ。

「でもさ、あの電話番号、あんたのケータイまんまじゃん。イタズラとか掛かってくるんじゃない?」

 それは正直迷ったところだったが、あんまり深く考えないようにした。

「んーそっかなあ。まぁ掛かってきたら掛かってきた時に考える」

「テキトーね~」とまなみはカラっと笑う。

「さっき校内の掲示板とかにも貼ってきたんだ」

 学校一階、下駄箱のある玄関には、大きな掲示板が設置してあるのだ。そこは、先生に許可を貰えば誰でも掲示物を貼らせてもらうことが出来る。あまり利用する人は少ないので、大抵新聞部が作った校内事件なんかをネタにした記事を貼っている。先月は確か何かのおまじない特集だった気がする。

「でも、明日から夏休みよ?」と、まなみが自分の髪を指先で弄びながら指摘してきた。

 そう、今日、七月二十七日で高校一年の一学期は幕を下ろすのだ。

「まぁ、そうだけどさ。部活してる人とか先生とかは夏休みでも学校にくるだろうし、誰かしら見てくれるかなって」

「ワラにもすがってんのね」

「後悔したくないだけ」

 その言葉は、自分でも驚くような重たさで口から漏れた。その時の私の表情はどうだったのだろう。


「ふーん。……じゃさ、今日ガッコ終わったらどうする?」

 まなみは特に気にしない様子だった。少しほっとした。あまり突っ込まれたくなかったからだ。

「まだポスター余ってるから、街中に貼ってまわるつもり」

 少しわざとらしく元気に解答した。

「はー。そうだよねえ」

 まなみはため息をつく。そして、机から降り改めてこちらに顔を向けた。

「じゃ、あたしも手伝うわ」

「……いいの?」まなみがあまりにあっさり言うので、私はちょっと反応が遅れた。

「いいよ。帰りの道すがら貼っていくだけだし。半分ちょうだい」

「ありがと」

 私はまなみに五枚プリントを渡した。残り五枚は、放課後に貼ってくれそうな個人経営の喫茶店なんかを回るつもりだった。



 ――学校は午前で終わった。あとはこのままお昼ごはんをどこかの喫茶店で取って、そこで貼り紙のお願いもしてみようかなと考えながら下校の準備を整えた。


 帰ろうとした時、後ろの席の男子に声をかけられた。

「橘田さん、ちょっといいかな。話したいことがあるんだ」

 後ろの席の佐藤善久がかすれる声でそう言う。

 佐藤君とは、後ろの席ではあるが、正直あまり話したこともない。急になんの話があるのだろうか。


「えっと? なに?」

「いや、ここじゃ……。ちょっとさ、ついて来て欲しいんだけど」

 これからやることは沢山ある。正直、あまり付き合っている余裕はない。

「あんまり長い時間は付き合えないんだけど……」

「すぐ済むよ」

 そう言うと、佐藤君は立ち上がった。

 見ていたまなみは右手で「いってこい」のジェスチャーを送ってくる。なんだか、ニヤニヤと笑っている。


 ああ、そうか。もしや、ネコのポスターを見てくれたのかもしれない。まなみだって、気が付いたと言ったし、効果は思ったよりも出ているのかも。


 私は佐藤君について行き、視聴覚室にやってきた。いつもカギが掛かっている視聴覚室だが、佐藤君が用意していてカギを開けて中に入る事になった。


「ごめん、こんなとこまで」

「いいけど、話って何? ネコのこと?」

 佐藤君はポカンとした表情を浮かべた。子供っぽい顔立ちの佐藤君が尚の事、幼く見えた。

「ねこ……?」

 どうもネコの話とは違うらしい。

 佐藤君はこちらをぼんやりと見ていた。それから、はっとした様子でぱくぱくと口を開け閉めしてから、一呼吸整えた。なんだか、随分と緊張しているようだ。その時、気が付いたが、彼は右手に何かを握っている様子だった。


「い、いや、ゴメン。ネコは、良く、知らないんだけど、話したいことが、あって」

 言葉を切りながら、佐藤君はつぶやくように言ってきた。

「ろ、六月に、突然雨が降った日、覚えてる?」

 六月のいつだろう……? 六月はほとんど雨だったような気がする。

「あの日、バス停で一緒に雨宿り、したんだけど」

 佐藤君は耳を赤くしながら、硬い表情で言葉をつむぐ。


 ……ん、んんんんん!? ちょっと待って? この空気、この流れって……。

「あの時、橘田サンが、濡れた僕にタオル、貸してくれたよね」

「あ! あ、う、うん。そんなことあったね」

 下校中に、いきなり雨が降り出して、駆け込んだバス停で、濡れた髪を拭いていたら、そこに佐藤君も飛び込んできた事があった。その時に、ほとんど話した事もないが、後ろの席の佐藤君だなとは分かったので、何も会話しないのもアレだし、タオルを貸してあげたんだ。

「その時、すごく、嬉しかった。それからずっと、気になってたんだ」

「え、あ、……え」


 これはやっぱり……、こ、告白される状況!?

 突然恥ずかしくなってきた。顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かるほど、血液が熱くなっているのを感じた。


「好きです、その時からずっとです。僕と、付き合って、彼女になってください」


「――――~~~~~~」

 ダメだ、恥ずかしい。恥ずかしすぎる!

「ご、ごめん!」

 私は、佐藤君の顔も見れず、その場から逃げ出した。



 時刻は午後の一時半になる頃だった。


 まなみとともに、小さな喫茶店に入っていた。家族だけで経営してる個人営業の喫茶店のようだ。


 客はまばらにいたが席には空席も目立つ。店員のおばさんが窓際のテーブルに案内してくれた。


 メニューを開き、ランチを選んでいると、まなみがニヤニヤと聞いてきた。


「で、どうだった。ササキクン」

「佐藤くんでしょ、もう! 感じ悪いよ、まなみぃ」

 まなみはあの時、私が告白されるのを分かっていたからニヤついていたのだ。まったく。

「いやあ、ごめんごめん! でもやっぱさあ、そういうのって気になるじゃん?」

 笑いながらまなみは興味津々で眼を輝かせる。まったくハンセイしてない様子だ。私が恋愛事は苦手だと知っているくせに。


「ご、ごめんって言って……、別れた……」

 思い出すだけで真っ赤になってしまいそうだ。

 私は昔から、恋愛事になると、恥ずかしくて見ていられなくなるのだ。恋愛ドラマもそうだし、中学の頃にも告白されたことがあったが、恥ずかしくて返事も出来ず逃げたこともある。


 今回もそうだ。別に付き合うことに対して断るための『ゴメン』ではなく、『ゴメン、恥ずかしいから勘弁して!』のゴメンで、その場から逃げるために走り去るのが精一杯だった。


 ……はぁ、つまり私は全然成長していないのだ。


「ドンマイ。いつかは慣れるって~。別に恋愛がしたくないわけじゃないんでしょ?」

 まなみが励ましてくれる。茶化しているわけではなく、真面目に聞いてきた。

「ん……。まぁ……そうだけど」

「長年付き合っている私から言わせて貰うとね、こさゆは愛されるより、愛するほうが恋愛がうまくいくと思うのよ」

 まなみがなんだか、知ったようなアドバイスをしてくれる。私は少し呆れながら笑った。

「長年って、中学からの付き合いじゃん。三年程度」

「三年間を甘くみんなよ~こさゆゥ」

 そこに店員のおばさんがオーダーを取りにきた。私もまなみもランチセットを頼んだ。内容はパスタとサラダで、食後のアイスティーがついている。パスタはペペロンチーノだ。好きですペペロン。


「で、こさゆは好きな人、いないの?」

 まなみはケータイをいじりながら聞いてきた。

「いない。まなみもでしょ」

「あたしはいるよ」

 私は眼を丸くした。

「エッ!? うそ、だれ? クラスの男子?」

 そこでまなみは、いやらしく笑みを浮かべて「おまえだよッ!」と、わざとらしくポーズを決めウィンクを飛ばす。

「なんだよ、もお……。そういうのいいってば」

 二人で笑う。


「でもさ、なんかこさゆ、最近モテるよね」

 まなみが、屈託なく言ってくる。

「そんなことないでしょ」

 と返事をしたものの、実は自分でも最近、男子から『いいよな』と言われていることは知っていた。

 こんなことを言うと、自意識過剰とか思われるだろうが、まなみの言うとおり、高校生になって、モテているのは実感としてあった。ラブレターも貰ったし、実のところ、告白も今日が始めてではない。


 でも、私の容姿は高めに見積もっても中の上って所だと思うし、プロポーションも普通だと思う。


 ……というか、プロポーションならまなみが圧倒的に上だ。


「なんか、ヒケツでもあるの?」

 そのまなみが聞いてくる。そんなの私が知りたい。

「そんなのないっていうか、モテてないから」と繕う。

「いやいや、長年の付き合いから言わせて貰うと、やっぱね、なんか雰囲気変わったと思うよ」

「え、そう? どのへんが?」

 自分自身のことは分からない。どこが変わったというのだろう。

「うーん、なんていうか。社交的になった?」

 ――社交的?

「さっきの佐藤君の話の中でさ、あんたタオル貸してやったんでしょ?」

「うん、濡れてたし。タオルあったし、なんかムシするのもアレだし」

 なんだか自分で言っていて、言い訳がましく聞こえた。

「それってタオルを貸す口実じゃん。後付設定じゃん?」

「え、そんなことないよ。まなみだって、同じ状況だったらタオル貸してたってば」

 そこでまなみは首を横に振る。

「違う、あたしの話じゃなく、こさゆの話」

 まなみは、一呼吸置いてから私に確認するように語りかけた。

「あんた、中学のときまでは、濡れた男子がいたってタオルを貸したりしなかったでしょ」

「そ、そうかもしれないけどさ」

「あと、このネコのポスター」

 まなみは鞄をパンパンと叩いて、「これも中学までのあんたなら作らなかった」


 そう……かもしれない。言われて見ると、随分と行動的になったようには思える。中学の頃はもっと、内向的であった。

 でも、何かきっかけがあったのかと言われても、自分では思い当たることはなかった。それにやっぱり、自分の肝心なところで逃げ出してしまう弱さは変わっていないように思っているから。



 ――ペペロンチーノとサラダを食べ終え、アイスティーを飲んでいる時に、私のスマホが震えた。震え方からしてメールではなく、電話のほうだ。

 スマホをバッグから取り出すと画面に『非通知着信』が表示されていた。ポスターのこともあったので、通話をタップし応対することにした。


「はい。橘田です」

「あ、突然すいません。ネコのポスター見て電話したんですが」

 女性の声だった。印象からは若さを感じる。

「ネコ、知ってらっしゃるんですか? どこで見かけましたか?」

 私は思わず矢継ぎ早に質問をしてしまった。まさか、こんなに早く効果が現れるとは思っていなかったからだ。

 まなみもどういう内容の電話がきたのか、今の応対で感じ取ったらしい。真剣な眼差しをこちらに向けてきた。


「違うかもしれないんですが、黒猫がよくいる場所を知っているんです。首輪もつけてたんで。もしかしたらって思って」

「どのあたりですか?」

「ええと、どういえば良いかな。すみません、ちょっと説明下手で。良かったら、直接案内したいんですが」

「えっ?」

 純粋に驚いた。そして、少し警戒心が芽生えた。

「これから、駅前で会えませんか」

 相手の声は落ち着いた声で、聞いているだけならおかしな人には思えなかった。

「今からですか?」

「はい」

 思わずまなみに目線を送った。

 まなみは首を振る。

 たしかに、怖いキモチもある。しかし、……後悔をしたくない。やらなかったと、後悔をしたくないんだ。

「分かりました、駅前ですね。南口の階段前でいかがですか?」

 まなみは驚いた様子だった。

「はい。こちらは別に時間はあるから、ごゆっくりいらしてください」

「あ、はい。あの、お名前を伺っても?」

「ああ。すみません。私は、ナツメです」

「わかりました。これから向かいます」

 電話を切り、鞄からサイフを取り出す。

「ごめん、まなみ。ちょっと行って来るから」

「いやいや! ホンキなの!? ちょっと待ちなよ」

 店内に響き渡るほど大きな声だった。おばさんがこちらを丸い眼で覗いていた。

「うん、大丈夫だよ。まだ昼間だし、そんな人を疑って掛かっていきたくないし」

「じゃああたしも行く」

 まなみは鞄を抱えて立ち上がった。

「え、でも」

「でもじゃないでしょ、断っても付いていくから」

「ごめん。ありがと。ほんというと、付いてきて欲しかった」

「ばか。それじゃ、行こ」

 まなみは頼もしく笑って伝票を掴んだ。

 私達は会計を済ませ喫茶店を出てからまっすぐ駅へ向かって歩き出した。


 駅に到着した。駅についてから、喫茶店でポスターを貼らせて貰う交渉をすることを忘れていたことに気が付いた。しかし、すでにこうしてポスターを見たという人物から連絡が来ているのなら、そこまでポスターを貼って貰う事には慌てなくてもいいかもしれない。


「ね、どの人?」

「えっ」

 しまった。言われて見れば、名前しか分からない。

 駅の南口階段傍には、何人か人がいる。女性で間違いないはずだが、女性は二人、目ついた。二十台半ばほどのスーツの女性、帽子をかぶったパンツスタイルの女性。どちらかがナツメさんだろう。


 戸惑っていると、スーツの女性は階段を上って行ってしまった。

 残ったのは帽子の女性。印象としては同い年くらいに見えた。黒いシャツ。パンツはデニム。目深にかぶったキャップのせいで顔立ちははっきりとは分からないがショートの髪が覗いていてボーイッシュな印象を受ける。

 ひょっとすると学校の先輩かもしれない。制服は着ていないが、下校して真っ直ぐ帰れば着替えるくらいの余裕はあるだろう。


 近づいていくと、帽子の女性のほうから声をかけてきた。

「すみません、呼び出すようなことをしてしまって」

「いえ、こちらこそ。連絡をありがとうございます」

 まなみは、帽子の女性――ナツメさんをじっと見つめて様子を伺っている。それに気が付いたナツメさんはまなみにも挨拶をした。

「ナツメです。はじめまして」

「あ。はい。はじめまして」

 なにやら気まずい。私は空気を変える為にもネコの話題を振ることにした。


「それで、ネコのことなんですが、どこで……?」

「ああ、では案内します。付いてきてください。そんなに遠くないので」

 私達はお互いの顔を見合わせ、どうするかと迷ったが、付いていくことにした。


 変なところへ連れて行かれるようであれば、すぐ逃げればいいと思った。


 十分以上歩いた頃には住宅地にやってきていた。

 昼下がりの住宅地は人はまばらであったが、イヌの散歩をしているおばさんや散歩中のおじいさんもいたりして、とりあえず、いざというときは周りに助けを求められそうだな、なんて考えていた。

 それにここから私の自宅は、あまり離れていない。私は少し心に余裕が生まれた。


 すると、ナツメさんは足を止め、「ここです」と示してくれた。

 そこは、少し古めのアパートだった。『ほうれん荘』と表札に大きく書かれていた。建物も薄緑で塗装されており、名前の由来から塗装したのかと連想させられた。

 脇には小さめながらも、四台は停められる駐車場があり、すみのほうにはプランターが置いてあった。


「この駐車場にお昼過ぎにはいつも来て昼寝をしていたと思うんです」

「ほんとですか? 最近、見かけたことは?」

「一週間ほど前から、見かけていないと思います」

 一週間前となると、うちでも見かけなくなった時期と重なる。

「そうですか……他にどこか思い当たる場所はありますか?」

「ええ、まだいくつかは……」

「じゃあ、そこも教えてくれませんか?」

 まなみが私に視線を飛ばしてきた。自重しろ、と言っている様だった。

「かまいませんが、こちらからも質問させてもらっていいですか?」

「え? はい。なんですか?」

「そのネコが死んでいるかもしれない、と言ったら、どうしますか」


 ゾクリとした。

 無機質に発せられた声は、私が考えないようにしていた事を正面から射抜いた。

「どういう意味よ!」

 まなみが食って掛かった。

「イミ? イミはありません。可能性の、仮定の話です。最近、ペット殺しの犯行がたびたび発生していることはご存知ですか?」

 それは知っていた。だから、私は焦っていたのだ。


 私は頷いた。ただ、ナツメさんの顔は見れなかった。しかし、彼女の言葉は、なんというか事務的に聞こえた。

 

「だから、もしかしたら、無事な姿では見つからないかもしれない。その覚悟はあるのだろうか、と気になったのです」

 淡々とした口調を崩さず、ナツメさんは続けた。

「そんなの、あなたに関係ないでしょう!」

 まなみは私を庇うように、ナツメさんの前に出て反論する。

 覚悟は……できてない。というか、死んでいるなんて考えないようにしていた。

 もし、死んでいたら……私はどうするんだろう。それが悪意ある死因であれば……私はどうするんだろう。


「ナツメさんは、死んでいると考えてらっしゃるんですか?」

 私は彼女の真意を汲み取りたく、質問に質問で返した。……いや、真意を汲み取りたいと言うのは理由付けかもしれない。私は、彼女の質問から逃げたかったのかもしれない。

「仮定の話です。可能性があると申し上げているだけで」

「いい加減にして! いこ、こさゆ! もういいよ、こんな人」

 まなみは私の手を強く引いてその場から立ち去ろうとした。

「えっ、あ、ちょっと……」

 流石にこのまま立ち去るのはナツメさんに対して、失礼じゃないかと考えた私はまなみの手を振りほどこうとした。


 しかし、その時、まなみが私の耳元でそっとつぶやいた。

「いいから、ちょっと来て」

「……」

 結局、私はまなみに引っ張られるカタチでその場から立ち去った。


 ナツメさんは立ち去る私をずっと見つめていた。



 そのまま駅前まで来た時にまなみが「ごめん」と一言わびてきた。

「でも、あの人。変だよ」

「たしかに、ちょっとデリカシーがないとは思ったけど、でもそこまで……」

「そうじゃなくて!」

 まなみは強い口調で、私をまっすぐ見つめながら言った。


「あの人、初対面なんでしょ」

 私は頷いた。

「あの人にあたし達が近づいた時、あっちから声をかけてきたのよ。あたしも居たのに。こさゆのほうに声をかけた」

 そう言われて、身体がひやりとした。

 そうだ、考えてみれば、私とまなみのどちらが「橘田」なのか、初対面なら分からないはずだ。

 それを彼女は、まっすぐ私に向けて「すみません」と挨拶した。私の顔を知っていなければ、出来ない対応だ。

「え、じゃあ……ナツメさんは、私の事を知っていたのかな……」

「だと思う。こさゆはあの人のこと、知らないんでしょ?」

「うん……。でも、私がポスターを貼っている現場を見たから、顔は分かってたって可能性もあるんじゃない?」

 まなみは一つ頷いてから答えた。

「それは一理あるわ。でも、ネコがあの駐車場に本当にいたかどうか、分かんないよ」

「え?」

 まなみの言っている意味が分からず、きょとんとしてしまった。

「だから、あれはこさゆをおびき出すウソで、本当はこさゆが目的なんじゃない? あそこにネコがいたって証拠はないでしょ?」

「そ、そんなドラマじゃないんだから」

「ねえ。私思うんだけど、あいつがペット殺しの犯人じゃないかな」

 流石にそれは突飛過ぎると思った。

「それは考えすぎだよ。ほら、あの人、私達と歳も離れてなさそうだし、もしかしたら同じ学校の生徒でさ……」

「違うの! ……あたしが言いたいのは……、こさゆが……シンパイなだけなの」

 そう言い、手を握ってきたまなみは、これまでにない真剣な表情をしていた。まなみの手は強く、私を放すまいという気持ちを伝えていた。


「後悔したくないって気持ちは分かるけど、無防備すぎだよ。ちょっとは用心して欲しいの」

「……うん、分かった。たしかに、まなみの言うとおり、少し突っ走りすぎてたかも」

 私も真っ直ぐまなみを見つめて言葉を返した。ホンキで私の事を心配してくれていることが、嬉しかった。その気持ちが自然に表情に出たらしく、私は笑顔だった。



 それからしばらく、適当な個人経営の店に入っては、ポスターを貼らせて欲しいとお願いに回っていた。

 とりあえず、手持ちのポスターは全て捌き終えたところだった。あとはまなみの持っているポスター五枚は、まなみが帰りがてら、適当に貼っていくと言ってくれた。

 まだまだ日差しは強く汗が噴き出している。


 スマホの画面で確認すると午後四時を回っていた。


 今は、また駅前のコンビニまで戻ってきていた。

 まなみには付き合ってもらったからと、コンビニでジュースをおごってやることにした。

「別にいいのに」

「いいからいいから、何がいい?」

「じゃあ、カルピスソーダ」

「はいよ。じゃあ、買ってくる。待ってて」

 まなみは雑誌コーナーで立ち読みしている。店内奥のドリンクコーナーへ向かう。

 私は、また例のアイドルアニメのおまけのついたお茶にしようかなぁ。朝買ったのとは別のキャラを探して見よう。

 ポスターは休憩室に貼ってもらえているだろうかと考えながら、オマケを選んでいるとブブブとスマホが震えた。この振動はメールだ。


 鞄からスマホを取り出し、メーラーを立ち上げる。件名は空欄だった。知らないメールアドレスからで、添付ファイルが付いている。添付ファイルのタイトルは「黒猫」だった。

 もしやポスターを見ての反応だろうか。

 私は迷いなく、メールを開いた。


「ひっ」

 悲鳴をあげ、手にしていたオマケ付のペットボトルを取り落とした。

 周りに居た人が何事かとこちらを振り返る。まなみも異変に気が付いたらしく、すぐに傍まで来てくれた。


「どうしたの?」

 落としたペットボトルを拾い上げて、私に声をかけるまなみ。

 私はスマホの画面を凝視していた。


 不審に思ったまなみが私の手からスマホを取り上げた。

「なによ、これ……」

 まなみも驚愕した。


 メールの添付ファイルは写真データであり、一枚の写真が画面に映し出されていた。


 それは、血まみれの黒猫の写真だった――。


 店員さんが「どうしました」と声をかけてきた。朝の山田さんだった。

 私はなんとか理性を取り戻し、「なんでもありません、すみません」と答えた。おそらく、顔は真っ青だったろう。

「まなみ、ごめん」

「うん、大丈夫?」

「ありがと、平気……。……でも、今日はもう帰るよ」

 私はまなみからスマホを返してもらい、店員には侘びを入れてから店を出た。落としたペットボトルは購入し、結局同じキャラのストラップが二つ手元に残った。もっとも、私の精神状態はそれどころではなかったが。


 まなみとはその場で別れて、私はまっすぐ家に向かって歩き出した。

 まなみは、家まで送ると言ってくれたが、断った。

 恐ろしくてメールを再確認もできやしない。今の私はとにかく、独りになりたかったのだ。


 私の顔は正面を向いていたが、眼には何も映していなかった。頭の中では、にゃーまのことばかりが巡っていた。


 にゃーまは元々、捨て猫だった。私が拾ってきたのだ。

 飼いたいと親を説得したら、思ったよりも簡単に許してくれたのを覚えている。お母さんもネコ好きだったのが幸いしたようだった。


 飼い猫ではあったが、にゃーまは外が好きだったので、部屋猫にはできなかった。元々野良猫だったからかもしれない。しかしなにより私に懐いていたし、夜になると必ず帰ってきていた。だから、私も正直甘く見ていたのだ。

 それがこんなことになるなんて、考えなかった。


 さっきのメールの写真は本当ににゃーまなんだろうか。ショックでしっかりと確認は出来なかった。

 ひょっとしたら、あれは趣味の悪いイタズラで、にゃーまはまだきちんと生きていて、私の助けを待っているかもしれない。


 ……でも、あれがにゃーまだったら? にゃーまが死んでいたら……。


 そういえば、お昼過ぎに会ったナツメさんも『死んでいたらどうするか?』と聞いてきた。

 あの人はなんであんなことを聞いてきたんだろう。にゃーまは、あのアパートの駐車場に本当にいたんだろうか。


 たしかに、あのアパートは、私の家からそこまで離れてないし、にゃーまの行動範囲内になっていてもおかしくない。それにナツメさんは他にも、にゃーまがうろついていた場所を知っていると言っていた。


 やっぱり、確認しておきたい。ナツメさんは何か知っている。なんとかもう一度連絡が取れないだろうか。

 あちらから掛かってきた電話は非通知だったし、こちらからはアプローチできない。


 結局、私にはもう出来ることはないのかもしれない。


 やれることは全てやった……。


 私は十分やった……。


 後悔、しない……?

 あとで、こうしてればとか、ああしてたらとか、後悔しないだろうか。後悔、したくないんだ。私は。


 ……なぜ、こうまで後悔することを恐れているんだろう。


 私が思考の海に沈みかけていた時、目の前に影が現れた。

 いや、私がぼうっとしていたから、影が突然現れたように見えただけだったのかもしれない。それは影ではなくあの帽子の人物、ナツメさんだった。


「やあ」

 ナツメさんが声をかけてきた。私はとっさに反応が出来ず、彼女を見つめることしか出来なかった。

「メールは見てもらえたかい?」

「!!」

 メールって……あの黒猫の……!? あの写真が想起され軽く眩暈がした。

「どう、思った?」

 ナツメさんはまた同じ質問を投げてきた。

「……あなたは、なんなんですか?」

 私自信が混乱していた。ふらつく意思と震える足に活を入れたかった。何をどう聞けばいいか分からない。

「私はキミに、見つめて欲しいと思っている」

「イミがわかりません」

 何を言っているんだ、この人は。ロマンチストなのか? 詩人なのか? だとしたら悪趣味なやつだ。あんな写真を送りつけてくるなんて異常だ。


 ナツメさんは、一呼吸置いた後、よどみのない声ではっきりと言った。

「黒猫は死んだ」

 呼吸ができなくなったようだった。心臓の音が一つ跳ね、あれだけ暑いと思っていたのに身体を伝う汗にひやりとした。

 太陽は沈み始めている。生ぬるい風が私の髪をねっとりとなぜたようで背筋がゾクリと震える。


「なんで分かるんですか」

 彼女の顔を見れない。本当ならば、耳をふさぎたい。目を閉じたい。逃げたい。

「写真を見なかったんですか? あれを見れば一目瞭然だと思ったんですが」

 飄々とした態度で彼女は言う。「どう見ても、死んでいるでしょう」

「あのネコが、うちのネコとは限らない」

「あのネコはキミのネコだ」

「なんであなたに分かるんですか!」

 叫んだ。否定の叫びだった。

「そうか。やはり、キミは信じない。見ないんだね」

「質問に答えてよ! なんで知ってるの! 私はにゃーまを諦めない! 後悔しないために!!」

 私の胸が爆発し、口から想いが吐き出された時、私はやっと彼女の顔を真正面から観た。

 彼女の表情はどこか生気を感じさせない、能面のような表情だった。無表情とは違う。なんだろう、まるでCGで作られたキャラのような顔だった。


 私の叫びなど聞いていない。そんな感触を受けた。

 私はもう何がなんだか分からないが、叫びと怒りと恐怖と涙でぐちゃぐちゃだった。


「キミは後悔したくないんじゃない。失敗の言い訳を必至に集めようとしているだけだ」

 高鳴った心臓をわしづかみにされ、鼓動をむりやりに止められたような感覚がした。

「ネコが死んでしまったが、自分は十分やりきったのだから、しょうがないという免罪符が欲しく、キミはいま、ネコ捜しに懸命になっているだけだ」

「ち、ちがいます……そんなんじゃない」

 言葉は否定したが、内心は違った。私は「ああ、そうだったんだ」と妙に納得していた。

 不思議な感覚だった。ついさっきまでグチャグチャだった私の心は確実に眼を覚まし始めていた。それでも、否定の言葉が出たのは、この正面の人物への不信感からだ。


 彼女は良くあたる占い師なのか、それとも上手なペテン師なのかを掴みきれなかったのだ。だから私はそれを確かめるために、彼女にこう言った。

「あの写真を撮った場所へ連れて行ってください」

 ナツメさんは、テクスチャの表情で頷いた。


 日は沈み始め、夕闇が辺りを包み始める頃、私は近場の土手を登った先にある、廃棄された工場跡につれてこられた。正面ゲートは鉄板で塞がれ侵入を拒まれていたが、工場の脇の道路沿いはガードレールだけで、それを乗り越えれば簡単に侵入が可能だった。


 ここは不良とかがたまり場にしているところだと、うわさでよく聞いていた。たしかにその通りなのだろう、周囲の壁なんかにはスプレー缶で落書きされた意味不明な言葉が至る所にあった。


 ナツメさんは臆せず、どんどん建物の中に入っていく。三階建てでそこそこの広さがあることに驚いた。


「ここだよ」

 彼女は建物の三階奥の部屋のトビラを開き、中へと私を誘った。

 中はまっくらだ。部屋を見渡しても、特になにもない。

 床は染みだらけで、まるで何かの模様かと錯覚してしまうほど、汚れていた。


 猫の死体は見当たらなかった。


「本当にここなんですか?」

「うん、嘘だと思うなら、もう一度写真と見比べるといい。暗いが、この部屋と特定できると思う」

 私は少し悩んだが、意を決してメールをもう一度開いた。

 黒猫のファイルを開くと、暗い部屋の隅で血だらけになって横たわる黒猫の写真が表示された。

 ネコの体はズタズタにされていて、どう見ても死んでいると理解できた。その床は汚れていて、なにかの染みが滲んでいる。


 私は部屋の隅を調べると、写真と似た染みがある箇所を発見した。ここで、このネコは死んだのだろうか。だが、一つ気になったのは、このネコは青い首輪をしていないということだった。

 飼い主として情けないことではあるが、この死体を見ただけでは、自信をもってにゃーまだとは言い切れなかった。

 この黒猫は本当ににゃーまなのだろうか。体の特徴は確かに似ている。しかし、なにぶん画が暗くよく見えない。


「この写真はいつ撮ったんですか?」

「四日前の土曜日だね」

 土曜日……その頃にはもう……。

 私は息が詰まりそうになった。

「それから、このネコはどこへ行ったんですか?」

「私が葬っておきました」

 ナツメさんはさらりと告げた。

「葬ったって? どこに埋めてあげたんですか?」

「あの黒猫の望みは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言っていました」

 私の質問をムシして、彼女は言う。

 黒猫の望み……なんでそんなものがこの人に分かるんだ?

「何を言ってるんですか? どこに埋めたのかと聞いてるんですよ」

「あの黒猫にとっては、関わったものだけが世界だったのです。そして世界とは本来そういうものなんです」

 妄想癖のある人なのか? 初対面からおかしな人だとは思っていたが。

「質問に答えてよ!」

 私はとにかくハッキリさせたく苛立っていた。しかし、ナツメさんはその質問をムシして続けた。

「……つまりあのネコは、あなたに自分が死んだことを知って欲しくなかったんでしょう」

 ナツメさんは私の瞳を覗き込むように、真意を諮るかのように、私をじっと見つめた。

「え……」

 私は当惑するしかなかった。まるで一つも理解できなかった。

「ですが、私はその願いを断りました。あなたは、私にとっても世界でしたから」

「何言って……」

 私の疑問の声を遮り、彼女は聞けと命じるように言葉を続ける。

「だから、私はまず、あなたがあのネコが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を知りたかった」

「……」

「結果として、あなたはそのことを考えないように、見ないようにしていました」


 言われたとおりだと思った。しかし、もう今の私は否定の言葉を返さない。彼女と私は今、お互いに真意を探っているのだと、感じたからだ。

「それは私がまだ、にゃーまが死んだと言うことを認めたくなかったからだね」

 気持ちに整理をつけ、落ち着きながら自己確認を行った。

「あなたはネコが死んだとして、その残酷な結果を飲み込むための材料を集めていた。つまり、自分は精一杯対処したのだという実績を稼いでいたんです」

「そうだね、私は自己満足のために必死になってた」

 事実だ。

 全くにゃーまの事を考えていなかったわけではないが、私の『後悔したくない』は自分のための行動だった。それは間違いがない。私の後悔とにゃーまの生死は、無関係なのだから。

 にゃーまが死んでいたときに、私はこれだけ頑張ったんだよ、だから許してね。そんな免罪符が欲しかったのかもしれない。

 私は自分が酷く傷つくことを避けるために出来る限り心に鎧を着込もうとしていたんだ。


「そんなことをしなくて良いんですよ」

 ナツメさんが、なだめるようにそう言った。

 その時のナツメさんの表情は今までの張り付いていたそれではなく、本音を語っているような、生き物の顔をしていた。

「にゃーまが死んで、悲しいなら思い切り泣けばいい。許せないなら怒ればいい。気持ちを鎧で着込まず、裸でぶつかっていけばいいんです」

 ナツメさんは、私の心の中を確認していくように、ゆっくりと告げた。

「もっとも、にゃーまはあなたにそういった影響を与えたくないと考えていたんですが、それも愛情であったと信じてください」

 ナツメさんはそんなふうに慰めてくれた。

 いや、彼女は本当にそのままを語っているだけなのかもしれないが、私には慰めとして心中にじわりと広がる暖かい何かを感じた。

 そして、改めてナツメさんは、私に問うて来た。


「にゃーまは、死にました。あなたは、どう思いますか」


 私は泣いた。大きな声で、子供のように。泣き崩れ、その場にひざをついた。

 私は、自分を守るための準備に必死になり、本当に大事な感覚を隠していたんだ。ごまかそうとしていたと言う方が正しいのかもしれない。


「すみませんでした。でも私はその涙が本物だと確認ができました」

 ナツメさんは私にわびる。


「これで、本当の敵が分かりました」

 その一言はナツメさんをまた機械的にした。そしてその顔を見たとき私は判断した。

 このナツメという存在は自分達とは違ったモノなのだと。


「あなたは……何者なの?」

「私は、キミに対して詫びなくてはならない。<フレーメン>の影響を与えすぎた」

 <フレーメン>とはなんだろう?

「能力はもうすぐ消えるだろう。他の三名も。彼女たちには今後、安らいだ生活を送って欲しいものだ。では、さようなら」

 ナツメさんは、闇に紛れるようにその場から去った。


 私はしばらく、その場で呆けていた。

 しかし、スマホの着信音で気を取り直した。

 母からの着信だったので、すぐさま通話をタップする。

 早く帰って来いと言ういつもの母の声を聞いて、非日常的な灰色から日常の色が戻ってきたのを感じた。


 立ち上がり、部屋の隅にあのオマケのストラップを置いてやった。もうひとつ、同じものを鞄にくくる。

 にゃーまは私に、その死を知って欲しくないらしかったが、私はにゃーまが死んでしまったことを知れて良かったと思った。こうして、別れを告げられたからだ。

 こんなオマケのストラップでも同じ物を通じて、少しでもその繋がりが風化してしまわないようにと、願いを込めた。

 その時気が付いたが、ストラップのキャライラストの下部に小さく名前が書いてあった。キャラの名前は、橘田エリスというらしい。私と同じ苗字だったのが少し笑えた。


「さようなら、にゃーま」

 私は廃工場から立ち去った。私の目的は果たされた。本当のイミで、後悔しないということを。

 初めて真正面からぶつかり、そして大きな悲しみと痛みを裸の心に刻み込んだ。

 それはにゃーまが居たから、大きかったし、にゃーまが死んだから、苦しいのだ。その当たり前さが、私を成長させようとしていた。


 貼ったポスター、剥がさないとなぁなんて考えた。せっかく作ったポスターに少し哀愁を感じながら。

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