社会は始まる
とある賃貸住宅のそばの路上に私はいた。部屋の窓が開いているのか、路上に居るこちらにも中の音が漏れて聞こえた。
TVから夕方のニュースが流れているらしい。
警察がどこかの暴力団だか、ヤクザだかに薬物取締法で嫌疑をかけて調査を行ったという内容のものだった。
続いてのニュースが、近頃この街を騒がせている『ペット殺し』のニュースだった。
イヌやらネコを誘拐し、ナイフで滅多刺しにして殺害するという残酷な内容のものだ。
今月に入って五件目の被害が出たようで、TVも取り上げ始めたようだ。
二、三件では大したニュースではないらしく精々新聞に小さく記事が載った程度だったが、五件目ともなると、話題性が生まれるのだろう。最近は昼のワイドショーなどでも取り上げられていて、コメンテーターが残虐な事件だとか、犯人は弱い物イジメを愉しむ稚拙な人間だろうなど、それらしい事を唾を飛ばして喋っていた。
TVは、飼い主の悲痛な声と言うことでペットを殺された女性が涙ながらに心境を語っていた。
部屋の住人が、その女性の嗚咽にもらい泣きでもしたのか、すすり泣きが聞こえてきた。
「……可哀相に……」
可哀相……。それはどちらに対しての思いなのだろう。
殺されたペットにか。それともその飼い主にだろうか。
私は、その涙の理由がどこにあるか分からず、少しだけ空を見上げた。
夏の暑い日ざしが、私の視界を照らし眩ませた。
暑さと眩しさで、私はふらふらと行く宛を見失いながらも、社会貢献のため、その活動を再開した。
――街には多くの人間がいる。
彼らは日々、社会に関わりながらも、自分が世界を動かすほどの力を備えているとは考えてもいない。
君がそこにいるだけで、社会は変化するというのに。
例えば、あの女子高生。
彼女の貼ったポスターがなければ、きっと社会は動かなかったのだろう。
『社会』に意思があるのなら、そんな風に考えたのかもしれない。