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友人Aの反逆日記  作者: みくじ


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14-1

 さて、ここに至ってようやく自身や取り巻く環境について真面目に考えてみようと思う。

 伊勢谷という不鮮明ではあるが一応の情報屋とキャロルという被害者の証言をもとに考察するのだからある程度信頼性は高いはずだ。

 勿論それら全てを主人公の御都合主義が飲み込んでいたのなら真実なんて何もわからないのだが、仮にそうなら何を考えても無駄なので考えないでおく。


 何が真実で何が本当かという言葉遊びをここでするつもりは無い。

 少なくとも俺が真実だと思えることを確認していこう。


 さて、まずは俺。俺自身の事。

 俺は斎藤潤、ではない。

 俺自身、自分が『斎藤潤』であると信じていたし周囲もそのように扱っていた。そのように信じて16年生きてきたはずだった。


 けれど本当は、真実は違う。

 本物は、竜泉寺零王の傍にいた『親友・斎藤潤』というニンゲンは俺以外に存在していて、俺はその役割を押し付けられ洗脳を受けた別の誰かでしかない。恐らく本物の『斎藤潤』が死んだその傍にいた誰かなのだろう。

 俺には『斎藤潤』として生きた記憶が残っている。

 けれどそれが俺自身を証明するとも限らない。

 今まで生きた記憶を全て映像で記憶している人間などいない。大体の記憶で生きているのが人間というモノ。完璧完全なものが無くても生きていける。事実そうやって隠ぺいされて生きてきた。

 というよりは自分の根幹に関わることなので気にしないで生きてきた。毎朝自分が何者で自分の持っている記憶が正しいかなどと気にする人は少ないだろう。


 そして御話として『斎藤潤』という名前のニンゲンと主人公の『親友』という立ち位置が必要だっただけで特に『俺』が必要だったというわけでもないのだろう。

 その役割にはまれば、いや当てはめることが出来るのなら誰でも良かったのだろう。

 顔かたちを変えるのではなく認識だけを変えるあたり本当に『親友・斎藤潤』というモノだけが必要だったのだろう。もしかしたら『斎藤潤』は俺以外にも何人かいたのかもしれない。



 では、その偽りの記憶から解放された今の俺が何なのかといえば、正直分からない。

 間違っていたのは世界ではなく、俺の方だった。

 そして既に道を踏み外してしまいニンゲンでもないらしい。


 それでも、俺自身は主人公様のご都合主義から切り離されても周囲からは世界からは『斎藤潤』という事になる。

 けれど今でもまだ『斎藤潤』だと名乗る気は無い。それは本来別の誰かのモノであり、俺のモノでは無い。俺が望んで手に入れたモノでもなければ望んで手に入れたいものでもない。


 元の俺、『斎藤潤』より以前の俺を基準にしようとして俺が何者なのか。そう考えてもそれは不可能だ。『元の俺』はもうこの世界には存在していない。俺自身にその記憶は残っていないしどこで入れ替わったのかが分からなければ辿ることも出来ない。

 仮に痕跡を見つけられても既に消されているだろう。別人があてがわれているか既に死んだことになっているか、あるいは元からいなかったことになっているか。

 いずれにしてもそこに俺の戻るべき、戻ることのできる場所は無い。



 だから今の俺は何者でもない。

 寄るべきところも帰るところもない。

 何処かのダメ生物の様に貫きたい信念や意志もない。

 今の俺は虚無だ。


 とはいえそれだけで自我が崩壊したり情緒不安定になるわけでもない。

 中身が無ければ無いなりに何とかすればいい。必要なら作ればいい。そんなことで自暴自棄になったり消えたくなるほど俺というモノは強くない。

 あるいは親の影響を受けて生き汚くなっているのかもしれない。

 あるいは考えないようにしているだけで深刻なダメージが蓄積しているのかもしれない。

 そのうち外道に、人外に、化け物になるのだろうか。


 今のところ俺の心情立ち位置は保留しておこう。


 今は現状の確認に専念しよう。



 次に俺がこんな状況に陥っている原因。

 それは言うまでもなく我らが主人公様、竜泉寺零王だ。


 とはいえそれは俺だけを苦しめるためにあるのではない。寧ろ本来の目的は別にあり俺はその余波を受けただけに過ぎない。あれは俺の事なんて本当の意味で気にしてはいないだろう。


 竜泉寺零王。

 にぶちんで天然でそれでいてふとした言葉で人を惹きつける。誰かの為に何かの為に身を賭すことのできる自称普通の高校生。その実態は世界に文字通り影響を及ぼすことの出来る非日常の主人公様。

 あれの力は表向きコピー能力らしい。

 けれど伊勢谷は前に本質はそこではないと言っていた。あれを中心に物語が動いていることこそが本質だとも言った。そしてその力を目の当たりにして、その力から乖離して、その言葉の意味を知った。


 あれは自分の望むように世界を改変しているのだ。

 都合のいいように思い通りに世界を切り取り継ぎ接ぎをしている。


 キャロルが死んだという事実を認めたくなくてその結末を書き換えようとした。周囲の環境をもとに戻して体裁は整えた。

 但しその本人を助けることが目的ではなくそれを救えなかったという事実を改変するための作業だ。

 それが能力の限界ゆえの事かは分からない。

 けれど事実として、誰かを救うのではなく、誰かを『救ったこと』にするための力があれにはある。


 内容やその過程はどうであれ自分の望むような結末だけを受け入れる。それ以外はやり直す。

 そんな子どもが思い描く夢のような、出来の悪い物語に出てくるような力を持っているらしい。コピー能力はその一端でしかない。コピー能力を格好良いとでも思っているのだろう。


 擦れた見方をすればあれの周辺で面倒が起きるのはあれがそれを望んだからなのではなかろうか。

 悲劇が起きてそれを自分で解決するという英雄願望が今日の面倒を生んでいるのではなかろうか。

 だからあれを中心に物語が進んでいく。だからあれは簡単に物語を良い方向へと進める。仮に思い通りにいかなければそこだけ切り離して体裁を取り繕って思い通りに話を進めていく。


 勿論本当に悲劇が起きて欲しいと願ったわけでもないだろうし、そういう中二病的な妄想は誰でも持ちうる。問題はあれにはその妄想を現実にしてしまう力があったこと。

 その責任も今は置いておこう。



 自分の望んだように世界が変わる。結末を変えられる。

 そんな神にも等しい能力だからこそ周囲の非日常はあれに群がる。事実あれを取り巻くヒロインの殆どがその非日常の主力級だ。

 やはりあれは、竜泉寺零王は、結局のところ物語の主人公様なのだろう。それが能力故なのか生来の性格故なのかは置いておくとして。


 では、あれが改めて物語の主人公様であると認識して、その周辺はどうなっているのか。


 あれの背後組織に属するザマス眼鏡は『神を殺すこと』が目的だといった。

 その為には竜泉寺零王の覚醒が必要だとも言った。覚醒とは言うまでもなく世界を切り取り継ぎ接ぎが出来る力を向上させ制御出来るようにすることだろう。そうして完成した竜泉寺零王を道具として使う事が目的なのだろう。

 組織が誰かを比護や保護するには理由がある。それが本人の望まないことであるのはそれ程大したことではない。だからあれに対する同情なんて湧かない。


 彼らが最終的に殺したい『神』とやらについてはさっぱりわからない。

 ここで伊勢谷とキャロルの情報を借りるとその神とやらが朧気にだが浮かんでくる。ここで言う神とやらは残念ながら集合無意識ではないらしい。


 いま世界に蔓延っている非日常的な超常的な力を持つ人間が所属する組織の殆どは大元をたどればひとつにまとまるという。つまりどこの国どこの文化でもそういった力を持つモノ、便宜的に異能者、が集まる組織は方法や程度が違うけれど同じ思想を持っているという事。

 彼ら彼女らの最終的な願い。

 それは異能を無くすことにあるらしい。


 異能を手にしたことで恩恵を受けたことはある。けれど殆どの異能者は己の異能を忌み嫌いこの手からなくしたいと願うらしい。だから大きな力を得ても表に出ることなく影に潜り息を潜めて平和を好むという。


 キャロルの所属していた欧州系の組織は異能を科学に組み込み制御可能なものに落とし込もうとしていた。観測制御可能なモノ。そうすることで異能を無くすことが最終的な目的だという。解明された技術は魔法でも何でもない。

 ということらしい。

 


 一方で竜泉寺零王の背後組織、ザマス眼鏡たちの組織は異能というモノに対する忌避は同様だがもっと直接的だ。

 この世界の異能には原因がある。その原因を消し去ることでこの世界から異能を無くす。

 その過程で何千何万もの命を消費することになってもその目的達成を優先する。悲願達成のためには手段を選ばない。そういう組織だ。


 ではその原因とは何か。

 ここで『神』に戻って来る。


 曰く今日の異能はとあるひとりの人間が始まりらしい。その人間はこの世界の破滅を願っている。その為に何千年もの間異能を世界に振りまいているという。

 その人物こそザマス眼鏡たちが諸悪の根源としている原初の異能者、詰まる所の『神』である。


 原初の異能者である神は並大抵にモノには殺せない。

 今日の異能者は神が生み出したモノ。被造物は創造主に勝てない。

 そもそも神自身が不死という話もある。


 けれど稀に異能者の枠からはみ出すものがいる。異能者というニンゲンの枠を超えて世界を変える、神すら殺せるような素質を持った存在が極稀に生まれる。

 ザマス眼鏡たちはその素質の持ち主を見つけては試練を課して神殺しの道具として育成しているらしい。

 そして現状において、いや過去を遡ってみても最も完成に近いところまで育っているのが竜泉寺零王というモノだ。


 ただ、神殺しの育成はあくまでザマス眼鏡たちの方針。

 キャロルのいた欧州系やその他が許容しているモノでは無い。だからキャロルやその他勢力はあれを中心に集まった。その組織間の軋轢も神殺しとしての経験値になったわけだがどこまでが誰の意志なのかは不明だが。



 さて、これで俺の周りは以上だ。


 非日常は俺の知らないところで世界に蔓延っていて、それは俺ではない別の誰かを中心に誰かの思惑で進んでいる。

 その思惑に掠ってしまっただけのはずの俺は偶然が重なりその物語を見守ることが出来る立場にまで登ってしまった。


 まとめればそれだけの事だ。

 何の面白みもドラマもない話だ。


 現状を理解出来たところで俺に出来ることは無い。所詮は掠っただけの木っ端。中心に割り込めるはずもなく思惑に横槍を入れられるはずもない。

 けれどもしかしたら、偶然がまた重なれば割り込めるかもしれない。これ以上の悲劇を食い止めることが出来るかもしれない。

 そう思えるところはある。


 今まで日常に浸り非日常を憧れた身としては今持っている力に感嘆し何でもできる気分になっている。


 だが、俺は何もしないだろう。

 仮に俺の行動で何千もの命が助かるのだとしてもそこに俺が関わるべき義務も義理もない以上する必要が無い。


 俺の望むもの平凡で凡庸で、面倒のない日常だ。

 誰が為の人生ではない。

 所詮自分本位だ。



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