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そこからの記憶はあまりない。
いや、何が起きて何をしたのかは覚えている。泣き叫びたいほど、逃げ出したいほどの気持ち悪さに見舞われていても思考だけはやけにはっきりとしていた。
それが幸か不幸かは考えたくは無かった。
突然のマツウラ1号四肢飛散に混乱するマツウラたちと綾香を引き連れてその場を離脱した。理解が悪く手間取ったが一刻も早く離脱したかったので力で強制的に従わせた。
離れていくその場では主人公様たちが演劇をしていたけれど関係なかった。
御都合主義のリテイクなんて見ていられない。
そこで起きるのは奇跡でも何でもない。
単なる演目というよりは遊び。そして偽りだ。
あれに対して物理的な距離にどれだけ意味があるのか分からないが一先ず北陸まで逃げ帰った。
そして日本家屋の一室に引きこもって精神を落ち着かせることに専念した。
思考は出来ても感情やその他諸々が伴わなかった。急に奇声を上げたくなるし急に涙を流すなど情緒も安定しなかった。感情が心が安定してどうにか現実に戻ってこられたのは丸2日経ってからだった。
「やあやあ、斎藤君。ようやく起きたね。随分とまあ呑気に寝るものだね」
そして現実に戻ってきて最初に認識したのが胡散臭いテンガロンハットをかぶったおっさんだった。
意識が戻って直ぐにおっさんとはかなり残念で気分が萎れるのだが仕方がない。精神がささくれたっている間は綾香やその他のニンゲンは近づけていない。
距離はとっても木っ端ではあれの影響下にある可能性がある。落ち着くまではあれの影響を受けているであろうモノを視界に入れたくなかった。
俺の周りであれの影響を受けていないのは三日月を張り付けた伊勢谷だけ。
一応他にも心当たりはあるのだが態々会いに来ないだろう。
こんな面倒が蔓延っているこの街を既に離れている可能性もある。元の性格からすればあれも面倒は嫌いなタイプだし。
さて、唯一の理解者、というわけでもないが少なくとも真っ当に会話が出来る相手。それを前にしてどうするか。
相手は所詮伊勢谷なので味方というわけでもない。知っている真実を全て語ってくれるほどお人好しではないだろう。
けれど未だ精神が安定しきれていない、余裕のない俺は結局心の安定に勝てず会話して落ち着くことを求めてしまった。
「自分は凡人ですからね。あなた方の様にまだ狂っていないんですよ」
「そうかな。キミも十分狂いだしていると思うけれど?」
「それでも元は凡人ですから。受け入れるのは容易ではないんですよ」
会話をすることで意識も感覚も現実に戻ってきたように思える。
おっさん相手の御喋りで落ち着くというのは屈辱的ではあるのだが仕方がない。
手足の感覚や舌先と喉、それらもいつもの調子が戻ってきた。
ただ、いつもと違うのは意識や思考がどこか乖離しているということ。感情や感覚、意識もはっきりしているのだけれど自分が自分でない様に思えてしまう。
言ってしまえば自分というキャラクターを操作している感覚に近い。
操作しているから感情移入は出来るが何処か冷めた思考も残っている。俺自身良く理解出来ないのだが変な気分だ。
もっともそれで何か不都合があるのかといえばそんなことは無く、寧ろ異常な状況でも平然としていられるので都合が良い。こんなふざけた世界で凡人たる俺に拒絶反応が出ないはずがない。
吐瀉物をまき散らさなくて済むというのは精神安定上宜しいことだ。
無意識に逸る呼吸を意識的に落ち着かせる。反射的なモノであってもそれを自覚できれば対処は難しくない。
無理矢理ではあるが落ち着いたところで不安が口をつく。
「それで、あれは何なんですか。いや、何なのかはこの際どうでもいいです。理解したくもありません。問題は何時からで、何処からかです。そしてあれの影響下がどこまで続くのか」
こんなことを聞いたところで意味は無い。
誰かに答えを求めたところで正しい答えを貰えるとは限らない。仮に真実だろうと自分が納得出来なければ意味は無い。
それに意識の中ではあれが何であり、俺が気になっている気にしている問題の答えは出ている。
あれは、龍泉寺零王は本当に世界に影響を与える存在なのだろう。
あれが影響を与えるというのは直接的にという事だ。誰かが死ぬことを許容できないのであればそのことを無かったことにする、という具合に。
問題はその方法。
これが仮に時間を巻き戻すというようなモノだったらここまで怖気を感じなかっただろう。物語性を考えるとタイムリープは難しい題材ではあるのだが、それはある種真っ当なモノだと思う。
だがあれは違う。あれはその事実だけを取り除いて自分の都合の良いようにつなぎ合わせているだけ。絵本の結末が気に入らずその部分を破いて自分で書いた陳腐な絵を差し替えているようなモノだ。
それを子どもがするのであれば可愛らしいのだが高校生にもなった人間がそれを現実で世界に対してするというのがふざけている。
あれがしたこと。
それはキャロルが死んだという事実を無かったことにするために周囲の被害を隠ぺいしてキャロルの代わりとなる人形を用意した。周りのニンゲンにはそこで起きた事の記憶を消してもう一度やり直す。
言ってみればそれだけだ。だから時間は巻き戻っていなかった。
何故今のキャロルが人形だと言えるのか。それは簡単で俺が自らの手で殺し、彼女の力を奪ったから。今でも俺の中には面倒な炎が燻ぶっている。
もし全てをやり直しにしたのであれば俺の中に残っているのは可笑しい。それがあそこにいたローズマリー・キャロル本人が本人ではないと言える理由。
マツウラ1号が四肢飛散したのも体裁を整えることしかしなかったからだろう。
あるいは人体の修復は出来ないという縛りがあるのかもしれない。だから仕方なくキャロルの人形を用意したのかもしれない。人体修復が不可能で人形の作成が可能というのも矛盾しているように思えるのだが。
仮にそうだとしても、そうであるのなら寧ろそんなことをする意味が分からない。もしそうなら本格的に自分自身の為に世界を書き換えているだけでしかない。本当にあれだけに都合が良いように。自分勝手に。
あれはそんな気持ちの悪いものだ。
それらをここで伊勢谷に問いかけたところで何の意味もない。
感情では理解していないつもりだが意識としてはそれが俺の中では事実になってしまっている。否定されても信用しないだろうし、肯定されてもそれはそれで疑うだろう。
そう、意識では理解している。そう理解していても感情的には納得できない。感情が整理できないでいる。
やはり元の俺は凡人なのだろう。
唯一の救いは身体の制御が意識の下にあることだろう。そうでなければ阿保みたいに喚いていたかもしれない。
そんな俺の内面のちぐはぐを知って伊勢谷は実に愉快そうに嗤っている。いつになく三日月を張り付けたような笑みが不気味だ。
そんな伊勢谷はその笑顔のままとあるものを差し出してきた。
「見かけ以上に崩れていない斎藤君にはプレゼントをあげよう」
伊勢谷が差し出したのは何の変哲もない手鏡。恐らく百円ショップで売っている安価なものだ。非日常的な魔法的なナニかは施されていない。
その行動が理解出来ないものの特に拒絶することでもないので素直に受け取る。
手鏡を受け取る。
そこには冴えない普通の男性が映っていた。
「う゛ぇえ……う゛えかはぁっ」
手鏡に映る自分の顔らしきものを見て反射的に胃の中のモノがこみ上げてきた。
そして抵抗虚しくそれをぶちまけた。
手鏡には普通の男性が映っていた。
普通の成人男性が映っていた。
見た目は大学生か社会人。年齢としては20代半ばくらいだろう。
それは確かに凡庸で特徴のない、表現だけで言えば俺が自身に思っていた特徴なのだが断じて違う。俺の知っている俺の顔を老けさせたのではなく全くの別物だった。
伊勢谷の差し出した手鏡に映っていた自分の顔が全くの別人になっていた。
「何をえずいているのかな。面白いなぁ斎藤君は。キミの顔は元からそうだろう? 今更自分の顔で気持ち悪くなるなんて余程現実が見えていなかったのだね。もしかしたらキミはキミ自身が何者なのかさえ知らないのかな」
見栄もやせ我慢も利かず無様にまき散らす俺を伊勢谷が嗤う。
そしてはっきりとする意識だけが拒絶を示す体をよそにその言葉を正しく理解してしまう。
俺の顔は元から今の20代男性のモノだった。老けたのでもなく顔が変わったのでもなく元からこれだった。今まで認識していた自分の顔こそが違ったのだ。
自分が認識していた自分が違うというならば自分は誰なのか。おそらく俺だと認識していた顔を持つモノが本来の俺、というよりは斎藤潤という人物なのだろう。
では、俺は何者なのか。
誰なのか。
そんな事、そんなもの、思考を放棄するしかなかった。




