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放課後。
今日もまた親愛なる知人を勉強会という名の修羅場に見送るとのんびりと1人で下校する。他のクラスメイトとも特に連れ立って下校することもなくぼっちである。
最近店主と顔見知りになり行きつけになった個人書店に立ち寄りマンガやラノベの新刊を購入。その後スーパーで食材を買い込み帰宅する。
食材の買いだしなど始めこそ戸惑ったものの慣れてみればなんてこともない。それに細々したものやかさばるものはまとめて休みに買えば日々の買い物は少なく出来る。
寒くなって来たので鍋三昧というのも手だ。食材はほとんど同じですむし。
そんなこんなで寄り道をして学校から徒歩10分ほどのアパートに帰りつく。
4LDK のメゾネットタイプ。諸々込めて月3万5千。
本来ならもっとするのだが二階の窓から墓地が見えるという事でこのお値段。とは言え高校生の一人暮らしにしては贅沢な部屋である。
そんな自宅に帰宅するとぐうたらな同居人が出迎えた。
「おかえり、じゅんじゅん。新刊は買ってきたのかな? 買ってきたよね、よね? ね?」
「はいはい、買ってきましたから落ち着いてください」
少年とも少女とも思える同居人にコミックとラノベの新刊を渡す。それを引っ手繰るように受け取った同居人は足早にリビングに戻りクッションで作られた巣に籠り早速読み始めた。
その周囲には数百冊のマンガとラノベが置かれている。
「それすべて読んだんですか。随分御執心ですね」
その数百冊が全て自分の物である事を棚に上げて創作にどっぷりな同居人に呆れる。
同居人は俺の言葉などさして気にした様子もなく本から視線を外すことなく返答する。
「いやいや流石にボクでもこれ全てを一日では読めないよ。マンガは読んだけど流石にラノベはねぇ。ま、全部読むつもりだけど」
「あ、そうですか」
「にしてもラノベといっても作品によって色々なんだね。30分であっさり読めちゃうものもあれば2、3時間かかるものもある。ラノベの定義ってなんなんだい?」
「さあ詳しくはないんじゃないんですかね。今のところ『あなたがラノベと思えばそれはラノベです』ってのが定義らしいですし」
「なんだいそれは」
実際のところ俺にもよくわからない。それに特に決めなくていいとも思っている。別にラノベだから低俗ということもないし純文学だから高尚というわけでもない。
面白ければ興味深ければ何でもいい。
そんなどうでもいい雑談をしつつ食材を冷蔵庫に仕舞っていく。荷物は二階の自分の部屋に置き部屋着に着替えてリビングに戻る。
少し早いが落ち着いてから再度準備するのも面倒なのでさっさと夕飯の支度に取り掛かる。
支度といっても今日は鍋で終わらせるつもりなのでさほどすることは無い。
精々今日買ったものの処理をするだけで暇なのでどうでもいい雑談を続ける。
「なんというか、つくづく俺って凡庸ですね」
「またそれか。昨日も言ってなかったっけ、じゅんじゅん」
ちょうどマンガを読み終えて余韻に浸っていた同居人はクッションに埋もれたまま答える。
その声にはどこか呆れが含まれている。
「いや、だってねぇ。たくさん読んで分かったと思いますけど普通こういうのって一度巻き込まれると雪だるま式に膨れ上がるものじゃないですか。ほら科学と魔術が交差すればひと月で街の暗部に触れて半年で世界大戦になるわけじゃないです。なのに俺といえばこの体たらく。平穏無事で誰にも気づかれないなんて」
私、斎藤潤は先月公園で超常的なものに巻き込まれた。本来であればその場で取るに足らないものとして目の前を飛んだコバエのようにピチュンされるところであったのだが縁あって生き永らえている。
というか死んだと思ったら生きていた。
そして男とも女とも分からないモノに居場所を作れと言われあれこれして今に至っている。
その時色々あってこの身に超常的な力を宿している。
例えば二歩の助走で一軒家を飛び越えられる。
例えば自販機を投げ飛ばせる。
例えば本をパラパラ眺めただけで全てを記憶できる。
例えば記憶に必要なものが揃っていれば瞬間に問題の解き方を導き出せる。
だというのに未だに俺の立場は何でもない友人Aのままだ。
「じゅんじゅんはそういう非日常がお好みなの?」
「いや、出来れば出現は控えて欲しいですね。面倒ですし」
とはいえ、特殊な力を手に入れたところで正面切って活躍するつもりもなければ暗躍するつもりもない。傍観者から当事者になりたいわけではないモブから主役に変わりたいわけでもない。
「なら何が言いたいんだよ」
「別に。ただ平凡っていいよなって話です」
普通ではない力を得て生き永らえて何をしているかといえば特にない。
文化的で健康な日々である。
物語の主人公や登場人物はその胸に何かを抱えて行動するようなものだが一般人には何かを賭してでもしたいことなどない。
自分が捨てられた皇族だなんていう設定もなければたった一人の妹の為に世界を壊すだなんて気概もない。
一般人は超常的なものに触れれば増長するか暴走するか、あるいは埒外の事に怯えて暮らすかである。
勿論何かをしようとしても大きな力の所為で何も出来ずに終わる。
それでも男子高校生的には異世界やら世界の支配構造やら宗教やら秘密結社やらに憧れがあるわけで妄想せずにはいられない。
妄想のみだけど。
非日常やファンタジーなど二度といらない。
本当に死んだと思ったし本当に怖かった。
「まあ確かにじゅんじゅんの気持ちも分からないでもないよ。マンガにもあるように普通はボクらみたいなのは平穏とはかけ離れているからね、平穏だと裏に何かがあるんじゃないかって思うよね」
「分かって頂けたようで何よりです」
「これも勉強の成果かな? それでそういった奴らは自分の欲求や願望に素直なのが多いから様々な思惑に近づき巻き込まれる。ボクもそういった奴らのお仲間だからね、一応そういうのはあるけどね」
そんなことを言う同居人だがその手には新しい本が取られていた。
現在渦巻いている欲求や願望は世界を混沌に導き世界の支配構造を変えることではなく俗物的な作品に触れることらしい。
もっともその深淵に導いたのは俺なのだが。
居場所を作れと言われてもよく分からなかったので手に入れた超常的な力で一人暮らし(?)を始めた。
始めこそのんびりと過ごしていた同居人だが平穏は平穏で暇ということだったのでマンガやアニメらを進めてみたのだ。
その結果がこのザマだ。
俺としてはこんな平和が続けばいいと思ったりするのだが続かないものだ。
御約束としては急に走りだした事態に振り回されて訳も分からないまま物語に身を投じていくところなのだがそんなものに乗ってやる義理はない。
正直面倒なのだが聞くべきことはあらかじめ聞いて起き出来る対策はしておくべきだ。
ま、聞いたところで何ができるわけでもないんだけど。
「で、本当のところ何がしたいんですか? 何をさせたいんですか?」
「ん? 別にないよ。本当も嘘もないさ」
真面目な問いは逡巡もなくどうでもいいようにさっくりと捨てられる。
しかしそんな言葉だけで納得できるはずもない。
不満をあらわにしていると心底面倒そうなため息とともに補足がやってくる。
「別に何かがしたいわけじゃないよ。それで納得できないなら何もしないでいい平穏な日常を求めているとでも言えばいいかな」
「そんなもんですか?」
「そんなもんだよ。ボクの特性は逃げる、隠れる、生き延びる、だからね。その平穏な日常にキミが有用だっただけだよ。それにじゅんじゅんを利用しているけれどキミでなければならないわけじゃない。同じ状態のニンゲンなら別に誰でもよかった。それに必要なのはキミのようなニンゲンだけ。中身は関係ない。だからボクはキミに何かを求めない。ボクの邪魔さえしなければそれでいい。キミに流れた力はそのお代だと思ってくれればいい。ボクの平穏が破れないのであれば自由に使ってくれても構わない。以上」
この問答が面倒だったのかさっさと切り上げてしまう。
いや、この話がというより単純に純粋に本が読みたかったのかもしれない。口をつぐんだ後は黙々と視線を本に落としている。
本音としてはまだまだ聞きたいところなのだが聞いても仕方がない状況なので諦める。
それに聞けたとしてもそれが事実とも限らずまたその真偽を確かめる術は俺にない。
ならば自分なりに考えて落としどころを見つけるしかないか。
現状俺には何かする力はない。普通とは言い難いものはあるがそれは俺のものではない。
ここで助長すれば本当にピチュンされるだろう。
何かを出来る力を持つ同居人は特に欲があるわけでもなく平穏な日常を欲していると言う。
その結論がこの何もない文化的で健康な日々というならそれは願ったり。
物語的なものに毒されているため本当は裏で色々なことがうごめいているのではと思ってしまうだけなのだろう。
平凡な人間にはそんな非日常が待っているはずない。
非凡で異常な非日常は主人公様の方へ流れていくのだろう。
平凡で凡庸な友人Aは何があっても表舞台には出られないのだろう。
出たくもないけど。
「ま、これが俺だよな」
これが現実というなら従うとしよう。
後は主人公様の物語に巻き込まれないように気を付けるだけだ。
そう思う事にして夕飯の支度に戻る。
「さて、チヤ。今日は鍋にする予定ですが、キムチとカレーとゴマだとどれがいいですか」
「カレーでお願いしもす」
同居人、チヤの意見で今日の夕飯はカレー鍋と相成った。慣れたものでサクサクと具材を処理して市販の素であっさりと終える。
ここひと月ほど料理をしてきたがやはり市販の料理の素は正義だ。
どれだけ料理に慣れようと勉強しようと一般人がプロのような腕にはならない。そもそも素人が少し頑張っただけで慣れるものはプロとは言えない。
家庭料理に多少打ち込んだところでプロになれるなど御話の事だ。
これでも一応憧れはあったので色々と頑張ってみたのだが技術云々の前に調味料やらを集めるのが面倒すぎて断念した。とある日の一品の為に少量しか使わない調味料とか買っていられない。
まあそんな訳で料理の素は正義である。
食材が良い感じになるまで同居人と同じようにマンガなどで時間を潰す。出来上がれば黙々と食べ締めはカレーリゾットにして満足した。