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紅い音色に想いを乗せて

紅い音色に想いを乗せて 6

作者: 庵原奈津

 ああ、またあの夢だ。藍澤宗助あいざわそうすけに憑かれてから、何度も見た、悲しい夢。

 ひらひらと頭上から舞い落ちる薄紅色の花弁。雪のように舞い降りて、それはやがて土を埋め尽くす。桜色の絨毯を踏んで、彼女が鼓の音を合図に隠れいている場所から現れるはずだ。


 ――皐月さつきさんに早く逢いたい。


 鼓を風呂敷から出し、肩へと担ぐ。ぽん、と鼓の音が虚空に消えた。

 でも、誰の気配もしない。出てこない。もしかしたら聞こえなかったのかもしれない。そう思い、もう一度鼓を叩いてみるが誰も現れなかった。


 何度も何度も叩き続けた。あの人が来るのを今か今かと待ち侘びながら。やがて、背後で足音がした。ようやく待ち侘びた人に逢える。


「やっと来た。待ってたよ」

 彼女の顔から零れ落ちる笑顔を想像しながら、後ろを向く。が、来ていたのは皐月さつきさんではなかった。

 松木忠雄まつきただおだった。昏い眼でいつも彼女を目で追っていた男。


 ――気味が悪いの。


 そう彼女が不安そうに呟いたのを思い出す。思い過ごしだよ、と皐月さつきさんの不安を笑い飛ばしたことを後悔した。今、目の前にいる男はどこかおかしい。確かに気味が悪かった。いや、気味が悪いなんてものではない。暗闇にぽっかりと浮かんだのは、何かに憑りつかれたかのように青白い顔だった。


 死人のような面にある瞳は金色に光り輝き、その中心は縦に伸びていて爬虫類の様な目をしている。蛇に睨みつけられた蛙のように、身体が恐怖に竦んで動けない。逃げ出すことも、目を逸らすこともできずにいると、松木忠雄まつきただおわらった。にぃっと口端を釣り上げて、不気味に。


 そして、次の瞬間。腹部が突然熱くなった。身体の内側から燃えるように。熱の発生源を見てみると、私の腹から柄が生えていた。忠雄ただおがそれをゆっくり引き抜くと、栓を外したように紅い液体が噴き出てくる。彼の手は、返り血を浴びてぬらぬらと真っ赤に染まっていた。


 再び包丁を振りかざし、刺す。それを何度か繰り返しているうちに、彼の形が崩れた。まるで泥人形が水をかぶったように。昏い瞳があった場所はぽっかりとすべてを飲み込みそうなほど深く暗い穴がある。唇は半分剥げ落ち、歯が見えていた。抵抗する力もなく、皐月さつきさんの無事を願いながら茫然と見つめていると、ずるりと残りの肉が嫌な音を立てて地に落ち、桜の花びらと土にまみれた。


 視線を戻すと、もう忠雄ただおの姿はなかった。そこにあったのは、人ではなく――怪異そのものだった。その背後には、何人ものむくろたちが控えていた。怪異の大群。彼らが骨だけの手を私に伸ばす。逃れようともがこうとするも体は動かなかった。怪異達はひたすら私の名を呼んでいた。


――春陽しゅんよう


女性の声が聞こえる。


――春陽。


 優しく呼びかける声。

 はじめは1つだけだった声は、やがて大量の人間だったものの声が重なり埋もれてしまった。声は轟音となっていく。耳が痛い。呼ぶな。私の名は、怪異ごときが口にしていい名ではない。


「春陽」


 呼ぶな。黙れ。私の名を、それ以上は呼ばせない。

 死んで化け物となった身で、呪われた身で、生きた人間に害を為すな。私の仲間を傷つけるな。


「春陽」


 黙れ。私の名を呼ぶな。全員叩き斬ってやる。

 あいつとは違う。お前らは、ただの化け物だ。喰い殺してやる。今すぐにでも。


「春陽!」

「黙れ! やめろ!!!」

「春陽、落ち着け。春陽!」


 がばりと身を起き上がらせると、一対の手が私を静止した。その手は肉が削げ落ち剝き出しになった骨の手と重なる。

 知らず手は、刀を見つけて抜き放とうとする。が、刃は抜けず、微動だにしなかった。


「放せ! 放せ――」

春陽しゅんよう! 落ち着け。大丈夫だ。お前はちゃんと帰ってきた。よく見るんだ、夢は醒めた」

「…………」

「もう大丈夫だ」


 局長が安心させるように背中を撫でてくれる。一瞬、そのまま気が抜けそうになるが倒れる直前の事が頭をよぎった。


「違う。違う……大丈夫なんかじゃない。樹希たつきは?」

「隅田川に向かった」

「ダメだ。私が行かないと――私が行って喰い殺さないと、樹希たつきが喰べちゃう。

化け物になっちゃう。ダメだ、生きてる人間が化け物のせいで傷つくのはダメ」

樹希たつきの器はまだいっぱいじゃない。大丈夫だ」

「――でも、行く。これ以上、大事な人は失いたくない。傷つけられたくない。仲間を放っておけない」

「今のお前じゃ戦えない。今のまま行けばきっと自分を失う。未消化の怪異がお前の中で生きてる。それを先に消化すべきだ」

「そんなこと、どうでもいい」


 部屋を飛び出そうとしたとき、局長の鋭い声が轟いた。


春陽しゅんよう!」


 後ろは振り向かない。振り向けば、未練が生まれる。それだけは絶対にできない。

 ぎゅっと目を瞑り、声を押し出す。


「行かせてください」


 背後で立つ音がしたと思ったら、ぽんと頭に大きなてのひらが置かれる。

 子供の頃、よくこうして頭を撫でられたことを思い出す。


 これが、最期になるかもしれない。


 そう思うと振り返りたくなるがぐっと堪えた。


「……無事に戻れよ」


 頭上から、ひどく穏やかな声がした。返事をしたら、いけない。約束はできないから。

 私は頷くこともせず、部屋を飛び出した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 怪異の書き方が巧くて、ゾワリときました。
2016/01/12 07:16 退会済み
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