8 ひらひら服という武装
「…っと!」
ヒサカが大きくP子さんに向かってうなづいた。その顔には、笑みが大きく広がっている。
「OK?」
「OK。やっぱりあなた、こういう時一番よね」
「あ~いいなあ」
思い切り眉を寄せながら、マヴォは大声を出した。この日は彼女の録りではなかったので、少し顔を出してから帰るらしく、例のひらひらスカートやブラウスを着込んでの参上だった。ほんっとうに似合わない、とP子さんはついまじまじと見てしまう。
「なあに? また似合わないって言うの?」
「言いたいのは山々ですがね、マヴォちゃん」
「いいのよー。こーゆー服はねー、似合う似合わないで着るんじゃないんだもん」
「そういうもんですか?」
言いながら、言った当人ではなく保護者の方を見る。
「そういうもんなんでしょうね、きっと。…私にも理解はできないけれど…」
最後の方は小声になっていた。そのリーダーの後頭部をマヴォは平手でぱし、と叩く。
「痛いわねえ」
ふん、とマヴォは口をとがらせる。
「だってそれでもヒサカは買ってくれるじゃない。似合わないと思えば買わなけりゃいいのよ。ヒサカがスポンサーなんだから」
「あなたが欲しがるから買うんでしょ」
「ちがーう。絶対ヒサカは店に長く居るのが嫌なんだわ。だからさっさと買って済ませてしまおうって思ってるのよ」
「…それはそうだけど」
くく、とP子さんは笑った。痴話喧嘩だなあ、と思う。だがヒサカがその類に居にくい気持ちは分かる。それはそうだろう。
「…だって、ねえ。あなたその類の店に居ると、何十分も居座って、店員さんと話し込んでいるじゃない。…私ただでさえ、あの空間では自分が浮いてるの、判るのよ」
「だったら近くのカフェか何かで待っててくれればいいじゃない」
「…だって、ねえ」
何とも言い様が無い表情をヒサカはする。怒っていいのか笑っていいのか、どうしていいのか判らない、と言った顔だ。
「まあ、じゃあ今日あたり、マヴォちゃん御用達の店に、ワタシをちょっと連れてって下さいな」
「P子さん?」
「P子さんが?」
二人の声がユニゾンになる。
「何驚いてるんですか」
「…ま、まさかP子さんが…」
「そんな訳ないでしょう? プレゼントですよ」
はあ、と二人は顔を見合わせ、ほうっ、と深呼吸をする。
「よ、良かった~いくら何でもあたし、P子さんがあのブランド着た姿なんて見たくない~」
「私だってそうよ。この子のせいであなたがとち狂ってしまったかと思ったわ」
何やらさんざんなことを二人とも口走っている様な気がするのだが、あえてそのあたりは無視することにする。
「あ、もしかして、こないだのいきさつの」
「いきさつ?」
ヒサカは相棒の方を見る。
「…まあそうですね。ややイメージは違うけれど、マヴォちゃんくらいの背丈だし…。服一着ってのは無謀ですかね」
「服一着ってのは無謀よぉ。だったら、これじゃなく、もう少しリーズナブルな方に案内するっ!」
さあ行こう行こう、とそのままマヴォは立ち上がると、P子さんの腕を引っ張って、スタジオの扉を勢いよく開けた。思わず硬直して見送ったヒサカのため息がスタジオの中に聞こえたのは、それから五分後である。
*
さあ行こう行こう、とマヴォがP子さんを連れて行ったのは、現在彼女が着ている有名ブランドではなく、「まがいもの」のほうだった。形やコンセプト的には近いのだが、生地や縫製、それに形がやや異なっている。価格がやや下がるため、高校生あたりが買いそろえるにはお手頃となっている。
しかし店の雰囲気はそう変わるものではない。ショウウインドウの中に飾られた服と、小物にやはりP子さんはやや引いてしまう自分を感じていた。
「どうしたの~いいじゃん。あたしが見てるんだったらそう違和感ないでしょ?」
「…まあ、そうですね」
乗りかかった船である。…結局、あの服をふんづけた時の染みが、上手く取れなかったのだ。洗濯は上手なはずなのに、とDBは少しばかりしゅん、としていたのを覚えている。白かったから、漂白して、とか何度かトライしているのだが、どうもやればやるほど色合いがおかしくなって行くのが判るのだ。ううむ。
「こんにちわあ」
マヴォは比較的にこやかに店内に入って行く。おいおい確か人見知りするはずじゃなかったっけ、とP子さんは片方眉を上げた。まあしかし、判らなくもない。こういう店内には、彼女が嫌いな「男」くささが一切存在しないのだ。
なるほどね、とあらためてP子さんはマヴォがこの類の店と、売っている服が好きな理由が判るような気がした。
服は記号だ。
皮ジャン皮パンを着るのは、ある程度、「ロックをするひと」という記号がそこにあるからだ、という意識がP子さんにもある。そこに似合う似合わないは関係ない。ある意味「制服」とも近いのかもしれない。自分にとっての武装。
「P子さあん、どういうのが似合うの? そのひと」
「ご本人のお写真とかあれば」
マヴォと店員の両方から一度に声をかけられてP子さんははっとする。
「写真… はないですがね、いいですよマヴォちゃん、あんたの趣味で」
「ったって、あたしが着る訳じゃないんだから」
「白っぽい奴、ってことだけでいいですから」
そうは言ったってねえ、とマヴォは店員と顔を見合わせる。
「ではまあ、後でお似合いにならない、とお思いになられたなら、その時にはその方お連れ下さいませ。お似合いになるものをこちらでも精一杯見繕わせてくただきますから」
「そうして下さいな」
とは言ったところで、自分がDBを連れて来る訳がないのだが。
マヴォが選んだのは、割合その店にしてはシンプルなものだった。ただ、スカートの裾だけはひらひらと実に大量のフリルがあるのだが。P子さんは天井を見上げ、それを着たDBの姿を想像する。
「…そうですね。いいんじゃないですか?」
「なら良かったけど」
マヴォもほっと胸をなで下ろす。
「本当に、合わなかったらご遠慮なくおっしゃって下さいね」
にっこりと笑う店員に、とりあえずP子さんはありがとう、と言った。
*
「服?」
夜遅く帰ってきたDBにP子さんははい、と紙袋ごと差し出した。
「って何で」
「いやワタシ、前にあの服駄目にしてしまったでしょう? まあ代わりと言っては何ですが」
「ああ… でも、別に、良かったのに… あれだったら、ママが経費で落としてくれるって言ったし…」
「それはそれ。あ、そーか」
口に出してから、何やら思い付いたようにP子さんは上を向いた。
「どうしたの」
「いや、男が女に服を買ってやる時って、何でかなあ、と思ってたんですけど」
「ふうん?」
DBは首を傾げる。P子さんはそんな彼に構わずに、独り言のように続けた。
「あれって、向こうが欲しがるから、というんじゃなくて、あげたいからあげる、ってことなんですねえ。きっと」
「P子さん、そう思ったの?」
広げながら彼は身体に合わせてみる。
「そう… かもしれませんね。とりあえずワタシはアナタに似合えばいい、とは思ってましたし」
「ふうん。似合う?」
「着てみて下さいよ」
うん、とやや複雑な表情でDBは立ち上がり、上に着ていた服をさっと取って、まだ正札のついたままの服に手を通し始めた。
確かにマヴォの見立ては悪くはなかった。見たことも無い相手だというのにどうしてだろう、と思わなくも無いが、上半身のほとんど飾りらしいものが無いシンプルなブラウスと、逆につく所は飾りが沢山ついているスカートの組み合わせは、彼の曖昧な体型によく合っていた。
「なのにどーして自分自身はああも似合わないもの着るのかなあ…」
P子さんはつぶやく。
「似合わない?」
「ん? いや、ウチのマヴォちゃん、っていうヴォーカルの子がね、今のアナタ以上にふりふりの服が好きなんですよ。ブランド御用達」
「それはすごいや」
「だけどどう見ても、似合わないんですよね。そもそも金髪にしてちゃあれは、って思うんですがね」
「金髪で、あれ?」
DBは想像しているのか、視線を天井に向ける。
「うん、僕としても、このテの服は、できれば髪が黒い方がいいな。くるくるなのはOKだけど。でもP子さん、こうゆう服は、別に似合わなくても着るひとって多いよね」
「それはありますよ」
「逆に、こうゆう服を着てるだけ、で寄ってくるひとってのも居るじゃない」
「アナタそういう客居るんですか?」
「僕じゃあないけど、やっぱりそういうのがウリ、な子もその界隈には居るみたいだし。そーすると、顔がどうあれ、そういうモノをつけてる、ってことが大事なんじゃないの? 僕は別に好きで着てるって訳じゃあないけど」
「好きじゃあないんですか?」
「って言うか、好きでも嫌いでもないし。…でも便利だなあ、とは思うもの」
なるほど、とP子さんは納得する。
「もしかしたらさ、そのあなたのヴォーカルのひと、男に寄ってきて欲しくないから、そうゆう服着てるんじゃないのかなあ」
「寄ってきて欲しくないから?」
どういう意味だろう、とP子さんは目で問いかける。
「…うーん… ほら、僕がさっき言ったのの逆で… あーんまりごてごてと飾りばっかしてる女の子って引いてしまう、って男も結構居ると思うんだよね。もしつきあったら、自分がそうゆうの、買わされてしまう、とか思ったりするかもしれないし。だいたい自分と並んで歩いた時に、まだ『可愛い』程度ならいいけど、『妙』な感じになってしまったら、それはそれで嫌だ、と思うんじゃないかなあ」
「隣、ねえ。ということは、その場合の女の子は飾りですかね」
「そう思う男も無くはない、と思うよ」
「DBはそうなんですか?」
え、と彼は顔を上げた。
「僕?」
「おかしなこと、聞いてますかね」
「そんなこと、ないけど。…僕は別に、今まで女のひとを誰かしら、連れて歩こう、と思ったことはないから」
「無いですか?」
「僕が連れられることは多かったけど。僕が連れようと思ったことは、今まで無いな」
ふうん、とP子さんはうなづいた。
「ワタシもそう言えば、無いですねえ」
「P子さんも?」
「そう。…連れて歩かれる、というのも面倒そうだし、連れて歩く、というのももっと面倒そうだし… ワタシだったら、だらだらと並んで適当に歩いてく、くらいがいい感じじゃないですかね」
「あ、それは僕もそう思う。だらだら、って何かいいよね」
ですよね、とP子さんはうなづいた。
「だけどそうですね。だったらマヴォちゃんのあの格好もうなづけるかもなあ」
あれは武装なのかもしれない、と。
そしてこの目の前に居る相手にとっても。
*
「ねえこのドレッシング、何処で買ったの?」
ひょい、とDBはびんを掲げる。開店前、作り置きの料理を用意していた夢路ママは、何だね、と顔を上げた。
「何、気に入ったのかい? 結構酸っぱいから、ってあまりあんたは使わなかったじゃないの」
「うん僕はね。でも最近好みが変わったらしくって」
「らしい、ってことはあんたじゃないね」
にやり、と夢路ママは笑う。調理場作業の時には化粧をほとんどしていない。この仕込みをしてから、きっちりと体勢を整えるのだという。
開店前でも、一時間前というこの時間にはママと、一番下っ端であるDBの二人しか居ないことが多い。そのせいもあってか、ママはこの時間には彼と少しばかり突っ込んだ話をすることがあった。
「まあ上手く行ってるならいいさ。…でもその調子でやってるなら、ちゃんと昼の仕事、見つけるってのもどうだい?」
「うんまあ、それも考えてもみたんだけど」
ふう、とママはため息をつく。
「まああたしはあんたの事情を深く知ってる訳じゃあないけれどさ、あんたはうちの他の連中とは違って、まだまだ若いし、別に男が好きって訳じゃあないんだろ。できるだけ早く、そうできるならした方がいいさ」
「それは判ってはいるんだけど」
まだ、それはできない、と彼は思う。
「…うん、まだ今はまずいんだ」
「まずい、ね。まああんたが考えているならいいけどね」
「うん、ごめんね」
言いながらママが作った料理を大皿に移し、ラップをかけて冷蔵庫へ移動させる。客にはそれを小鉢に移して出すのだ。この味付けが彼は好きだった。
「いつかは、僕もそうするよ。でもその前に、ママの作るものの味は覚えさせてね」
「それはいいけど。…あんたのその一緒にやってるひとは、料理は作らないのかい?」
「あのひとは自分のためだったら、食べれればいい、ってひとだから」
「女の人でしょ?」
「うん。でもあのひとは男顔負けの音を出すから」
「ミュージシャンかい!」
まあね、とDBは軽くかわした。
「だから、まあ僕ができることがあったらしてあげたいなあ、と思うの。それはおかしいかなあ?」
「うーん」
ママは大根を手にしたまま腕を組んだ。
「まあおかしいって言ってしまったら、所詮あたしも、前の世界の常識から抜けきっていない、ってことだろうねえ」
「…ま、だから今は美味しいサラダを作りたいなあ、ということで、ね」
まあね、とママは彼にそのドレッシングを購入した輸入食料品店の場所を教えた。ああ、と彼はうなづく。そこなら時々買い物をする所だった。
「じゃあ休みの日にでも行ってみよう…」
「でも本当、酸っぱいわよ。だから隠し味的に使うんだけど」
「うん、でも最近あのひと、酸っぱいものが好きなんだ。それに、そういうものでもないと、何か食欲無いみたいで。まだ季節的に夏ばてってことも無いと思うんだけど… 疲れが出たのかなあ。ツアーが終わったって言ってたから」
「それはあるかもしれないね。まあ一本、とりあえずストックから持っていきなさいな。お大事に、ってね」
ありがとう、とDBは笑った。




