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4 テアさんファヴさんとの関係とかべらべらと。

 翌日はやはりファヴは休みだった。

 そんなにひどいのか、と相棒に問いかけると、ひどいねえ、とあっさりと答えた。


「だからあたしは帰りにコンビニかスーパーに寄っていかなくちゃならないのだよ」


 ああ面倒、と言いながら、その口調は何処か楽しげだった。


「買い物当番なんですか?」

「まあそれもあるけどさ、食えるものが無くなってしまうからなあ、あのひとは」

「食えるもの?」

「だったら付き合う?」


 P子さんは曖昧に首をかしげた。



 テアはエレベーターの4のボタンを押した。一応マンションらしい。ただ決して新しくはない。その外装や、廊下のひび割れ、エレベーターのデザインからして、建ててから二十年以上は経っていそうだった。

 P子さんのアパートは十年くらい、といったところだろう。鉄筋ではなく鉄骨なので、そうそう大きな音は立てられない。その点では、このマンションは安心そうだった。


「そーいえばアナタが転がり込んだんでしたね」


 バンドのメンバーになって結構な時間が経つが、この二人の部屋に来るのはP子さんも初めてだった。

 長い廊下の真ん中あたりに来て、テアはがさがさと鳴るスーパーの袋を手に掛けると、二度ドアホンを鳴らし、それから鍵を回した。


「鍵持ってるんなら、別にいいでしょうに」

「ただいまの合図なんだよ」


 ふふっ、とテアは笑った。扉を開けると、人の気配が無い。


「ただいまあ」

「…うーん…」


 2DKといったところか。P子さんはざっと部屋の中を見渡して判断する。入ってすぐに、六畳くらいの台所。その奥に南向きの窓がついた部屋が二つ。六畳と四畳半というところか。六畳のほうから声がした、ということは、四畳半のほうをテアが使っていると見た。

 案の定、六畳の部屋から気配がする。のそのそと乱れた金髪が動いた。


「お帰り… 作業どうだったのよ」


 ファヴは一度上半身を起こしかける。だがその努力は長くは続かない。すぐに顔をしかめてシーツの中に身体を沈めてしまう。そんな相棒をちらちらと見ながら、テアはスーパーの袋をその場に置いて座った。


「まあまあってとこかなあ。まあ仮の方の音が割とリーダー殿お好きだったようだしさ」

「横着して仮で終わりにしたんじゃないだろうね」

「そんなことはいたしません。あたしの音が駄目だったら、あんた等ギターも乗らないでしょ」

「言うねえ」

「だって本当だし」


 しゃらっと言いながら、テアは袋をひっくり返す。


「どれがいい? ミルクプリン、マスカットゼリー、杏仁豆腐、もものゼリー、マンゴプリン、クレームブリュレもあるよ」


 それだけにはP子さんにはとうてい見えなかったが。テアは口にはしないが、ヨーグルトの類も色々あった。チーズケーキなんかもあったりする。


「ミルクプリン」

「はいはい。じゃあこれ。起きられる?」

「起きてやるわよ…」


 んー…、ともう一度彼女は力を振り絞る。そして今度はちゃんと起きあがり、身体をずらして、壁にもたれる。


「ホント、顔色も良くないですねえ」

「…ったく何とかならないもんかなあ。用が無いのに何で生理なんか来るのかって思うよ」

「まあ確かにアナタがたじゃああっても無くても」

「や、そーじゃなくて、あたし子供できないから」


 え? 


 P子さんは目をむいた。何か今、ひどくあっさりと言われたような気がするが。


「あれ、言わなかったっけ?」


 大きな目を眠そうに半分閉じながら、ファヴは受け取ったミルクプリンの包装を実に苦労してむこうとしている。上手くつかめないのか、手に力が入らないのか判らないが、見ている方が苛立ってきそうなくらい、なかなかむけない。だがテアはだからと言って取り上げてむいてやる気配はない。それどころか、自分は悠々とむいてる始末だ。


「P子さんも一個どう?」

「…アナタねえ」


 いいのいいの、とテアは袋の中にあったものでは、一番濃そうなブルーベリーソースつきの三角型のチーズケーキをぽん、とP子さんの手に乗せた。


「どーせ半分も覚えちゃいない」


 そしてぼそ、とそう付け足した。え、と見ると、確かにその声も聞こえてなさそうだった。真剣に、実に真剣にミルクプリンとファヴは格闘していた。


「むけた~」


 ふう、と実に嬉しそうにファヴは笑った。はれ、とP子さんは再び目をむいた。


「…だからさあ、このひと今は別人だと思ったほうがいいよ~」


 マスカットゼリーはこのつぶをつるんとやるところが美味いんだ、とかはさみながら、テアはなかなか物騒なことを言った。本当だろうか、とP子さんはやや不安になってくる。


「いつもこうなんですかい? ファヴさんや」

「いつもってえ? まーねえ」


 白いプリンをつるつると口にしながら、気のない言葉が返ってくる。


「用が無いのに?」

「そーなのー。だってさー、あたしの生理なんて中身が無いみたいなもんなのにさー。だったら無くたっていいのにさー。何でいっつもいっつもこーなのかしらねー」

「女に生まれたことを不運と思え、とは良く言ったものさね」


 そしてそう言いながらテアは二つ目に手をつけている。そんなアナタ、酒盛りじゃないんですから、とP子さんは内心つぶやく。「二個目」が続けてゼリーでないことがまだ救いかもしれない。


「ヨーグルトは絶対この、フルーツ満載って感じがいいよなあ」

「あ、ヨーグルトあるんなら早く言ってよお」


 胡乱な目が、相棒の手をじっと見る。はいはい、とテアはベッドの上に膝を乗り上げる。P子さんはぎょっとする。


「はいあーん」


 あーん。P子さんまで思わず口を開けてしまった。いくら何でも、自分の見ているものが信じられなかった。なるほど確かに今は正気じゃあない。こんもりとスプーンに盛り上げたいちごのヨーグルトを、テアは相棒の軽く開けられた唇の中に注ぎ込む。酸味のせいだろうか。ファヴは軽く目を細めた。


「甘ーい」

「そりゃあそうでしょう」


 いやそれはアナタ達のほうでしょうに…

 P子さんはさすがに頭がくらくらしてくる自分を感じていた


 結局ミルクプリンとミックスフルーツヨーグルトと杏仁豆腐の半分を平らげると、また寝るー、とファヴは毛布の中に入ってしまった。すぐにすうすうと寝息が漏れてくる。


「いつもああなんですか?」

「いつもああなんです」


 空き容器を片づけながら、テアは平然と言った。


「生理前に苛立ったりするでしょこのひと。あたしやあんたはそういうこと無いから何だけど、どーも最中も頭のほうに来るみたいで、いつも以上にらりぱっぱになるんだよね」

「危ないですねえ」

「クスリ要らず、って感じかなあ。そんな下手なもの無くたって自分の脳内モルヒネで充分ラリってる感じだよな」

「んー… でもそういうのって、どっかやっぱり、身体のバランスおかしくしてるってことじゃないですかね」

「あたしもそう思うよ。このひと昔、ずいぶん太かったけど、ダイエットしてこうなったって言ってたらさ、その時にどっかバランス崩してしまったってことは考えられるし」

「…さっき言ってたことは?」

「さっき?」


 P子さんは少しためらう。だが聞きたい、という気持ちのほうが勝った。


「子供できない、とか何とか」

「ああ」


 まとめた空き容器をテアは袋にまとめた。そしてぎゅ、とその持ち手を結ぶ。


「ホントらしいよ」

「…」

「そのダイエット、のせいらしいんだけど、急激に体脂肪落としたからか何なのか、生理止まってしまったことがあったんだってさ。で、今はまあこーやって来ることはあるんだけど、…ねえ」

「でも来るんじゃ」

「来ても、中身が無いらしい。ちゃんと医者かかって、それなりに身体に肉戻せば治るんだろーけど」

「それは嫌がる、ってことですか?」


 当たり、とテアは立ち上がり、結んだ袋を台所へ置きに行く。


「あんまり長く続くと、本当にタマゴが出来なくなるらしいんだけどさ、それでも今の身体の方が大事なんだろ、このひとには」

「…難儀なひとだ」

「全く。でも仕方ないよ。それでもちゃんと体重キープで止めてるあたり、このひと理性ちゃんと残ってるからさ。拒食症の女の子じゃあない」


 P子さんは自分の二の腕を見る。右には筋肉がついてるが、左はそうではない。ぷよぷよとしている。別段自分の体脂肪について悩んだことはない。胸も決して小さいほうではない。


「アナタはダイエットとかしたことありますか? テア」


 いや、とテアは首を横に振る。


「その点についてはお袋さんに感謝してるよ。結構甘いものとか厳しくしつけられたからね」

「厳しかったんですか?」

「まあ甘いものは歯に悪い、とかだったけどさ、無闇に食べさせはしなかったってこと。あたし自身、まあ外に出て遊び回るのが好きなガキだったからさ、太る間も無かったってことがあるけど」

「ふうん」

「P子さんはどうなのさ」

「ワタシはまあ、あまり動かなくはあったけど… 別に食い物に執着したことはないし」


 運動不足はある。だけどそのために食欲もそう湧かなかったし、だいたいそんなに好きなもの、も無かった。考えてみれば、起伏の少ない少女時代だ、と思う。

 学校の友達と連れ立って何処かに甘いものを食べに行くとか、買い物に行くとか、そんなこともなかった。寝込んでいるという訳ではないにせよ、部屋の中でぼんやりとしていることも多かった。

 その分を今取り戻しているのかも、しれないが。


「…でもそんな、太かったなんて、想像つきませんがねえ」

「太かったよ」


 短くテアは言う。


「見たことあるんですか?」

「まあね」


 呑む? と冷蔵庫からビールの缶を取り出し、かざした。ありがとうです、とP子さんは手を伸ばす。ほい、とテアは放る。軽く投げただけなのに、すっぽりと缶はP子さんの手の中に入った。


「相変わらずいい腕」

「まあ筋肉の勝利といえるけど」

「このひとは筋肉、無いですね」

「もともとが筋肉ではなかったらしいからね。そーだね、何つか、がっしり、ではなく、ふわふわしてたから、…それが消えたらこうなった、ってことかな」


 予想がつかない。


「でも結構このひと、バンド歴長いでしょう?」

「ああ、…まあね」


 テアは曖昧に笑う。


「ま、でもあたしは別に、スリムだからこのひとが好きって訳じゃあないし」

「ずいぶんときっぱり」

「言うさあ」


 缶を開けながら、再びP子さんの前に腰を下ろした。


「だって言わなくちゃこのひとは信じてくれない。言ったってそうそう簡単には信じてくれない」


 そういうものなのか、とP子さんは思う。


「だったらもう、繰り返し繰り返し言うしかないでしょうに」

「けなげですな」

「け」


 ぷっ、とテアは吹き出しそうになる。


「け、けなげ~?」

「じゃないですか?」

「だって仕方ないだろ。このひとはそういうひとなんだから」


 そういうひと、とP子さんは繰り返す。


「そ。そういうひとなんだよ。あたしが幾ら言葉で言ってもその半分も信じてない」


 彫りの深いまぶたが軽く伏せられる。


「だけど信じたがってるんだけどね。そのあたりのジレンマがひどく苦しそうなんだけど、あたしにはどうすることもできない。だからちゃんとそのギャップを埋め合わせるのがなかなか大変なんだけど」


 だけどまるで大変がっていないように見えるけど。P子さんは黙ってビールを口にした。


「好きなんですねえ」

「そりゃあねえ」


 悪びれもせず、言い放つ。


「だけどP子さんも、最近はそういうひと、居るんじゃないの?」

「へ?」

「好きなひと」

「何でそうなるんですか」


 はれ、と伏せていた目をぱっと開く。違うの? とテアは問い返した。


「だってこの間あんた、早く帰ったじゃん。違うの?」

「…や、確かに待ってるひとは居たんですが」

「じゃあそうじゃないの」

「だけど好きかどうか、なんて知りませんよ」

「だって一緒に住んでるんだろ?」

「成り行きですが」

「寝てたりするんだろ?」

「それも成り行きですが」

「男? 女?」

「とりあえずワタシはノーマルのつもりですよ?」


 男かあ、とテアは感心したようにうなづいた。


「何ですか、そんなに意外ですか?」

「意外」


 少しばかりP子さんもむっとする。


「別にワタシだって、人間ですからそういうこともあるでしょう?」

「そりゃあそうだけどざあ。…何かP子さんの横に居るとか、P子さんを抱いてる男、なんて想像ができないんだよねえ」

「それは…」


 そう言えば。ふとP子さんは目線を天井にやる。抱いた抱かれた、の関係で言うと、果たして自分とDBはどうなんだろう、と思う。


「…アナタはどうなんですかテア」

「いきなり、聞くねえ」


 聞かれた方は苦笑する。


「好奇心ですから、別に答えなくてもいいですけど」

「別に。聞かれて困るというもんでもない」


 すっぱりとテアは答える。そのあたりがいつもP子さんは凄い、と思わずにはいられない。ファヴだったら絶対正気な時には言わないだろう。


「このひとが、自分からそうすると思う?」


 P子さんは首を横に振った。それも、そうだ。


「そりゃあこのひとから何かしらのアクションをもらえれば、それにこしたことはないけれどさ」

「そうですね。確かに何かしらの反応はあったほうが嬉しいかもしれない…」


 どうだろう、とP子さんは考える。自分に関しては。

 その時には、いちいち頭の中で何かしら考えている訳ではないのだ。


「普通はどうなんでしょうねえ、テアさんや」

「普通、って何だろね、P子さん」


 テアはビールを持った手をまっすぐ伸ばした。


「そもそもあたしにしてみれば、今まで男達見てきてそっちの対象に思えたことがないから、その感覚が判らないんだよね。好きな相手は必ず、守ってやりたい、と思ってしまうほうだから」

「ああなるほど」


 ぽん、とP子さんは手を叩く。


「だいたいいつも、ほら、中学くらいから急にでかくなったし、それでいて結構腕っぷしも強かったからさ、頼られる方が多かったし、その方が気持ち良かったし。逆に男に頼るってのは、何か… 気持ち悪かったしなあ」

「ふむ。それは判らなくもないですね。ウチも母親がそういうタイプですな」

「おかーさんが? へえ。ウチは逆だね。誰かしら頼っていないと気が済まない、って感じだよ」

「アナタのおかーさんが!」


 意外である。しかし、よく考えてみると、そういう母親を見ていたから、逆の考えになってしまったとも考えられる。


「うちの母親はねえ、…うん、あたしから見ても、何つーか、守ってやりたくなるタイプだね。だから最初の親父がいなくなってから」

「ちょっと待て」


 何やらまた物騒な言葉を聞いたような。


「何? 今の親父は二度目だよ。うん、五年かそのくらいの時に、再婚したんだ。最初の親父が消えて、七年経ったから、戸籍から消してさ」

「はあ」

「だからまあ、その七年がとこ、ウチの母親は、その『守ってやりたくなる』ようなひとなのに、あたし一人抱えてがんばってきたんだけどさ、さすがに疲れたらしいね。まあ美人だし」

「そりゃあアナタのおかーさんなら美人でしょ」


 ありがと、とやや皮肉げにテアは答える。このひとはあまりそれが誉め言葉ではないらしい。しかし事実は事実だ。

 テアというひとは、実に美人なのだ。すっぴんで美人、の類である。南方型の濃い顔なのだ。

 ヒサカも美人だが、あれはどちらかというと日本型で、それだけに濃い化粧をすると異様に似合うのである。

 テアはその逆で、あまり濃い化粧をすると化け物になってしまうのだ、という。だからステージでもメイクは軽い方である。P子さんのほうがよほど濃い。

 ファヴも大きな目で印象的な顔ではあるが、パーツそのものはそう大ぶりではないので、やはりメイクは濃くなる。だから今こうやってベッドに横たわっている姿は、広がってもつれた金髪とあいまって、実に無邪気で可愛らしくも見えるのだ。


「…誉めてくれてるってのは判るしね、あんたの言うとこだから。でもやっぱりあまり嬉しくはないねえ」

「そうですか?」


 自分などまずその点でほめられたことはないから、言われたらそれはそれで嬉しいと思うのだが。P子さんは思う。テアは濃い眉を軽く寄せた。いちいち描かなくても大丈夫な程、しっかりした眉だ。


「あたしがどう思ってようが、男は結構外見で判断するじゃないか。それがねえ」

「それは仕方ないでしょう。アナタが美人でぼんきゅっぼんなのはどうしようもないし」

「それそれ」


 実に嫌そうにテアは首を横に振った。


「まあ顔はいいさ。だけどその胸やら腰やらで、こっちの性格まで思いこまれちゃ、たまったもんじゃあないよ」

「性格、ですか?」

「そうそう。バイト先、あたしだいたい肉体労働系だったろ? そうすると、どーしても野郎が多いじゃん。でまあ、ちゃんとそれなりにバイトが長くなれば、あたしがどういう性格とか判ってくるからいいけど、入ったばかりとか、逆に新入りの野郎とか、まあこっちが男好きじゃないか、とばかりに寄ってくるんだよな。たまったもんじゃない」

「まあ… それは、ですねえ」

「まあさすがに、胸やら尻やら触ってくる奴には数発かまして、判ってもらうけどさ。無理矢理でもさ」


 ははは、とP子さんは笑った。だが仕方ない、と思わずにはいられない。テアはとにかくそんな胸ぼん尻ぼん、の身体なのに、そのラインが強調されるような格好が好きなのだ。

 今も今とて、身体にぴったりとした素材のタンクトップが一枚。首からじゃらじゃらとした銀系の大型なアクセサリをつけているのだが、それが逆に大きな胸を余計大きくみせているのだ。

 足にしたところで、基本的にはぴったりとした皮パンかジーンズなのだから、これはこれで、筋肉が綺麗についた足を強調してしまう。程良く出た腰のラインが、細すぎる足よりも綺麗なのだ。

 まあむき出しになった二の腕の筋肉があるから、全体的に見れば「たくましい」の形容がつく「大柄な美女」になるのである。それが無かったら果たして。


「けど良く『普通の』女の子は言いますよね。もっと胸が欲しいとか」

「言うよな。だけどこっちはたまったもんじゃあない。重いしさ、揺れると邪魔だし。別にあるものは仕方ないけど、ファヴさんくらい無いと、気持ちいいだろーな、と思わずはいられないね」


 胸が無くて悩んでいる女の子が聞いたら殺したくなるような言葉だな、とP子さんは思う。以前のバイト先の同僚が、「欲しがって」いるタイプだったのだ。


「アナタ絶対そういうこと、普通の女の子の前で言うんじゃないですよ」

「そのくらいは判ってるさあ。あたしが言ったら嫌みだって、何度言われたか」


 P子さんだから言うの、と彼女は付け足す。


「だけどでかい胸があって嬉しいのは誰だ、ってあたしは思うね。少なくともあたし自身はあって邪魔、動きにくい、くらいしか考えたことが無いし。じゃあ誰が喜ぶか、って言えば、それを見る連中のほうだろ? ついでに言えば、それはだいたい男だ」


 テアは口元を歪めて意地悪げに笑う。


「男のためにこっちの身体があるって訳じゃないんだよ」

「まあそれはそうですがね」


 それに下手に反論はできないだろうな、とP子さんは思う。


「嫌い、なんですかね、アナタ」

「別に友人とか、ほらウチのカザイ君みたいな、仕事仲間としちゃあ嫌いじゃないさ。嫌なのは、こっちをそういう目で見る奴のことだよ。そういう目があるな、と思った途端、あたしはそれを叩きつぶしたくなる」

「それは極端な」

「でも仕方ないよ。そう思ってしまうんだからさ。だいたいあたしにしてみれば、何でいちいちそこいらの女の子達が、男の気を引こうとするのかのほうが良く判らないよな」

「そりゃまあ、好きな男には好かれたい、と思うんじゃないですか?」

「や、それならまだいいけどさ、何か、あるじゃん。合コンとか。何でいちいちそんなこと? って思うんだけどね、あたしゃ」


 P子さんは黙って肩をすくめた。


「それはですねえ、テアさんや」

「何か答えがある?」


 テアはぐ、と身を乗り出す。


「…別にワタシもノーマルと言ったとこで、男追いかけるのが好きという訳ではないから、あくまで他人事として見たうえの意見ですからねー」

「そんなこと見てりゃ判るでしょ」


 それはそうだ。


「だから、アナタにはベースがあるしワタシにはギターがあるし。そういうことじゃないですか?」

「P子さん言葉足りないよ、そりゃ」


 テアは頭を抱えた。


「…だからですねえ。ワタシはヒサカのように頭良くはないですから、上手くは言えないんですがね、だから、ワタシたちが音楽やっている、アタマの部分、彼女たちはそれが男とか、恋愛とか、そーいうことなんじゃないですか? それに関わるもろもろのこと。化粧してないと落ち着かないとか、自分の顔じゃないみたい、ってのは、よーすんに『人に見られる顔』が大切な訳で。あれ? 何かずれてますねえ」

「まあそんなずれてない、と思うよ。つまり、あんたの言いたいのは、熱心になれる部分ってのは人それぞれ、ってことだよね?」

「と思いますけどね。ただワタシ達はたまたま皆さんが割と簡単に右にならってしまうとこに、『何で右を向かなくちゃならないの』と思ってしまったあたりが違うんだと思うんですがね」

「それは言えてるな。疑問はいつだってあるさ。それこそどーして制服がスカートなのか、とかに始まったもんなあ」


 それは筋金入りだ、とP子さんは思う。


「それで誰も答えは出せないままに、それが慣習だから、ってことにしてしまうか、逆に、今の女子高生のようにさ、居直ってそれで武装することだってあるしさ。まああたしはあの武装はいただけないけれどね」

「アナタは似合いませんよ。どーしたってあの格好は。ああいうのは、大して胸も腰もないフツーサイズの子が女子高生って看板を背負うためにやっているような気がしますがね」


 くす、とテアはそれを聞いて笑った。何ですか、とP子さんは表情一つ変えずに問い返す。


「いや、やっぱりあんた、ヒサカと基本同じだよ」

「ああ…」


 そう言えばそうかもな、とP子さんはぼんやりと思う。


「あいつもおんなじようなこと言ってたな。何かあいつは前にはつきあってた男居たらしいけど」

「へえええええええええええ」


 それは意外だった。


「…想像ができない」

「あんたもだろ。あたしもできん」


 とん、とテアは空になった缶を床に置いた。


「…って、まあワタシ達からしてみれば、あれと出会った時ほら、もうマヴォちゃん居たではないですか。今と同じようにあんなワンピとか好きで」

「…そうなんだよねえ」


 彼女達のバンド「PH7」のリーダーでドラマーであるヒサカは、テアやP子さんと最初に会った時点で、既にマヴォを連れていた。ついでに言うなら、「そういう仲」だった。

 さすがにP子さんは「ほう」と声を上げる程度には驚いた。別に女同士のそういう関係に嫌悪感を持つ訳ではないのだが、知り合いにその類の人々が居た訳でもないので、本当に居るんだなあ、とのんびりと何度か首を縦に振っていたことは確かだった。


「だから何か、ヒサカってそっち一本、って見えなくもないじゃない。やっぱりあいつは頼れるおねーさんだしさ。…何でだ? ってあたしゃ思ったね」

「とりあえずお試し、ってことは考えられますがね。あのひと好奇心は旺盛だし」

「好奇心ねー」


 なるほどそれは考えられる、とテアは二本目のビールを開けた。


「まあ生理的に駄目、って言うひとじゃなければ、それはそれで有効なんじゃないですか? テアさんアナタは生理的にあかんのではないですか?」

「…判る?」

「そらまあ。でもそれって、野郎が野郎にこまされたくないってのと同じじゃないかと思いますがねえ。あれもあれで、何か非常に強迫観念でもないかと思うんですがね。あ、別にアナタが強迫観念とかどーとか言ってるんじゃないですからね」

「判ってるって。うん、あたしに関してはそれはあるだろうな。何だろ。身体がこれだからかな、男があたしのこと、佳西咲久子かさいさくこ、ってひとりじゃなくて、ただの『女』っていう生き物って見ることが多いじゃん。あれが嫌でさ」

「ただ『女』としてだけ見られたいってひとも世の中には居るんですよね。残念ながら」

「そう残念ながら。そんでもって、男達は、そうやって見たいんだよな、結局の大多数は。そのほうが『楽』だからさ。…で、P子さんのその彼氏、は、どうなの?」

「彼氏?」


 ああそうか、といまさらのようにP子さんは思う。一緒に暮らしている男だったら、「彼氏」ということになるのかもしれない。たとえ本人のその意識がさっぱり無かろうと!


「…あれを彼氏というのかどうか判りませんがねえ…」


 人差し指を真っ赤な髪に差し込んでかりかりとひっかく。確かにそれらしきこともしている。成り行きのように。一度ではない。だがやっぱりその意識は無い。


「…そーですねえ… まあアナタほどではないですが、ワタシもそう男おとこした奴は好きではないですからねえ。いかにも男性ホルモンむんむん、ってのに触られるとか考えると結構ぞっとするものがあるし」

「ふうん。じゃあその彼氏、そういうのじゃないんだ」

「可愛いですよ」


 へえ、と感心したようにテアは大きく目を広げた。そう確かに可愛い。ただその言葉の意味が果たしてどこまでこの同僚に伝わるかは謎である。

 そうだ確かに、自分達の関係は曖昧なのだ。どっちが抱いて抱かれて、という訳でもない。どちらかというと、犬や猫のじゃれあいに近いのかもしれない、と思う。猫は好きだ。実家に置いてきてしまったが、あの人の存在などどうでもいいように毎日を暮らしている姿や、それでいて時々意味もなく甘えてくるところとか。

 格別男女の仲に通じている訳じゃないから、セオリイもパターンも知らない。

 向こうが知っているのかもしれないけれど、まあどうでもいい。こちらの身体に気持ちいいことをされたら、同じことをやってあげる。向こうが心地いい顔をすれば、それはそれで、楽しい。

 くすくすくす、と笑い声が漏れる。それだけ。端で言う強烈な快楽とかがそこにあるとはP子さんには思えなかったが、特に欲しいとも思わない。曖昧で、ゆらゆらと心地いい時間が、そこにはあったのだ。


「…ま、いずれ機会があったらライヴに連れてきますよ」


 その時まで、あの気まぐれそうな子が居着いているのならね、とP子さんは内心補足した。そんな保証は無いし、止めることもできないだろう。

 自分も向こうも、そういうものだろう、とP子さんは何故か強く感じていたのだ。

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