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17 そして何とかたどりつく。

「探してます」

「ふうん。何か、君、変わった格好ね」


 女性はそう言いながら、DBにゆっくりと近づいていく。何だろう、と彼は思う。

 街灯の下に来た時、あれ、と彼は思った。結構美人さんだ。ゆるくウエーブのかかった茶髪を後ろで一つに束ねて、あっさりとした格好だけど。


「変でしょう?」

「ええ、変ね。何かのパーティでもあったの?」


 さっきの少女達と同じことを聞く、と彼はくす、と笑う。


「悪いパーティが、あったんですよ」

「そう。それは可哀想に」

「それは別にいいんですよ。僕が勝手に行ったんだから、こうゆう格好になっても、それは僕の責任だし…」

「でもひどい格好よ。それに、どう見ても、あなた誰かにいたずらされてるじゃない」

「それはそうですけど」


 どうして初対面のひとに、こんなこと言ってるんだろう、と彼は思う。そもそも何でこの女性は、そんなことを聞くのだろう。


「ライヴハウスを探してるんです」

「ライヴハウス? でももうこんな時間よ」


 彼女はくい、と幾つか折ったシャツの下の腕を見せる。もう夜よりは、朝の方が近い時間帯かもしれない。二時間もすれば、夜が明けてしまうだろう。


「それでも、行かなくちゃ」

「行って、誰かが待ってるの?」

「判らない。だけど、僕は行かなくちゃいけない、と思ったから」


 ふうん、と女性はうなづいた。表情は特に変わる様子は無い。


「だったら、君、ずいぶん道を間違えてるわよ」

「え」

「近くまで行くの。一緒にどう?」


 よろこんで、と彼は大きくうなづいた。女性は大股に歩き出した。


「それにしても、本当にひどいパーティだったんじゃない? 私だったら、その格好だったら帰るの嫌よ」

「でも、大事な用事だったから」

「大事な用事だって、その格好じゃ、と思われるかもしれないでしょう?」

「そうかもしれない」


 彼はうなづく。だいたいライヴハウスに行ったところで、誰が待っているという保証があるのだろう。


「だけど、大事なひとに、約束したことだし」

「そのひとが待ってるの?」

「大事なひとのために、約束したひとが、そこの名を出したから。…僕は今、電車代の一つも持っていないから、とりあえずそこに行こうと思ったんだ。歩いて行ける距離だろうから」

「迎えを呼ぼう、とは思わなかったの? そのひどい格好じゃ」

「だってこれは僕の問題だったから」


 それで結局周囲に迷惑はかけてしまったけれど。


「何の問題だか判らないけれど、問題ってのは、解決しなくちゃあいけないものではないの?」


 女性は、並んで歩く彼の方を特に見ることはしない。半ば興味無さげに、聞くとも聞かないともつかない態度のまま問いかける。


「そうなんだ」


 彼もまた、女性の方は向かない。まっすぐ、前を向いたまま答える。


「もっと早く、僕は僕の問題を、解決しておくべきだったんだ」

「だったらもっと早く、すれば良かったんじゃあなくて?」

「でも、気付くのってのは、唐突だったから」

「言い訳ね」

「そうだよ、言い訳なんだ。ある日いきなり、それに気付いた、なんてのは、自分以外には言い訳だよ」


 頭では判っていた。

 だけどそうしなくてはならない――― そう動こう、という思いに達するのは別だ。そこには勇気が必要なのだ。意識的にせよ、無意識にせよ。


「気付いたの?」

「うん」

「それは良かった。それはじゃあ、君の大事なひとのため?」

「大事なひとと―――」


 P子さんの姿がふっと思い起こされる。だが、それだけではない。

 P子さん自身、ではなく、P子さんと過ごす自分、もその情景の中には存在していた。


「そのひとじゃないよ。僕が、そのひとと心地よく居られること、そのことのためなんだ」

「それは君のエゴじゃあないの? 自分勝手」

「かもしれない」


 否定はしない。


「でも、そのことのためだったら、僕は幾らでも強くなれる、と思うんだ」

「そう」


 軽く、女性は言った。


「だったら、そうなれたらいいわね」

「ええ」


 彼は大きくうなづいた。やがて大きな歩道橋が、彼らの目の前に現れた。


「私にも昔、そう思えるひとが居たわ」

「え」


 通りすがりだというのに、いきなり何を。しかし自分もよく考えてみたら、通りすがりの人だというのに、結構突っ込んだ話をしてしまっている。

 だが具体的な内容ではないから、逆に通りすがりに聞かせてしまいたい時があるのもしれない。女性は、階段を上りながら続けた。


「だけど、そうしたい自分が居ることに気付かないまま、そのひととはもう会えなくなってしまったのよ」

「え…」


 会えないって。


「昔の話。だから私は、今私の周りに居る大事な人達には、できるだけ幸せで居てほしい、って思うのよ」

「幸せに」

「そう、幸せに。私が彼女達を私のエゴに巻き込んでしまっている以上、それ以外の部分に関しては、できる限り、暖かくて、痛みの無い、幸せで居て欲しいって思うのよ」


 彼はどうそれに答えていいものか、迷った。

 やがて階段の最後の一歩を登り切る。案外広い歩道橋には、夜明かしするのだろうか、通りの向こう側のコンビニで食料や飲み物を調達し、座り込んで居る少年少女が居た。ライヴ帰りなのだろうか、とDBは思った。

 と、ふとその少女の一人が、奇妙な顔をしてこちらを見ているのに彼は気付いた。

 当初はその原因が自分なのだろうか、と彼は思った。

 だが、どうもその視線の向きが、態度が、先ほどまでに自分がすれ違った人々と違うような気がする。

 首を傾げ、眠りかかっている相棒を肘でつつき、不思議そうな顔をし。

 それが一度ならいい。

 だが、一人は焼きそばを口にしながら顔を上げた。

 一人はバニラ・シェイクの太いストローから思わず口を離した。目を丸くした。ええ? と小さく叫んでいた。

 何だろう。彼はそれでも女性がどんどん歩いて行くので、速度を緩める訳にはいかない。

 階段を降りる。あそこだ、と女性は既に灯りの消えた設置灯を示す。


「あそこの地下が、君の言う、ライヴハウス」

「地下」

「そう、地下。昔からあって、かび臭くて、昔は演芸場で、壁にポスターがべたべたと貼ってある、ライヴハウス」

「え」


 ふっ、と女性は笑った。このひとは。

 ポケットから女性は、携帯を出し、片手で器用に操作する。


「…ああ桜野? そう。今前」


 じゃ、と彼女がスイッチを切るか切らないか、というところで、中の階段がどたどたと音を立てた。

 地下へ続く階段から、大柄な女が駆け上がって来た。金髪だった。いつの時代にも流行の主流には決してならないような長髪の。


「早いじゃない、桜野」

「…待ってろって言うから、待ってたんですよ。―――ヒサカさん」


 は。


 DBは息を呑んだ。このひとが、ヒサカ。PH7のリーダーで、ドラマーで、…


「初めましてDB君。そして、これからよろしく」


 よろしくお願いします、と彼が頭を下げるまで、たっぷり一分はかかっただろう。



 目黒のライヴハウスは、当の昔に閉店時間も過ぎていたのに、フロアには結構な数の人々が集合していた。

 何故か備え付けの椅子が残っているこの会場は、人を待つには好都合だったのだろう。


「ああ良かった、無事だったのね、DBちゃん」


 たまきさんが座ったまま声をかける。ママは近づくと、全体的に薄暗い照明の下、見せてごらん、と彼の肩を掴んだ。ざっと姿に目を通すと、ちっ、とその格好に似つかわしくない舌打ちをする。手首にはまだあざが残っている。


「大丈夫だよ、ママ…できればタオルか何か、貸してくれると嬉しいんだけど…」

「あ、おしぼりならありますよ」


 ライヴハウスのマスターが聞きつけて、声を張り上げる。


「ありがとう、二本ほど、貸してくれますか?」


 そう言って、彼はポリ袋に包まれた暖かいタオルを二本受け取った。一本で化粧がはげかかった顔を拭き、あと一本で、足をざっと拭く。


「…男の子って判っていても、なかなか目の毒だねえ」


 テアは座席の背に腕を置いて、じっとその様子を眺める。


「でも確かによく似合ってるもんねー。すごいすごい」


 ぱちぱち、とマヴォはその右隣で手を叩いた。

 そして更にその横に居たP子さんは――― のっそりと立ち上がった。


「無事で――― よかった」


 そう言うと彼女は、彼の頭を抱え込んだ。

 あれ、まあ、とファヴは目を丸くする。

 何か買ってきます、とラッキイスタアのメンツはこそこそと席を外しだす。


「あなたが、P子さん?」


 ママはぎゅっ、と彼を抱え込む彼女に、タイミングを見計らって声をかける。苦笑するその顔に、ああこのひとが、と彼女はゆっくりと手を解いた。


「港屋の、夢路さんですか」


 ええ、と夢路ママはP子さんをじっと見る。


「なるほど、確かにね」

「え?」

「…そう、確かに、大丈夫ね」


 何のことだろう、とP子さんは首を傾げる。


「如何でしょう、ヒサカさん、あなたの目から見て、この子は」


 夢路ママはヒサカに向かって声を張り上げた。


「私も大丈夫だと思います。さっき少し話せました。懸念して部分も無い訳じゃあないですが、とりあえずその点については」


 ありがとうございます、とママはヒサカに頭を下げた。いいえこちらこそ、とヒサカもまた頭を深々と下げる。


「…ヒサカが頭下げるってことは、すごい人なんだねえ」


 マヴォは心底感心した、という様につぶやいた。


「すごいひとなんだろうよ」


 頬杖つきながら、ファヴもぼそっと口にした。


「あなたはどう? DB君。うちの事務所で働く気がありますか?」


 ヒサカは彼に問いかける。


「ええ、できるのでしたら、お願いします。ただ」

「ただ?」


 彼を見る三人の声が揃う。


「ちょっと、九州の実家まで行ってきます。ケリをつけてこなくてはならないから」

「ケリを」

「ああ、それは必要だわね。ちゃんと籍入れる気になったの」

「え」

「あ」


 DBとP子さんの声が微妙にずれて重なる。


「あー… の」

「ん?」


 ヒサカは眉を寄せる。そして自分と根本が近い、と思う友人の様子にあ、と声を立てた。


「P子さん! あなたまだ」

「怒らないで下さいよヒサカ… タイミングというものがですね」

「…言いなさいとっとと。そうでなければ、私が先に言ってしまうわよ。DB君、ずっとP子さんとやってく気あり?」

「そりゃもちろん」


 即答だった。ヒサカは満足して、P子さんの方を向く。わかりましたよ、とP子さんは空を向く。えーと、と何度か言葉を探す。


「ええとDB、ワタシですねえ」


 言いかけた時だった。くらり、と視界が回る。あらら、とその場にP子さんはくたくたと崩れ落ちる。慌ててDBはその場にしゃがみこむ。スカートがふわり、と広がった。


「…すみませんねえ、普段しない緊張って奴が」

「だから何緊張してるの」

「…」


 聞こえるか聞こえないくらいの声が、DBの耳に届いた。


「はあ」

「と言う訳なんですよ」

「なあんだ」


 彼はにっこり、と笑った。


「もっと早く、言ってくれれば良かったのに」


 そう言いながら、座り込んだまま、今度は彼がP子さんの頭を抱え込んだ。


「いいんですかね」

「いいも何も」



 ざわざわ音を立てるコンビニの袋に、ビールやジュースやウーロン茶を詰めて、ラッキイスタアのメンツが戻ってくる。


「…あれえ、P子さんとあのひと、戻ったんですかあ?」


 桜野は脱力したようにぐったりとしている、その場の人々に誰ともなく、問いかけた。


「…戻ったよ」


 ファヴはうめく様な声でそう言った。


「桜野、冷たいお茶ちょーだい。…あーんーなーにーらぶらぶであてられるとはあたし思ってなかったってばーっ」

「へ? そんなにらぶらぶだったんですか?」


 桜野は階段の方を振り返る。


「見たかったなあ、それ」


 メリイさんもネットと顔を見合わせた。


「…いいよ、これから毎度見られるから」


 テアはそう言って、あたしにはビール、と手を差し出した。



「で、ケリをつけるってのは何ですか?」


 マナミが運転する車で、P子さんとDBは部屋まで送ってもらっていた。

 既に空は白々と明るくなりかかっていた。ひどく長い一日だったなあ、とDBは思う。


「うん、実家の方に行って来ようと思って」

「何となく、想像がつかないですねえ」

「何が?」

「アナタの実家という奴。何となく、そういうものがあるってことがそもそも想像できない」

「あれは、実家だけど、家庭じゃなかったから」


 彼は破れて汚れた服を脱ぐ。


「…ああ、ちょっとひどくなっちゃった。ごめんね、P子さんにせっかく買ってもらったものなのに」

「服なんか別にいいですよ。ああだけど結構身体もひどいですね。大丈夫ですか」

「大丈夫。そう簡単に、僕は壊れないから。壊れる訳にも、いかないし」


 でしょう? と彼は首をかしげる。


「壊れたら、ワタシが嫌ですよ」

「うん。だから壊れる訳にはいかないでしょ。…ねえP子さん、僕は向こうに居た頃、ハウスはあったけど、家庭ホームは無かったんだ」

「家庭が、無かった?」

「うん。実家はすごい金持ちの部類だったんだと思う。後で思えば。でも、そこで僕はずっと、何故か、一人で生きてく方法を身につけるしかなかったから」

「よく判りませんけど、居心地が良くなかったんですね」

「うん」

「じゃあそのあたりは、またゆっくり聞きましょうか」

「今でなくていいの?」

「だって」


 P子さんはつぶやく。


「我々には時間はこれから、たっぷりあるんでしょう?」

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