16 何とか逃走。目黒のライヴハウスを探せ
「…あ」
目を開ける。どうやら、気を失っていたらしい。
DBはもう一度目をつぶる。状況の確認。どうして今僕はここに居る?
確か。
薄暗い部屋の中。ざああああ、と水の音がする。身体が痛い。背中が? 腰が? それとも。
ああそれだけじゃない。皮膚感覚。何処か擦れている。ひりつく。痛い。何ヶ所? でもいちいち観察することもないだろう。予想はついていた。
もう一度目を開ける。目を凝らす。ライトは二ヶ所。それもひどく照度が低い。
ホテルだ、とは思う。普通の、ホテルだ。どちらかというとビジネスの類。
手が動かない。後ろ手に縛られているようだ。それが何であるか、によって対応は変わってくる。
彼はごそごそ、と手を動かしてみる。金属の様な音はしない。少しばかりほっとする。布か、ロープか。どちらかは判らないが、とにかく切ろうと思えば切れる類だろう。
あの時。呼び出されて、駅方面まで行った彼に、埴科という「エリートサラリーマン」風の男は話は別の所で、と言った。ともかく話の内容が判らないことには対応のしようが無い。DBはとりあえず埴科について、女装のまま、ホテルまで行ったのだ。
何ってことのない、ごくごくありふれたビジネスホテルのカウンターは、うつむき加減の彼を男とは思わなかったようで、どうぞごゆっくり、と声までかけてくれた。
それから。
「話をするんじゃないですか?」
入り口の所で立ちつくしていたら、奥へ来る様に、と埴科は言った。いつも以上に、髪もきっちりとセットし、整髪料の匂いが胸にむかむかするくらいだった。
「話は後だ。いや、話をしたいのだったら、先にこっちの願いを聞いてくれないかな」
言葉の調子はあくまで柔らかだった。だが反射的に、DBの中には嫌悪感が湧いた。
「話が先です。そうしたら、その分だけは何かしら聞いてもいい」
「いや、そんなことをしたら君は話だけ聞いて、さっさと飛び出してしまうだろう?」
DBは軽く唇をなめた。図星だ。そんな、自分の不利益が判っていて、従ってやる道理はない。そもそもそんな言葉で自分を釣るあたり、間違ってる。
だがどうやら、相手は引かないようだ。
「判った」
せいぜいしおらしく、従ったフリをしてみせる。ぽん、と男は二つ並んだベッドの一つを叩いた。そうしろ、ということか。彼は内心、けっ、と毒づいた。
それから――― のことは、まあ色々、だ。
手が後ろで拘束され、あちこちが痛い、ときたら、幾らでも想像はできるだろう。その内容は彼にとってはそう重要なことではなかった。昔、名古屋の男にもさんざんされたこととそう変わったものではない。ただ違うのは、名古屋の男は「嫌いではなかった」が、さっきまで自分をそうしていた男は、「嫌い」なのだ。
けっ、と今度は彼も声を立てる。
もぞもぞ、と動いて、ベッドサイドの時計の数字を見る。
…ああまずいな、と彼は思う。呼び出されてから、既に四時間は経っているだろう。連れ出されて、ここに入ってから三時間は経っている。そのうちの一時間だか三十分だかは眠っていた、とみるべきで… 眠っていた、ということは。
別段感じたのどうので失神していた訳ではないだろう。自分の身体だから、そのあたりは彼にも判る。
思考と裏腹な眠気の様なものが、頭や身体にまだ残っている。何らかの薬を使われたに違いない。
ただそれは大人のオモチャの店や、渋谷の路上などで売られているものではなく、どちらかというと、マイナー・トランキライザーのようなものだろう、と彼は感じていた。
こいつが入手しようとする類だったら、そうだろう、と。
危ない橋は絶対渡らないタイプだ。だとしたら、むしろそれは、病院か何かでもらう類のものだろう。使いすぎて下手なことになったら、見つかった時の自分の立場が危うくなるような、そんなものは決して使わない。おそらく自分で、病院の内科か何かに、眠れないとか何とか言ってもらったのだろう。
それに、この感覚には覚えがあった。眠いことは眠いし、身体全体に弛緩作用があったが、頭全体は、割合はっきりしている。
名古屋の男はそういう遊びはしなかったが、その友人が、どちらかというと神経症の気があって、副作用はないんだからー、と小さい玉を一つ口に放り込んだことがあった。副作用は、あった。すぐに眠くなって、その時は、数時間眠り込んでしまった。
いずれにしても、この感覚のままでは、上手くは出られないな、と彼は思う。頭ははっきりしているし、考え込みすぎる部分は死んでいる状態なので、対策を考えるには悪くない。
とにかく、手を何とかしなくては、と彼は思った。しかし案外それは固く結んであるようで、思いの外上手く解けない。
そうこうしているうちに、がちゃ、と音がして、湿った空気と一緒に、男が浴室から出てきた。
半眼開きで、DBは相手を眺める。
「おや、目を覚ましたかい」
「…」
ひどく気持ちよさそうに、男は身体を拭き、濡れた髪を拭く。
「話…」
「ああ、まだ覚えていたのか、話だね、話」
「…九州の…」
言葉をぼかして、彼は問いかける。頭ははっきりしている。何処までこの男が知っているか、それだけでいいのだ。そもそも、九州の、だけでは、何を知っているか、の決定的な決めてにはならない。彼自身に出身地のなまりがあった―――それだけでかまをかけてるだけかもしれないのだ。
「そう、君のおうちのことだよ。馬場大介くん」
危険信号が、走った。
彼は自分の名を、店では言ったことはない。DBはイニシャルだ。だがイニシャルだと一度も言ったことはない。もし言ったところで、その名前ずばりがそうそう出てくることはないだろう。
だとしたら。
「僕の家の… 何を知ってるんですか」
せいぜい下手に出るしかない。
「何、偶然さ」
そう言いながら、男は冷蔵庫から、ミネラルウォーターを出す。くい、とプラスチックを切る音が彼の耳に飛び込む。
「たまたまうちの会社の、取引先の企業の社長の部屋に、とある宴会の時の写真が飾られていたんだよ」
「…宴会…」
「それは九州のとある会社グループの、新会長か何かの就任祝いだったそうだ。私はそれには特に興味はなかったが、その写真の片隅で、見たんだよ」
あ。
彼は軽く口を開いた。そうだ、そんなこともあった。その辺りの時期、「兄」は何かと自分を連れだしたはずだ。そんな「宴会」があったかもしれない。
ただそれがいつのものだったか、思い出せない。あまりにも似たようなものが多くて、いちいち覚えてもいられなかった。ただ「兄」は言った。ここに居る奴の顔はちゃんと把握しろ、と。結局全部はできなかった。
「それを手掛かりに、少しばかり、その企業グループの内情について調べさせたんだよ。そうしたら、新会長の母親違いの弟が、数年前から出奔したか何かで行方不明、というじゃないか」
なるほど、とDBは男を睨め付ける。
「安心すればいい、別に君の実家に、弟がこんな生活を今送ってるなんて強請ろうとは思ってはいないから」
ふうん、と彼は思う。甘いね。
もし自分が、そんな情報を掴んだなら。
絶対に自分なら、有効利用したと彼は思う。ただ有効利用するための理由は現在は何処にもないからしないだけで。
では自分は、今はどうやって、この状況を使ってやろう? DBの頭は急速に思考の回転速度をアップさせる。
彼はそっと目を伏せた。
「…言わないで、くれる?」
しおらしい声を、立ててみせる。ちら、と上目遣いで相手を見やる。ほう、と男は眉を上げた。
「君が望むなら、言わないでいても、いいんだが」
そう言いながら、男はDBのそばへと近づいてくる。手を伸ばし、くいっ、と顔を上げさせる。
「向こうには何の関係もないんだ、僕がただ」
喉を詰まらせたような声を出してみせる。ふふ、と相手は満足したような笑みを浮かべる。
「だから、言わないで」
「いいだろうさ。しかしそのためには、もう少し君が私の言うことを聞いてくれないと困るねえ」
「…どうすれば、いいの」
聞きながら、それでも視線は外さない。ここで周囲を伺うようなことをすれば、相手にこちらの考えていることがばれるだろう。
「…そうだな…」
舌なめずりでもしそうな声が耳に届く。
「とりあえずは、もう少し、付き合っていてもらおうか」
「それだけで、いいの?」
やや大げさに、嬉しそうな声を立てる。
「そう、だがさすがにこっちも君ほど若くはないからな。少しばかり回復するにも時間がかかる」
「…じゃあお願い、風呂をつかわせて」
「風呂を?」
そう、と彼はうなづいた。ふむ、と埴科は彼から手を離した。
「確かに今の状態では興ざめだな」
「…だから… 手を解いてよ。身体がこれじゃあ洗えない。…あなただって、前のが残ってる状態でもう一度、なんてあまり気持ちよくないでしょう?」
それもそうだな、と指向の割りには何処か潔癖性な男は、彼を後ろに向かせる。しゅ、という音が聞こえる。…布だ。ハンカチか何かだったのだろう。その間に彼は、周囲をざっと見渡す。さすがにこれだけ時間が経っていれば、落とされている服の位置も把握できる。
「ああ痛かった…」
「そ、そんなに痛かったのか?」
男の声が、やや気弱そうに問いかける。
「うん…」
手首をさすりながら、ゆっくりと顔を上げる。
と―――
次の瞬間、彼は立ち上がりざま、勢い良く男を突き飛ばしていた。
「う」
彼は床に散らばった自分のブラウスとスカートを拾い上げる。靴は――― その余裕は無い。そのまま扉へと突進した。
「このガキ!」
ガキと呼ばれる年齢じゃあないよ、と彼はまだ、薬でだるい身体を思い切り叱咤し、廊下を走った。
背後から追ってこられる前に、探さなくてはならない。エレベーター。あった。
早く来い、と彼は思う。少なくとも、何か一枚羽織る位の時間は取れる。自分の様に、素っ裸でも外に出てこられる奴じゃあないのだ。
ああでも気配が近づく。
それとも。
いっそ、非常階段? DBは周囲に目を走らす。駄目だ。非常階段は自分が逃げて来た方向にある。
早く――― 早く。
来た!
ちん、と音がして扉が開く。左側から男が追ってくる。「閉」のボタンを押す。早く! 男はぐい、と扉に手を掛ける。
彼はボタンを押し続ける。相手の顔が激しくゆがむ。いい加減閉まりやがれ!
あきらめろ!
白く色が変わった指を、彼はボタンを押していない方の手で、思いきり外へと押し出した。うわ、と声がした。
その隙を付くように扉は閉まった。割合速い。急いでくれ、と彼は思う。非常階段から追ってこられたら。
自分達が居たのは、どうやら五階らしい。
とりあえずブラウスに袖を通す。P子さんの見立てのそれが、あまりボタンも多くないシンプルなタイプであることに彼は感謝した。
スカートをはこうとした時、一度止まる。
「あ」
二階だった。扉が開く。もう追ってきたのか? と血が引く。
「ああああ?」
目を丸くして、女性が一人、乗り込もうとしてきた。はっ、として彼はそこで女性を押し込むようにして自分は外に出た。人は居ない。慌ててその場で服を身につける。
一度行ったエレベーターが戻るまでには、時間がかかる。どうする、ととりあえず服をつけ終わった彼は思う。靴もないから、ロビーから出るのはひどく怪しまれるだろう。
…一階のトイレは。裏口は。
駄目だ。軽く目をつぶり、可能性を一つ一つつぶす。
…どうする?
彼は唇を噛んだ。
そして考える。そもそもこんなことになってしまうのは、それが自分にとっての弱点だからだ。
だがそれは、今でも弱点なのだろうか?
実家は、あれから自分を探しているのだろうか? 本当に。
逃げ回っていたから、そのことすらも判らない。「兄」は今でも自分を手元に置きたいだろうか。
今なら、「兄」が自分を置きたがった気持ちは判る。
共感はしないが、理解はできる。
おそらくあの男は。あの家で生まれ育ち、優秀に育って、人を見下す方法を身につけている「兄」は、誰も信用していなかったのだろう。「父親」から引き継いだとしても、自分のものではない。だからこそ、血のつながりというものにすがろうとしていた。
そんなもの、大したものではないのに。
DBは思う。
だってあんたが言ったんだよ。お前は捨てられたんだ、って。
血のつながった――― 自分を産んだ母親と、その母親から丸ごと、この世界に置き去りにされたんだ、と。
血のつながりなんて、そんなものなんだ、と。
あんたが教えてくれたんじゃないか。
彼は思う。そう、今の自分にとって、それは弱点ではないのだ。
だったら。
ぐっ、と彼は両手を握りしめる。何だって、できるよな。
自分の外見は、一つの武器だ。
彼は目をつぶると、一度着たブラウスの襟のあたりをびり、と破いた。スカートのボタンを幾つか、飛ばした。
ごめんP子さん。だけど。
「助けて!」
ロビーに飛び込むと、彼は思いきり大声をあげた。
時間が良く判らないのでやや不安があったが、それでもフロントには誰かしら居るはずだ。
案の定、男の姿もあった。浴衣姿で、立ち上がる。だが男だけではない。夜の街から帰ってきた客というものも、幾人か、そこには居たのだ。
男は慌てて近寄ろうとする。彼はそれを見て、再び思い切り声を張り上げた。
「近寄らないでーっ!!」
どうしたどうした、とフロントが身を乗り出してくる。
「お客様、どうしました?」
彼はここぞとばかりに、カウンターへと身を投げる。
「お願い! …あそこのひとが、僕を」
化粧ははげかけている。服は引き裂かれている。ついでに靴もない。そして彼の指は、ガウン姿の男を指していた。
何だ何だ、と客もホテルの従業員も、彼と男を見比べた。
「な… 何を言うんだ、君」
「お願い、電話貸して下さい! …いえ、あの、お願いです。うちに、連絡を…あーっやめて、来ないでーっ!!」
少しでも男が近寄ろうとするごとに、彼は金切り声をあげた。
客はじろじろと不躾な視線で男を見る。ホテルに来る客のプライヴェイトな関係に関して、別段誰も気にすることはないはずだが、この男はそういうことには慣れていないはずだ。
「冗談はよ、よしなさい」
「だから来ないでええええ!!」
声だけ聞けば、それはほとんどヒステリイだった。少しでも距離を開けようと、彼はのけぞるようにフロントカウンターに背をつけるし、手は大きく伸ばして、自分自身をガードしようとする。
従業員の視線は、上に置かれた彼の手に走る。嫌悪の色が、その目に走る。
「…お願い、電話は…」
「はい、すぐに…」
小声で、警察を呼ぼうか、と囁かれたが、彼は首を振った。
「…それより…」
彼は息も絶え絶えに頼み込む。判った、と従業員はそばの受話器を取ると、彼の言う通りの番号を押した。コール音が聞こえることを確認すると、従業員は彼にそれを渡す。
ちら、と視線を飛ばすと、埴科が居心地悪そうにその場をゆっくりと立ち去って行くのが見えた。
悪いけど、僕には捨てなくちゃいけない程のプライドなんて無いんだよ。
彼はそう思いながら、数回のコール音を聞いた。
『…はい、港屋です』
「…あ、その声は、トキちゃん」
『DBちゃん! い、今どこに居るの!』
「…って」
『みんなDBちゃんが居ないから、って探しに出てしまってるのよ!』
「みんな」
ふう、と彼はその言葉を聞くと全身に暖かいものが広がるのを感じた。ありがたい。本当に、あのひと達は。
『…ええと… それで、今、DBちゃん何処にいるの?』
「どこって」
彼は心配そうに見ている従業員に目で訴える。ここは何処? 従業員は慌ててプラスチックのケースに入れたホテルのパンフを示す。
「…えーと、…ああ、目黒みたい」
『目黒! って…目黒のどのへんなの?』
「お客様… 駅だったらそう遠くはございませんが…」
『あのねDBちゃん、伝言があるの!』
「…伝言?」
視界の端で男はエレベーターの中に消えていった。途端、身体に残る弛緩作用が戻ってくる。一錠で何時間効果があっただろう。
『P子さん今日、目黒のライヴハウスに居るって』
「ライヴハウスに?」
目黒のライヴハウス、と言えば。彼は記憶をたどる。あそこだ。老舗ライヴハウス。彼女から聞いたことがある。元演芸場だったとか、かび臭いとか、ポスターが壁にこれでもかとばかりに貼られているとか、空調が南極とか。
「誰からの、伝言だったの? …トキちゃん」
『…ヒサカさん。DBちゃん、ごめんね』
「何」
『…だから、色々』
色々の内容は予想がつく。いいよ、と彼は答えた。
「…ママ達と連絡取れたら、取ってくれない? 今から僕、そっちに向かうからって」
『そっちって… ライヴハウスに?』
「うん。僕は大丈夫だから、って」
わかった、と向こう側から声がする。受話器を置くと、彼はありがとうございました、と深々と従業員に頭を下げる。この場を貸してくれてありがとう、と素直に頭を下げる。
「…ありがとうついでで何ですが、あの」
ライヴハウスの名を告げ、彼は道を訊ねた。さすがに従業員はあああそこか、とうなづいた。そう遠くはない。首都圏の距離感と地方の距離感は違う。地方出身の彼には、決して遠くはない距離だった。
「…僕行きますから、五階の… あの部屋の料金は、あのひとから取ってください。警察沙汰にはしないから、って」
ホテルの従業員は、従業員であるだけ、客の顔は覚えているだろう。少なくとも、この服を着た自分と、その連れは。自分が実は男だった、というのは従業員もびっくりだったろうが。
「お客様」
何、と出て行こうとする彼を従業員は呼び止めた。
「これ、どうぞ」
従業員は館内用スリッパを差し出した。サンダルに近い。ありがとう、と彼はもう一度頭を下げた。
歩き出す。公道をスリッパというのは妙な感触だ。
だが近いのなら、行かなくてはならないだろう。おそらく、ヒサカというひとは、それを見越して伝言したのだ。そのまま助けを待っているのか、それとも、自分で行ける所まで行くのか、と。
ぺたぺた、と歩くたびに音がする。破れた服、素足にスリッパ、スカートの下には下着もつけていない。髪も乱れているだろう。正直、鏡が今ここにあっても見たくない気分だった。
そして彼はホテルの従業員から言われた道順を反芻する。二番目の通りを右…次の交差点はまっすぐ…信号があったら…
信号が… ない?
彼は息を呑んだ。立ち止まる。前方を見る。通りはある。だが信号はない。
明るい通りだ。すずらん灯が点いている。
おそらく店が立ち並んでいるから、道は聞けるだろう。彼は迷わずに進んだ。交差点に立つ。右少し向こうにコンビニエンス。そこにたどりつくまでに数名の人。
「…あの、すみません…」
そのうちの一人に、声をかけてみる。はい? と振り返る、鮮やかなオレンジとグリーンの服を着た少女は、ひっ、と声を立てると、コンビニへと走り込んだ。
見渡すと、じろじろと好奇の視線。自分の半径数メートルには、誰も近づいていない。そうだよなひどい格好だもんな。だがそこでめげる訳にはいかない。コンビニエンスから出てくる客に声を掛ける。
「…って、この道でいいんですか?」
「さあ知らない」
と一人は引きつった顔で答えた。
「えー、こっちじゃなかったっけー」
「こっちだと思ったけどお」
「うんこっちだよねえ」
三人組の女子高生は、金に近い茶髪に頭にひまわりをべたべたとくっつけてそう言い合った。派手な格好だ。頭の花だけでなく、服までもひまわりよろしくぽんぽんと色も形も飛び跳ねている。
「ところであんたもー、何かのパーティの帰りい?」
「そう見えるう?」
見えるう、とけたけたと少女達は笑った。
「ファンデ取れまくってるよー。色だいじょーぶだったら、あたしの、貸したげよーか?」
彼は自分の口の端が和らぐのを感じる。
「ありがと。だけど、だいじょうぶ」
「ホントにー?」
「ホントホント」
「ふーん。ちゃんとたどり着けると、いいね」
「ホント、こっちだと思うんだけどなー」
「うん一応、行ってみる。間違ったら、また誰かに聞くよ」
そぉ、と三人組は顔を見合わせあってうなづく。
「あ、そだ」
一人がバッグにつけていた細いリボンを抜き取ると、彼の襟元の飾りとボタン穴にする、と通した。鮮やかで、ごついくらいの印象のある爪を持つ手は、案外器用にそこに蝶々を作った。
「ちょっとかわいそーだしさあ」
「…ありがとう」
じゃあね、と少女達は立ち去って行った。彼は軽く手を振った。その様子を、コンビニからまた出て来たカップルが気味悪そうな顔で、横目で見て行く。
さて、と。
彼は蝶々に一度触れると、言われた道の方へと歩いて行った。ぺたぺたぺた、とまたスリッパが音を立てる。
次に話しかけた人から、次の大通りで、歩道橋を上がって、下がって、すぐだ、と教えられた。
だがなかなか歩道橋は見つからない。間違えたのだろうか、と彼は道の標識を探す。付近の商工会の地図のようなものを探す。少し遠目に辺りを見渡す。歩道橋は何処だ。
仕方ない、と彼は元来た道を引き返す。迷った時にはそれが一番なのだ。…もっとも、今の場合、戻った時点が何処なのか、それすら判っていないのだが。
数歩、戻りかけた時だった。
「ねえ君、どっか、探してるの?」
女性の声が、問いかけてきた。




