73 海の底からの使者 -その2-
ミーシピア港国は西大陸の玄関口ということもあり、多くの貿易船が止まっていた。
馬車から降りた俺達以外の乗客たちはそのまま宿に向かうか、それとも港に向かうかだったが、俺はハヅキちゃんと一緒に役所に向かうことにした。
国長のピアンは療養中であり、その息子のエレトンが代理で国長をしているらしい。
昔の俺ならお偉いさんに会うのに緊張のひとつもしたものだが、今はそんなことを言ってはいられない。たしかに俺達のマジルカ村はこの国に比べれば小さなものだが、それでも独自の産業を築き上げている。無礼な態度を取って相手に不快な思いをさせるのはご法度だが、だからといって遜っていたらこちらが舐められる。ただでさえ、用事があるからといって呼ばれているのに。
役所は三階建ての建物だった。
敷地面積だけでも、うちの村で一番広い建物――酒場の五倍はある。役所同士比べるとしたら、それこそ天と地ほどの差がある。
役所の中に入ると、多くの窓口があり、多くのひとが何か作業をしていた。そして、部屋の隅にふたり男が立っている。
腰には剣を下げ、鎧をまとっている。同じ鎧と同じ剣であることから、この国の兵であることが窺い知れた。この大陸で自治都市が、国、町、村に分かれていて、国であることの一番の利点が独自の軍隊を持てること。となれば、あの兵たちも軍の人間なんだろう。
俺は総合受付の看板がかかっている窓口に行き、自分がマジルカ村の村長であり、ピアンに呼ばれたことを、彼から預かっている手紙とともに告げた。
すると、受け付けをしていたそこそこ美人のお姉さんが窓口のカウンターの向こうから出て来て、俺を案内してくれた。
ピアンのいる執務室はこの役所の三階にあるということで、お姉さんと一緒に進む。
「ピアン様、マジルカ村より村長のスグル様のご来訪です」
「入ってもらいなさい」
お姉さんの言葉に対し、執務室の中から声が聞こえた。
そして、中に入るとそこで俺が見たのは、書類の山だった。
その書類の山の陰から男が現れた。
二十代後半くらいにも見えるが、どこか童顔の男だ。
「ようこそ、スグル村長。いやぁ、話には聞いていたが随分とお若い」
これを素直にお世辞と取るかどうか悩みながら、どちらでもいいように俺は告げた。
「いえいえ、ピアン殿には敵いません。お互い苦労しますね」
「いやいや、私はこう見えても今年で三十五になります」
おっと、まさかのダブルスコアでしたか。
失礼しました。
「まずはおかけください。トレイシアくん、悪いがコーヒーをふたり分用意してくれないかね?」
「かしこまりました」
先ほどのお姉さんが頭を下げ執務室を去る。
「さすがは港町。コーヒー豆まで扱っているのですか」
「ええ。南の大陸で栽培されているもので、時折入ってくるんです」
持ってきたのはブラックコーヒーだった。砂糖もミルクもついていない。
一応、山羊乳のカードは鞄の中にあるのだが、山羊乳がコーヒーに合うのかも知らないし、相手に出されたものに手を加えるのは失礼にあたる。ここは我慢してコーヒーを飲んだ。これは……なんともパンチのきついコーヒーだ。日本で飲んでいるものとは種類が違うのだろう。ただし、眠気は一気に覚めるが、これだと一般に、特に子供に浸透するのは時間がかかるだろう。ただでさえコーヒーは見た目が真っ黒で見た目がいいとは言い難い。コーヒーがもう少し一般家庭にまで浸透すれば需要も高まって西大陸にも広まるだろうな。となれば、まずはコーヒーのイメージを変える必要がある。ミルクと砂糖を入れて飲むという日本でも当たり前の飲み方を広める他に、なにか。
そうだ、ここは港町であり、多くの物が集まる。ならばあれはないだろうか?
「――ル村長、スグル村長」
「え?」
「スグル村長、いかがしました? 先ほどから何か考えているようですが」
「あぁ、すみません。このコーヒーの販売戦略を考えていて」
「コーヒーの販売戦略? もしよかったら伺ってもよろしいでしょうか?」
「えっと、ゼラチンか寒天ってこの町にありますか?」
「ゼラチン……とはなんでしょうか?」
まずはそこからか。
ゼラチンについてどう説明したらいいか考えた。
「スライムゼリーは御存知ですよね?」
「はい、スライムが落とすゼリーですよね。ほんのり甘く、おやつとしても重宝しています」
「そのゼリーを作る材料として、コラーゲンなどから抽出をする……あ、でもどうせ砂糖は加えたいんだから、スライムゼリーから作ればいいのか。スライムゼリーを一度煮詰めて、その中に濃いコーヒーを入れて混ぜ、冷やすとコーヒーゼリーが出来ます。それに生クリームを乗せたらとても美味しいデザートになりますよ」
「なまくりーむ……というものがよくわかりませんが、デザート……といえば貴族が食べる食後の甘い菓子のことですよね。このような苦いコーヒーがデザートになるとは……」
「いやいや、苦みがいいアクセントになるんですよ……あぁ、でも生クリームをどうやって作ればいいか俺もしらないんだよな」
俺の料理の知識は所詮は高校生レベル。生クリームに関しては牛乳から作られているんだろうなぁという程度しかわからない。
「スグルさん、生クリームの代わりにミルクセーキゼリーを使ってはどうでしょう?」
そう言ったのは、俺の肩にじっと乗っていたハヅキちゃんだった。
「そっか、ハヅキちゃんが知っているのなら……って、あっ」
ピアンを見た。急にぬいぐるみが喋り出したら驚くのではないかと思った。だがそれは杞憂だった。ピアンはまるで驚く素振りを見せない。
「そちらが奥方のハヅキ殿ですね。お噂はかねがね伺っています」
「そんな……奥方だなんて」
ハヅキちゃんが恥ずかしそうに顔を隠した。
結婚はしていないんだけど、まぁ訂正することはないか。将来的に本当にそうなるわけだし。
「もしよろしければ、そのコーヒーゼリーというものを作ってはいただけないでしょうか?」
「ええ、もちろんですよ。あ、でも牛乳と蜂蜜はありますか? 山羊乳はやっぱり独特な臭みがあるので」
「すぐに用意しましょう」
了承はしたものの、あれ? 俺って何のためにここに呼ばれたんだっけか?
その後、従業員用の休憩所の簡易厨房を借りて、調理を開始した。
砂糖はパスカルから貰った砂糖菓子を使い、牛乳と蜂蜜を作ったゼリーとコーヒーゼリーを作る。その間に、ピアンの部下に頼んでマリンを呼んできてもらい、できあがったゼリーをマリンの作った氷の箱で冷やす。もちろん、マリンの分も作っている。
そして、三十分後。
「これはなんと見事な。このような美味なデザート、お目にかかったのは初めてです」
はじめてコーヒーゼリーを食べるピアンが絶賛する。俺からしたら、まだ少し苦いんだが。
「うぅん、おいしい。ねぇ、スグルの器に残ってる分貰ってもいい?」
「嫌だよ。俺も楽しんでるんだから」
「私も食べたいです」
ハヅキちゃんが残念そうにコーヒーゼリーを見ている。
その後、俺達はコーヒーゼリーを食べ終えた。
「スグル村長のお噂は本当だったようですね。ひとりでマジルカ、オセオン、ふたつの村を盛り上げたその腕、ぜひともお借りしたい」
「ひとりってわけじゃないよ。マジルカに関しては俺の仲間の腕が、オセオンだってオセオン村の皆が頑張ったから成しえた村おこしなんですよ。それに、力を貸そうにも、この国は十分に賑わっているじゃないですか?」
「いえ、力を借りたいのはこのミーシピア港国ではないのです」
ピアンはそういい、執務室の隣の部屋に通じると思われる扉を開けた。
そこから、見目麗しい女性が出て来て、俺は息を呑んだ。
息を呑んだといっても、その美貌に見惚れたのではない。なかったのだ、足が。
「紹介します、スグル村長。彼女はマレイナ。見ればわかると思いますが――」
うん、見たらわかる。
「彼女は人魚族です」
そう、彼女には足がない。下半身が魚だったのだ。
彼女は器用に跳ねながら、こっちに近付いてきた。
「お初にお目にかかります、スグル村長。どうか、どうか我々人魚族の村をお救い下さい」
更新遅くなってすみません。連載再開です。
書籍化作業が忙しいので、あまり連続更新はできませんが。




