72 海の底からの使者 -その1-
「あ、ハヅキ、それ取って」
「はい、マリンちゃん」
魔法少女コス、というには黒すぎる、魔女コスチュームを身に包んだマリンが、黒猫のぬいぐるみのハヅキちゃんに対し、オレンジを取ってと頼む。
異様ともいえるその光景に家族団らんを思ってしまう俺は少しおかしいんだと思う。でも、本当に平和だ。
「スグルさんも食べますか?」
「うん、貰うよ」
俺もハヅキちゃんからオレンジを受け取り、それを食べた。
このオレンジはさっき止まったオセオン村でもらったものだ。
温泉施設はすでに簡易の物ができており、足湯施設も出来上がっていた。
馬車の待合所にも足湯施設が設置され、旅人からの評価も上場のようだ。
観光客以上に、いつもならそうそうに通過するはずの商人が一泊止まっていくケースが増えているそうだ。
「これなら、思ったより早く借金も返せそうです」
自嘲気味にミラルカが言っていた。
ミラルカに初めて会ったマリンは、彼女のその姿を見て目を丸くした後、俺に向かって「やっぱりスグルは生まれてくる性別を間違えたわね」と揶揄してきた。
「そういえば、結婚の日取りは決まったんですか?」
「いえ、まだ。でも近いうちに必ず。結婚式が決まったら招待させていただきます。ぜひいらしてくださいね」
「あぁ、楽しみにしてるよ」
そう言って、庁舎を後にした俺たちはミーシピア港国への馬車が来るまでの僅かな間、足湯を楽しむことにした。
マリンが靴と靴下を脱いで足の裏だけを温泉につけてうれしそうにばしゃばしゃさせている。
他の人がいたら怒っているところだが、まぁ、誰もいない今なら別にいいか。
ちなみに、オセオン村に来るまで一緒に来ていたハンゾウとアンナだが、二人は今、混浴風呂に行くか行かないかで揉めていた。
もう大揉めだ。
「何故ですか、お兄様!」
「これだけはダメにござる。譲れないでござる」
「どうして混浴風呂に行ったらいけないのですか! 一緒に行きましょう、お兄様」
「ダメでござる。嫁入り前の妹の裸を他の人には見せるわけにはいかないでござる」
まさかのハンゾウからの混浴風呂NG宣言。
ハンゾウも妹と一緒に暮らすようになり、良識というものが身に付いてきた。
できればその妹にも良識を望むのだが。
「そう言って、お兄様は一人で混浴風呂に行くつもりなんでしょう」
「……そ、そんなわけないでござるよ」
ハンゾウはしどろもどろになって言う。
訂正だ。この兄妹には良識の欠片は永遠に望めない。
「それにしても、ミコトもくればよかったのにな」
「ですよね」
ハヅキちゃんは足湯を羨ましそうに見ていた。
あぁ……ぬいぐるみのまま入っても気持ちよくないどころか、硫黄の匂いが抜けないだけに終わるだろうからな。
暫くして馬車がやってきた。
ミーシピア港国に向かう馬車に俺とマリンとハヅキちゃんが乗り込むが、ハンゾウとアンナは二人揃って「後から追いかけるから先に言っていてほしい(でござる)」とのこと。
片方は兄妹の混浴温泉を夢見て。
片方は妹を一人残して混浴温泉を堪能することを夢見て。
まぁ、あの二人なら、例え3時間後でも走れば追いついてきてくれるだろう。
というわけで、俺達三人(はた目から見たら、二人とぬいぐるみ一体だろうが)は馬車でミーシピア港国を目指した。
「そういえば、どんなところなんですか? ミーシピア港国は」
「ん? あぁ、港国だから、とうぜん交易都市だよ。西大陸随一の玄関口で、北大陸や南大陸への船が出るのもこの都市だけなんだ」
そこが評価され、120年前に港町から港国に昇格したらしい。
国となっているため、独自の軍隊を持つ。しかも、その軍隊というのが、海軍らしい。
西大陸唯一の海軍の持ち主だというのだから、ある意味では西大陸の命綱ともいえる。
仮に戦争が起こるとすれば、敵が真っ先に攻めてくることであるともいえる。
まぁ、今のところ戦争は起きる気配はないが。
あとは、他の大陸からいろいろな商品が入ってくるため、変わった商品が多いそうだ。
「ビルキッタも北大陸から西大陸に来たときにはミーシピア港国から入ったそうだからな」
彼女が言うには、いろんな文化が融合しているそうだが、それを言うなら、マジルカ村は日本とこの世界との文化の融合をしている村だからな。
それより面白いものなのだろうか?
「そういえば、マリンも行ったんだよな? ミーシピア港国に」
リューラ魔法学園の面接があったのがミーシピア港国だったはずだ。
「そうですね。マリンはもはやミーシピア先輩と言ってもいいくらいにミーシピア港国には詳しいですよ」
マリンが自信満々に言う。
ミーシピア先輩って、そう呼んだら間違いなくお前の名前がミーシピアだと勘違いされるぞ。
「なんと、ミーシピア港国には、お刺身があります!」
「なんだって!?」
俺は思わず叫んだ。
お刺身って、生魚だよな。
そんなものを食べていいのか? と思ったが、そうか。
「もしかして、こっちの世界は生魚に対して悪い印象がもともとないのかもしれないな」
そもそも、こっちで食べる魚というのは、魔物を倒して手に入れる魚の切り身のことだ。
カード化している魚を食べるわけだから、当然その中に寄生虫なんていない。
しかも、カード化されていると腐ることがない。いつでも具現化したら新鮮な魚を食べられる。
「あれ? でもマジルカ村だとあんまり魚の仕入れがなかった気がするが」
「それはパスカルちゃんが魚をあまり仕入れないからですね」
ハヅキちゃんが思い出したように説明した。
「え? なんで?」
「以前に魚を食べていたところ、猫みたいだと友達に言われたのがショックだったようです」
「……あぁ、そうか」
狐耳だけど、ワン狼族。断じて猫ではないよな。
そういえば、俺がまともに魚を食べたのは湖で川魚を仕入れてからだったか。
流石に醤油はないだろうが、塩で食べる刺身も悪くないか。
これは楽しみが一つできた。
そして、4時間が経った頃、ハンゾウとアンナが追いついてきた。
二人とも湯上りでぽかぽかしている。
結局二人一緒に入ったようだ。
後ろから走ってくるハンゾウとアンナに、御者の男はひどく驚いていたが、この程度に驚いてもらったらマジルカ村では住めないぞ?
そんなことを思いながら、俺は酢飯を用意して寿司とか食えないか、と思っていた。




