56 鮮血に染まる村おこし -その6-
私には過去の記憶がない。
正確には、春、草原の真ん中で目を覚ました時以前の記憶が。
気が付いたときには今着ている服と同じ姿で、忍者のハンゾウと、黒猫のぬいぐるみのハヅキちゃん、そして、普通に男の子としか思っていなかったスグルくんが寝ていた。
私が目を覚ました直後に、ハンゾウが目を覚ましてお互い情報交換を行った。
彼も記憶がない様子だった。
「ところで、拙者、とても気になっていたことがあるのでござるが」
ハンゾウがとても真剣な表情をして訊ねたのは、忘れたくても今でも覚えている。
「巫女装束は下着を履かないというのは正しいのでござるか?」
最初から意味の分からないことを言うので、少し強めに折檻をした。
それから、目を覚ましたのはハヅキちゃんだった。
彼女との出会いは特筆するべきことでもない。ぬいぐるみから半分霊魂が出ていたので、無理やり起こして事情を聴いた。
記憶がないのは彼女も同じようだった。
最後に目を覚ましたのはスグルくんだった。
最初の印象は普通の男の子だったわ。女装したら似合いそうだとか少し思ったけど。
「え? ここどこだよ」
目を覚まして最初の第一声がそれだった。
やはり彼も記憶がないのだろうか?
ちょうど彼が目を覚ましたときは私は後ろを向いていたので、彼が目を覚ます瞬間は見ていなかった。
「あら、気が付いたのね。もう大丈夫なの?」
そう尋ねると、彼は私にこう言った。
「……ミコトさんか?」
その時、私にミコトという名前が与えられた。
この時、私がスグルくんをリーダーとして認めたのは、彼だけが記憶を持っていたこともそうだけど、もしかしたらそれ以上に、もう一人の男性、ハンゾウがとてもダメな男だったからかもしれない。
新村長就任式の翌日、私はいつも通りの時間に目を覚ました。
すでにハヅキちゃんは目を覚ましていて、本を読んでいた。
「おはようございます、ミコトさん」
「ええ、おはよう、ハヅキちゃん」
「もうこんな時間なんですね、スグルさんを誘って朝ごはんに行ってきてください」
「……ええ、ありがとう」
ハヅキちゃんは朝食には行かない、ということだ。
朝食はガイードさんの家でもらうことになっていたが、ハヅキちゃんの存在は彼らは知らない。
一部の人はハンゾウを治療中にハヅキちゃんが動いているのを見ていたが、彼らには遠くにいる医者が人形使いで彼女を操っていたとスグルくんが説明した。
流石に他の村の人に幽霊について説明するのは悪手だしね。
本当は謝りたい気持ちだけれども、そんなことをしたら彼女は余計に傷つきそうだから、私はお礼だけ言って部屋を出た。
スグルくんの部屋に行ってみたけれど、いたのはハンゾウだけだった。
もしかして、今朝も日課の素振りをしているのかしら?
スグルくんは毎朝一心不乱に木刀の素振りをしていることがある。
意外かもしれないけれど、その型は意外としっかりとしていて、身体の動きも安定感がある。
身内贔屓を抜きにしても、どうしてそれであれだけ弱いのかわからないくらいに筋はいいと思っている。
本当に、どうしてスグルくんは弱いのかしら?
そう思いながら階段を下り、役場を出たところで、ガイードさんと出会った。
ガイードさんは私に会うなり、スグルくんがどこにいるのかを教えてくれた。
「え? ミーシピア港国に?」
「ええ、急ぎの用ができたとかで。今朝早くに出て行かれました」
急な用事?
それが何かはわからない。私が寝ているから遠慮したのかしら。
ただ、一昨日の暗殺者がスグルくんを狙っていた可能性を潰せない以上、走って追いかけようかしら。
今朝のミーシピア行きの馬車は1時間30分前に出たばかりだから、私なら1時間、ハンゾウなら30分くらいで追いつけると思うけれど。
「あの、スグルく……村長は何か言ってました?」
「いえ、特に。ただ、二人に伝えてほしいとだけ」
「二人に伝えてほしい? スグルくんがそう言ったの? 私に、だけじゃなく?」
「はい、確かに二人にと言っておられました」
「そう……わかったわ。ありがとう」
それなら仕方がない。
役場に戻ってハンゾウとハヅキちゃんを呼ぼうとしたら、ミラルカさんがやってきた。
「ミコト様、おはようございます」
ミラルカさんは私に会釈するとガイードさんを一瞥し、歩き去った。
「お孫さんと何かあったのですか?」
「いやぁ、お恥ずかしい話です。昨夜、村の在り方について少し議論をしましてな。喧嘩になりまして、今朝から口を利いてくれないのです」
「そうなんですか、早く仲直りしてくださいね、村のためにも」
「ええ。そうですな」
ガイードは嘆息をもらして役場の執務室へと入っていく。
私も急いでハヅキちゃんとハンゾウを起こして役場を出た。
ハンゾウから聞いた話によると、スグルくんは昨夜のうちに用事があると言って出て行ったらしい。
「てっきり、ミラルカ殿と仲良くやっていると思ったのでござるが――」
「ハンゾウさん、ひっかきますよ」
ハヅキちゃんがハンゾウを半眼で睨み付ける。
「スグルさんが浮気なんてするわけないじゃないですか」
まぁ、スグルくんならそうでしょうね。
ただ、ミーシピア港国への馬車は昨日の夕方の後は今朝まで出ていない。
何か用事を済ませて、部屋にも戻らずにミーシピア港国に出かけたとは思えない。
「スグルくん、もしかしたら誰かに捕まった可能性があるわ」
下手をしたら死んでいるかもしれない――とはここでは言わない。
そんなこと言えるわけないし、死んでいることを前提に行動することに意味はない。
「本当でござるか?」
「たぶん、ガイードさんが関わっているわね。少なくとも彼はウソをついているし」
ガイードさんはスグルくんが「二人に伝えてほしい」と言っていたといった。
だが、スグルくんならそんなことは絶対に言わない。
言うとしたら「みんなに伝えてほしい」。
スグルくんがハヅキちゃんを忘れるはずがない。たとえ気付かれないように伝えるのが目的だとしてもぼかして伝えるはずよ。
もちろん、全ては私の推測に過ぎないし、本当にスグルくんがミーシピア港国に一人で行ったという可能性もある。
彼は時々私の想像の及ばない行動をするから。
「拙者はこれよりミーシピア港国に向かった馬車を追いかけるでござる。今から走ればすぐに追いつくゆえ」
「わかったわ、もしスグルくんがいたらそのまま護衛についてちょうだい」
「あいつかまつった!」
そう言い、ハンゾウは私よりも速い速度で走り去った。
僅かに視界からぶれるように動くため、慣れてない人が見たら消えて見えるでしょうね。
「じゃあ、ハヅキちゃんは悪いけれど、役場でぬいぐるみのフリをしていてくれないかしら?」
「わかりました、そこで情報を集めるんですね」
さて、私はどうしようかしら。
ハンゾウくんが帰ってきたとき、もしもスグルくんが馬車に乗っていないとわかったら……。
村を滅ぼす方向でも考えないといけないわね。
「あら?」
不敵な笑みを浮かべる私に、建物の陰からミラルカさんが手招きをしていた。
私に用事かしら?
そう思い近付くと、彼女は私の耳元に口を近づけ――
この村で何が起こっているのか説明をしてくれた。
「そう……わかったわ」
彼女はそのまま立ち去った。
彼女からもらった有用な情報のおかげで、私のとるべき行動が決まった。
「とりあえず、宿を確保しましょ」
ハンゾウが帰ってくるまで、ゆっくり休むとしようかしら。
さっきの話が本当なら、三日もすれば彼がこの町に訪れるはずだから。
いつの間にかスグルが行方不明。
一体どこにいった?




