36 今から始まる後の祭り ーその3ー
壁に掛けられた「人身売買組織の優男」「麻薬密売の豪傑」「三つ子の髭面山賊」等の手配書を見ながらも、俺は横目で酒場内の様子を見る。
酒場は酒を飲む場所なのだが、冒険者ギルドができてからは以前にもまして交流目的の場所となっていた。
その中で、短いながらも行列ができているのは、今日から新設されたマリン専用カウンターだった。
「頼むよ」
冒険で疲れ切った表情のゲンガーが銀貨1枚をマリンの前においた。銀貨1枚100ドルグ、1000円~1500円程度の金額だ。
マリンはそれを笑顔で受け取ると、
「リザレクション!」
魔法を唱えた。
淡い緑の光がゲンガーを包み込む。
時間にして約3秒。
光はゆっくりと消えていった。
「おぉ、なんだこれ、風呂上がりなんてもんじゃねぇぞ、疲れがふっとんじまった」
ゲンガーが興奮して叫ぶ。そんなに興奮したら疲れるぞとか思いつつ、その威力は絶大のようだ。
体力回復魔法リザレクション。マリンは今朝、回復魔法の魔法書を購入して5種類の魔法を習得した。
『傷治療魔法リカバリー 体力回復魔法リザレクション 毒回復魔法アンチポイズン 麻痺回復魔法アンチパラライ 石化回復魔法アンチストーン』
一冊で五種類の魔法とかおすすめだな。
リザレクションといえば復活魔法の名前っぽいんだが、体力回復だけしか使えないらしい。いや、まぁ、死者蘇生魔法なんてでてきたら、それこそゲームみたいなものだが。
「すごいな、嬢ちゃん!」
「えへへ、マリンは天才ですから、このくらい当然ですよ」
マリンは照れながら、目の前の砂時計をひっくり返した。
砂が落ちている間は、クールタイム、つまり魔法が使えない時間となる。
身体から放たれた魔力を補充するための時間と言われ、クールタイム中は全ての魔法が使えなくなる。
時間は約40秒ほど。カップラーメンを作るよりも遥かに短いその時間も、戦闘中となれば命取りになる。
ゆっくりと流れ落ちる砂を、俺は離れたテーブルから見ていた。
「気になるの?」
正面に座るミコトが微笑を浮かべて尋ねた。
「女性と一緒に食事をしているときに、他の女性ばかり見ているのは失礼だと思うわよ」
ミコトが微笑み言って、少しドキリとした。すぐに「冗談よ」と笑ってくれたので、いらぬ勘違いをせずに済んだが、ハヅキちゃんがいなくてよかったと心から思う。
ハヅキちゃんは現在はガルハラン商会で仕事中。後で俺が迎えに行くことになっている。
「40秒で100ドルグだろ、ぼったくりにもほどがあるよ」
都市部では同じ治療魔法で10倍~50倍の値段が必要だというからさらに驚きだ。
高級リゾートのマッサージ1時間コースかよと言いたくなる。
「その分MPの負担もあるんでしょ?」
ミコトは冷えた麦酒を口に入れて、頬を赤らめる。
MPの消費はもちろんある。
MPは一晩寝たら全回復できる程度と言われているが、決して早いわけではない。
起きている間だと、1時間に5%回復すればマシだというレベルだ。
MPが少なくなれば疲労も出てくるし、体力への影響もある。
「マリンが不調を感じたら店じまいするようにとは言ってある。だが、あいつ、スキルもかなり成長しているからな」
詳しくはミコトであろうとも守秘義務があるから話してはいけないことになっている。
マリン【黒魔術12・白魔術5・魔法特性10・空き・空き・空き】
スキルは15歳になるまで装着してはいけない。
国の決まりだ。ただし、ユニークスキルは外さなくてもいいとなっている。
また、特殊な状況においてはスキルの装着を許可される。
例えば、貴族や王族の子供などは、国を守る義務があるからという理由でスキルを装着できる。
建前は立派な話だが、つまりは貴族や王族の子供は生まれたときからスキルを成長させることができるということだ。
この法律が、この世界における格差社会の根源にもなっている。
もう一つ、魔法関係のスキルも装着が許可される。
これは、リューラ魔法学園の学生のほとんどが10歳前後で入学することが理由として挙げられている。
魔法学園と世界中の国との間で何らかの利権問題もあるそうだが、詳しくは知らない。
そういうわけで、マリンは魔法関係のスキルを3つ装着している。
「それでだな、黒魔術スキルをつけていたら、魔法(氷)スキルをつけることができないんだ」
氷魔法を習得したその日に確認した。
最初は原因はわからなかったが、今ではおおよその見当がついている。
「黒魔術と白魔術、マリンが最初から持っていたこの二つのスキルは、おそらく互換性のあるユニークスキルだ」
スキルには通常スキル、ユニークスキル、上位スキルの三種類がある。
ユニークスキルは生まれつき、または3歳までに発現するスキルであり、ユニークスキルを覚えた場合、スキルスロットが一つ増えるというボーナスまである。
ユニークスキルにはオリジナルのスキルも多く、ハンゾウの忍術、ミコトの勇者、ハヅキちゃんの物理攻撃無効や魔法攻撃無効もその部類に入るだろう。
上位スキル。複数のスキルを一定レベルまであげると修得することのできるスキル。
例えば、足防御、身体防御、頭防御、腕防御のスキルを一定レベルまであげると、全身防御スキルが手に入る。これが上位スキルだ。
その代わり、全身防御スキルを装着していると、足防御、身体防御、頭防御、腕防御のスキルを装着できない。
全身防御スキルが、各防御スキルの上位互換となっているかららしい。
イレギュラーではあるが、マリンの黒魔術スキルは、上位スキルのような互換性を持つユニークスキルなのだろう。
実はもう一つ、通常スキルのレベルを40以上にまであげたものが稀に取得できるという才能スキルというものもあるそうだが、それに関しては情報があまりないので割愛する。
もしかしたら、ハンゾウやミコトあたりが修得できる日が来るかもしれないが。
とにかく、マリンの持つスキルはそう言う特殊なもののため、一レベルあがるごとに、MPの上昇幅もかなり大きいらしい。
「あいつなら魔法学園の首席卒業も夢じゃないよ」
「みんなには言ったの?」
「いや、知ってるのは他にはハヅキちゃんとパスカルだけだ。他のみんなには自分から直前に言うそうだ」
「そう……みんな寂しくなるでしょうね。なんだかんだ言って、あの子も村の一部になってたから」
「だな、氷冷蔵庫もパイクリートももう使えないな」
元に戻るというだけだが、夏に冷えた果実ジュースを飲めないと思うと、少し残念だ。
「……素直じゃないんだから」
「俺はいつでも素直だよ……本当にさ……短い付き合いだったけど、あいつには幸せになってほしいと思ってる」
少なくとも、この村で氷を作ったり、冒険者の治療をするような生活よりはマリンにとっては意義のある生活が待っているだろう。
「……ならいいのよ。寂しくなったらいつでもうちに来なさい。慰めてあげるから」
「では、お頼み申すでござる!」
毎度のことだが、突如としてハンゾウが現れた。
無言のまま、ミコトの拳がハンゾウの脳天に振り下ろされた。
ガルハラン商会でハヅキちゃんと合流し、自宅に帰っても、マリンはまだいなかった。
酒場での仕事が盛況なのだろう。間違いなく我が家で一番の稼ぎ頭となっている。
「マリンちゃん、頑張ってますね」
猫のぬいぐるみから出てセーラー服姿の幽霊となったハヅキちゃんが、窓から月の位置を見て呟く。
「学費や寮費、食費は無料でも金があって困ることはないからね」
ハヅキちゃんが淹れてくれた熱いお茶を飲みながら、バッカスに取り寄せてもらったリューラ魔法学園の資料を読み続けた。
特に気になったのは事故発生率。
魔法を扱う学園ということで、魔法の暴走による事故などがないかと思って心配していたが、特に大きな事件は起きていないらしい。
まぁ、世界中の要人が集まる場所だからな。滅多なことは起きないだろう。
「マリンちゃん、本当に魔法学園に行っちゃうんでしょうか?」
「そりゃ行くだろうさ。見てみなよ。魔法学園の卒園生の平均年収。俺の二十倍はあるぞ。他にも、世界中から優秀な研究者も留学するらしいからな、ハヅキちゃんたちの記憶を取り戻す手がかりがつかめるかもしれない」
本当に、羨ましい話だ。
俺がマリンの立場なら絶対に逃さないチャンスがここにはある。
「他にも、ミラーという教授がホムンクルスと召喚魔法の研究をしているらしいからな、マリンの従魔召喚魔法を見せたら絶対特別待遇を図ってもらえるさ」
「俺達が元の世界に戻る方法もわかるかもしれない」と楽天的だが確かにそこにある可能性を告げる。
ただ、元の世界に戻るよりも、みんなの記憶を取り戻す方が先か。
「それにさ、あいつって少しうるさいところもあったからさ、いなくなって静かな生活が戻ってくれると思うと――」
「そうしたら、ハヅキといちゃいちゃできますね」
扉が開いた。
そこに、マリンが立っていた。
話を聞いていたのか。
「スグル、マリンのことが邪魔なんですか?」
「邪魔じゃないさ」
俺は立ち上がり、壁にかけてあった長い棒を手に取る。
「お前の氷魔法による村の利益は、無視できない金額になっている」
「じゃあマリンがいなくなったら――」
「だが、ここはお前のいる場所じゃない」
俺はそう言い、その棒――ミスリルの杖をマリンに差し出す。
「これは?」
「試験には杖の携帯が必要だ。杖がないからって言って試験に落ちたら困るからな、一番安物で悪いが、持っておけ」
「…………そんなにスグルはマリンに出て行ってほしいんですか?」
マリンの問いに、俺は黙って頷いた。
すると、マリンは肩を震わせ、
「スグルのアホー! なんちゃって村長! 笑えるランクS冒険者! 覗き魔の変態!」
マリンはそう叫んで、家を飛び出していった。
あの方向は、おそらくガルハラン商会、パスカルのところだろう。
「スグルさん……」
「……寮生活でも相部屋になるらしい。いい機会だろう」
俺はそう言って、椅子に座ってお茶を飲んだ。
お茶はすっかりぬるくなっていた。