35 今から始まる後の祭り ーその2ー
仕事のせいで、家にたどり着いた時はすでに夜も更けていた。
16歳にして、このくたびれた雰囲気を出せる男はそうはいないだろう。
「ただいまぁ……」
と言って部屋にある光景が目に飛び込んできた。
さて、ここで扉を開けて見たものを例を踏まえて考えてみよう。
疲れて帰ったサラリーマンの男、子供が玩具を広げていたらどう思うだろうか?
「うわ、俺の子供は元気だなぁ、よし、俺も元気に家族サービスをするぞ!」
と思うだろうか、それとも、
「疲れてるのに、もう怒る気力もないよ」
と倒れるだろうか?
子供を持ったことのない俺にはわからない感情だ。
だが、家に帰ったら魔法使いの姿をした少女が、家の床全体に巨大な魔法陣を描いていたらどう思うのか?
その気持ちは俺にはわかった。
「あ、スグルは仕事遅いですねぇ、マリンはぁぁぁぁぁぁぁ、頭をぐりぐりしないでぇぇぇぇ」
「とりあえず、説明をしろ」
「説明しようと思ったら美少女虐待をしたんじゃないですか!」
「おかしいな、俺は美少女には優しい男でいたつもりだが」
「全く優しくないですよ!」
何を言う。俺はハヅキちゃんには世界一やさしい男でいるつもりでいるぞ。
ミコトには逆に優しくされているし、パスカルやシスターにも世話になってばかりだが。
「もう、スグルには何も教えてあげません!」
「説明しないなら次はその帽子を雑巾替わりにして床をきれいにするが?」
「わかりました! 説明しますからマリンの帽子には手をふれないでください」
涙目で自分の帽子を押さえるマリン。
涙を袖で拭いて、マリンは笑顔で言った。この立ち直りの早さは見習いたいものだ。
「これは、魔法陣です!」
「そうか。じゃあ消せ」
「なんですか、その感想は! これを作るのにかなり時間がかかったんですよ!」
マリンが地団駄を踏んだ。ここまでの駄々っ子にどうすれば育つのか。
なんでこいつがインテリジェンス代表のような職業ともいえる魔法使いなのか。
なんでこいつが俺より高所得者なのか。俺の倍は収入があるのか。
「お前の氷魔法は魔法陣とか使ってなかっただろ?」
杖も使っていなかったし、ただ言葉を唱えたら魔法が出た感じだ。
「氷魔法は魔法陣を使いませんね。でも、スグルの使うシステム魔法のなかでスキル関係の魔法には魔法陣が必要じゃないですか。この世界での魔法体系も魔法陣とは無関係ではありません」
「そういう考え方もあるのか。でも、魔法書がなかったらシステム魔法も使えないんだぞ?」
マリンが契約しているのは氷魔法だけのはずだ。
回復魔法も近いうちに覚えるつもりだと言っていたが、あれも魔法陣は必要ないと言っていた。
「魔法書はここにあります!」
マリンはそう言って取り出したのは、黒魔術入門書だった。
日本から持ち込んだと思われるインチキ書物か。
「ふふふ、マリンはとうとうこの魔法書に選ばれたんです。ほら、このページ!」
「従魔召喚?」
俺は本を受け取ると、そのページを読んだ。
【従魔召喚。契約したものを召喚する黒魔術。
やり方は簡単、図の通りに魔法陣を描き、①から⑧の順番で杖をついて【従魔召喚】と唱えましょう。
ワンポイントアドバイス:最初は動物ではなく、友達と仮契約を結んで手助けしてもらいましょう】
「はぁ……他者強制転移魔法か。使えたら便利だな」
異世界の住人を呼び出す召喚魔法とは少し違うらしい。
「はい、便利です、がそうではありません! ほら、このページ、光って見えますよね」
光って見える?
俺は目を凝らして本を見てみるが、全く光っていない。実際に本が光るのなら照明代が浮いて助かるんだが、全く光っていない。
家のランプに照らされているだけだ。
「気のせいじゃないか?」
「スグルはランクS(笑)ですから見えなくても仕方ありませんね。これは選ばれた人にしか光って見えないんです。そして、光っている魔法のみ使うことができるんです」
「へぇ……東京都で作られた書物にそんなすごいギミックがついているとは思えないがな……ハヅキちゃんは?」
「ハヅキはマスターさんのところに小麦粉を買いに行きましたよ……って興味を無くしてますよね、絶対」
「興味は尽きないぞ。どうやって消したらいいんだ? お前、インクで書いただろ……その筆はハンゾウから貰ったのか?」
「ふん、見せてあげます!」
そう言い、マリンは掃除用のホウキを持ってきて逆さに持ち魔法陣の前に立った。
そのホウキで掃除をしてほしいと思いながら見ている。
【奥、右、左、奥、前、右、左、真ん中】
格闘ゲームの必殺技を暗記している俺みたいに、スムーズに魔法陣に杖を突く。
すると――魔法陣が輝きだした。眩い光を放っている。
うそだろ、まさか、本当にこいつ召喚魔法を成功させたのか?
一体、何が出ると言うのか?
最悪、マリンを盾にして逃げるしかない。いや、まぁ、マリンなら氷魔法で雑魚魔物は倒せるだろうからな。
そう思ったら、光が強まり――
「え?」
現れたのは、パスカルだった。
ただし、風呂場の椅子にお尻を乗せ、頭を狐耳ごとタオルで包んでいる他何も持っていない、というか何も着ていない。
一糸纏わぬ姿で現れたパスカル、俺の目に飛び込んだのは、微かな膨らみと、秘密の――
「キャァァァァァァァァッ!」
悲鳴が室内にこだました。
あ、そうか。今日は公共浴場がある日だったなぁ。あとで俺も行かないとなぁ。
そんな現実逃避を始めたら、そこに――
「ただいまぁぁ、スグルさん、もう帰って――」
扉の取っ手にぶら下がってハヅキちゃんが入ってきて――
「スグルさん! 何やってるんですかぁぁぁっ!」
ハヅキちゃんが小麦粉の入った袋を投げてきた。袋は空中で封があき、中の小麦粉が俺にぶちまけられた。
最悪な夜だ。いや、ハンゾウから言わせれば最高の夜なのだろうが。
粉まみれになりながら、俺はとりあえずマリンのコメカミをもう一度グリグリした。
マリンと俺は公共浴場に向かった。
俺は小麦粉のついた身体を洗い流すためとパスカルと同じ部屋にいないため、マリンはパスカルの服をとるため。
「ひどい目にあいました」
「全くだ。お前のせいでひどい目にあったぞ。後でパスカルに謝れよ」
「朝、パスカルには、従魔仮契約をしてもらって、夜に試すからって言っておいたんだけど」
「信じてなかったんだろうな」
俺は嘆息を漏らす。
パスカルはこの世界の魔法の知識もあるのだろう。そして、召喚魔法がこの世界にないということも。
存在しない魔法を使う魔法使いか。
しかも、光って見える魔法が使えるといっていることが真実だとしたら、マリンの能力が上がっていけば、使える魔法が増えていくのかもしれない。
「あの魔法は凄いな」
「ですよね。でも、マリンは天才魔法使いですから当然です!」
天才魔法使いか。
そうだな、本当にお前は天才だよ。
全ての属性魔法をつかえて、カード化のボーナス特典もあって、さらにこの世界にはない魔法まで使える。
本当に、この村で氷だけを作らせているにはもったいない。
「マリン、魔法学園に行ってみないか?」
「え?」
マリンが驚いて、俺の顔を見た。
「北大陸にリューラ魔法学園という魔法の学校がある。お前の実力ならそこに無料で入学できると思う」
「……魔法学園? ふふん、マリンはいまさら勉強をしなくても天才ですよ」
勉強嫌いなのか、あまりマリンは乗り気ではない。
「そこで実力が認められたら、大きな国の宮廷魔術師にもなれる。それだと誰もが認める天才になれる」
俺は心の中で「お前なら絶対になれるよ」と付け加えた。
「…………マリンは」
「っと、風呂についたか。試験は祭りの次の次の日だから、祭りが終わったら馬車でミーシピア港国まで行かないといけない。それまでに考えておけよ」
俺はそう言い、マリンと別れて男湯へと入っていった。
祭りまであまり時間はない。
そして、マリンと一緒に過ごす時間も、おそらくは終わりが近づいているのだろう。
そう思いながら……ちょっとだけ、本当にちょっとだけだがパスカルの裸体を思い出してしまった。




