1-6 魔法使いと使い魔の帰り道
そこはすごく懐かしくて幸せな場所だった。母さんと兄弟達と一緒にオレは母さんの腕の中で眠っていた。もうずっと昔のことなのに昨日のことみたいだった。母さんは長い毛の生えた尻尾でオレ達を抱くようにあやすようにふさふさと動かしている。春の温かい日差しがオレ達を包む。
突然、辺りが暗くなり母さんが起き上がる。尻尾がオレ達から離れて天を向く。虹色の怪我突風に揺れきらきらと光る。兄弟達は不安から泣いていたがオレはまっすぐ母さんの向こうを睨んだ。ドタバタと足音が鳴り響き杖を持った人間達がオレ達に向かってくる。母さんが「魔法使いか」と呟いた。杖から光や炎が発せられ母さんの毛が焦げる。母さんがオレ達を見てから姿を人間と同じ姿に変えて前に出る。しかしあまりにも相手の人数が多すぎた。母さんの身体に攻撃が浴びせられ赤い地が流れ落ちる。地面に跡を作りながらそれでも母さんは人間に向かって跳んだ。傷がどんどん増えて母さんはその姿を小さく小さく縮めていく。虹色の毛を持つただの小さな猫。人間が母さんを乱暴に掴み箱の中へ放り投げる。怖くて身体が震える。足がすくみ兄弟達が次々と掴まれる。歯向かった兄が目の前で殺されそれを見て笑う人間。オレは必死に脇から身体を這い出し逃げる。足音がその背後に聞こえる。どんどんそれが増えて、振り返らずにとにかく走った。金色の毛に泥がつく。足がもつれて爪が削れる。横を炎の矢が通りぬけ目の前の大木を燃やす。怖い、怖い。助けて、助けて。誰も味方なんて居ないのに叫ぶ。目の前の燃えている木を抜けるとそこは崖でそこが見えないほど深く、戻ろうと振り向くともうそこには人間の手が伸びていた。前も後ろも無くて死を覚悟した時、崖の底から、声がした。飛べ、跳べ、と。人間に捕まって死ぬのも飛び降りて死ぬのも一緒だったのに、それに引き寄せられるように、オレは身を投げた。眩いピンクの光が底から噴出しオレを包み込む。
身体に当たる衝撃を感じたような気がして目を開ける。
夢の最後は事実と違っていた。
視線の先にはサクラが居てオレに手をかざしていた。
それを見て、ああ、そうかあの光はサクラだったんだと気づき息を吐く。
薄暗い廊下にはサクラとオレしか居ないようで、ゆっくり起き上がるが、まだ頭がクラクラする。
オレから手を離し、顔を離すサクラの顔は汗をびっしょり掻いていた。
それを見ても、オレにはいまいち状況が理解出来ない。
「終わったのか」
サクラにそう尋ねると大きく頷いた。
「オレ、どうしてた?」
サクラが額の汗をローブで拭いながら欠伸をする。
「眠っていたよ、ぐっすりと」
その言葉に耳を疑う。
眠る?オレが?
眠る必要なんて一切ないから眠気なんてある筈が無い。
もしそうなっていたとしたらそれは故意に誰かにやられたのか、フリをしていただけだ。
「レイチェごときの魔法使いにあっさり掛けられるなんて、情けない」
はぁっと大げさにサクラが溜息を吐かれぼんやりとした記憶を辿れば、確かオレはレイチェとか言う女と話しててキャンディーを貰って……。
あぁ、と声を漏らす。
そうか、あれか。
ズキズキ痛んできた頭を押さえる。
「どうせ嫌な夢でも見せられたんだろう」
サクラがオレに背を向けて歩き始め、慌ててソファから飛び降りその後を追う。
階段を足早に下りて行き、一階に着き今度は正面の黒いドアから外へ出る。
白い石畳の道が緩やかな下り坂になって下へ続き、そこを辿って行けば途中から土の道になっているのが遠目に見える。
オレとサクラが建物を出るとドアは自動的に閉まりガチャンと鍵のかかる音がした。
サクラはその道をゆっくり歩き始める。
空には星が数多く輝き丸い月が高く昇ってオレ達を見下ろしてる。
それだけでも充分に明るく大地を薄っすらと白い光が映している。
土の道を行けば、やがて目に街が見えてくる。
炎と光の精霊によって照らされた室内の明りが窓から漏れ、外に居る者は気持ち良さそうに酔っ払い、暗さで顔が良く見えないのかオレ達には何も言わなかった。
初めてここに来た時にサクラは言ってた。
ここは魔法使いだけが住む街だと。
向こうの世界で働く魔法使いが安らぎを求める街だと。
そして、自分はここには縁が無い、ここでは自分はで嫌われていると。
世界には二通りの魔法使いが居て、向こうに居る魔法使いから生まれる者、ここで生まれここで育つ者。
向こうで生まれた者はある程度の年齢になると親から魔法を習い、ここで生まれた者は学校へ通って魔法を習う。
向こうで生まれた者は魔法使いよりも普通の人間が多いが、それは大した問題ではない。
ある程度までしか魔法使いの数は増えない事になっている。
そして、やがて成長した魔法使いはどちらの世界で過ごすかを求められるのだと言う。
そういえばと思い前を歩くサクラに声を掛ける。
「なぁなぁ、前に話してくれた二通りの魔法使いの話、サクラはどっちなんだ」
サクラがふっと振り返り、一瞬困惑したような顔をしてオレを見つめて口を開く。
「……私か?私はこちらの世界で生まれてあちらの世界でママに魔法を習ったんだ」
言われてる意味が最初分からなくて、でもすぐに分かって俯く。
そんなオレを気にする事無く、サクラはまた歩き始め、オレはそんな事を軽々しく聞いた事を後悔し、動けなかった。
少し考えれば分かったはずなのに、と。
入る時はあんなに渋って嫌がらせをした門番も出る時はそれを歓迎するように扉を開け、私達は自分達の部屋へ世界へと戻ってきた。
ベッドが音を立てて元に戻りそこに腰を落とせば、カーテンを開けたままの窓から朝日が差し込んで部屋はうっすら明るい。
どっと疲れが沸いてきて大きな欠伸をする。
少し眠りたいというのが今の正直な本音だ。
しかし新しい任務がある。
森川ハガネ、寄りによってあんな奴守るのかとそれだけで頭痛がする。
眉を顰めた私を心配そうに見つめるリンクスに気づき、バンザイをする。
リンクスはそれに顔を少しほころばせ私に近づき、ローブはあっという間に引き抜かれ、ブラウスとスカート姿になる。
クローゼットへそれを軽い足取りで戻したリンクスが私の前に同じように戻ってくる。
その手にはブレザーを持っており、そのまま着せようとしている手を指先伸ばしてぴたり触れ、首を振ってそれを静止した。
それからまた大きな欠伸をひとつする。
「学校、オレが行くか?」
心配そうな顔をしたリンクスに制服を持ったままそう聞かれ、それに首を振る。
大きいリンクスが持つと私のブレザーは子供服だ。
180cmくらい有りそうな身長。
最も、リンクスはもっと小さい姿を私が望めば彼は喜んでその姿になるだろうが。
「どうせ、もう遅刻だ。少し休む。とりあえず、風呂だな」
もうひとつ出そうな欠伸を噛み殺しながら言えば、リンクスが私の横にブレザーを置き私を立たせる。
長く白く形の綺麗な指先がブラウスのボタンにかかりゆっくりとそれを外される。
するりとリンクスの手によってブラウスが脱がされスカートも脱がされる。
下着姿になるとリンクスは壊れ物でも扱うよう、ゆっくりと私を抱き上げた。
決してのろのろとリンクスがしていたわけではないが、秋の入り口に入った部屋の中はひゅっと身体が寒くなりクシャミをひとつし思わず文句を言う。
「寒い、早くしろ」
自然と低くなったその文句にも表情ひとつ変えず、返事の代わりにリンクスの腕に金茶の柔らかい毛が生える。
それが私の身体をさわさわと隠していき、やんわりとした温もりを与えてくれる。
私の体が隠れるのを待ってリンクスが頷き、部屋をでると跳ぶように弾んで階段をあっという間に下りていく。
リンクスが歩く度に背中に当たった毛がくすぐったい。