1-5 魔法使いと父上と親友
「何を仰って……、それは事実なのですか」
杖を持った手には力が籠り、声は思わず大きくなる。
私の様子を見た偉大なる父上の側近が、私に近づこうとして父上に止められる。
けれど、私は、今言われた言葉信じられなくて言った本人をじっと見つめる。
長い顎鬚、白い髪、ローブは他の者と違って白銀の煌く生地に銀の糸で刺繍が施されている。
「そうだ。だから呼んだ」
目を細め静かな落ち着いた声がそう言う。
それだけで周りの空気が引き締まってしまう位に威圧的に恐ろしく感じてしまう。
「申し訳……」
謝罪しようと言葉を出すがそれは簡単に遮られてしまう。
「謝罪など要らない。君が聞き返すのも無理はない。我々とて未だに信じられない。だが、事実だ」
広い室内にどんよりと重い空気が漂う。
外から暖かい明るい光が室内を照らしているのにこの部屋の中だけ、ひんやりとしている。
顔を上げていられなくて俯けば毛足の短いワイン色のカーペットが目に入る。
所々年月を重ねてきたそれは大なり小なり黒い染みを残し、全体的にくすんだ色をしている。
部屋に居る誰も話さない沈黙の中、意を決して顔を上げれば、木目の美しい大きな机に座った父上はずっと私を見ていたようだった。
間違いなど有り得ないのにそれでも私は口を開く。
今、聞かされた事実はとても信じられる様な物では無く、杖を握る手にさらに力が篭る。
「本当に、彼が、彼が対象者なのですか」
私の言葉に父上は大きく頷いた。
途端に背中に汗が垂れ、後悔と焦りが私を襲う。
「あぁ、森川ハガネが今回の対象者だ、君の幼馴染の」
残酷なほどに冷淡に静かに、もう一度そう告げられ俯く。
しかしそんな私の様子などどうでも良いらしく言葉が続く。
「それでだ、今回の任務を与えようと思う。我々も万能ではない。どれくらい進んでしまっているかの判断はまだ出来ていないが、取り急ぎ君には森川ハガネを守って貰う。もちろんこれは正規の任務だ」
その言葉を待っていたというように側近の一人が父上に近寄り赤いリボンで細く筒状にされた羊皮紙を渡し、父上はそれを受け取り短く言葉を紡ぎ、リボンがするすると解け丸まっていた紙は私の前まで飛んできて広がって静止した。
「では、捺印を」
その言葉に書類に目を通し内容に眉をしかめ紙越しに相手を見る。
「最悪の場合、選択の余地はありますか」
私の言葉に側近から失笑が漏れる。
それはそんな事お前が決める事ではないというように聞こえ、父上からもそれ以上の返事も言葉も得られなかった。
最悪の場合はこの紙に書かれている通りにしないといけない。
しかも既に私には選択の余地は無く、黙って左手の親指に歯を立てた。
片方だけ普通より鋭くなっている犬歯が皮膚を破り血が滲み、それを予め書かれている私の名前の横に押し付ける。
指を離すとぐちゃりと押された血判は、紙の上を踊るよう移動し、私の紋章へと形を変えた。
紙は私の手から一人でに離れ、くるくるっと丸まり赤いリボンが勝手に巻き付き封をする。
側近の一人が手を伸ばし、それを大切そうに回収した。
「では改めて詳細を話そう」
ぱちんと父上が指を鳴らせば背後に椅子が現れ、上から見えない何かに押され強制的にそれに座らされる。
ワゴンを持った職員が現れ私の横で止まると青い小花柄のポットからお揃いのティーカップにお茶をその上で淹れ始めた。
「あんたがオレの暇つぶし?」
露骨に嫌な顔をし、声を低くして言えば、レイチェは首を少し傾げてから不思議そうに頷く。
それを見ながらソファに寝転び、手を上げてシッシッと動かす。
お隣、いいかしら、に首を縦に振らなかったもんだから、レイチェは立ったままオレを見下ろしている。
「別に、いらねーよ。そんなもん」
目を軽く閉じて、呟く。
キャンディーを貰っておいてなんだが、サクラ以外の魔法使いに興味なんかこれっぽっちも浮かばない。それより早くサクラを解放してほしいし、それが無理なら放っておいてほしい。
レイチェはそれでもそこを動かず相変わらず首を傾げたまま困ったように立っていた。
「でも、それが、あたしの仕事なの。ごめんなさいね」
レイチェは体を倒しオレの顔を覗き込み笑う。
そこには右手がいつの間にかかざされていて、慌てて起き上がろうとするも、身体をレイチェ以外の誰かに押さえられる。
慌ててそっちへ目線を流せば、白いジャケットから伸びる白い手が目に入り、そっちに気を取られた瞬間、目の端に黄色の光が映る。オレの意識がどんどん遠退いていく。
レイチェが目の前で眠ってしまったオレを見て笑う。
今までの表情と打って変わって目を細め馬鹿にしたような視線。
「知らない人に何か貰ったらいけないと、習わなかったの?あんたの相手なんてあたしだって真っ平ごめんよ」
指をぱちんと鳴らせば、身体を押さえていた手が離れ、立ち上がる男にレイチェはそっと暖かい笑みを送る。
男は次の命令を待つように頭を下げ、その頭上に生える長い白い耳にレイチェがそっと口を寄せた。
男が顔を上げると同時にその全身に白毛が生えて姿が大きくなる。
一人の男性は、あっという間に一羽のウサギに姿を変え、リンクスを咥えるとレイチェと共にその場を去っていった。
ようやく部屋を出る許可が下りる頃にはすっかり窓の外は暗くなっていて、最も話はとっくに聞き終えて後は雑談を甘いお菓子をつまみながらしていただけだが、向こうではすっかり朝になってしまっているとげんなりする。
空気を察したのか、椅子がもぞもぞと動き始め私をどかそうとしていて、振り落とされる前にそれから下りると一礼をして部屋を後にしようとドアの方へ歩いていく。
けれど、ドアノブに手を掛けた所で父上から声が掛かる。
「所で君の母上はお元気かな」
ドアノブを回すのを止め、ただ、手はそこへ置いたまま振り返りにこりと笑顔を作る。
「おかげさまで」
満面の笑みのまま、しかし、ありったけの毒々しさを込めて言い、ドアノブを回して外へ今度は振り返らずに出る。
何がお元気だ、ふざけるなと心の中で悪態をつき、それと共に笑みは消え眉間には皺が浮かんでしまう。
俯いたまま重厚なドアを閉め、眉間に寄った皺を指先で伸ばしていれば、終業の前のざわざわとした声が下のフロアから響いている。
各々の部屋でミーティングやら雑談が交わされているのだろう。
廊下の壁には燃え尽きることの無いロウソクが焚かれぼんやりとそれでいて明るい光を放っている。
いつもなら飛びついてきそうな声も姿もなく、そっと顔を上げれば、目の前のソファにリンクスが丸くなって眠っていた。
その傍らにレイチェが白い大きなウサギと共に立っていて、その光景に驚き走り寄る。
「レイチェかここへ戻ってたんだな。久しぶり。……で、リンクスは……寝てる、のか」
レイチェがニコニコしながら手を振り、ウサギが頭を下げてきた。
「久しぶり。ようやく片が付いてね。彼、父上からの命であたしが相手をしてたんだけど、ね。疲れたんじゃない?」
そっとレイチェがそう言いながら、まるで当然だというようにリンクスの頭を撫でながら弾んだ声を出す。
「……そう、か」
揉め事は面倒だと思いそれだけ呟く。
レイチェは私の親友で、優秀な魔法使いの一人で本部付きだが、大きな仕事があるとあっちの世界に出張している。
ここ何年か会っていなかった久しぶりに再開した親友はどうやらリンクスの事は良く思っていないらしい。レイチェに見えるよう手を伸ばし、彼女の手をそっと掴みリンクスの頭から遠ざける。
「素敵な使い魔ね。でもあたしなら願い下げだけど」
皮肉たっぷりにそう言い、リンクスから視線を外し、彼女を見た瞬間、手を振りほどかれその反動で後ろに一歩下がる。
レイチェはその隙に柵を乗り越え、ふわりとローブを翻し下へと落ちていく。
白ウサギがその後を追い、落ちていく主より下へと先に行き、彼女を柔らかく抱えて側に伸びた枝に着地する。
白毛の腕の中から彼女が私を見て笑みを浮かべて手を振りそのまま下の階へと落ちていった。
二人の姿が消え、溜息を吐きリンクスに近づきそっと頭を撫でる。
薄っすらと汗を掻いた額がひやりとものすごく冷たい。
金色の髪を掻き分け、そっと耳に口を寄せる。
他人がかけた魔法を解くのはややこしく面倒でとても疲れるんだ。
正解を探すクイズや細かく分けられた巨大なパズルのような、それでいてちっとも楽しくはない。
ただ、それを私はやらないといけないのだと、口を開き深く深呼吸をしてから言葉を紡ぐ。
レイチェがひっそりと奥底に隠した正解を探し出し、リンクスを夢から呼び戻すために。