表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

「そうだよ…洗脳だ。まずどこかに監禁して徹底的に今まで培った価値観を否定して、空っぽになった頭に新しい価値観を植えつけるのさ、自分達の都合のいい価値観を…ね」


「し、しかしそんな簡単に考えを変えさせられるのか?」


「私の妻は2週間ですべて変わって帰ってきたよ」


「………」


 黙りこんでしまう。


彼の話が本当なら確かに彼の奥さんは2週間で変わりはててしまったのだ。


「で、でも、奥さんはその宗教団体に洗脳されたのだろう?なぜ今度は君を崇拝しているのだ?」


 彼は黙ってグラスにビール瓶を傾ける。


しかしビール瓶からはビールは流れてこなかった。


「空っぽか…新しいのをだすよ」


 そういって彼は立ち上がり、冷蔵庫に向かった。


 その間、私は彼の答えを待って黙り込んでいた。


自らの質問の答えを私は早く聞きたかったが、なぜか言葉を発することができなかった。


しっかりと冷えて水滴のついたビール瓶を持ち、それを開けて自らのグラスに注ぐとシュワシュワと炭酸の音が聞こえてくる。


いつもならその音にわくわくしてしまうのだが今日はなぜか緊張感だけが増してくる。


「さてと…質問の答えだよね?簡単なことだよ、私が彼女を再洗脳したんだよ」


 彼はそういってグラスを傾けてビールを飲み干す。


「な…なん…だって」


 私は絶句してしまった。


薄々はもしかしたらと思っていたが、はっきり言われてしまいそれが確定してしまうと何もいえなかった。


「勘違いしないで欲しいのは私は某宗教のように信者を増やしたいとか世界を救おうなんてことは考えていないよ。ただ妻と二人っきりで慎ましやかに日々をすごしたいだけだ」


「そ、それじゃ…なんでそんな…ことを」


「仕方なかったのさ…、君は脱会カウンセラーの仕事を知ってるかい?多くの場合、彼ら自身も宗教人なんだ。ある人は神父、またある人はお坊さんだったりね。脱会カウンセラーの仕事というのは危険なカルト宗教から穏健な宗教に入信させるのが仕事なんだよ。一度神を信じてしまったら昔のようには戻れない。常に神を信じなければいけない人間になってしまうんからね」


 そこで一旦話を区切り彼がビールを飲み干す。


「…だが、私にはそれが我慢ならなかった。私の幸せはその神という概念に壊されたのだからいくら穏健とはいえ神を信じる行為が私にはどうしても我慢がならなかったんだ」


「だ、だから…」


「そう…私は神になることにした」


 一瞬沈黙があたりを支配する。


「もちろん私も最初はそんなことは思わなかった。しかし私は彼女を監禁して神を否定させようと説得したがどうしても彼女は納得しなかった。そこで出会ったのがさっき言った本だよ、本にはカルト宗教がいかに人々を洗脳していくかを詳細に書いてあった…私はこれを利用しようと思ったんだよ…」


「そ…それで?」


私は話を促した。


緊張しているのか、喉はからからでビールを飲み干してもまだ渇く。


なのでさらに注ぎこみながらそれでも彼の話からは気をそらさなかった。


「まず…私は監禁している彼女の食事を意図的に減らした。そして教義の矛盾点を徹底的に突いた」


その口調は内容とは裏腹に落ち着きはらっていた。


「最初は彼女は反論していたが同じ質問を何度も何度も突きつけて彼女を疲労させつづけていくと食事を減らしているから慢性的に栄養不足になった脳は能力が落ちてきて暗示にかかりやすくなってくる。やがて彼女は何も答えられなくなってきた。そこで教義の矛盾を否定するようなことをつぶやけば食事を与えるようにしたら彼女はぽつぽつとだが否定するようになってきたよ。最初はここは間違っているかもしれないけど教義自体は正しいんだといっていた彼女もやがて教義自体も否定するようになった。彼女の価値観はまた限りなくゼロに近くなってきたので、私は次の段階に進むことにした」


淡々と神になる準備を話し続ける彼の話に私は夢中になっていた。


「そ、それは…?」


「次の段階…それは空っぽになった頭に新しい価値観…つまり私こそが神だということを植えつけることだ。」


「私は彼女に私こそが神だといわせ続けた。言わなければ食事を抜き、地獄に落ちるといってね、人間やはり極限状態になると我慢ができなくなるのだろう。彼女はすぐにそれを唱え続けるようになってきたよ。そしてそれを一週間ぶっつづけで続けさせた。睡眠時間もトイレもすべて削ってね。一週間目の朝に彼女はついに私に涙をながして謝罪した」


『救世尊様、私が盲目でした一生あなたにつかいますとね……』


一瞬の沈黙の後に…、


「その言葉が出てきたとき彼女はやっと私の元に返ってきたのだと確信して私も泣いたよ…」


そこまで告白したところで彼は力弱く、


「そして私は神となってしまった」


総括するようにポツリと言った。


「…………………」


 私は何も言わなかった。


いや何も言えなかった。


彼は狂ってはいないといっていたがやはり狂っているのではないだろうか?


監禁やろくに寝かさずに自分を崇拝させようとは狂人のやることだろう。


 しかし私は彼が奥さんを強く愛していたということを知っている。


旅行に来たときに常に彼が彼女を気遣っていたことを知っている。


「……どうして俺に…?」


 彼は下を見ながら黙りこむとおもむろに話し始めた


「なあ…私は幸せだよ。しかし私のやったことは狂人のやることだろう。君の顔をみればわかる……それでも私は彼女を愛していた。彼女と離れるなんて考えられないんだよ。しかしこの関係に疲れることもある、私はこんな関係など作りたくはなかったんだ、でも仕方なかった…こうするしかなかったんだ。君に話したのは単なるグチだよ深い意味はない、ただ誰かに話したかったんだろうな………」


色々な感情がごちゃ混ぜになった彼を見て、私は力強く言った。


「……このことは誰にも話さないよ」


「ありがとう……」


 




 帰り際奥さんは玄関の外まで私を見送ってくれた。


彼もまた玄関の外まで来て手を振っていた。


帰り際、私は彼の顔を見てみる。


心なしか明るくなったような気がする。


グチって心が少しだけ軽くなったのだろう。


奥さんは奥さんで幸せそうに微笑んでいた。


 家に帰ると妻が遅くなるのなら連絡くらいしなさいよといつものように私に文句をいいながら晩酌用のビールをだしてくれた


「せっかく用意しておいたのに遅いからぬるくなってしまいましたよ」


その文句を背中に受けながら私はグラスにビールを注ぎ飲み干す。


ぬるくなったビールは不味いはずなのだが、何故か彼の家で飲んだよく冷えたビールより美味い気がした。


「なあ…」


「なんですか…おつまみなら自分でだしてくださいよ」


「いや…愛してるよ」


 洗い物をしている妻の身体が固まったのを感じた。


「まったく…なんなんですか…いきなり…恥ずかしいでしょ!」


 ぴしゃりと言い放たれて思わず苦笑いを浮かべながらふと気づいた。


そう…これが幸せなんだ。


私にはこれが幸せなのだ。


そして彼にとってもあれは幸せなのだろう。最大限の…。


彼は幸せを守るために奥さんを洗脳した。


しかし実際に彼と奥さんは幸せになっているじゃないか、彼は奥さんを利用しようとも不幸せにしようともしていない…ただ愛している。


それならば彼の行為も許されるのではないだろうか?


そう思って、私はぬるくなったビールをただ美味そうに飲み続けるのだった。





 


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ