第3話 この世のなんと不便なこと
「これは……?」
あぜんとした顔で目の前を見つめます。
結局俺は魔女さんにつれられて住処に連れられることとなりました。
で、今は家の前にいるわけです。
箒に乗ることもなく、山道を延々と歩いてきました。
いえ、早々にバテたので背負ってもらいましたが。
この体は体力が無いですね。
さらに虫が沢山でストレスが……
「あの――魔法とかないんですか?」
こう言った俺を責めることは誰にもできないでしょう。
いや、まあ……俺が居た時代の日本人ならば、でしょうけど。
厚かましいとは思いますが。
この家を見てしまったら、ねえ。
ゴミ屋敷だったわけではありませんよ。
手入れはされているんでしょうけど、ね。
異世界というのはこんなものでしょう――残念ながら。
この家、汚いです。
おそらく薬品とかないのでしょうね、異世界よろしく科学は発達していないようですし。
あそこの汚れとか、もはや漂白剤をぶっかけたいです。
「なんだい? 普通の家じゃないか。単に辺鄙なところにあるだけでさ。むしろ広さに感動するレベルじゃないのかい」
――感動?
確かに一戸建てよりは大きいでしょうけどね。
けれど、それは単に一階建てだから。
「うん? お前は以前の記憶を覚えているのかい? それとも、その迷い込んだ魂とやらはよほどいいとこの出だったのか」
いいとこって――そんなはずがありません。
俺は……まあ忘れましたが。
多少ヒネた庶民だったのでしょう、そんな気がします。
色々と忘れていることはありますが、そちらはほとんどが自分のことに関するもの。
そういえば、記憶喪失にもタイプが有りましたね。
常識まで忘れるパターンは少なく、自分もそれなのでしょうか……?
おぼろげにですが、思い出す断片はそこそこありますのに。
いえ、名前を思い出せないタイプはかなり重症でしたっけ?
「違うはずですよ。例によってほとんどわからないことだらけですけどね。悲しいほどに自分は庶民であるようです」
なにやら思い出すのは、画面越しに風景を見ていた記憶ばかり。
思い出す風景にタッチがぜんぜん違うものが混ざっているのは気のせいでしょうか?
単調で代わり映えしないくせに、妙に色だけは多い。
――なんか人の肌の色も全然違う?
妙に絵に近い。
考えるのはやめておきましょう。
「あ、どう思ったにせよここがお前の家だよ」
そっけなく告げられた言葉。
俺は驚いてしまう。
なぜか妙に暖かく感じて。
それでいて無理の無い自然で。
とてもとても嬉しいのです。
けれど、こう聞いてしまう。
「――いいのですか?」
「なにがだい?」
そう言った魔女さんは本当に不思議そうで。
今だけは、迷い込んだ先で新しい家族に出会うご都合主義を信じてみたくなった。
神を憎む人に、祝福など与えられるわけがないのに。
「さて、お前にやる部屋はどうしようかねえ」
「俺はどこでもかまわないですよ、魔女さん」
というか、どこでも変わらない。
まあ日が当たらないところは変な臭いがしそうですが。
魔女さんなら嫌がらせなんてしませんし。
「その魔女さんってのはやめなさい――いやな思い出がある」
「じゃあ――なんて呼べばいいのです?」
そのお顔は本当に嫌そうで、きっとヤな思い出があるのでしょう。
あらら、と困った顔をしてしまいます。
じゃあ、魔女さんというのは心の中だけにしておきましょう。
――嫌われたくないですからね。
で、そこで気づきましたが名前を知りませんでした。
名前は大事ですね。
けれど、知らなくても案外何とかなってしまうものです。
つくづく歪んでいますね――苦笑を漏らしてしまうほどに。
私も、そして前の世界も。
「それこそ、なんでもいいさ。お婆さんでもマレフィでも、ね。同僚からはそう呼ばれてたもんさ。マレフィキウム・ウィッチ……それが私の名だよ」
「では、お婆さん。一つ聞いてもいいですか?」
――マレフィキウム。
魔女になるために生まれてきたような名前ですね。
マレフィキウムとは魔女の所業を指すものですから。
ただ、マレフィというのは似合いませんね。
若いころならともかく。
「なんだい?」
おっと、顔に出てましたか。
いえ――外見なら……30代と言い張れそうですね。
サバを読むには、逆に貫禄が邪魔そうですけれど。
さて、話を変えましょう。
「なぜこんなに汚いのでしょう?」
顔を見るからに、というかわからないわけがないですね。
魔女さんにこんな話術とも言えないごまかしが通用するわけもなかったのです。
呆れた顔を向けられた私は、笑って誤魔化します。
やれやれ――と、顔を振って乗ってきてくれるようです。
「そりゃ、王宮と違っていつでも汚れを否定する魔法をかけといても無駄だしね」
「掃除は?」
まあ、王宮はコストをかけることに意味がありますからね。
よく異世界モノで王様がイロイロと売っぱらってしまいますが、そんな王様がいたら貴族とはまともに交渉の席につくこともできないでしょうに。
それとも、前の時代でも酒や煙草を拒否しても何も問題はなかったのですかね――よく若者の煙草離れとか騒がれていますが。
貧乏人の戯言なんて誰が聞くのです?
いえ、同じ人間とは思えない異才の話は聞かざるをえないのでしょうか。
で、掃除の話ですが――
「――? ちゃんと1ヶ月に一度はしてるに決まってるじゃないのさ」
どうやら、私がはじめにすることはお掃除のようです。
とりあえず、箒とボロ布を貸してもらいました。
そして、1時間は掃除していたでしょうか。
唐突に気づきました。
いえ、もしかしたら初めから気付いていたのかも。
てか、別にまんべんなくやってましたからね――どこかに力を入れることもなく。
「汚いものを汚いものでふいても意味が無いですね」
スパーン、とはたかれました。
魔女さんは窯を混ぜに行ったはずじゃ?
「また変なコト考えてるね」
あら?
俺はそんなにわかりやすいのでしょうか。
会ってから1時間で色々と見ぬかれてしまったようです。
「ボロ布じゃきれいになりませんよ。ワックスとか、抗菌シートとかないのですか?」
「……あんたは何を言ってるんだい?」
とりあえずごまかしておきましょう。
……かわいそうな人を見る目で見ないでください。
わかってますよ。
そんなものがあるわけがありません。
というか、掃除してもけっこう虫がいますし。
バルサンはどこですか?
「やれやれ。これが異世界転生の初関門ですか。これが何も気にならない人は、常時周囲を綺麗にする魔法でも使っているのですかね」
「あんたはどれだけきれいなところに住んでたのか聞いてみたいよ」
それはもうとんでもないところに。
その世界の人間はここでは耐えられそうにありませんね。
でも、それでも――耐えられないことに慣れてしまう気がします。
人間とはそういうものでしょう。
絶対に譲れないものがあったとしても、2度3度とやっていくうちになんとも思わなくなる。
「靴に土がかかることもないようなところにですね」
「あんたの街は鉄にでも覆われてるのかい……?」
これも理解できず、と。
まあ馬がよく通るところには煉瓦を敷きはしても――街全体を煉瓦で敷きつくすというのは、これはもう想像の埒外でしょう。
現代の大量生産バンザイ。
「いえ、思えば焼いた土でしょうかね。あと、黒いドロドロを固めたもの。どっちもとても固いですよ。滅多なことでは欠けません。まあ、剣で殴りつけたら話は別でしょうがね」
「で――慣れなかったらどうするんだい?」
きっと、それがファンタジーとの境界線。
科学技術というより――その元凶は大量消費という生き方。
馬鹿みたいな数でもって豊かな生活を実現する。
それはなんてバラエティに富んだ――味気ない世界。
なんでも簡単にできるのは楽しいけれど、だから自分だけのただひとつがない。
「いえ、きれいなところに慣れていただけですよ。というか、もう慣れはじめました。服に汚れがつくのとかどうでもいいです」
「それはそれでどうかと思うけどねぇ」
まあ、そんな世界に生きていれば適当にもなります。
もとも取り返しがつかないほど汚れたら捨てればいいだけでしたから。
まあ、それももったいないですけどね。
実を言えば、大切に使うほうが金も時間もかかります。
買い直したほうがはるかに安く済む。
作るよりも買うほうが手間もお金もかからない。
つくづく歪んでいる。
「で、お婆さんは何を作っていたのです?」
「悪いけど、あんたが想像していたように毒草とかを煮込んでたわけじゃないよ。食事を作っていたのさ。隠居するとそれ以外にやることがなくてね」
それは残念。
面白い効果の薬とかちょっと見てみたかったです。
人の体を変形させたりするのはファンタジーの十八番なのに。
いえ、ここがそういう世界かは存じませんが。
残念そうな顔をしてしまっているでしょうか。
自分の顔はよくわかりません。
あと、人が寂しそうにしている時にどんな顔をしたらいいのかも。
とりあえず、労っておきましょうか。
「それは大変ですね」
「とってつけたような言葉はいいよ。さっさと来な」
あら、変なものを見たかのようなお顔。
会話を返すのに失敗しましたか。
けっこう難しいものですね。
「――いいの?」
「あん? わたしゃ腹すかせたガキの前で一人メシを食う趣味はないよ」
いえ、そういう話じゃないんでしけどね。
まあ、無理もないでしょう。
とっさに出てしまった、一緒に食べても怒らない? という問いは改めて言ってしまえば――きっと怒ってくれるから。
「――ええと……ありがとうございます?」
「なぜに疑問なのかい? それとも、あんたの国の流儀かい。ま、いいさ。食い終わったら話があるから覚悟しときな」